2021年6月

露宿
 旅の苦しみを表現する言葉として、風餐露宿とか草行露宿といった言葉がありますが、中国の官僚は3年で転勤が普通でしたから、任地が辺境であったら数ヶ月は旅の空だったでしょう。役人ですから普通は接待を受けながらの旅だったでしょうが、時には思いがけず野宿をしなければならない状況もあったかもしれません。蘇軾の詩にも露宿という言葉が出てきますが、彼の場合は流刑の旅が多かったですから野宿するのは普通だったのかもしれません。
 日本では江戸時代ともなると、大変旅がしやすくなっていて庶民と言えども野宿をしなければならないと言うことはなかったのではないでしょうか。

楊万里 野炊白沙沙上 (白沙沙上に野炊す)

半日山行底路塗  半日の山行 底(なん)ぞ路の塗なる
欲炊無店糴無珠  炊(かし)がんと欲するも 店無く糴(かいよね)に珠無し
旋將白石支燃鼎  旋(ようや)く白石を將(も)って燃鼎を支え
卻展青油當野廬  卻って青油を展じて野廬に當つ
一望平田皆沃壤  平田を一望すれば 皆沃壤たるも
只生枯葦與寒蘆  只枯葦と寒蘆を生ず
風餐露宿何虧我  風餐露宿 何ぞ我に虧(か)けんや
玉饌瓊樓合屬渠  玉饌瓊樓 合(まさ)に渠(かれ)に屬す


半日かけて山中を進むが、なんと路がぬかるんでいることか。炊事をしようと思うが、辺りに店はなくまた糴無珠(意味不明)。
ようやく白石でもってかまどを作り、また青い油を塗った布を拡げて野宿をする。
一面の平原は皆肥沃であるが、今はただ枯れた葦と寒々とした蘆が生えているばかり。
風餐露宿(風に晒されて食事をし、野宿する)こそ我が身にぴったりの境遇で、玉饌瓊樓(ご馳走や贅沢な宿)などというものは他の誰かのものだ。

亀田鵬斎 山中夜坐

已穿千畳雲  已に千畳の雲を穿ち
来坐万仞巓  来りて坐す 万仞の巓
風非塵寰度  風は塵寰(じんかん)を度りしに非ず
積翠自一天  積翠 自ら一天
日沈蒼屏浄  日沈みて 蒼屏浄く
霞蒸丹崖鮮  霞蒸して 丹崖鮮かなり
万籟絶余響  万籟 余響絶え
一鳥無往還  一鳥 往還無し
夜深山逾寂  夜深くして 山逾(いよい)よ寂(しず)かに
心清不為眠  心清(す)みて 眠りを為さず
只有孤輪月  只だ孤輪の月の
照吾両袖間  吾が両袖の間を照す有るのみ


千層にも重なり合う雲を抜け、万仞の山頂に至り座る。
風は俗塵を吹き渡ったものではなく、一面積み重なった緑は空一杯だ。
日が沈み行き山は青い屏風のように清らかで、夕焼けが崖を鮮やかな赤に染める。
万物の響きはすっかり絶え、一羽の鳥の行き来もない。
夜が更けて山はいよいよ静まり、心が澄み切って眠気が起きない。
ただ一輪の月が私の両袖の辺りを照らしているだけだ。

まあこれは実際の経験ではなく、想像上のものか、あるいは山水画などを見てそれに書き加えた画讃だったのかもしれません。。

参考図書
 江戸漢詩選1 文人  徳田武注 岩波書店