ナイルの風 −エジプト旅行日記−
家内と久しぶりに海外ツアーに出かけようと、いろいろさがしているとベトナム10日間というのが見つかり、これこれと色々日程を調整し、まわりに拝み倒してやっと休暇が取れた。ところが参加者が少なくてツアーがキャンセルされた。このままでは休暇が無駄になると少々慌てて、とにかく何処でもいいから日程の合うツアーをさがすと、エジプトがあった。エジプトにそれほど心が動いたわけではなかったが、まあ一生に一度は行くべきところだろうとこれに決めた。
2/2
昨夜、遅く関西空港を出発した飛行機(カタール航空)は、翌朝早くドーハ空港に到着した。ドーハ空港は昨年のアジア大会で建て替えられ、立派になったとのことでゆったりとしている。外はドシャ降りの雨である。こんな雨はここでは年に一、二度の珍しいことなのだろう。バスの換気孔から雨が降り込む。
3時間ほど待って、次はいよいよエジプト・ルクソールへ向かってアラビア半島を横断する。見下ろすと、砂漠は厚い雲の下である。この下ではワディ(涸れ川)に水が氾濫しているかもしれない。紅海が近づいてやっと雲が無くなり、褐色の大地が現れた。砂漠というよりは乾燥した岩山のようで結構高低が多く、低いところはワディのように水の流れた跡がある。すぐに紺碧の紅海となり、それを越えるといよいよエジプトに入る。エジプト側の海岸線も道路が一本走っているだけの不毛の地である。
ルクソール空港で、現地ガイドのナビルさんに迎えられる。彼は五十歳代、エジプトというよりアラブ世界で最も有名な大学の一つであるアル・アザール大学工学部の現職教授で、東北大学に留学して博士号を取ったとのことである。今は冬休みなのでアルバイトとのこと。若干たどたどしいがよく解る日本語であり、ガイドとしての経験も深いようである。日本のように国家公務員のアルバイトはダメなどと難しいことはいわない国柄らしい。典型的なエジプト顔ではなく、ダスティン・ホフマンにちょっと似た顔なので、聞いてみると先祖はトルコから来たとのことである。
レストランで昼食。トマトスープ、サラダ、ハヤシライス風のもの、ケーキ。特に旨くも、不味くもなし。エジプト料理が美味しいとの評判を聞いたことがなかったので、少々不安であったが、昨年のブータンほどひどくはなさそうなので一安心。イスラム教徒は禁酒であるが、観光立国のエジプトであるから、大抵のレストランで酒(ビールとワイン)が飲める。「サッカラ」という銘柄のビールを注文する。これも暑くて喉が渇いていたら美味しく飲めるという程度の味である。
参加客18名、自己紹介をする。ここで初めて気がつくのだが、家内の弟の嫁さんの両親が徳島から参加していた。一、二度会ったぐらいで、普段は年賀状のやりとりしかない仲であるが、お互いびっくり。
今夜の宿、ナイル川畔のリゾートホテルへ入って一服。玄関で楽隊に迎えられる。世界一長いといわれるナイル川の幅がそれほど広くないのに意外な感がする。中国の長江などのように巨大なという感じがないが、古代文明の中心地に来たという感慨に浸る。対岸の彼方に王家の谷がある山が見える。
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ホテル玄関の楽隊 |
ナイル川 |
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対岸の死者の町を望む |
午後はルクソール博物館見学。小さいけれども素晴らしい展示である。特にこれがエジプト古代文明との最初の出会いである私にとっては感激的であった。残念ながら館内は写真撮影禁止である。また、中心的展示室はガイドの解説も禁止となっている。これは以後見学する博物館、王家の墳墓なども同様であった。特別室の1989年に発見された女神Junitの神秘的な笑みを浮かべた像、豊かな胸をあらわにして王の背に腕を廻したアクナートン妃の像にはしばらく我を忘れて見惚れていた。
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ルクソール博物館 |
女神Junitの像 |
ナイルの落日 |
ホテルに帰り、ナイル対岸のナツメヤシの林に沈む夕陽を眺め、旅情を新たにする。
夕食。ビュッフェスタイル。ルクソール第一のホテルとのことであるが、味はたいしたことなし。ビールはステラexport、小瓶が35エジプトポンド(700円ぐらい)とえらく高い。イスラム世界ではアルコールは高価らしい。
2/3
時差のため、目覚めが早い。満月が西の空に傾いている。ナイルの川面に銀波が揺らめく。やがて町中に響くイスラム教、朝の祈り。
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ナイル月の入り |
