家内が「シリア・ヨルダンの旅」というツアーを見つけてきて、行きたいという。パルミラやペトラ遺跡、死海などを巡るツアーで私も興味を引かれ、行こうかということになって、休暇の段取りをして準備をしている最中に、チュニジアの騒動がエジプトに飛び火してきた。どうも、シリア・ヨルダン辺りもきな臭そうだ。それで、まだ未練を残す家内を説き伏せて、「ベトナムの旅」に申し込んだがこれは参加者が集まらず催行中止となった。せっかく苦労して取った休暇を無駄にしてなるものかとネットで探し回り、ちょうど期間がピッタリの「ネパール・トレッキング」を見つけた。二年前の正月、エベレスト街道を行ったのに次いで、今回はアンナプルナ・ダウラギリ展望の旅である。
 出発の前の週、東日本大震災が勃発。この非常時に「物見遊山とは」と気が引けたが、中止してももう参加費用は返ってこないので、取りあえず義援金を振り込んで出発する。
 
 3/17 900 関空集合。 一行は旅行社から登山ガイドのKさん、添乗員のN嬢。客はKさんの主催する登山教室の生徒5名(男性2,女性3)、外部から夫婦で参加の3組の合計11名である。今回はバンコク経由であり、今夜はバンコク泊。今日のバンコクは18℃と予想外の涼しさ。タイ人は震えていそう。

 3/18 バンコクからカトマンズ。ネパールは日本と3時間15分遅れという変な時差。ここで現地ガイドのクリシュナさんが合流。国内線ターミナルへ移動して、あまり綺麗でない待合室でポカラ行き便の出発を待つ。天候が優れないため出発が遅れる。飛行時間は1時間足らずだが、怖くなるほど揺れる。予定ではポカラ着後、山岳博物館の見学であったが、もう閉まっている時間なので、ホテルに直行する。
 ホテルは市内にあるシャングリラ、リゾートホテル風で気持ちのよい所だ。ブーゲンビリアやボトルブラシ(形はそっくりだが何か可哀想な名前)の花が美しい。夕食までの間に明日からのトレッキングに持って行くもの(勿論ポーターに運んでもらう)とホテルに残すものとに仕分ける。夕食はバイキングスタイルであり、不味くはないが少々品数が貧弱だ。

 

 

 

 シャングリラホテルの門

 

 



 3/19 朝、ポカラは霞がかかっており、マチャプチャレは見えない。ホテルからバスでいよいよトレッキングに出発。ポカラ市内からシェルパ、ポーターたちが乗り込んでくる。窓を開けていると、ガイドのクリシュナが閉めてまわる。今日は色かけ祭なので子供たちが車に水をかけるのだそうだ。途中、数回バサッと窓に水がかかる。バスはポカラ市街を離れ、川に沿って郊外へ。河原では女性たちが洗濯に余念がない。今日は全く洗濯日和だ。やがて道は川から離れ、山腹をジグザグに登り、どんどん高度を稼ぐ。途中展望のよい場所で、手前の峰の向うの雲の中にかすかにマチャプチャレが光って見える。
 トレッキング出発点の部落Lumleに到着。標高1610m。一行は、ツアー客11名、日本人ガイドのKさん、添乗員のN嬢(彼女もK登山教室の生徒とのこと)、ネパール人ガイドのクリシュナ、シェルパ(サーダーのマエラ、コックその他数名)、ポーター数名である。食事の準備のためコックは先行する。
 出発の準備をしていると、子供たちが寄ってきて、英語で話しかける。11歳の女の子と少し話をする。なかなか上手に話す。ネパールは義務教育はないそうだが、教育費は無料なのでほとんどの子供は学校へ行くとはクリシュナの話。しかし、道で出会う子供たちを見るとなかなかそうでもなさそうだ。

 Lumleの子供たち(顔に色粉をつけている)

Lumleを出発 

 ポーターたち

 段々畑の中の山腹の平坦な道をブラブラと2キロ程歩いてCandrakotのロッジで昼食。爽やかな風が吹いている。
 途中で黄色の小さなトマトみたいな実の植物があり、シェルパにきくとワイルドフルーツという。人は食べないが家畜は食べるというので、ちょっと齧ってみるかと口に入れるとシェルパがあわてて止めた。丸坊主に刈り込まれた木が畑の脇にある。何だと聞くとイチジクだという。なるほど木の幹から直接イチジクらしい実が出ているが、食べないという。刈り込んであるのは葉っぱが家畜の餌になり、これを食べさせると乳がよく出るそうな。イチジクの木は白い乳液を出すからそんな気がするのではないかな? また、途中ガイドからイラクサを教えられ、決して触れないように注意される。これに触るとひどくピリピリして痛いそうである。そういえば以前ブータンでもズボンの上からこれに刺されて痛んだことを思い出す。しかし、薬草になり、又家畜の餌としてもよいそうだ。

