2020年06月

王士禛 雨
 王士禛については以前(2007.09)に紹介しております。彼の詩集(高橋和巳撰注)を見てみると雨、それも微雨の詩が印象に残ります。まあこれは高橋和巳の好みかも知れませんが。それで今回は雨の詩を集めてみました。
以下の和訳は高橋和巳の訳にほぼ追随しております。

秦淮雑詩 六首之内

年来腸断秣陵舟  年来 腸断す 秣陵の舟
夢繞秦淮水上楼  夢は繞る 秦淮 水上の楼
十日雨絲風片裏  十日 雨絲 風片の裏
濃春烟景似残秋  濃春の烟景 残秋に似たり


数年このかた、断腸の思いで待ち焦がれた南京の船遊び。夢は秦淮の流れのほとりの妓楼をめぐったものだ。
そしていま、十日の間細かい雨、切れ切れの風吹く秦淮にいる。春たけなわの靄のたち籠める景色は晩秋を思わせる。


金陵道上

乍疎乍密秧針雨  乍(たちま)ち疎に乍ち密に 秧針の雨
時去時来舶趠風  時に去り時に来る 舶趠(はくたく)の風
五月行人秣陵去  五月 行人 秣陵に去る
一江風雨昼濛濛  一江の風雨 昼 濛濛


まばらになったかと思うとまた濃密に降る稲の苗にそそぐ雨。時に吹き去り時には吹き来る舟を走らせる季節風。
五月、旅人は南京へと向かう。河全体の風雨に昼もなお薄暗い。


悼亡詩 二十六首之内

病中送我向南秦  病中 我の南秦に向うを送る
感逝傷離涕涙長  逝くに感じ 離るるを傷みて 涕涙長し
長憶涕猿断腸処  長えに憶う 涕猿 断腸の処
嘉陵江駅雨如塵  嘉陵江駅 雨 塵の如し


病中に、あなたは蜀の地方へ向かう私を送ってくれた。旅立ちに感傷し、別離を悲しんで何時までも涙が滴った。
何時までも忘れないだろう、子を奪われた猿が腸を千々に断ちつつ哀鳴したという三峡の辺りの船旅を。そして私もまたあなたを思って断腸の思いだった嘉陵の水駅のあたりに、雨が塵のようにこまかに降っていたことを。

悼亡詩は妻の死を悼んで作る詩。長年連れ添った妻の死を悼んで作った。しかし26首も作るとはよほど愛していたのでしょう。この詩は、妻の死の四年前、既に病床にあった妻と別れて蜀地方に出張した時を思い出して作ったもの。当時妻を思って作った詩は、3月の「夫婦の愛情」で紹介しています。


答鍾聖輿送芍薬  鍾聖輿より芍薬を送らるるに答う

新緑横窻穏昼眠  新緑 窓を横(ふさ)ぎて 昼眠穏かなり
一簾微雨似軽煙  一簾の微雨 軽煙に似たり
午晴睡起維摩榻  午晴 睡りより起きく 維摩の榻(とう)
花気薫人又破禅  花気 人に薫りて 又禅を破る


繁茂した新緑が窓をふさいで、昼寝は穏やかである。簾全体を濡らす春雨は軽やかなもやのようだ。
昼頃、そらは晴れ、睡りから覚めて起き上がる座禅のための長椅子。花の香気が人を薫じ、またもや禅境三昧の気分をこわす。

この詩の結句は先月紹介した黃庭堅の詩から取ったものですね。

参考図書
 中国詩人選集二集 王士禛 高橋和巳注 岩波書店