今日の午前は王家の谷の見学。ナイルの西岸に渡る。道路沿いにはオーストラリアのユーカリに似た木の並木が続く。路傍をサトウキビが山のように積んだ荷車をロバが引いてゆく。ロバに乗った老人も行く。エジプトの荷役はロバが中心だ。灌漑水路から離れ西に向かって走ると、メムノンの巨像(アメンホテプ3世像)が現れる。ここはアメンホテプ3世の葬祭殿の跡である。昔、ナイルの増水時はこの辺りは水に浸かっていたらしい。像をぐるりと一周していると、老人が現れ、像の脇の象形文字(ヒエログリフ)を指して、なにやらぶつぶつ言う。説明をしてくれたらしい。そして、手を出して、バクシーシ(喜捨)を要求する。1ポンド(20円)渡す。イスラムの教えでは、富者は貧者へ喜捨をしなければならぬ。貧者は喜捨を受け取ることで、富者を天国へ近づけてやっているのだからこれも恩恵を施すことになり、当然の如く要求し受け取る。富者と見られている日本人は大いにバクシーシを与えねばならぬ。しかし、我々はチップの感覚であり、なにがしかのサービスを受ければやむを得ないかという気になるが(日本であれば「ありがとう」の一言で済む)、何もなしに手を出されると思わずムッとする。 メムノンの像から上は草木のない乾燥地帯となる。バスは山に登り谷間に入る。いよいよ王家の谷である。ここからは、山のピークが尖ってちょうどピラミッドのように見える。トトメス1世がこの谷に最初に墓を作ったのはそれが理由という説があるそうだ。
王家の谷は大変な人出で、人の波である。エジプト観光の目玉だから仕方がない。
ラムセス1世、ツタンカーメン、ラムセス4世、ラムセス9世の墓を見る。三千五百年も経っているのに、壁、天井のレリーフにまだ鮮やかに色が残っているのに感心する。王の名前、神々の名前が頭に入っていないので、幾つ墓を見ても同じようなものである。
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メムノン(アメンホテプ三世)の巨像 |
王家の谷 |
次いで、ハトシェプスト葬祭殿に廻る。王家の谷からここまで山を越えて歩くことも出来るそうである。2、3時間かかるらしいが、歩いてみたい。だいたいこのツアーは年寄りが多く、ほとんど歩かないのが不満だ。
ハトシェプスト葬祭殿は、10年前のテロ虐殺事件の舞台だ。自動小銃の乱射で日本人を含め観光客がだいぶ死んだ。それ以来だろうが、何処の観光地も警官が一杯だ。入り口には黒く厚い鉄の楯の後ろに銃を構えた警官が立っていて、その横にはいつでも発進できるように数名の警官が乗った車が待機している。入り口では荷物のチェックがある。これはだいぶ形式的になっているが。草木の全くない褐色の岩山をバックの建物は無機質な感じで日本人にはちょっと異様なものであるが、それはそれとして、三千数百年前にこれだけのものが作られ、またそれが残っているということに感銘を受ける。
貴族ラモーゼの墓。アメンホテプ3世の頃、テーベの市長だった。小さいながら、美しいレリーフ。葬式の泣き女の群像。
王妃の谷、職人の村遺跡など、まだ見たいものはあるが、今日はこれでお終い。
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ハトシェプスト葬祭殿 |
葬祭殿裏の絶壁 観光客がウロウロしている |
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葬祭殿テラスのエジプト人 |
貴族ラモーゼの墓 泣き女たちのレリーフ |
ネクロポリス(死の町)を出ようとする頃から、風が強くなり砂塵が舞い上がる。真上は青空だが、あたりは曇りのように薄暗くなる。小さな砂嵐だ。日本から持参したマスクを着ける。
今日の昼から、4泊はクルーズ船である。ルクソールの河畔は数十隻のクルーズ船で一杯である。重なって停泊しているので、他の船のロビーを通って自分の船に移らねばならない。我々の船はTamr Henna(タムール・ヘンナ:サルスベリ)、120人乗りである。第一層はレストランと売店で、喫水線下にある。第二層は乗船口、バー付きのロビーと客室、第3、4層は客室である。ジム、サウナも付いている。以前、中国三峡下りの船に乗ったが、あれよりは大分ゆったりとしている。我々は第4層の客室に落ち着く。
遅い昼食。ビュフェスタイル。味はまあまあ。
昼食後は船でのんびりする。外は風がますます強くなり、砂塵で何も見えなくなった。南の国とは云え、冬の風は冷たい。部屋の中で読書。
夕方、ガイドのナビル教授の同僚による講演「エジプトの墓の変遷」。ピラミッド発展の過程から考えて、ピラミッドが王墓であることに疑いは持っていない様であった。
夕食。ボトルがキープ出来るので、エジプト産の白ワインをとる。飲めないことはない。ビュッフェスタイルで色々食べ物が並ぶが、どうもエジプト料理の特徴がよく解らない。ハム、ソーセージも並ぶが、豚肉ではないためかあまり美味しくない。全体に脂っこいのは確かだ。