ワイルドフルーツ

イチジクの木

イチジクの実

 昼食後は中腹から谷底に向かって下り、Modi Kohlaという谷川にかかる吊橋を対岸に渡る。途中の農家の軒先にミツバチの巣がかけてある。ネパールの蜂蜜は美味しいそうである。あまり花は見かけないが何の花の蜜を集めているのかな?
 川沿いに真っ赤な花を着けた高木がある。シルクコットンという名前のようだ。

イラクサ

軒下のミツバチの巣

シルクコットンの木

落ちたシルクコットンの花

 やがて、Syauli Bazaarの集落。今日の色付け祭の人だかりがしている。若者や子供たちが手に赤や緑の色粉をもって、通りかかる人の顔や体に付けている。我々は逃げて付けられるのをごめん蒙る。

祭に集まる人々

 今日はここのロッジで泊る。寝袋とインナーはそれぞれ個人用のものをポーターが運んでくれる。このトレッキング中、風邪をひくと困るのでシャワーは使わないようにとの指導に一同は不平たらたらである。
 夕食にロキシーを飲む。これはビールより大分安いし、まあまあの味である。ロキシーは雑穀から作る自家製の焼酎である。自家製だからアルコール度はどこまで蒸溜するかで色々ある。ここのはまあビール程度のようだ。前回のネパール訪問の時、カトマンズのレストランで飲んだのはウイスキーぐらいあった感じだったが。

3/20
今日はSyauli Bazaar(標高1160m)から山の上にあるChandruk(標高1940)まで約800mの登りだけであるから、昼には着きそうだ。元気のいいツアーではLumleからChandrukまで1日コースであるが、このツアーはノンビリしている。
 道はスレート状の石を敷いた階段である。荷運びのロバや馬の行列がすれ違うが、彼らも下りは空荷で快調に下って行く。谷の奥にマチャプチャレが見える。昨日よりは大分近くに見えるようになった。魚の尾と云われるように双耳峰である。先導のシェルパの「ビスターレ、ビスターレ(ゆっくり)」のかけ声で一行はトロトロと登ってゆく。日差しはそれほどきつくなく、又風が爽やかである。途中の段々畑は私の故郷である四国山中の農村を思い起こさせる。しかしここでも若者が少なくなっているのか、農地の放棄が起こっているようだ。
 Chandrukの学校へ登ってゆく制服姿の中学生らしい子供たちに出会う。

出発したロッジを見下ろす

坂を下る馬の行列

 

村の少女

石畳の道

学校へ通う中学生

 

 

 マチャプチャレを望む

Chandrukの入口で昼食。食後、暖かな陽射しの中でノンビリとくつろぐ。プリムラの花が可愛く咲いている。
 部落にはいると、ここはこの周辺の中心らしく、診療所、学校、ヘリポートなどがある。村の中の小さな博物館に入る。この地方はグルン族が住んでおり、彼らの民俗を展示している。グルン族の若者はグルカ兵として世界中に働きに行くのが夢のようだ。
 ここのロッジには部屋にトイレとシャワーがついている。シャワーは使用禁止だが。

 

 

 昼食後、くつろぐシェルパたち

 プリムラ

 

 

 診療所

 博物館内部

 

 

 Chandrukの村

 対岸のLandruk



3/21
 今日も快晴である。天候は段々良くなってきている。ロッジの庭からマチャプチャレとアンナプルナサウスが正面に見える。やっとヒマラヤに来たという感じである。

 

 左からアンナプルナ・サウス、ヒウンチュリ、マチャプチャレ

 村を離れると山道のトレッキングとなる。右手にアンナプルナを見ながら、道は山腹を斜めになだらかに登ってゆく。この辺りから満開のピンクのシャクナゲが見られるようななる。木の大きさは日本のものからは想像もつかないぐらい大きい。
 シャクナゲやコブシ(タムシバ?)の花に囲まれたロッジで昼食。コックがちらし寿司を作ってくれた。
 道はいよいよシャクナゲのジャングルへ入って行く。森は全て樹高2,30mはあろうかというシャクナゲである。木の太さも3人抱えにするほどである。満開の花は高い木の上で下からはよく見えない。鳥になって上から見ると素晴らしいだろうと想像するしかない。幹は苔に覆われていて、白い着生蘭が清楚である。日当たりの良い道端には野生のジンチョウゲが香り豊かに咲いている。高い枝に猿が数匹休んでいる。まさにシャングリラに入って行く道という感じである。

シャクナゲ

 

シャクナゲの樹林帯を行く

シャクナゲの幹

着生蘭

コブシ(タムシバ?)

