先月、鶴岡から白河へ走りながらふと思いついた。竜飛崎から会津田島まで繋がれば、これを延ばしていって本州内陸縦断が出来るのではないかと。もちろん細切れではあるが。大阪から東へ向かっては半日分ほど途切れているところはあるが岐阜県の平湯温泉まで延びている。
 さて、大阪から西は兵庫県の揖保川から広島県三次の間が抜けている。ここを繋げば山口県の徳山の北までは延びているので、下関まではあと一回だ。うまく行けば来年中に完成できそうだ。
 後は九州、北海道と夢はひろがる。
 そういうわけで早速、揖保川から三次の間を繋ぐことにした。揖保川沿いには鉄道がないので、自宅から出発しよう。
 この辺りの地図を見ると国道429号線(R429)が気になる。これは、京都府の福知山市と岡山県の倉敷市を繋ぐ250キロの国道であるが、所用で両都市間を走るのに使おうとは絶対に思わない道である。特に兵庫県内のR429は峠越えの地方道を無理矢理に結んで国道に昇格させた感が強い。以前、揖保川まで行ったときに、R429の生野峠と笠杉トンネルは越えたので、今度はその南の道をとろう。それから、どこでR429と別れるかであるが、備中高梁の近くの方谷駅というのがちょっと気になるのと、ベンガラの里「吹屋」にも寄ってみたいということで自ずとコースが決まった。

第一日(11月9日) 豊中市の自宅から兵庫県三田市までは通い慣れた道で何の感想もない。空はどんよりと曇って時雨模様。時々パラパラと雨粒が顔に当たる。
 鴨川住吉神社、重要文化財の社殿と神楽が有名らしい。朱塗りの社殿が美しい。海の神様の住吉さんが何で山の中にあるのかと思うと、説明板があった。ここは昔、住吉大社の所領だったことがあるらしい。納得。

  
 日本のヘソ、西脇市。この辺りはなだらかな丘陵地帯だ。鍛冶屋線というJRの盲腸線の線路跡を走る。

旧鍛冶屋駅に置かれた車輌
 県道加美山崎線に入ると、高坂トンネルへの上りになる。ここは旧道の峠を越えるつもりであったが、分岐点をうっかり通り過ぎてしまった。トンネルのすぐ上を通っているのだがそちらに入れない。トンネルを抜けると神河町だ。神河町とは聞いたことがない名前だが、ここは旧神崎町だ。近年の合併で馴染みのない地名が増えた。
 寺前から小田原川を遡る。太田ダム直下の小さな発電所脇の広場にテントを張る。

第二日(1110日) 今日は快晴。坂ノ辻峠を目指しての上りである。上るにつれて紅葉が美しくなる。坂ノ辻峠。ここは以前播州高原をMTBで縦走したときクロスした。
 峠を下ると、揖保川に出る。R29をすこし北へ走るといよいよR429に入り、また上りとなる。この上の峠は鳥の乢(たわ)という。この峠は以前は波賀町と千種町の境界であったが、今は合併して宍粟市となった。そのためか車の交通量が多く、道路もきれいである。上りの途中にトンネルが出来ていて、セレモニーの準備中だ。明日開通とのこと。通してと頼んでみたが、道路としての供用は明日からですと断られる。当たり前か。

    

坂ノ辻峠                           揖保川                     鳥の乢トンネル                       鳥の乢峠
 峠を下り、千種川を渡るとまたすぐに上りとなる。道路は細くなり、急勾配である。ギアを最低にして、ハンドルを引っ張るように力を入れて必死で漕ぐ。車の往来は少ない。ようやく志引峠。兵庫岡山県境である。ここからは美作市である。兵庫県は大きいと実感したが、岡山県も大きいぞ。峠のすぐ下に武蔵が閉じこめられたという洞窟があるが、怪しげなものはパスする。
 静かなたたずまいの後山の里に出る。見上げると、なだらかな頂上の駒の尾山が見える。九月に山の仲間とハナビラタケを探して林をさまよった登った山だ。
 快調に下ってゆくと、道端に新免なにがしの戦死の記念碑がある。第二次大戦の時のものらしいが、新免などという姓がまだあるとは宮本武蔵の里に来たという感がする。智頭急行の電車が通ってゆく。あの辺りは宮本武蔵駅だろう。

志引峠への登り

県境志引峠

後山集落から駒の尾山を望む

智頭急行・宮本武蔵駅辺り

 
 丘陵地帯を一路西へと進む。特に見るべきものとてなし。途中から南下して湯郷温泉へ向かおうかとちょっと迷ったが、先を急ぐことにして津山へと向かう。津山盆地の北方に那岐山、滝山、爪ヶ城(広戸仙)と続く連山が眺められる。広戸仙も昨年、山の仲間に案内されて登ったのを思い出す。