船には我々20名の他、エジプト人のファミリー20名程と数名の外人のみでゆったりとしている。後でファミリーの人々と話をしたのだが、三代に渉るファミリーらしく、第二世代のうち、二人(従兄弟?)はアレキサンドリアで医師兼貿易業を営んでいるとのこと。第三世代の十数名はほとんど若い女性ばかりなので、男の子は参加しなかったのだろう。
2/4
昨夜の風もすっかりやんで、快晴である。今日は11時出港の予定なので、それまで駆け足で神殿の見学をする。
カルナック神殿。古代エジプト最高の神、アムン・ラーの神殿。大列柱に壮大さに圧倒される。後はたくさん見過ぎて忘れた。聖なる池のまわりには女の子がたくさん群がっている。修学旅行かな? 妻は可愛い女の子に頼んで、一緒に写真を撮る。これにはバクシーシは要らない。時々、頭からすっぽり黒衣に包まれ、眼だけをのぞかせた女性を見かける。濃いアイラインを引いた眼がドキッとするほど美しい。見えない部分を想像して、大変な美人だろうなと考える。ナビル教授はサウディアラビアから来たベドウィン族の女性だろうという。あの服装は別にイスラムの教えとは関係なく、単に風土がなせるものだという。イスラムの教えでは女性は最低スカーフで顔以外を包み、手首、足首以上が隠れる服装であれば良いとのことである。ミニスカートはダメだが、ジーンズは可ということだ。
次いで、ルクソール神殿。何を見たっけ?。
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カルナック神殿の大列柱 |
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三千五百年前の色彩 |
王女Bent-Anatの像 |
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聖なる池の周りの女の子たち |
ルクソール宮殿 |
昼前、船はルクソールを出港して上流へと向かう。何とも云えぬ旅情にさそわれる。我々の前に一隻、後ろには5,6隻一列になって付いてくるのが見える。デッキに上がったり、部屋に付いている小さなベランダに椅子を出して休んだり、船の旅はのんびりする。 両岸にはナツメヤシの林、バナナ、サトウキビの畑が続く。そのすぐ後ろにはもう乾燥した岩山が迫っている。岸壁に洞窟らしきものが連なっている。遺跡らしい。人家、人の姿は少ない。川面には所々小舟が漁をしている。一人がオールを漕ぎ、一人が立って長い竿で水面を叩いている。魚を驚かせて直線に張った網にかけるのだろう。岸辺に黒煙を上げている工場がある。ボーイに聞くと砂糖工場とのこと。反対側の岸で椰子の木が真っ赤な炎を上げ燃えている。数人の男が見上げている。
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中州で漁をする小舟 |
河畔のナツメヤシ |
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船長 |
サトウキビ畑、椰子、不毛の岩山 |
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燃える椰子の木 |
砂糖工場 |
夕方近く、ダムに行き当たる。高度差10mぐらい。ここは閘門で越える。船がスピードを落とすと、10艘程の小舟が近寄りロープを引っかけて併走する。そして、デッキ、客室の窓へポリ袋に入れた衣料品、絨毯などを抛り上げ、売り値を叫ぶ。どうやって取り引きするのか不思議に思っていると、客は欲しくなければ投げ返し、買うときは売値の8割ほどの金額を袋に入れて投げ返すのだそうだ。
1時間ほど下りの船が通り過ぎるのを待つ。上りの船が10隻ほどたむろする。閘門は2隻づつ入れるので我々は一回目に通り抜ける。三峡の葛州覇ダムは30mほどの高度差があったのに較べると、ここは迫力に欠ける。
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停泊中の船にまとわる物売りの小舟 |
閘門に入る船 |
夕暮れ、船はエスナの町に停泊する。
歓迎のカクテルパーティー。といってもノンアルコール、甘ったるいものばかり。
夕食後、ロビーでヌビアン・ショー。どんなものかと楽しみに降りてゆくと、3、4人の色の黒いヌビア人がタンバリンや太鼓を叩きながら歌を歌って歩き回るだけ。しかしその後、エジプトファミリーの娘たちが中央の舞台で踊りだした。彼女たちはダンスが上手だ。音楽が流れると自然と体が動き出してリズムに乗る。やがて、日本人の爺さん婆さんも次々と娘たちに引っ張り込まれ、エジプト、日本入り乱れての大踊りとなった。こうなると上手下手は関係ない。恥ずかしながら、私もいつの間にか夢中になって手足を動かして阿波踊りをやっていた。
