内浦湾カヤック紀行 巡視艇出動

アー!!! エライコトシテシモタ。海上保安庁ノ巡視艇出動サセテシモタ。

 7月20日、海の日。例の遊びの相棒、Oとフォールディングカヤックを海に漕ぎだして遊ぼうとということになった。行く先はこのところ日本海側のホームグラウンドのようになっている舞鶴の東にある内浦湾である。Oはここへ行くのは初めてである。
 どうせ海は大混雑だろうからと、大阪を10時に出発して舞鶴道をのんびりと走り、西舞鶴のトレトレ市場で今晩のBBQ用のサザエなどを少々買って、内浦湾の最奥部、五色山公園に向かう。ここの小さな浜が海水浴場になっていて、オートキャンプ場がある。道のどん詰まりにある小さなオートキャンプ場に車を入れる。大して混雑はしていない。管理人が見あたらないので、まあ明日帰って来てから駐車代を払えばいいかと、早速浜へ荷物を運んでカヤックを組み立てる。キャンプ用具を積み込んで、2時半出航。
 湾口までは約4キロである。結構強い海風が吹いていて、舟を進めるのに難儀する。波も少々あり舳先が水に沈むが舟の安定性には問題なく、全く不安感はない。
 

しばらく進むと、右側後方の山陰から高浜原子力発電所が偉容をあらわす。ここがチェルノブイリみたいになると、被害はどの辺まで及ぶのかな? なんて、つい考えてしまう。すぐ隣にある音海の部落はその意味ではずいぶん怖い位置にある。
一時間半ほど漕いでやっと湾を出る。湾の東側は音海断崖に連なる押回鼻で岸壁の上に灯台が見える。我々は西側の正面岬を回る。岬を回るとすぐ正面に馬立島が姿を現す。全長300メートルほどの小さな島であるが、断崖に囲まれていて美しい姿である。近づくと岩の上に黄色い甘草の花が咲いている。音海はダイバーが訪れる所としても有名らしいが、ここまでくると水は透き通るようで、底の岩がよく見える。3センチほどの小魚が数十匹、舟の近づくのに驚いてか、群になって海面を跳んで逃げてゆく。島の西側には小さな洞窟があり、昨年来たときに中に漕ぎ入れてみると、中の海水が射し込む日の光にエメラルド色に輝いて思わず呆然とするほどの美しさであった。見たことはないが、ナポリの青の洞窟もこんな色なのかな? 今回は波が高いので入るのは断念する。
 島を廻って、今日の宿泊予定地の浜に向かう。この浜は小生も初めてであるが地図で見る限り、テントが張れそうである。浜に近づいてみると、残念なことに砂浜ではなくゴロゴロの石の浜で発泡スチロールの漂流物で一杯である。既に船外機付きのボートで来た釣りのパーティーがキャンプをしている。浜の反対側でゴミの整理をして、何とかキャンプサイトを造る。バーベキューとビール、ワインの夕食。今日は雨になることは100パーセント無さそうなので、テントを張らずに寝ることにする。
 

 蚊の群。シマッタ。テント張ルノヤッタ。今更面倒ダ。辛抱スルカ。シュラフに潜り込むと暑い。今夜は眠れそうにない。隣で高いびきの相棒が憎らしい。
暑さと蚊の攻撃に、堪らず起き出して沖を眺めるとイカ釣りの漁り火が十数個輝いている。立ち上がるとはっきり見え、寝ころぶとボッと滲む。アア、やっぱり地球は丸いのだ。空にはカシオペア。

払暁、漁り火が一つ一つと消えて行き、漁船が帰ってくる音がする。明けの明星が黎明の空に最後の光芒を放っている。やがて真っ赤な日の出。
朝飯もそこそこにカヤックを漕ぎ出す。昨日とは違ってベタ凪、海面は油を延べたようで、早朝の涼気の中を気持ちよく漕ぐ。湾口を横切って反対側の音海断崖に向かう。
断崖の直下の小さな入り江にカヤックを繋いで、小生はパンツ一枚、Oは素っ裸になって海に飛び込む。ヒャー、気持ち良い。最後のビール。

 9時前。もう十分に遊んだ。そろそろ帰ろうかと、漕ぎ出す。ふと、沖を見ると何時の間にか海上保安庁の巡視艇が停泊している。突然、スピーカーが大きな声で「聞こえますか? 聞こえたら手を振ってください。」 あれだけ大きな声が聞こえないはずはないのにと思いながら手を振る。「こちらに近寄ってください。」 密漁をしたわけでもなし、やましいことは何もないと思いながら近寄っていくと、「UさんとOさんですか?」 愕然、何デ我々ノ名前知ッテルンヤ? 一瞬、家族に事故かと思うが、すぐにそんなことで巡視艇が探しに来てくれるわけはないと思う。
 カヤックを近づけると、乗組員がニコニコしながら「遭難の届けが出ていますよ。無事のようで良かったですね。」 ここで気がつく。シマッタ。車ヤ。
 「浜で事情を聴取します。」と、カヤックを見ながら「引っ張って行けますか?」 あんな大きな船に引っ張られるのはゾッとしないなと躊躇していると、「では、ご自分で漕いでください。」「あの、一時間ぐらいは掛かりますけど。」「ゆっくりで良いですよ。」
 巡視艇の伴走でカヤックを漕ぐのは気持ち良いものではない。申し訳ない気持ちもあり、漕いだ漕いだ。汗が目に入る。海が浅くなってくると、エンジン付きのゴムボートを下ろして付いてくる。途中で携帯電話で家を呼び出してみると、娘が出て笑いながら、「お父さん、またやったね。お母さんがカンカンやわ。」 恐妻家の小生は背筋が寒くなったが、少なくとも全然心配はしていた様子ではないので一安心である。必死で漕いで、30分ちょっとで浜に着いた。
 係官と話すと、我々が出てゆくのを見ていたキャンパーが夜になっても帰ってこないのに心配して、管理人に話したらしい。管理人は当然警察に連絡。夜中にパトカーが来るやらで大騒ぎとなったらしい。係官の事情聴取が終わると、「警察のほうにも連絡してください。」と云われる。ヤレヤレ、また事情聴取かとげんなりしながら電話すると、「無事だったのなら結構です。」 助かった。

反省:車のフロントガラスにメモを残してゆくべきだった。

 家に帰って、プンプンしている女房に話を聞くと警察から電話が掛かってきたときに、「きっと車では近づけないような場所でキャンプしていると思う」と云ったのに、また夜の10時と朝の6時に電話が掛かってきたので、頭にきたらしい。「遭難、遭難と言われますけど、遭難というのは今日帰って来なければのことでしょう。」うちの女房殿は気が強い。「それもそうですな。」と警察。
 「警察に、もう死んだと判ったとき以外は電話しないでくださいと言ってやろうと思ったわ。」これは、ドジを踏んだ小生へのきつーい嫌味。ズキッ。