八十里越・浅草岳・守門岳

 昨秋、眼を怪我して以来逼塞していたが、これではならじと5月に九州縦断サイクリング、それに続いて登山の方も再開した。しかし、体力に自信がないので極力荷物を軽量化し、ツエルト、寝具はReactor Thermoliteというシュラフインナー、シュラフカバー、食料は全て乾燥食品として、トータル10kgちょっとに抑えた。
 今回の山行の主な目的は八十里越と、ヒメサユリを見ることである。今年は雪解けが遅く花期が遅れているらしいが、日程が変更できずどこかでは花が見られるのではと、出発した。この地域には八十里越と六十里越という越後と会津を結ぶ二つの街道があるが、実際の距離はその十分の一ぐらいで、十倍ほど長く感じられることから付けられた名とのことである。八十里越は戊辰戦争の時、長岡藩の河井継之助が負傷してこの道を通って会津へ逃れたので有名である。

6/24 急行「きたぐに」にて大阪を出発。

6/25 東三条着。バスにて八木ヶ鼻へ。タクシーにて吉ヶ平到着。
 吉ヶ平に守門岳登山口の標識がある。国土地理院の地形図、ネットで検索してもこちらからの登山道はないようであったが。もしあるのなら周回コースが取れたのに残念だ(後で市役所に問い合わせると、昨年新登山道が開かれたとのこと)。吉ヶ平山荘は元は小学校だったようだ。現在は廃村と化して、小学校が有ったような部落とは思えない荒涼とした風景である。
 10時、雨生池の方への道を歩き出す。八十里越えの入口が分らない。GPSでチェックするとこの草原辺りだがと、しばらく草藪を突っ切ると植林地に入り、道が現れる。道の刈り払いが行われていないようだ。北国とはいえ、里山歩きは蒸し暑い。所々に立派な石の標識がある。樹林帯では道筋ははっきりしているが、草地になると道が不明瞭となる。これでは2、3年もすると歩けなくなるのでは? 一応、この山道は国道289号線であるのだが。雪椿であろうか、花の時期の終わりのようであるが、真っ赤な花が道端にたくさん咲いている。サンカヨウの花が現れる。1000m以下であるが、山陰に雪が残っている。あまり見晴らしはよくないが、守門岳が木の間から姿を見せる。
 やはり、あまりペースが上がらない。夕方になってやっと鞍掛峠を越える。峠を越えると、急に道が広くなりどこでもキャンプ可能である。峠を越えたところでツエルトを張る。

6/26 5時前、出発。ゆったりとした道は田代平へとなだらかに下ってゆく。昔は荷車が往来する街道だったのだろう。ヒメサユリが道端に点々と咲いている。名前にふさわしい可憐な姿である。
 田代平入口。ここではトキソウが見られるかと期待していたが、花はほとんど咲いていない。湿原はあまり広いとは感じられず、ちょっと期待はずれであった。ここまで五味沢から林道が来ていて、車が入るようである。
 少し歩くと、木の根峠に出る。ここが越後(新潟県)と会津(福島県)の境である。ここから先、私が歩く道は明治後期に開かれた新道であり、それ以前の古道が踏み跡となって残っているようである。延々と軽自動車でも通れそうな広さの平らな道が続くが、何十回か渡る流れは昔は木橋が掛かっていたのであろうが、跡形もなく一つ一つ谷に降りて流れを渡ってゆかねばならない。また、排水が悪く、靴がズブズブと入る湿地帯となっている。途中今夜のおかずにとシオデとコゴミを少し摘みながら歩く。
 10時半、叶津側に出る。ここからは、現在工事中の国道289号線を浅草岳登山口まで歩く。4キロほどの道のりである。半分ほど歩いたところで、山菜採りの老人の車に拾われる。荷台にはドッサリとヤチアザミと蕗が載っていた。
 11時、叶津の浅草岳登山口着。ここで今晩宿泊予定の避難小屋が老朽化のため解体されていることを知る。
 今回の山行で初めての急登である。汗がダラダラと流れる。
 2時間で平石山。ここからは、尾根道を歩く。少し風が通り、涼しくなる。眼下に田子倉湖が眺められる。30年ほど前、田子倉から上がって、鬼が面山の方へ縦走したときのことが思い出される。あの時は頂上の雪渓でかき氷を作った。鬼が面山への尾根道の暑かったこと。路傍のアカモノの実をぱくぱく食べながらの縦走だった。
 小三本沢の雪渓を越えると、避難小屋跡、なるほど解体されている。雪渓脇の頂上への道は花で一杯だ。コシジオウレン(ミツバオウレン?)、ツバメオモト、ムラサキヤシオ、シラネアオイ、ウラジロヨウラクなど花盛りである。頂上直下ではヒメサユリに又出会う。ほとんどがまだつぼみだが、数本は綺麗に開いている。
 ポツポツと雨粒が顔にあたるようになる。午後からは雨模様との天気予報らしい。まだ、4時だ。下ってしまおう。降り出した雨の中、ネズ平への道を下る。ツルツルの粘土とゴロゴロの石の悪路を流れ出した水の中を下って行く。直下に駐車場が見えているのになかなか付かない。駐車場に着いたときは本降りとなっていた。駐車場の休憩舎に泊る。

6/27 昨夜からの雨は益々激しくなっている。今日は下った辺りの民宿に転がり込むだけだからノンビリする。朝早くから地元の車がやってくる。今日は山開きとのことで御札を配るらしい。私も一枚頂く。そのうち、バスで団体さんが二台、三台とやってくる。この雨でも登るらしい。ご苦労さん。
 9時、出発。激しい雨の中、自動車道路をトコトコと下る。バスが一台降りてくる。一グループは早々に登山を断念したようだ。五味沢近くまで下ってくると、大きなホテルがある。閉館中である。このまま廃墟となるのだろうな。それにしても誰がこんな行き止まりの道の奥にホテルを作ったのだろう。すぐに潰れるのは素人でも分る。大白川の山菜開館へやっとたどり着き、ここでソバの昼食。付け合わせの山菜の天ぷらが旨い。土産にアンニンゴの塩漬けを買う。
 民宿、大雲沢ヒュッテに電話して、迎えを頼む。昼過ぎから部屋で昼寝をする。

6/28 朝、雨は小降りとなっている。午後からは天気は回復に向かうようだ。もう二度と来る機会はないだろうから、守門岳に登ることにする。宿のマスターに登山口まで送ってもらう。3時間で頂上。青雲岳往復。当然、全く視界は効かない。花もシラネアオイが一輪、ニッコウキスゲは黄色くなったつぼみが一輪のみであった。目に付いたのはウラジロヨウラク、ゴゼンタチバナ、ヒメシャガぐらいであった。帰りは車はないので登山口から民宿まで歩く。マスターは出かけていて誰もいない。荷物をピックアップして大白川駅へ。一日三本しかない列車の最終便(5時発)に乗って小出へ。ここで40分待って、浦佐へ。更に30分待って、上越新幹線、東海道新幹線と乗り継ぎその日のうちに何とか新大阪に到着した。