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ヌビア人のバンド |
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エジプト人・日本人入り交じっての踊りの輪 |
2/5
5時頃、目を覚ますと船は航行中。デッキへ出ると、東の空が仄かに曙色を帯びてきている。6時半、素晴らしいナイルの日の出。
8時、エドフ着。
波止場から、4人ずつ馬車に乗りホルス神殿に向かう。4人乗ると相当に窮屈。途中、赤い布を被せた棺を担いだ葬列に出会う。杖をついた老人が先頭を歩いている。現在、エジプトでは死者は墓地に運ぶと棺から取り出し、白い布を巻いた遺骸を土中に埋葬したり、家のような墓を持っている場合はその中に安置するそうだ。
朝のエドフの町は賑やかだ。神殿に向かう馬車のラッシュ、その間をロバの荷車が通る。店先では数人水煙草を吸っている。テーブルを囲んでドミノで遊んでいる老人もいる。
10分ほどで、神殿に着く。隼の姿をした古代エジプトの代表的な神であるホルス神を祀るこの神殿は、現在のエジプトで最も完全に近い形で残っているものである。二千数百年前、プトレマイオス朝時代に建てられ、その後長らく砂丘の下に埋もれていたのを19世紀になって発掘された。
まず、見上げるような巨大な砂岩の塔門に迎えられる。高さ60m。所々にある隼の姿のホルス像、美しいレリーフ群。ホルス誕生や父オシリスの仇討ちの神話が描かれているようだ。最奥の聖なる部屋には、祭りに担ぐ舟形の御輿とホルス像。当時は黄金のホルス像が飾られていたのだろう。
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ナイルの日の出 |
馬車でホルス神殿に到着 |
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葬列 |
ホルス神殿の塔門 |
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ハヤブサの姿のホルス神の像 |
聖なる部屋 |
船はさらに上流のコム・オンボへと向かう。デッキの寝椅子で同行の数名と雑談。風は爽やかで、眠気を催す。東岸は緑の平野が広がり山は遠いが、西岸は川岸近くまで砂漠が迫っている。夕方、コム・オンボの町外れにあるコム・オンボ神殿の前の波止場に到着。
日没後、神殿見学。小高い丘の上に立つこの神殿もプトレマイオス朝に作られたもので、隼のホルス神とワニの姿のソベク神を祀っている。ライトアップされた神殿は美しい。ここで印象に残ったものは、王が神に医療器具を奉納しているレリーフと神官が神に奉げものをするためのカレンダーのレリーフ、それとナイロメーター。ナイロメーターは今までの神殿にもあったが、ここのは丸い井戸でナイル川の水位を見て税を決定する。洪水の水位が高ければ高いほどその年の収穫は増えるので税金が高くなるそうだ。
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コム・オンボ神殿まえのバザール |
レリーフに巣くう雀 |
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コム・オンボ神殿 |
ハヤブサの頭のホルス神とワニの頭のソベク神 |
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ナイロメーター |
カレンダーのレリーフ |
夕食にハト料理が出た。毎日同じような食べ物では飽きるだろうとの添乗員さんの配慮である。フランス料理などではいつもハトはパスするのだが、エジプト名物らしいのでトライする。出てきたものを見ると、「エッ、すずめじゃないの?」というぐらい小さい。濃い味付けの焼き鳥でハトを食べているのやら、すずめを食べているのやら?
夕食後は、ダンスパーティーである。我々のグループからも男性一人、女性三人が貸衣装でエジプト人に化ける。エジプト・ファミリーはさすがに豪華である。白い服で正装の男性は威厳すら感じさせる。まずはエジプトの女の子たちの独壇場である。リズムに乗って腰を震わせるのは、さすがベリーダンスの本場。やがて日本人たちもエジプト人と一緒に輪になって踊りだす。楽しい一夜が更けてゆく。
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正装の親子 |
エジプト人ファミリーと一緒に |
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日本人もエジプト衣装で踊る |
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深夜、船は最終目的地アスワンへと遡っている。