ドイツ製フォールディングカヤック
フォールディングカヤックという組み立て式ボートを一艘所持している。カヌーの一種で、形は実に美しい流線形をしており、池に浮かんでいる貸しボートなどに比べると格段に速く進む。木製の組み立て式フレームと、帆布とゴムからなるスキンで構成されている。
二十年ほど前、米国留学から帰国の際、ドイツ製ではあるが在米記念ということで買った。安い買い物ではなかったが、美しいカタログを見せたり、静かな山の湖で二人でカヤックを漕ごうなどと、ロマンチックな甘言を弄して、女房にやっとウンと言わせた。以来二十年間で、一度だけ約束通り山の湖へ連れて行った。
以前より、趣味の一つに渓流釣りがあるが、下手の横好きでなかなか釣れない。もともと、登山での飯のおかずにでもと始めたもので、一所懸命に修行するほどの気も無いが、一度ぐらいは入れ食いで魚篭に入りきらないぐらい釣ってみたい。そのためには、釣り人と出会ったことの無い魚を相手にするしかない。そんな魚が日本にいるか? いる! ダムの奥に流れ込む道の無い沢に行けばいるだろう。そんなわけで、以前からゴムボートが欲しいと考えていた。それまでカヌーなど全く興味はなかったのであるが、たまたま、当時購読していたナショナルジオグラフィックに出ていたフォールディングカヤックの広告を見て、これなら簡単に車で運べるし、こっちの方がかっこいいと思い、いろいろカタログを取り寄せた。最後には、ニューヨークのマジソンスクウェアにあったショールームまで出かけて行った。そこでこのフォールディングカヤックの姿に魅せられてしまった。
入れ食いで魚篭は一杯になったかって? いろいろ地図を調べたが、道の無い谷なんて、東北・北海道はいざ知らず近くにはないことが解った。従ってカヤックはお蔵入りとなり、せいぜい年に一度どこかのダムでパチャパチャ漕ぐだけとなっていた。
数年前のパチャパチャのことである。五月の連休に西日本最大のダムである北山川の池原ダムへカヤックを持って出かけた。ダムへ流れ込む前鬼川に懸かっている不動七重の滝の滝壷を探るのが目的である。中腹の林道からも降れるのであるが、下から溯るのも面白かろうと考えた。カヤックをダムに下ろし、数キロメートル漕いで、川の流れ込みまで来たが、流れが浅くて漕ぎ上れない。そこで流れを引っ張りながら数百メートル溯ったところでキャンプとなった。このあたりでは、河原でキャンプするしか場所はない。長年の沢歩きの経験から河原のキャンプの怖さは十分に心得ている。ここなら、いざという時山腹を這い上がって林道へ逃げるルートが取れる場所を定めてテントを張った。
その夜は、大雨であった。明け方のことである。ふと目が覚めると、頭の近くで、石がゴロゴロ転がる音がする。テントから首を出してみると、濁流が1メートルほどのところまで迫っており、側に引き上げておいたカヤックの姿はない。あわてて荷物をまとめ、予定のルートで林道へ逃げあがった。ダムまで流れ落ちたカヤックをどうやって回収しようかと考えながら、林道をトボトボ下って行った。流れ込みのところで下を覗き込むと、シメタ、カヤックがこちら側の岸に流れ着いているではないか。崖を降りて、カヤックに近づいてみると、帆布は裂け、木のフレームはいくつか外れてなくなったり、折れたりしているが、何とか乗れないことはない。舟の中に残っていたパドルであたりを漕ぎまわると、木製の部品のありがたさで、近くに浮いておりすべて回収できた。
さて、私のカヤックはドイツ、ハンス・クレッパー社製である。カヌーの雑誌を見ると、なんとフォールディングカヤックのロールス・ロイスと呼ばれているとのことである。残念ながら、本物のロールス・ロイスにも、ほかのフォールディングカヤックにも乗ったことが無いので、この評が当たっているかどうかは解らないが、少なくともフォールディングカヤックの元祖であることは本当の様である。
このカヤックを見ていると、これがドイツ製というものかと感心することがいくつかある。まず、頑丈で重い。頑丈なのはいいが、日本人にとってはこの重さがこたえる。一人で行った時などは、3度ぐらいは往復しないと運べない。ヨーロッパで鉄道に乗っていると、何が入っているのか、大きなトランクをもって旅行している人が多い。まず、日本人が海外旅行に出かける時以上である。ドイツで若い女性の荷物を、日本人が親切心から“お持ちしましょう”と申し出たが、重くて持ち上げることが出来なかったのに、その女性は軽々と運び去ったという話を読んだことがあるが、このカヤックの重さ程度はドイツ人にとっては問題ではないのであろう。
次に感心することは、部品がすべて水に浮き、しかも大きいことである。こういった組み立て式のものは、よくネジなどの小物を紛失して困ることがあるが、これは小さな物でも数十センチあり、見失いようが無い。今度のアクシデントでも、おかげですべての部品が回収できた。
最後に、創業以来のすべての製品の部品が補充可能とのことである。ということは、ほとんどモデルチェンジが無いということでもある。私のものも、20年近く経っているが、今回の破損の部品補給は問題なく出来た。買った時にも、普通に使っておれば、たいした手入れは要らず、いつまででも使えると太鼓判を押された。
ここに、マイスターの伝統というか、ドイツ職人気質を見ることが出来るように思う。
ここ十年ぐらいのことであろうか、カヌー・カヤッキングがアウトドアスポーツの一つとして定着してきた。我が家の近くにも専門ショップが出来、いつ覗いてみても、マニアらしいのが数人たむろしている。昨年、山で骨折して以来足が不自由で、いつ本格的に山登りが再会できるかわからないので、これからはもっと頻繁にカヤックを持ち出して、ダムのような平水だけでなく吉野川とか、四万十川とか少し流れのあるところもトライしたいと思っている。