野生のジンチョウゲ

樹上の猿

 昼食後、2時間足らずブラブラ歩いて今日の泊まりのTadapaniに着いた。ここは標高2,700m程である。
 夕食までの間、近くの森の中を散歩して村に帰ってくると、ガイドのKさんに居酒屋に引っ張り込まれると、中では一行数名がロキシーでお酒盛り中であった。


3/22
 今日も快晴である。今日はちょっと骨のあるコースのようだ。部落を出ると200m程急降下して谷を渡り対岸の崖を登り返す。また谷へ下りて美しい渓流伝いの道を辿る。シャクナゲはもう食傷気味だ。色は大体ピンクと深紅の二種類のようだ。谷を詰めるとDeurali峠(3180m)に出る。ここで昼食。もう一組別の日本からのツアー客と一緒になる。ここはこのコースを辿る客が大抵休憩を取るところで、土産物の店もあり賑わっている。 ここから道は尾根伝いに小さな上り下りを繰り返しながら西へと続いて行く。やがてタルチョのはためく展望の良い丘の上に出る。向うに櫓の建っている丘が見える。明日登るPoon Hillだ。眼下には今日の泊りGhorepaniの村が見える。なだらかな坂を下って村に入り、今日明日の泊まりのロッジに入る。ここは標高2880m程である。

深紅のシャクナゲ

谷間から見るアンナプルナ・サウス

谷沿いの道を行く

Deurari峠のロッジ

丘からの展望

Poon Hillを見る

 夕食はネパール家庭料理の代表ダルバート(豆のスープとライス)を手で食べる。食べ方はクリシュナさんが講習してくれる。アルコールは高地だから飲まないでとN嬢からたってのお願いである。でもここは北アルプスよりも低いよ。アルプスの山小屋ではみんなお酒盛りをやってるのにね。
 夜、湯たんぽが配られたが、こんなものが要るほど寒くはない。寒がりの家内は有り難がっていたが。

3/23
 5時にランプをつけて、Poon Hill頂上に向かう。他のロッジからもゾロゾロと人が出てくる。一時間ほどで山頂。三脚を立てて日の出を待つ。今日は最高の天気だ。空気が澄んでいて、山が近く見える。
 ここからは、左にダウラギリ山群(8167m)右にアンナプルナ山群(8091m)と二つの8000m峰が眺められる。やがて山頂に日が当たる。紺碧の空に雲が紅くたなびいている。ダウラギリのヒマラヤ襞がくっきりと見える。僅かに雪煙が上がっている。一方、複雑な形のアンナプルナ山群は僅かにI峰がアンナプルナ・サウスの左に見える。IIIIIIV峰などは説明されたがすぐに忘れた。しかし、まあ筆舌に尽しがたい景色ではある。夢中になってカメラのシャッターを押す。デジカメになってフィルムの枚数を気にしなくてもよいのが嬉しい。飛行機の爆音が聞こえたと思うと小型飛行機がPoon Hillの下方、Ghorepaniの上をかすめて通り過ぎる。ポカラとジョムソンを結ぶ空路だ。

 

 ダウラギリ

 

 ダウラギリとアンナプルナ山群

 

 アンナプルナ山群(左端はマチャプチャレ)

 

 

 ダウラギリ

 2時間ほどは頂上にいたかな? 名残は尽きないが腹も空いてきた。下山して朝食。
 普通のツアーはこれから一気に麓まで下るのだが、我々はもう一日ここで滞在する。天気がよいので靴下とシャツを洗濯しておこう。Ghorepaniはかつてはポカラと奥地のジョムソンやムスタンを結ぶ街道の要衝であり、河口慧海も通ったはずだが、現在はたかだか十軒ほどのロッジと数軒の店がある程度である。村を見て回ると云っても、30分も歩けば隅から隅まで見て回れる。こんなにすることのない山旅は初めてであるが、こういうのに慣れねばならぬ歳になってきたのかな。ポケッとして時間を過ごす。

