持ち込み禁止

 昨年(2005年)秋、知床半島が世界遺産に登録されたので、ミーハーの家内が見に行きたいと言い出した。 私自身は二度ほど行ったことがあるし、今年行くのは混雑しているだろうと思い気が進まなかったが、これも家庭サービスと連れて行くことにした。ここでサービスしておくと、次の一人で出かける山行の交渉に有利となる。
 最近は飛行機・レンタカー・ホテルの予約はインターネットでアッという間に出来る。便利な時代となったものだ。
 さて出発当日、関西空港の搭乗口での荷物検査の時である。私の機内持ち込み荷物は小さなリュックサック一つで、それをX線検査のベルトコンベアに乗せて、ゲートを通り抜ける。その時、ストップがかかる。リュックの中の何かが怪しげなものが見つかったらしい。別に引っかかるようなものを入れたつもりはないが、ヒヤッとする。前科があるからである。
 検査員がリュックの中にナイフのようなものが写っているという。荷物を全部出してもう一度検査するがやはりナイフが写っているらしい。内側を調べるとポケットがあり、そこから刃渡り15センチほどもある登山ナイフが出てきた。機上でステュアーデスのお嬢さんに見せると世界中の何処へでも連れて行ってくれそうな代物である。
 しまった。先日、ハイキングに出かけたとき放り込んでいたのを忘れていた。
 女性の検査員は冷ややかな眼で私を見て、近くにいた警官を呼ぶ。警官は私の上品な人柄を見て、私の説明にすぐに納得してくれた。まあ、夫婦連れでハイジャックするものもいないだろうと思ってくれたのだろう。アッ、ボニーとクライドなんてのもいたなー。

 実は、以前にも同様の失敗をしている。
 中国の世界遺産、九寨溝への観光ツアーのときである。このときも登山用に使っている少し大きいリュックにカメラ機材や双眼鏡などゴチャゴチャと詰め込んで乗り込もうとした。荷物検査で引っ掛かった。二、三度機械を通して、検査員は首をかしげながら通してくれた。
 飛行機は広州に着き、ここで国内線に乗り換えて四川省の成都に向かう。広州空港の荷物検査でまた引っ掛かった。検査員がナイフが入っているだろう言う。こちらは関空を無事通過しているので、自信たっぷりにちょっと憤然とした様子を見せて否定する。とにかく中を開けて、荷物を出さされる。いろいろ出してゆくと、検査員は双眼鏡をみて、ああ、これかといった様子でOKを出してくれた。
 搭乗待合室に進んでから、鈍い私もこれは何か変だと思った。双眼鏡は光学系以外は全部プラスティック製である。これがX線でナイフのように映るはずはない。こそこそとリュックの中身を調べてみたところ、やはり内ポケットからレザーマンのナイフが出てきた。二つ折りの金属のカバーを開くと、刃渡り78センチのナイフが二本、ペンチやらドライバー、ハサミなどが付いた五徳ナイフである。金属カバーのお陰で、ナイフの刃がX線で映らなかったので助かった。
 冷や汗が出た。

 もう一つ、思い出した。
 26歳のとき、大学院の仲間二人(一人は魁猿で発案者)と韓国自動車旅行に出かけた。その年か、前年だったかに釜山からソウルまでの高速道路が完成し、また関釜フェリーも運航されるようになっていたので、日本から車ででかけることが可能になっていたのである。
 車は顔の広い魁猿君が、帰ってきたときは引き取って貰う約束で、知り合いの修理工場から5万円で買った古いダットサンのワゴンである。これは全くの骨董品で、戦闘車輌かと思うほど厚い鉄板のボディに僅か800ccほどのエンジンがついている。平地でアクセルを一杯に踏み込んでも時速80キロがやっと、バックミラーが振動して後ろが見えなくなるという代物である。ラジオも付いていない。
 今回の旅行では雪岳山登山を予定しているので、登山道具も積み込んで、国道2号線を下関へ走る。姫路でS君が大型トラックに追突した。サンダルがアクセルに引っ掛かってブレーキを踏むのが遅れたのだ。戦闘車輌も大型トラックの鉄骨のバンパーにはかなわなかった。トラックの運転手はバンパーをチェックして、「ええわ」と言って、走り去った。こちらは前部がへっこんで、ライトをつけるとあらぬ方を照らしている。ここですごすご引き返すわけにも行かない。板金工場へ持ち込んで、何とか叩き出して貰って、ライトもそれらしき方角を照らすようになった。
 こんなハプニングがあったが、下関に辿り着き、検疫所で予防注射を打って貰い、翌日の関釜フェリーに無事乗り込むことが出来た。
 午後、釜山港に入港したが、車輌の入管検査に時間がかかる。やっと、我々の番となった。車の後ろは登山道具のガラクタが乱雑に積んである。その下に厚さ10センチほどの古新聞の束があった。私がアパートの隅に積んであった朝日新聞を積み込んでいたのだった。検査官が一枚一枚めくりながら、これは何のために積んでいるのかと訊く。登山に使うと答え、全部調べるのには時間がかかり面倒そうなので、「じゃあ、捨ててください」と言うと、不機嫌そうに「古新聞ぐらい、韓国にもありますよ」といいながら通してくれた。
 山では新聞紙は焚き付け、雨に濡れた衣服、靴の湿気取り、体に巻き付けての防寒、小屋、テントの床に敷いて汚れよけなどととても役に立つのだ。
 さて、韓国の旅も進んで、雪岳山登山のとき、新聞紙を取り出してみると、束の下の方から、「赤旗・日曜版」がどっさり出てきた。当時、共産党系の団体でアルバイトしていた関係で、義理で取らされていたのだ。日曜版は娯楽中心でたいしたことは書いていないのだが、それでも赤旗は赤旗である。
 朴正煕政権下、当時の韓国はまだ戒厳令下にあり、反共色の強い時代であった。また、魁猿君はスパイ容疑で逮捕されていた徐兄弟の救援運動で何度も韓国へ行っていたから、入管時に見つかっていたならただでは済まなかっただろう。
 結構、ヤバかったかも。