五月、新しい自転車を買った。これが我が生涯最後の自転車のつもりである。
今乗っている自転車(Gios)の走りに不満があるわけではないが、輪行袋に入れて運ぶのに重さが肩に堪えるようになった。それで、行きつけの自転車屋にとにかく軽いクロスバイクを探すように頼んだ。ロードレーサーの軽いのはいくらでもあるのだが、坂道の上りが大好きなくせに非力の小生には興味の対象外である。いくつかカタログを見せられたが、クロスバイクでもカーボンファイバー製の軽いのはあるのだが、これらはスピードを目的としていて前のギアが2枚である。これでは小生は坂を登れない。
諦めかけていたとき、一台見つかったと連絡があった。Trek社の7.9FXである。カーボン製で9.1kg、前は三枚ついている。いまのGiosより2kgほど軽い。1kg軽くするのに10万円近くかかることになるが、これに決めた。
Trekといえば、ツール・ド・フランスで走っているディスカバリー・チームの自転車を作っているところだそうだ。あのランス・アームストロングも乗っていた。
新自転車購入記念サイクリングを計画した。以前から行きたいと考えていた南アルプス山系である。本当は甲斐駒と仙丈ヶ岳の間の北沢峠を越えたいのであるが、ここは車は勿論、自転車も通行止らしい。夜叉神峠も通れるかどうかあやしい。とういうことで、次善の策として今回のコースが決定した。
6/2(土) 静岡−口坂本−大日峠−山伏峠
朝一番の新幹線で静岡に降り立つ。9時、自転車を組み立てて出発。タイヤが28と細いので、ダートでパンクとかスリップしないかとかちょっと不安である。
市内から、安倍川に沿って北上する。氾濫原のような広大な川原一面に濃いピンクのムシトリナデシコが咲いている。何年か前、山口県の錦川をカヤックで下ったとき川原に咲いていたのを犬の散歩の小母さんに名前を尋ねたら、子供の時からビンボウバナと呼んでいたとのこと。
途中より支流の中河内川に入る。昔、西河内川沿いの三ツ峰落合線を越えて井川に下ったことがあるので、今回は中河内川沿いの井川御幸線を登ることにする。清流沿いの静かな道を徐々に高度を上げながら昼頃、口坂本に到着。ここは古くは井川と駿府を結ぶ街道の宿場で何軒か宿屋があり、古い街道も残っているとのことであるが、今は数軒の民家があるのみである。村おこしのボーリングで温泉が出て、今は
口坂本からはいよいよ稜線に向かって本格的な700mの登りとなる(標高500-1200m)。ギアを最低に入れて気息奄々として漕ぎあがる。天候も下り坂で霧雨状態である。1時間半かかって、ようようのことで大日峠にたどり着く。ここから勘行峰林道に入り、尾根伝いに北上する。まだまだ登りは続く。3時、県民の森に到着。ここの売店で今夜飲むアルコールが有るかどうか尋ねるも、あるはずがない。全く車の通らないきれいな舗装道路をシコシコと進む。新緑の林、満開のヤブウツギが霧の中から現れる。
途中、出会った車に前方の状況を尋ねると、この先で倒木が道を塞いでいて自動車は通行できないという。自転車は下を潜れるかも知れないと、首をかしげながら云う。それから、山伏峠から山梨側はゲートが閉まっているから自転車もだめだろうとの情報である。だいたい車の通行止めというのは、自転車は何とかなるものであるから、高をくくって先へ進む。4時半、勘行峰林道の最高点(1770m)を越える。少し下ると大木が倒れて道を横断しているが、自転車は難なく下をくぐれる。ここから勘行峰林道の終点、井川雨畑林道との合流点まで200mの下りである。今日の予定、山伏峠(大笹峠)は1850mと分っているから、この下りは悔しい。 井川雨畑林道に入ると、霧はますます深くなり霧雨状態となる。急坂が続く。ああ、この坂は漕ぎ上れない。ついに押して歩く。霧で先が見えないと元気がなくなり、今までなら漕ぎ上がっていたような所もつい押して歩くようになる。4時半、ぽっかりと峠に出る。 山伏登山口下の広場にテントを張る。山梨側のゲートは閉まっているが、自転車は問題なく潜れるし、通行止めの原因となっている箇所の写真が貼ってあるが、ちょっとした崩壊のようでこれも問題なし。
今日は合計で2000mちょっとの登り。走行距離66km。
6/3(日)
山伏峠−雨畑−奈良田−丸山林道−鰍沢−早川河原
今日は快晴である。5時半から20分ほどで山伏頂上に立つ。広々とした高原状でMTBで遊べそうな所である。南西方向に大無間山らしき山が聳える。
7:15 林道のゲートをくぐり抜け、山梨県側雨畑に向かって下り出す。しばらくして通行止めの原因となっている個所を通り過ぎる。道の下側が崩落してアスファルトに穴が開いている。車でも用心して通ればOK程度のものである。このあたりからこの自転車にとっては初めてのダートの道となる。今までは32mm以上の幅のタイヤだったが、今度のものは28mm幅の模様なしのスリックタイヤである。舗装路への食い付きはたいへん良く、私が出す程度のスピードではスリップの心配は全くない。ダートに入っても平気である。ちょっと安心する。ダートは10キロ足らずで終わり、また舗装路を快調に下る。万緑の中、渓流に沿っての気持ちの良い走りである。
