2021年5月

日本刀
 近頃、若者の間で日本刀を鑑賞することが流行っているようですが、中国でも古くは宋代の初めより日本刀が渡ってきておりその優秀さが認められ、宋から明代に掛けて数十万振りの日本刀が中国へ輸出されたそうです。そうすると倭寇の戦いでは、敵味方とも日本刀で斬り合っていた場面もあったのでしょうね。
 日本刀を詠った詩は古くはここに紹介する欧陽脩の詩のほか、梅尭臣も詠っているようです。彼らの時代は西暦1000年頃ですから、日本では藤原道長の時代です。その頃すでに日本刀は高い評価を受けていたようです。もっとも彼らは文人ですから、切れ味はどうでもよくて装飾に目を奪われただけかもしれませんが。
 明代になると、剣術の研究なども行われて日本以上の剣法もあったとのことですから、この頃は武器としての優秀さも評価されていたのでしょう。

欧陽脩 日本刀歌
 欧陽脩については、2018.03にすでに紹介しています。

昆夷道遠不復通  昆夷(こんい) 道遠くして 復た通ぜず
世伝切玉誰能窮  世に切玉を伝うるも 誰か能く窮めん
宝刀近出日本国  宝刀 近くは日本国より出で
越賈得之滄海東  越賈 之を滄海の東に得たり
魚皮装貼香木鞘  魚皮もて装貼す 香木の鞘
黄白閑雑鍮与銅  黄白 閑雑す 鍮と銅
百金伝入好事手  百金もて伝え入る 好事の手
佩服可以禳妖凶  佩服すれば 以て妖凶を禳(はら)うべし

昆吾(昆夷)国は道が遠く、もはや行くことが出来ない。その国には玉をも切る名刀があったと聞くが今となっては知るよしもない。
ところが近頃、宝刀が日本国から出て、越の商人が大海の東で手に入れた。
香木で作られた鞘は魚の皮を貼って飾られ、真鍮の金色と銅の白色の金具は優雅に配置されている。
大金を払って手に入れた好事家が、これを身につけると災いを払うことが出来るという。

伝聞其国居大島  伝え聞く 其の国 大島に居り
土壌沃饒風俗好  土壌 沃饒にして 風俗好し
其先徐福詐秦民  其の先の徐福 秦の民を詐(いつわ)り
採薬淹留丱童老  薬を採って淹留し 丱童(かんどう)老ゆ
百工五種与之居  百工 五種 之と与に居り
至今器玩皆精巧  今に至るも 器玩 皆精巧なり
前朝貢献屢往来  前朝に貢献して 屢々(しばしば)往来し
士人往往工詞藻  士人 往往にして 詞藻に工なり

伝え聞くところではその国は大きな島にあって、土壌は肥沃で風俗も良いそうだ。
その先祖の徐福は薬を採りに行くと秦の民をだまして、その島に留まり連れて行った振り分け髪の児童は年をとってしまった。
いろんな工匠や各種の種子はその地に残って、今もそこで出来る器物は精巧である。
前の唐王朝の時は遣唐使がしばしば来朝し、その地の士人は往々にして詩文に巧みである。

徐福行時書未焚  徐福 行きし時 書未だ焚かず
逸書百篇今尚存  逸書 百篇 今尚お存す
令厳不許伝中国  令厳しくして 中国に伝うるを許さず
挙世無人識古文  世を挙げて 人の古文を識る無し
先王大典蔵夷貊  先王の大典 夷貊(いはく)に蔵す
蒼波浩蕩無通津  蒼波 浩蕩として 津(しん)を通ずる無く
令人感激坐流涕  人をして感激して 坐(そぞ)ろに流涕せしむ
鏽渋短刀何足云  鏽渋(しゅうじゅう)の短刀 何ぞ云うに足らんや


徐福が日本に行ったときは始皇帝による焚書はまだ行われていなかったので、中国では失われてしまった書経百篇はまだ日本には残っているはずだ。
しかし中国に伝えることを厳禁しているため、中国では誰もそれを読むことは出来ない。
孔子の聖典が蛮夷の国に所蔵されているのに、大海は広々として渡ってゆくすべはない。
それを思うと胸が塞がって、涙が流れるのを禁じ得ない。錆びた短刀などは取るに足らぬものなのだ。

参考図書
 中国名詩選 松枝茂夫編 岩波書店
 日本刀歌小考 渡辺宏明 法政大学学術機関レポジトリー