 

 

 Gorepani集落のはずれ

 ロッジの庭からの眺め

 

 

 Ghorepaniの目抜き通り(Jomsom街道)

 商店街


 3時頃、Kさんに連れられて一行の数名と居酒屋に向かう。私がKさんにトンバという酒を飲みたいと頼んでおいたからだ。以前、エベレスト街道に来たときトンバという酒があることを聞いてはいたが、その時は飲む機会がなかった。調べてみるとこの酒は作り方がちょっと変わっていて、蒸した雑穀をむろに入れて発酵させるみたいだ。それならば、中国の白酒の作り方と似ているのではないか? 白酒は蒸溜するが、トンバはその前の状態で飲むのではないだろうか? 初め、Kさんにトンバを飲みたいと頼むと渋い顔をされた。以前、彼はトンバを飲んでひどく腹をこわしたらしい。それでもと頼み込んで、一杯の約束でOKをもらったのだ。
 テーブルに座り、ヤクの干し肉やモモ(ヤクの餃子)とトンバを頼む。出てきたのはジョッキぐらいの大きさのアルミか錫の容器に稗か黍の蒸したのが一杯詰まったものが出てきた。これに湯を注いで抽出される成分をストローで吸うのだ。吸ってみると雑穀の蒸したものであるから味はそれほど悪くはないし、まあかすかにアルコールの臭いもする。しかし、とても酔えるほどのアルコールは含まれているとは思えない。3,4回は抽出出来るそうだ。あまり腹をこわしそうにもないと思ったが、2回で止めておいた。こんなものかという程度の飲み物であった。あとで思い出して魁猿のネパール旅行記を読み直してみると彼もトンバを飲んで腹をこわしたと書いてあった。

 

 

 

 居酒屋に入る

 トンバに湯を注ぐ

 トンバを啜る禿羊



3/24
 今日は麓の村まで下り一方の道である。昔からの街道であるから道は広くて綺麗に敷石で舗装されている。谷に沿って咲くシャクナゲやコブシの花の中をひたすらに下って行く。途中から山腹に外れると、見晴らしがきいてくる。急峻な両岸は可能な限り段々畑が開かれていて、その中にUlleriの村がある。ここからは石段の道を500m程急降下して、吊橋を渡ると今夜の泊まりのHile(標高1500m)である。「ビスターレ、ビスターレ(ゆっくり)」で歩くから楽なものである。足にもまめ一つ出来ない。マメは無理に頑張って歩くと出来るんだと分った。

Ulleriの集落

Ulleriの中の道

吊橋を渡るとHile

 今夜でトレッキングの夜は終わりである。ロッジの前の道でドラム缶で焚き火をして、シェルパ、ポーターたちへのチップの進呈式。一行の中の最長老Iさんからチップを手渡す。その後は酒を飲みながら、サーダーの太鼓とネパール人の歌声にあわせて、焚き火のまわりを踊り狂う。阿波踊りと同じで「踊らにゃ、損々」と私も昔を思い出しながら阿波踊りを踊る。夜は更けてゆく。

チップ進呈式

太鼓のリズムで踊り出す

乱舞



3/25
 今日はトレッキング最後の日である。バスの待つNayapulまで数時間歩くだけである。Hileから川沿いにしばらく下ると、道路工事現場に出た。下流から車の通ることの出来る道路が出来つつある。しかし急な川沿いの斜面に作っているので、雨が降れば土砂崩れが心配だ。掘り出した土砂は川の方へ放り出しているし、山側にしても何の土留めもなく、この道を維持するのは大変だろう。やがてBirethantiの村。ここで下ってきた川は初日泊ったSyauli BazaarからのModi Kohlaの流れと合流する。上を見上げると山腹に初日の昼食をとったCandrakotの集落が見える。これでほぼ一周したことになる。川の向うまでは車が来ていて、ここに鉄橋を建設中だ。あとは砂塵の舞い上がる車道を歩くとNayapulの町に出る。ここは商店街がある本格的な町だ。ここでトレッキングはお終い。バスに乗って山を登り、出発点のLumleを通り過ぎ元来た道をポカラに帰る。

 

Nayapulの商店街

トレッキングの終点

 あとはその日のポカラ見物、翌日のカトマンズ見物であるが、これは割愛しよう。

行程地図