吉野川ラフティング

 私の故郷は四国吉野川が南から北へ四国山地を横断して、中央構造線に突き当たり屈曲する辺りの河岸段丘上にある村である。今は合併を重ねて三好市となってしまったが、実態は全くの村である。子供時代の夏休みはプールなどはないので、毎日坂を下って吉野川に行き夕方になるまで川遊びである。川は海と異なり流れに変化があり、いろいろな遊びが出来る。腹をこすりそうになりながらの瀬下り、岩からの飛び込み、魚釣り(手軽なのは瀬でのあんま釣り、上級者は鮎のしゃくり掛けなど)、腹が空くと畑まで上がってトマトやキュウリをちょっと頂く。夕方、ぐったりとなって帰りの坂を登るのが辛いくらいあそんだ。
 この川の上流に大歩危小歩危という渓谷があって、崖の間を激流が流れていると聞いてはいたが、土讃線の車窓から見たことがあるだけだった。。そこには鮎戸の瀬という滝のような瀬があり、鮎も上りかねると聞いていた。父が開業医をしていたため、患者さんから時々頂き物があった。ある年の初夏、鮎戸の瀬近くに住んでいた患者さんからバケツ一杯の小鮎を頂いた。瀬を小鮎が上りかねて手前の淵に群がっているのを網ですくい上げたそうである。毎日焼いたり天麩羅にしたりして食べたが、冷蔵庫などない時代で、半分ぐらいは食べきれなかった。美味しい卵を生んでもらおうと、残りは鶏の餌にした。今思うと佃煮にするなどの保存方法があるのに残念なことをした。

 さて、もう随分前からこの大歩危小歩危でラフティングなる遊びがはやりだした。ゴムボートに乗って激流を下る遊びである。テレビで見るとなかなかスリルがあって面白そうである。たちまち流行して運営する会社が10社以上できたらしい。全国各地の川でラフティングが出来るが、吉野川のが日本一らしい。私も一度経験したいと思っていたが、初めてのことをするのが億劫でなかなか踏み切れないでいた。ところが今年になって、毎年ラフティングをやっている山仲間が一緒にやらないかと誘ってくれたので、これに便乗することにした。
 八月下旬の酷暑の中、一行12名、小歩危のラフティング会場に集まる。我々は2班に分けられ、2艇に分乗することになった。この日、この会社が出艇するのは10艇ほどである。ウェットスーツに着替え、ライフジャケット、その上からフリースの上着を着込む。暑い。早速、川に飛び込んでラッコのように空を見上げてプカプカと浮んでみる。快晴で空は紺碧である。浮んでいる水は深緑。ヒンヤリとして気持ちがいい。
 ゴムボートに乗り込む。左右に三人ずつ、最後尾にリーダーが乗る。リーダーの指令でパドルを漕いで前進、後退、回転などの練習をやる。「シットイン」の号令があると、一斉にボートの中にしゃがみ込む。
 いよいよ出発。すぐに鉄橋の瀬だ。先方に土讃線の鉄橋が架かっている。怖いと思う間もなく、瀬の流れに突入する。リーダーの号令通り必死でパドルを漕ぐ。一番流れの急なところで、「シットイン」。無事通過、パドルを挙げて歓声を上げる。この瀬はこれから通過する瀬のうち、中ぐらいらしい。
 瀬の尻で上陸して、岩から飛び込んで上向きになって足を上げ急流を下る。転覆したときの練習だ。次は崖の上からの飛び込み。ボートをひっくり返したり、岩壁から流れ落ちる滝に打たれたりして遊びながら流れを下って行く。暑くなると、ボートから飛び込んで体を冷やしながら流れて行く。
 いくつか名前のある瀬を下って行くと、最大の難所といわれる曲がり戸の瀬である。流れが複雑になっていて、よくひっくり返るらしいが、ここまで下ってくると、度胸も付いてあまり怖くない。少し流れの状態なども見えるようになってきた。
 いよいよ最後の難関、鮎戸の瀬である。ここも一瞬だ。
 あとは穏やか流れの中、川口の終点に着く。ああ面白かった。また来よう。

 ラフティングから数日後、出入りの証券会社の社員がやってきた。30代前半、独身の彼はスポーツ好きで今サーフィンに凝っていて、真っ黒に焼けている。ラフティングをやったことをちょっと自慢げに話すと、彼もやったことがあるとのこと。但し、アフリカのザンベジ川でやったのだと。ビクトリア瀑布のすぐ下を下るのだと。そういえば彼は大学卒業後、東南アジアからアフリカを放浪した経験があるといっていた。ビクトリア瀑布の下といえば、水量は吉野川の何十倍あることやら、ワニもいるらしい。ネットでサーチすると、ユーチューブの画像が出てきた。ウワッ、怖い。水は濁流だが、迫力は小歩危の比ではない。ブログを読むと、娘さんが60代の両親を乗せたらしい。乗せる方も、乗る方もすごいが、私もちょっとやってみたい気がする。