2021年2月

菅原道真 寒早十首
 最近、大岡信「詩人・菅原道真」(岩波文庫)を読みました。漢詩の基礎知識に関する所では全くの違和感なしとはしませんが、道真の漢詩に関してほとんど知識のなかった小生にとっては大変勉強になりました。
 中でも、道真が単に平安朝廷での華麗な詩や配流の地での悲哀の詩ばかりでなく、民衆の悲惨な情景を詠んだ詩があることを知り感動しました。
 寒早十首は道真が讃岐の国司として赴任していたとき現地で読んだ詩です。冬の寒さの中で苦しむ色々な下層民の姿を描いています。韻字としては全て人、身、貧、頻の四字を用いています。
 古来、中国では詩人というのは民衆の声を代弁して詠い、天や朝廷に知らしめることが責務のひとつとされていました。詩経、楽府体、杜甫、白居易などに代表的なものが見られます。日本にそういったものがあることを知ったのは驚きでした。
まあ、杜甫の「三吏三別」には比ぶべくもありませんが、やはり道真に「寒早」があることが、彼を傑出した詩人にしていると思います。
 今月は十首のうち初めの五首を紹介します。

菅原道真 寒早十首 同用人身貧頻四字

何人寒気早  何れの人にか 寒気早き
寒早走還人  寒は早し 走り還る人
案戸無新口  戸を案じても 新口無し
尋名占旧身  名を尋ねては 旧身を占う
地毛郷土瘠  地毛 郷土瘠せたり
天骨去来貧  天骨 去来貧し
不以慈悲繋  慈悲を以って繋がざれば
浮逃定可頻  浮逃(ふちょう) 定めて頻りなる可し


冬になって、どんな人に寒さの厳しさが早く感じられるのだろうか。それは他国に逃亡したが追い返された人たちだ。
戸籍を調べても除籍されたのか見当たらない。名前を尋ねて出自を推量する。
田畑には雑草が生え瘠せていて、あくせく往来するうちに体も貧弱になった。
お上の慈悲でしっかり繋ぎ止めておかねば、きっと浮浪逃散が頻りに起こるだろう。


何人寒気早  何れの人にか 寒気早き
寒早浪来人  寒は早し 浪来の人
欲避逋租客  避けて租を逋(の)がれんと欲っする客は
還為招責身  還って責を招く身と為る
鹿裘三尺弊  鹿の裘(かわごろも) 三尺の弊(やぶれ)
蝸舎一間貧  蝸舎 一間の貧
負子兼提婦  子を負い 兼ねて婦を提(たずさ)う
行行乞与頻  行行(ゆくゆく) 乞与すること頻りなり

冬になって、どんな人に寒さの厳しさが早く感じられるのだろうか。それは他国から逃亡してきた人たちだ。
租税を逃れようとやって来た者は、却ってこの地で重税を科せられる身となる。
三尺の鹿のかわごろもはボロボロ、蝸牛の殻のような小さなあばら家。
子供を背負ってしかも妻を連れている。ウロウロ歩いて住民から食べ物を貰っている。


何人寒気早  何れの人にか 寒気早き
寒早老鰥人  寒は早し 老いたる鰥(やもめ)の人
転枕双開眼  枕を転(ころば)して 双つながら 眼を開き
低簷独臥身  簷は低れて 独り身を臥す
病萌逾結悶  病萌しては 逾(いよいよ)悶(もだえ)を結ぶ
飢迫誰愁貧  飢迫るも 誰か貧しきを愁う  
擁抱偏孤子  擁抱す 偏に孤(みなしご)なる子
通宵落涙頻  通宵 落涙頻りなり


冬になって、どんな人に寒さの厳しさが早く感じられるのだろうか。それは年老いて妻を失ったやもめだ。
枕を動かせてぱっちり両目を開き、低い軒のぼろ家に独り横になっている。
病気になりかかって煩悶し、飢えが迫ってきても誰も心配してくれない。
母を失った子を抱いて、一晩中頻りに涙を流す。


何人寒気早  何れの人にか 寒気早き
寒早夙孤人  寒は早し 夙(つと)に孤(みなしご)なる人
父母空聞耳  父母は空しく耳に聞くのみ
調庸未免身  調庸 未だ身を免れず
葛衣冬服薄  葛衣 冬服薄く
蔬食日資貧  蔬食 日資貧し
毎被風霜苦  風霜の苦しみを被むる毎に
思親夜夢頻  親を思いて 夜夢頻りなり

冬になって、どんな人に寒さの厳しさが早く感じられるのだろうか。それは早くに両親を失った孤独の人だ。
父母のことは話に聞くだけで憶えておらず、いくら孤児であっても庸調の義務は免れない。
冬なのに夏服のままで、日日の食べ物も粗末なものだ。
風霜の苦しみに遭いながら、夜ごと父母の夢を見るのだ。


何人寒気早  何れの人にか 寒気早き
寒早薬圃人  寒は早し 薬圃の人
弁種君臣性  種を弁ず 君臣の性
充傜賦役身  傜(よう)に充つ 賦役の身
雖知時至採  時至らば採ることを知ると雖も
不療病来貧  病い来りて 貧しきを療さず
一草分銖缺  一草 分銖だに缺(か)かば
難勝箠決頻  箠決(すいけつ)に頻なるに勝え難し


冬になって、どんな人に寒さの厳しさが早く感じられるのだろうか。それは薬草園の園丁だ。
薬草の種類や品質を分類して、その労働を税に充てる。
いくら薬草を採取していても、病にかかればそれを用いることは出来ず貧しさを癒やすことは出来ない。
わずか一本の薬草が欠けていても、ほんの少し分量が足らなくても、むち打ちの耐えがたい苦しみを受けるのだ。

参考図書
 詩人・菅原道真 大岡信著 岩波文庫
 菅家文草・菅家後集 日本古典文学大系72 川口久雄校注 岩波書店