 吉井川に出る。津山の町だ。古い町並みを少しウロウロして津山城に登って見るも、城跡に入るだけでも入場料を取られるのでこれも諦める。これだけの町ともなると、オヤジ狩りの危険性があるので駅前のビジネスホテルに宿をとる。予定外の出費だ。
 

吉井川の流れ                          津山城跡近くの町

 フロントで、郷土料理を出す居酒屋はないかと尋ねると、津山の名物は焼き肉とホルモンウドンだという。ガックリ。ホルモンウドンで一杯か? 不味くはなかったけれど、歯にはさまって。

第三日(1111日) 今日も一路R429を辿る。休乢という小さな峠を越えると旭川流域に入る。旭川湖というダム湖畔を走ると道は南へと向かい倉敷を目指す。ここでR429とお別れだ。
 谷筋の細い道を西へ、西へと辿る。笹目峠を越えると有漢町。古い宿場町のようだ。さらに山を分け入るように細い道をたどり峠を越えると清流に沿った道となる。ゲンジボタルと里と書いてある。道端に厄除けの御札が立ててある。道祖神のようなものか。しばらく走ると高梁川に出る。伯備線方谷駅である。ここは高梁藩に仕えた陽明学者、山田方谷の塾があった場所である。現在の駅構内に塾があったらしい。しまった。途中の分かれ道を反対側に少し行ったところに記念館があったらしい。見損ねた。残念。
 R180沿いの店で、ものすごく不味いウドンを食べ、ベンガラの里、吹屋へ向かう道に入る。道路に沿ってずっと花が植えられている。この辺りは高梁市宇治町といい、やはりお茶の産地らしい。自転車泣かせの急坂を喘ぎながら上ってゆくと、広兼邸。鉱山とベンガラで財をなした庄屋が山の上に城のような石垣を築き大邸宅を造っている。映画「八つ墓村」の舞台となったらしい。いかにも成金の作った建物という感じがする。坂を下れば吹屋の集落。ベンガラ塗りの格子がつづく町並み、当時は豊かさの象徴だったのだろうが、今は却ってうらぶれた感じがするのは、現代の派手な色彩に毒された目のせいだろうか。じっくりと見てみたいが今回は店で酒を仕入れて先を急ぐ。

休乢

R429と別れる

有漢町の農家

厄除けの御札

 

伯備線方谷駅

広兼邸

ベンガラの里・吹屋

 

 

 4時半、小さな渓流に沿った寒村、蚊家(こうのいえ)の廃屋の脇にテントを張る。
 夜中、用を足しに起きると満天の星。明け方は冷えるぞ。

第四日(1112日) 一面の霜である。ここは谷沿いであるが標高300mで、もう吉備高原に入っている。寒気をついて渓流沿いに走ってゆくといつの間にか高原状の農地に出る。標高は500mぐらいある。中国地方特有の老年期の地形だ。鯉ヶ窪湿原の標識がある。山の仲間のHPで見たことがある。季節からしてどうせ枯れ野になっているのだろうが、ちょっと寄ってゆくか。意外と長くてきびしい上り。池の小道を湿原へと歩いてゆく。やっぱり何にもないが、枯れ草が逆光に輝いているのが美しい。少し暖かくなってきた。

 

霜の降りた吉備高原                                鯉ヶ窪湿原
 霧の立ちこめる谷間の道を下ってゆくと、突然体がガタガタと震えだす。寒い。R182に出たところで、コンビニに飛び込んで缶コーヒーを飲んでようやく人心地となる。タクシーの運ちゃんも震えながら飛び込んできた。
 R182をしばらく西へ走り、やっと広島県に入る。ここは備中と備後の国境だった。牧水二本松公園というのがあり、「幾山河越え去りゆかば・・・」の歌碑がある。彼が早稲田大学在学中故郷へ帰る旅の途中、この場所で詠まれた歌だとのこと。そんなに若いときの歌なんだ。そういえばちょっと感傷的な歌ではあります。
 東城から帝釈峡へ向かう。ここは、十年ほど前の早春、安来から福山へ中国地方を横断したときクロスした所だ。紅葉の雄橋を見に行く。これは天下の奇観だな。水が美しい。
  

備中・備後国境                             帝釈峡                            雄橋

 中山峠まで中国縦貫道と並行してなだらかな上りを走る。峠を越えると緩やかな下りを快調に飛ばす。といっても臆病な小生は瞬間的に時速50キロを超える程度であるが。
 庄原。ここまで来れば三次まではひとっ走りだ。交通量の多い国道をひた走り。江の川支流の馬洗川に架かる橋からもう三次市街が見える。土手の道を走り、西城川との合流地点を見る。ここで今回の旅の終わりとしよう。

   走行地図(Google map

江の川 馬洗川と西城川の合流点