天狗塚・三嶺(四国剣山系)

 

 

 

 

私は阿波池田の生まれであり、この辺りの山は何度か登ったことがあった。もっとも、徳島県で住んでいたのは高校卒業までで、登山を始めたのはそれ以降である。

 

第一回目は、大学一年の夏休み、高校時代の同級生2人と剣山から三嶺まで縦走した。今から49年前のことである。山はほとんど未経験の三人であるから、大いにバテた。穴吹川奥の登山口から登りだし、一日目は一ノ森で泊り。二日目は三嶺の予定であったが白髪分れにあった避難小屋までたどり着くのがやっと。もう記憶にはないが、どうやって一夜を過ごしたのやら。着の身着のまま、夕食はパンぐらいだったのだろう。水もろくになかったのではないだろうか。三日目に三嶺を越えて名頃へ下山した。受験生上がりのずいぶんとなまっちょろい体だった。67歳の今の方がずっと体力がある。つい先日、この時の同行者の訃報が届いた。合掌。

 

二回目は、これももう三、四十年前のゴールデンウィークででもあったろうか、池田の実家に帰省中に名頃までバスで入り、三嶺に駆け上り躄峠まで縦走して西山に駆け下った。バスの時間の関係でもあったのだろうか、目の前の天狗塚には行かず、これが心残りとなっていたようだ。

 

三回目はその数年後、秋だったような気がするが、車で西山部落の上に入り適当な場所に車を停めた。当時は車道は部落までで、今のように上の方まで林道が伸びてはいなかった。ここから歩き出し躄峠から天狗塚に登った。更に西へ向かい、1757mのピークを越え、踏み跡を辿って亀尻峠に下った。

 

さて、今回は山の仲間と合計6名での登山である。7/18日、長かった今年の梅雨ももう明けそうだ。好天が期待できる。車2台で吉野川市から貞光川から剣山見の越を越えて名頃、天狗塚登山口の西山に入る。以前と異なり、林道がずいぶん上まで延長されており、地図で見ると歩き出しに地点は1150m位だが、今は大分手前で土砂崩れがあり、一時間ほど余分に歩かねばならぬ。通行止めの手前で車を停め、仲間二人は名頃へ車をデポするため往復。残りはここで時間待ちとなる。祖谷側対岸の彼方に落合峠、矢筈山がよく見える。事故でも起したかと心配になるほど待っていると、」ようやく二人が帰ってくる。

出発は12時になった。登山口に着くと雨となり、雨具を着けての登山となった。2時間ほど登ると、躄(いざり)峠。差別語を避けてか、いまは天狗峠というらしい。峠手前から一面ミヤマクマザサが拡がり、中にコメツツジの小さな白い花を点々とつけたツツジの群落が現れる。峠から30分ほどで天狗塚を往復するが、深いガスにつつまれて展望は全くない。ただ数本のピンクの花を付けたシモツケが収穫であったのみ。

ミヤマクマザサのなだらかな山稜を30分ほど、激しくなった雨をついて歩くとお亀岩避難小屋に到着する。立派な小屋であるが、既に一階は20名ほどの人たちで占拠されている。我々は二階を占める。二階は10名ほどは軽く寝られる広さでゆっくりと使える。

夕食は担ぎ上げたビール、焼酎にキムチ鍋と豪勢なものとなった。

翌朝、雨は止んだが、深いガスに掩われている。西熊山あたりで、上空に青空が現れる。快晴の予感。三嶺直前で霧が流れて、頂上が現れる。やっと、梅雨明けだと実感する。

頂上には20人ほどの人が休んでいる。三嶺の避難小屋もきっと一杯だったのだろう。正面に寒峰、烏帽子山、落合峠、矢筈山、黒笠山から塔丸、剣山と続く長大な尾根が眺められる。この次はあの尾根を通って、三嶺まで来て、更に綱付森から梶ヶ森方面へと歩いてみたい。

快晴の中の下りだが、風が爽やかである。樹林帯の中のなだらかな道をノンビリと下る。夏椿の白い花が地上に点々と落ちている。リョウブの穂状の花も美しい。谷の流れ出しの水場で休憩する。冷たくて美味だ。やがて、登山道は林道に合流し、ブラブラ歩いて名頃の駐車場にでる。2時間半の下りだった。

元の道を貞光に出、二軒ほどうどん屋のハシゴをして帰阪。近頃は吉野川流域は讃岐のウドン文化圏に席巻されつつあるようだ。昔は阿波は蕎麦の方が優勢だったのに。

 

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