Small World


 長い人生のうちには、思いがけない場所で思いがけない人とバッタリ会うことがある。おそらく数分時間がずれたり、またきっかけがなければそれとは知らず別れていたはずで、その出会いの確率は限りなく小さいのではないかと思われる。
 20年ほど前のことである。ロンドンで医学関係の国際学会に参加した時、キャフェテリアで休憩していると、見事な禿頭の小柄な男が前に座った。頭に大きなバンソウコウが貼ってある。「どうしましたか」「ガラスのドアに頭をぶっつけて」などから会話が始まって、彼がカナダの大学の教授で最近までデューク大学にいたことが判った。その道ではではかなり有名な研究者である。「私の妹夫婦もいまデュークで研究しています」。「どこの研究室?」。研究室の名前と日本人ということで、彼の頭にパチッと灯がついたようで、「ひょっとして、……というのでは?」。「えっ、ご存知ですか?」。なんと、アパートが隣同士だったそうで、つい最近も引越ししたカナダまで遊びにきたそうである。その時、彼が言った言葉が、”Oh, Such a small world!!” 日本語の「狭い世の中」と同じだと感心したのを覚えている。これも、頭の怪我さえなければ、声をかける事もなく無関心に別れていたところであった。
 大阪難波の人込みの中で、以前大学院生だったM君を見かけた。しっかり目線が合ったはずなのに、知らん顔をして通り過ぎて行く。「M君、久しぶりやな。俺や、XXや……」。返事もせずに、そそくさと通り過ぎていった。見ると、横に若い女の子がくっ付いている。あれっ、彼には奥さんも子供もいるはずやのに。家に帰って女房に話すと、「知人を見かけたからといって、軽率に声をかけたらあきません」と叱られた。まったく、その通り。反省。実はこの手の邂逅では、もっともっと大物とののっぴきない出会いがあるのだが、さすがにこれは口外できない。
 三年前、まだ製薬会社に勤めている頃、立て続けに同僚と思いがけないところで出会い、これは何なんだと驚いたことがある。
 第一は、二月の建国記念日の三連休である。かねてより心にかけていたしまなみ海道サイクリングを決行した。尾道まで新幹線。駅で自転車を組み立て、しまなみ海道をのんびりと走り、来島海峡の景色を楽しんで今治へ。二日目は今治を早朝に出発、山越えの急坂を喘ぎながら登り、今度は冷たい風に震えながら坂道を一気に下って松山へ着いた。八十八個所札所の石手寺をお参りして、山門を出た時である。女性連れの見覚えのある顔が山門を見上げている。経営企画本部長のYさんである。ここは慎重にと、お二人の姿を眺めたところ、様子が自然で長年連れ添われたご夫妻に相違ないと確信して、声をかけた。何しろこちらは薄汚いサイクリスト姿である。振り向いてしばらくキョトンとされていたが、やがて破顔一笑され、互いに思いがけない出会いに驚いた事であった。連休をご夫妻で松山観光を楽しんでいるYさんと、女房をほったらかし一人で遊んでいる自分を比べながら、” Such a small world “ とつぶやいて、内子、大洲、宇和島へと旅を続けたのであった。
 それから一月半程経った四月初旬の週末の事である。この頃には、雪解け後に出てくるフキノトウを目当てに琵琶湖の北をサイクリングするのが例年の行事となっている。朝早く自転車を車に積んで家を出、まず伊吹山麓の泉神社の名水を汲み、余呉湖へ向う。駅の駐車場から自転車で越前国境の栃の木峠を目指す。途中道端にぎっしり生えたツクシを摘み、スキー場近くの残雪の下から出てきたフキノトウも十分収穫した。しかしこの栃の木峠から引き返すのは少し物足りない。雪ももう解けているようだから、林道伝いに木の芽峠まで足を伸ばそうか。木の芽峠は古より近江から越の国へ通じる街道で、道元禅師も、蓮如上人も、北陸巡幸の明治天皇も越えられた峠である。今も古い峠のたたずまいを残していて、私の大好きな場所である。峠下に自転車を置いて、エッチラオッチラと残雪の山道を峠へ登って行くと、反対側から峠へ登ってきたばかりのハイカーの一団の中から、一人の女性がこちらを向いてニコニコ笑っている。よく見ると研究所のTさんである。「アレー、なんでこんな所で逢うの!」 彼女とは、昼休みによく山の話をしているので、山が好きな事は承知しているけれども、今日、ここでバッタリ逢うとは。西宮のハイキングクラブの例会でリーダーとして、麓から登ってきたとの事。なんとなく嬉しい、爽やかな一日であった。
 二度ある事は三度あると言うのは本当だった。今度はゴールデンウィーク後半。私は同じ部の同僚、N君とカヤックで四万十川を下ろうと、道具一式をボロ車に積んで松山行きのフェリーに乗り込んだ。混んでる。我々はロビーにマットを敷いて寝かされる。翌朝、船が松山に近づくにつれ、船内が騒がしくなる。我々も起き出してごそごそしていると、N君が突然、「隣の部のKさんが向こうへ歩いていった」と、挨拶しに出ていった。しばらくして、「どうも、そうのような、違うような、はっきりしない。」と首をかしげながら帰ってきた。結局、声をかけなかったらしい。「あそこ」。見ると、かなりラフな服装で、寝起きのはれぼったい顔で不機嫌そうに紙コップのコーヒーを飲んでいる恰幅のいい男がいる。確かに、Kさんによく似ているが、はっきりそうとは言い切れない。何しろ、我々が普段目にするKさんは、きちんとした服装で、いつもにこやかな顔をしているのだから。「そやけど、N君、あの体型であの顔は日本に二人とおれへんで。行って、前から覗き込んだら向こうが気が付くやろ。」と前に立つと、今までの不機嫌な顔がにっこりと崩れて、いつものKさんのやさしい顔が現れた。
 実は、三度目の出会いがKさんでほっとしている。二度目のTさんとの出会いの後、三度目の出会いが恐かった。なにか、こわーい、のっぴきならない邂逅が待っているような気がしたからである。突然の出会いは、嬉しいような、恐いような。皆さんもどこで誰に見られているかもしれませんよ。気を付けましょう。