2020年10月

杜甫 羌村三首
 756年、45歳の杜甫は安禄山の戦乱を避け、家族を連れて苦しい逃避行を続けていた。そして6月、ようやく洛河畔の鄜州羌村(陝西省中部)に落ち着いた。そこに家族を残して、杜甫は単身䔥宗新皇帝(玄宗の皇子)の下に駆けつけようとしたが賊軍に捉えられ長安に幽閉される。その時作られた詩が、「国破れて山河あり、城春にして草木深し」で有名な「春望」である。その後、長安を脱出して皇帝の下に辿り着き、遂に長年求めていた官位を得た。しかし、僅か2ヶ月で皇帝の怒りを買い休職となり、家族のもとへと帰ることとなる。757年の秋、羌村に帰り着いたときに詠まれたのがこの五言古詩三首である。
 家族との交わり、身分を越えた村人たちとの和やかな付き合いは、前回紹介した陶淵明に通じるものがありますね。

其一
崢嶸赤雲西  崢嶸(そうこう)として赤雲は西し
日脚下平地  日脚 平地に下る
柴門鳥雀噪  柴門 鳥雀噪ぎ
帰客千里至  帰客 千里より至る
妻孥怪我在  妻孥(さいど) 我が在るを怪しみ
驚定還拭涙  驚き定まって 還た涙を拭う
世乱遭飄蕩  世乱 飄蕩に遭い
生還偶然遂  生還 偶然に遂ぐ
隣人満牆頭  隣人 牆頭に満ち
感嘆亦歔欷  感嘆して亦た歔欷(きょき)す
夜闌更秉燭  夜闌(たけなわ)にして更に燭を秉(と)り
相対如夢寐  相対して夢寐の如し


聳え立つ秋のあかね雲が西に流れ、大地に夕陽が降り注ぐ。
あばら家の柴の戸には雀たちが騒ぎ立る。千里の彼方より旅人が帰ってきたのだ。
妻や子は私がまだ生きていたのをいぶかり、驚きの後涙を流して喜ぶのであった。
世の大乱に翻弄され、命あっての帰還は偶然の結果であった。
近所の人たちも垣根に集まり、感嘆してもらい泣きしている。
夜更けてさらに灯をともせば、向かい合っているのが夢のようである。

其二
晩歳迫偸生  晩歳 生を偸むに迫まられ
還家少歓趣  家に還るも歓趣少なし
嬌児不離膝  嬌児 膝を離れざりしが
畏我復却去  我を畏れて復た却(しりぞ)き去る
憶昔好追涼  憶う昔 好し涼を追わんと
故繞池辺樹  故(つね)に池辺の樹を繞りしを
蕭蕭北風勁  蕭蕭として北風勁(つよ)く
撫事煎百慮  事を撫して百慮を煎る
頼知禾黍収  頼(さいわい)に知る 禾黍を収むと
已覚糟床注  已に覚ゆ 糟床の注ぐを
如今足斟酌  如今 斟酌に足る
且用慰遅暮  且つ用(も)って 遅暮を慰さめん


年老いた身で生を盗むような生活に追いまくられ、家に帰っても愉快に気分にはなれない。
以前私の膝から離れなかった可愛い幼児も、私を怖がって却って後ずさりする。
昔はよし夕涼みだと、いつも池のまわりの林を散歩したのに。
ザワザワと北風が強く吹き、辺りを見回せば色々な思いがわき起こり心が穏やかならぬ.幸いなことに稲や黍の収穫が順調だったと知った。もう早くも酒を漉す簀の子が滴っている気がする。
さしあたっての飲み代は十分だ。この中年男のせめてもの慰めだ。

其三
群雞正乱叫  群雞 正に乱れ叫び
客至雞闘争  客至りて 雞闘争す
駆雞上樹木  雞を駆りて樹木に上げ
始聞叩柴荊  始めて柴荊を叩くを聞く
父老四五人  父老 四五人
問我久遠行  我が久しく遠行するを問う
手中各有携  手中 各おの 携うるもの有り
傾榼濁復清  榼(こう)を傾ければ 濁りて復た清し
苦辞酒味薄  苦(ねんごろ)に辞すらく 酒味の薄きは
黍地無人耕  黍地 人の耕す無く
兵革既未息  兵革 既に未だ息(や)まず
児童尽東征  児童 尽く東征すと
請為父老歌  請う父老の為に歌わん
艱難愧深情  艱難 深情に愧ず
歌罷仰天嘆  歌罷みて天を仰ぎて嘆じ
四座涙縦横  四座 涙 縦横たり


ニワトリどもが激しく鳴き立てるのは、客が来たために始まった喧嘩だ。
ニワトリを木の上に追い上げて、やっと客が柴の戸を叩いているのが聞こえた。
村の長老が四五人、私の長旅を見舞うためにやって来たのだ。
手にはそれぞれ何かをぶら下げて。樽を開ければどぶろくや清酒だ。
丁寧な挨拶には、酒の薄いのは黍畑を耕す奴がいないためで、。
戦争がまだ収まらないので、若い者がみな東の方へ出征したのじゃと。
結構です。お年寄りたちのためにひとつ歌わせて下さい。この難儀な世の中、嬉しいのは人の深い情けですよ。
歌い終われば天を仰いでのため息。一座の人たちの涙がせきを切る。

参考図書
 中国の四季 漢詩歳時記 野口一雄著 講談社選書メチエ
 杜甫詩注 第四冊 吉川幸次郎著 筑摩書房