標高900mぐらいまで下り、あと少しで長畑の集落というところで突然崩落個所に出くわす。崖が崩落して林道が50m程完全に埋まっている。こんなのは上の方の情報には書いてなかった。崩落の上に倒れた木が青々と茂っているところを見ると最近の崩落のようだ(この文章を書いているとき気になったのでインターネットで調べると、6/1の崩落とのこと)。ここからまた1000mの登り返しかとガックリ来る。取りあえず偵察に崩落個所に登ってみる。崩落した岩石は安定していて何とか反対側に越えられる。荷物を下ろして自転車を担ぐ。こんな時は自転車の軽いのがホントにうれしい。二往復半でここを通り過ぎる。
うっかりして、見神の滝を見過ごして雨畑の集落に入る。雨畑は硯の名産地である。「硯匠庵」という美術館兼販売店を覗く。最近習字を始めているので、記念に一つ買う。なかなかの値段である。カードが使えないので手持ちの現金で買えるものとなったが、残念な気持ちと逆にほっとした気持ちが混じり合う。
10時半、雨畑川を下ってきた道は早川に合流する。標高350m。ここで上流に向かうか、下流へ下るかちょっと迷う。奈良田からの丸山林道が通行可能かどうか判らなかったからである。「駄目なら引き返せばいい。時間の余裕はたっぷりある。」と、奈良田に向かう。早川沿いに北岳山麓の広河原に至るこの道は「南アルプス街道」というらしい。昔、南アルプスから下山したとき何度か通った記憶がある。美しい渓谷沿いの道である。
二十年ほど前、仲間二人と三伏峠から塩見岳、雪投沢から池の沢小屋、腰までの徒渉にヒヤヒヤしながら大井川を下り、白剥山の南を乗り越し黒河内を下って西山温泉に出た時のことが思い起こされる。予定では、池の沢を遡って農鳥岳へ出る筈だったのにどうして予定変更したのだろう。もうすっかり忘れている。
西山温泉の店で今夜の食料と酒を買う。それにしても、この街道には店がほとんどない。人が少ないのだからやむを得ないが。
12時、奈良田。標高800m。丸山林道は通行可能のようだ。
丸山林道に入る。すぐにダートとなり、ヘアピンカーブを繰り返して高度を上げる。上るにつれ農鳥岳あたりの白峰主稜線が残雪を被って望まれる。急坂にたまらず降りて少し押す。早川から支流の湯川へと峰を廻ると下り坂となりやがて湯川を渡る。このあたり新しい舗装で、道もなだらかで走りやすい。
4時過ぎ林道の最高地点(1720m)に到着。ここからは、鰍沢へと標高差1500mの大くだりとなる。途中適当な場所でテントを張るつもりだったが、あれよあれよという間に鰍沢に着いてしまった。この間、約1時間。もうこうなったら身延まで行ってしまおう。富士川に沿った交通量の多い国道52号線を一気に飛ばして、早川との合流点につく。6時半、早川の川原のパークゴルフ場にテントを張る。この日の走行距離110km。
6/4(月)
早川河原−身延山−豊岡梅ヶ島林道(安倍峠)−梅ヶ島温泉−静岡
6時、キャンプサイトを出発、身延山に向かう。荒町で52号線と別れ山の中腹を身延山に通じる道を辿る。結構な急坂であえぎながら上ってゆく。3日目ともなると体力も大分衰えてきている。産児神、蛇石といった伝説の地を経て身延山到着。久遠寺に参詣する。我が家は田舎神主の家柄で仏教徒ではないが、そこは神仏混淆の日本人、そばを通ればお寺でもお賽銭ぐらいはあげて、頭を下げる。それにしてもこの田舎に壮大な寺院である。創価学会とか、立正佼成会とか大きな信徒組織を持つ日蓮宗というのは何かエネルギーに溢れている感じがする。日蓮の強烈な個性と精神が今に及んでいるということであろうか。
身延山を下り、大城川沿いの道を安倍峠へと向かう。今日は快晴、ジリジリと焼かれる。
標高400mから、道は大城川から離れ本格的な登りとなる。峠は1400m、1000mの登りだ。ギアを最低に落としても、ヨタヨタの登りとなる。大分体力が落ちてきているようだ。一人のサイクリストが追い抜いてゆく。同年輩のようだが、ペダルをクルクルと快適に回している。どんなギア比の自転車なんだろう?
ヘアピンカーブが続いて、ドンドン上ってゆく。上を見上げると、遙か上の方に道が見えている。まだまだ先は長い。
このあたりは富士山がよく見えるので有名なところだが、今日は残念ながら裾野が見えるだけで、頂上は雲の中である。
11時、峠にようやくのことでたどり着く。
自転車を置いて、八紘嶺まで行けないかなと山道を登り出すが、足が上がらない。100m程上った尾根のシロヤシオの花の下、木漏れ日と爽やかな風の中で1時間ほど昼寝をする。
梅ヶ島温泉までは急坂の降り。こちら側からの登りもきつそうだ。途中、鯉ヶ滝を見る。看板に書かれている伝説は鯉ヶ滝を恋敵にもじったふざけたものだ。
梅ヶ島温泉にて旅の汗を流し、おでんと蕎麦の昼食をとる。
あとは、静岡駅まで安倍川沿いに 45 kmを走るだけ。途中、赤水の滝は一見の価値があった。
今日の走行距離は87 km。
帰阪してから、前の自転車(Gios)とギアを比べて見ると、Trekは大分高速に設定されていて、一番軽い所でもGiosの2、3番目であった。登りが苦しかったはずだ。