今までHPにあげた写真で、既に削除されたものの中からちょっと残念というものをもう一度リバイバルさせてみました。
04) 中国四川省・九寨溝、黄竜 (Oct.2005)
03) 四国・落合峠−祖谷渓周回サイクリング (July 2005)
02) 四国ルート193サイクリング 大轟の滝・大釜の滝 (July 2005)
01) 支笏湖の落日 (July 2005)
2003年春、4度目の中国旅行として桂林漓江下りに出かけた。当時、SARSが流行していてちょっと気持ち悪かったのであるが。漓江下りの風光は勿論素晴らしく、美しさを満喫したのであるが、おまけのように付いていた少数民族の村を訪ねる1泊2日の旅が意外と良かったのである。
朝、バスで桂林を出発して谷あいを北方に龍勝に向かう。山脈を越え、谷を下り、別の渓谷の狭い道路を遡ると瑶族の部落に出る。だいぶ観光ズレしているが、中国少数民族との初対面である。ショーを見物して、さらに渓谷を遡ると龍背梯田が見えてくる。山の中腹の駐車場からさらに高度200m程登り、展望台に着く。ここからは壮族が元の時代から営々と築いてきた棚田が見渡す限り広がっているのが眺められる。日本でも、棚田百選とか、千枚田といったものが各地に残っているが、規模が全く違う。今は田植え前で、緑が少ないのが残念であるが、夏の青々とした水田や、秋の稲刈りの頃の黄色く稔った光景を想像する。
瑶族の子供 梯田の中の壮族の集落 龍背梯田
その日は龍勝の町からだいぶ北の山中に入った所にある龍勝温泉で一泊する。温泉は岩の間からわき出た透明の湯をプールに溜めていて、当然ながら水着着用で入る。いい湯である。ホテルはアコモデーションが良くないのはこんな田舎ではやむを得ないだろう。夕食にスキムミルクが出た。
翌日は龍勝から西に数時間走り、柳州市三江県にある侗族の村を見学した。ここの部落の入り口にある風雨橋、村の広場の鼓楼が美しく豪華であった。黒衣の老人たちが広場でのんびりと日向ぼっこして、平和な様子であった。
そういえば、確か唐代の詩人・柳宗元は柳州の知事となり、この地方の詩を数多く作っているが、その中に侗族の人を詠った詩があった。
風雨橋 鼓楼
05) 中国水郷地帯 ルーチョク
江蘇省の水郷地帯は蘇州を始め周庄、同里など、上海から近いこともあって観光名所として有名である。今回(2002.11)の上海旅行ではガイドが比較的新しく観光地として整備されたルー(角の上がノの字になっている変な漢字)直という町へ連れて行ってくれた。上海からバスで2時間ほどで村の入り口に着く。小さな村であるがクリークが縦横に走っており周りには柳が植えられ、石橋、素朴な民家が大変美しく、いわゆる絵になる風景である。
この後、周庄に回ったのであるが、そこは民家の一階は全て土産物屋となっており、それもほとんどの店が同じものを売っていてこれで商売になるのかなと不思議に思う風景である。それと町の入り口の入場券売り場や町中で手持ち無沙汰そうにたっている制服姿のおじさんがやたらと多い。察するに、この町は入場券収入で大変豊かになり、住民が仕事もないのに大量に観光事業に雇われたのだろう。おかみさん連中も働かなくてもいいのだが、まあ通りに家があるから店でもやろうがといった程度で大して儲けがなくても気にもならないのではないだろうか。それに比べるとルー直はまだそれほどすれていない。ガイドの話では後数年で周庄と同じになるだろうとのことであったから、今頃はどうなっていることやら。
さて、水郷地帯では日本でもお決まりだが、手漕ぎの小舟にのって民族衣装のおばさんの民謡を聞きながら、江南の美しい風光をゆっくりと楽しんだのであった
二度目の中国旅行(2001.8)である。世界遺産の紹介番組で九寨溝の風景はしばしば見ていて、三峡の次はここと決めていた。最近は九寨溝の近くに空港が出来て、大分便利になっているらしいが、当時は(といっても数年前だが)成都からバスで片道十数時間の道のりを往復しなければならなかった。もっとも、その途中の風景、少数民族の村々の様子がとても興味深くて退屈しなかったが。
九寨溝の水の美しさは「筆舌に尽くしがたい」という表現がそのままのところだった。ただ有名になったせいで、人が多かった。今ではますます人が多いだろうな。
成都へ折り返す途中、黄竜へ寄った。ここも世界遺産である。トルコのパムッカレ(まだ行ったことはないのだが)と同様、石灰質をおおく含んだ水が流れているうちに析出して出来た地形である。ここも水の美しさが際立っていた。小生は標高3000m以上では高山病で頭が痛くなるのだが、ここでもフラフラになった。上まで1時間ぐらい歩かなければならないのだが、家内は途中でギブアップした。酸素の缶詰を持っていったのだが役には立たなかったようである。
03) 四国・落合峠−祖谷渓周回サイクリング (写真をクリックすると、拡大写真に移行します)
2003年の四月下旬、両親のご機嫌伺いに帰省した。我が故郷は四国・阿波
早朝小雨の中、池田を出発して吉野川沿いに下って
