今まで、山にしろ、サイクリングにしろ、単独で行くことが多かった。山の仲間といってもせいぜい数人、サイクリングに至っては誰も一緒に行ってくれる仲間はいなかった。一度、いつもの山仲間の魁猿をサイクリングに引き込もうと、自転車まで買わせたのであるがたった一度で逃げられてしまった。サイクリングは痔に悪いと言う。尻が痛いのは頑張って慣れるより仕方が無いのであるが。
還暦を過ぎると、体力も衰え、膝もガタが来た。こうなると大勢でガヤガヤと楽しく遊ぶのもいいなという気になる。そこで、この春「囲炉裏村」に入村した。この村はインターネット上の村で、月一回の飲み会のほか、いろんなアウトドアのグループがあり、それぞれ行事の募集があり気軽に参加できる。この中にサイクリングのサークルもあり、その行事に何度か参加して、仲間と一緒も楽しいなと実感した。
今回は私が神坂峠越えのコースを企画して声をかけると、4人の参加を得た。
神坂峠は岐阜県の中津川から長野県の飯田にぬける峠で、丁度中央自動車道の恵那山トンネルの真上にあり標高は1600mある。中仙道が開かれる以前、上代より鎌倉時代に至るまで、ここは近畿から信濃から関東に通じる主要道、東山道随一の難所であった。当時は東海道より東山道のほうが重要な国道だった。日本武尊も、坂之上の田村麻呂も、赴帰任の国司たちも越えた。九州へ赴く防人も都へ租税を運ぶ庶民も越えた道である。そこをマウンテンバイクで越えて、当時の人々の苦労を偲ぼうというのである。
土曜(2005.10.15)の夜、大平峠県民の森キャンプ場に集合する。この日は一日雨。天気予報では明日は晴れるとのこと、当たっていることを祈るのみである。参加者の一人Kさんは前夜大阪を出発、もうその日、雨の中、南木曽岳麓の林道を走ってきたとの事。明日の天候を気にしながら、我々以外誰もいない寂しいキャンプ場で、BBQでお酒盛り、ワインが2本、焼酎が一升ほとんど空になった。半分は誰かさんが飲んだみたい。その夜はずっと雨。夜中にMさんが起きだして、ゲーゲーとやっている。
翌朝は天気予報どおり雨が止んで、快方に向っているらしい。朝飯もそこそこに、南木曽温泉前に移動、ここを出発点にする。ここだと清内路峠からの大下りでフィニッシュとなる。
最初は中山道の馬籠峠越え。300mの登り、朝の最初の登りは体調がまだ整っていないせいかこたえる。昨夜の大酒が効いている人がいる。20年ほど前、家族を連れて歩いたことがあるがこんなにきつかったかな? 少し古道を走るが、大半は平行している車道を登る。漸く馬籠峠。今度はせっかく獲得した高度をはきだして馬籠へと下る。馬籠の宿は観光客に混じって自転車を押して通り抜ける。さらに一下りして湯舟沢を渡るといよいよ東山道である。
ここから霧が原をジリジリと高度を上げる。十戸ほど散在する集落を抜けると林の中の道となる。この高度ではまだ紅葉は早いが、キノコが一杯取れそうな場所である。途中、広済院跡を通り過ぎる。坂本と阿知の駅間の距離があまりに長く(40km)、行き暮れる人が多かったため、最澄が作ったお助け小屋の跡である。今は老人ホームが出来ている。こんな淋しいところに作って誰が入るのだろう。
強清水に着く。きれいな清水が滾々と湧いているが、生では飲むなと書いてある。そんな殺生な。気にせずに飲んでみる。昔の旅人もここで一息入れたことだろう。ここから東山道古道は峠まで一気に突き上げているが、我々は九十九折の車道をよたよたと高度を稼ぐ。途中、スイと軽やかに追い越してゆくサイクリストがいる。どうやったらあんなスピードで登れるのだろう。
昼過ぎようやく神坂峠到着。湯舟沢から1150mの登りであった。ここまで来ると秋の訪れが遅い今年でも、紅葉が見事である。見下ろすと、霧の中に登ってきた九十九折の道が見える。「ちはやふる神の御坂に幣まつりいはふ命は母父がため」。万葉集の防人の歌である。この峠を越えて九州へと旅立った防人たちの何人が再び故郷の土を踏むことが出来たのであろう。
ここで昼食。私はバナナ3本である。
神坂峠から信州側は、東山道古道は車道と大きく離れる。我々は古道を神坂神社まで下る。この山道を下るためにわざわざマウンテンバイクに乗ってきたのである。峠からから神坂神社まで6kmは今昔物語の藤原陳忠が転落したことで有名な急な山道である。彼が信濃の国司から都へ帰任中、馬もろともに崖を転げ落ちた。供人たちは真っ青になっていると、下から籠を下ろせと声が聞こえた。やれやれと籠を下ろして引き上げると、陳忠が平茸を一杯手に持って上がってきた。「まだ一杯あったのに、取りきれなかった。宝の山から手ぶらで帰る心もちだった。」と残念そうにいった。「受領は倒れるところに土をもつかめ」の話である。
下り始めは石がゴロゴロしていて降りて押すところが多かったが、下るにつれ落ち葉が敷き詰められたなだらかな道となり、快調に飛ばして、あっという間に神坂神社に到着した。紅葉のなかの楽しい下りだった。幸い登山者は一人も出会わなかった。登山者には自転車を降りて道を譲らなければならない。ここで山道のダウンヒルは楽しいものということを実感した。
杉と栃の巨木に覆われた神坂神社にお参りし、暮白の滝でかわらけ投げを楽しんで、下ったところでKさんがリュックサックを滝のところに置き忘れたことに気づき、あわてて取りに帰る。急坂の登り返しであるから、30分はかかるだろうと、3人は横川峠越えに先行する。漸く帰ってきたKさんと禿羊は横川峠をパスして川沿いの国道を行くことにする。こちらのほうが遠回りだがなだらかで楽だろうと考えたのだ。ところがこれがきつかった。近道の横川峠越えのほうが楽だったかもしれないぐらいである。清内路峠まで8km、ジリジリと600mの登りで、疲れた足にはこたえた。
峠を越えるとヤレヤレ、出発点まで暗くなった国道をビュンビュン飛ばして、丁度6時にやっと到着した。
本日の走行距離は70kmとたいしたことはなかったが、登りのトータルは2300mで私の新記録であった。
Kさんの弁。「琵琶湖や淡路島一周は気持ちよく飛ばせて快適だったのに、なんでこんなマゾヒスティックなことやるんや。もう二度とやらん。」
マゾにはまってしまう人間もいるのです。喉もと過ぎれば熱さを忘れるです。苦しみはすぐ楽しい思い出に変わりますよ。