2021年9月

広瀬旭荘 古詩
 詩人の評価の一つに長編の古詩を作れるかどうかということがあります。旭荘は長編の古詩に力を入れていたようです。清末の兪樾は日本の詩人選集を編纂しましたが、その中で旭荘を日本詩人の第一人者に挙げています。
 この詩は旭荘が故郷の豊後日田を離れ、大阪に塾を開いた30歳頃に書かれた詩です。

病後歩北郊飲田家帰 (病後、北郊を歩き、田家に飲みて帰る)

秋爽使病間  秋爽 病いをして間ならしむ
試歩先自邇  歩を試みるは 先ず邇(ちか)きよりす
怕写痩後影  痩後の影を写すを怕(おそ)れ
取途不臨水  途を取りて 水を臨まず
微霜昨夜降  微霜 昨夜降り
新紅上林柿  新紅 林柿に上る
野色浄如醒  野色 浄くして醒むるが如く
孤烟出塢觜  孤烟 塢觜を出づ
唯就田舎安  唯だ田舎の安きに就き
不喜市楼侈  市楼の侈(おご)るを喜ばず
貰酒浮蟻甘  酒を貰(おぎの)りて 浮蟻(ふぎ)甘く
齎肴糠蟹美  肴を齎(もたら)して 糠蟹(こうかい)美なり
既酔千愁殲  既に酔いて 千愁殲(つ)き
纔醒百感始  纔(わず)かに醒めて 百感始まる
瑯琊王伯輿  瑯琊(ろうや)の王伯輿
終当為情死  終(つい)に当(まさ)に 情の為に死すべし
晩帰過暗皐  晩帰 暗皐(あんこう)を過ぎ
驚禽三五起  驚禽 三五起(た)つ
羽声聴不高  羽声 聴きて高からず
復落前塘裡  復た前塘の裡に落つ
微物慕故棲  微物 故棲を慕い
稲粱謀備矣  稲粱(とうりょう) 謀備せり
嗟我独何為  嗟(ああ)我は独り何をか為す
幾年離桑梓  幾年 桑梓(そうし)を離る
三十無所成  三十 成す所無し
四十恐亦爾  四十も恐らく亦ら爾(しか)らん


秋の爽やかさが病気に小康をもたらしてくれた。そこでまず近いところを散歩することにした。
病後の痩せた姿が映るのがいやで、水辺の道は避ける。
昨夜、少し霜が降りたので、林の中の柿が少し赤くなってきた。
野の景色は清らかで目が覚めるようだ。村外れには一すじの煙が上がっている。
ちょっと、田舎の気安い酒屋に立ち寄る。町中の奢った酒楼は好みではない。
つけで頼むと、うまい酒が出てきた。肴に出てきた沢ガニが旨い。
酔ってしまえば多くの愁いは消えてしまうが、少し醒めるとまた多くの物思いが始まる。
瑯琊の王伯輿は感情が激しくその為に死んでしまうだろうと言った。(私も同じような気がする)
夕方、暗い水辺を帰って行くと、驚いた鳥が三羽、五羽と飛び立つ。
その羽音を聴くと高くは飛び上がっていないようで、また向かいの土手に降りたようだ。
取るに足らない小さな生き物でももとのねぐらを恋しく思い、食料の準備をしている。
ああ、しかし私は独りで何をしようとしているのか。もう何年もの間、故郷を離れている。三十歳を過ぎて私は何も成し遂げていない。四十になってもおそらくこの状態だろう。

参考図書
 江戸漢詩選 揖斐高編訳 岩波文庫 以前にも「昼寝」の詩を紹介していますが、今回は三回目です。