ようやく桟敷峠到着。ここで標高1000m。900mの登りだった。このあたりでようやく雲がきれて、青空が顔を出す。
峠から深淵(みぶち)までは、標高100m程の快適な下りである。この集落もほとんどが廃屋となっていて、僅かに1、2軒が生活しているのみのようである。夏にはキャンプなどで少しは賑わいを見せるようであるが。深淵を取り囲むように風呂塔、石堂山、矢筈山、烏帽子山など1400−1800mの山々が並んでいて、ハイキングの適地であり、我輩の大好きな場所である。ここを流れる松尾川源流にはヤマザクラ、タムシバが美しく咲いている。谷沿いの2、3kmの地道が終わるといよいよ落合峠への登りが始まる。だんだん気温が下がり、風が冷たい。残雪だ。
正午、落合峠に到着。標高1520m。深淵から600mの登りで、合計、1500mの登りだった。さすがに足が自分のものでない感じである。北側には深淵を囲む山々、南には祖谷渓を囲む山々が眺められ、雄大な景色である。2、30年前はこのあたりは一面のススキの原で、秋にはススキの穂が日に輝いてそれは素晴らしかったのだが、いつの間にかススキは姿を消して、今は笹原に変わってしまっている。風の冷たさに、昼食もそこそこに祖谷渓に向って下る。
下りはカーブの多い急坂であまりスピードは出せないが、下るにつれて暖かくなり、気持ちよく走る。岩壁に咲くつつじやヤマブキが美しい。落合集落に到着。
ここからは祖谷川に沿って新緑の中を池田へと向う。途中、京上で資料館を見学、西祖谷のかずら橋は何度も見ているのでパス、祖谷温泉は入浴料のあまりの高さにびっくりしてこれもパス。祖谷そばに舌鼓を打って帰りました。
深淵 祖谷渓を渡る鯉幟 ツツジと渓谷
02)
四国・ルート193サイクリング −大轟の滝・大釜の滝− (写真をクリックすると、拡大写真に移行します)
2001年ゴールデンウィークの早朝、フェリーが甲浦港に着いたときは生憎の雨であった。これから走る国道193号線は海部川から那賀川へと越える霧越林道、那賀川から鮎喰川への雲早林道を国道に昇格させて、以前からあった高松までの国道につないだもので、一応舗装はされているもののアップダウンのきつい悪路である。今回の目玉は新緑に映える轟の滝と大釜の滝という日本の滝百選中の二つの名瀑を見ることである。徳島県で選ばれたもう一つの「雨乞いの滝」もほぼこのルート上にある。
第一日目はまず轟の滝に向う。新緑が雨に濡れて美しい。この滝は豪快だがゴルジェの奥にあって暗く、写真に撮るのが難しい。滝の上部の周遊路をめぐる。ここは九十九滝といって多くの滝があるが取り立てて言及するほどのものはない。R193に引き返して、いよいよ霧越峠に向う。雨中の登りは苦痛であるが、幸い通行の車は皆無。峠を越えると那賀川流域に入り、長い悪路の下りが続く。舗装されているとはいえ、全く補修はされておらず、だいぶ剥げている。ようやく、那賀川本流に合流、さらに坂州木頭川に入り、河原でキャンプする。幸い雨はあがっている。
第二日。曇り。雲早峠に向って登る。途中に綺麗な滝がある。これが大釜の滝かと思ったが、これは大轟の滝というらしい。さらに登ると大釜の滝に出る。新緑に包まれていかにも名瀑らしい端正な姿だ。きっと紅葉の時期も素晴らしいだろうと心に思い描く。滝から峠への間の渓相もまた素晴らしい。雲早峠で剣山スーパー林道と交差する。ここはオートバイのツーリングで有名らしく何台かのバイクと行き違う。互いに手を上げて挨拶。峠からの下りでまた雨。後輪のブレーキが利かなくなった。みるとすっかりちびている。前輪も心細い。整備が不十分と反省。さらに峠を一つ越えると吉野川本流に出る。このあたりで天候はすっかり回復、吉野川を渡り、讃岐山脈の麓でキャンプする。このあたりは四国山地とは異なり山も低く、すっかり人くさい。
三日目は讃岐山脈を越え、八十八番目の大窪寺にお参りし、讃岐平野を快走して高松へ昼ごろ到着。讃岐うどんで旅の終わりとする。
大轟の滝 大釜の滝
2001年夏、会社を退職して、念願の北海道一周サイクリングに出かけた。テントを積んで、小樽−朱鞠内湖−稚内−網走−根室−厚岸−阿寒湖−足寄−狩勝峠−日高と一ヶ月近く掛けて回り、午後遅く千歳の町に辿り着いた。北海道最後の夜は支笏湖畔の有名なライダーハウスで過ごそうと湖への道を急ぐ。黄昏の道にはもう秋の気配が漂っている。暮れる前には宿に着きたいと、坂道を懸命に漕ぎあがる。
ようやく、モラップの峠にたどり着いた。ここを越えるとあと10分ほどで宿に着く。
峠に立って、湖を眺めて思わず息をのんで立ち尽くした。西の空と湖面が真っ赤に燃えている。言葉では言い尽くせない豪華絢爛たる旅のフィナーレであった。
それまでにも、またこのとき以降にも美しい夕陽を眺めてきた。妻と一緒に見たタイ、サムイ島バンタリンガムの夕陽も素晴らしかった。積丹岬にテントを張って待った落日もまた見事であった。
しかし、私の一生であの時以上に感激的な夕陽を見ることはないであろう。