宿屋の亭主

 

 林道をガタガタと下り、自転車のハンドルを握る手が痺れてしまったころ、やっと山間の小さな町にたどり着いた。晩秋の午後4時、もう薄暗くなって来ている。今日のねぐらはどうしようか。町中でテントを張る場所を探すのも億劫だ。風呂にも入りたい。聞いてみると、この町には3軒ビジネスホテルがあるらしい。ビジネスホテルといっても二階建てのアパートみたいな作りのものだが。

 一番評判のよかった一軒目、今日は満室だとあっさり断られる。二軒目、今日は営業していないとのこと。連休に仕事をせずにどうやって生活するんだ。三軒目、ここは最初に前を通り過ぎてチラリと見てパスしたところだが、もうここしか残っていない。普通の家屋の玄関みたいなフロントで声をかけると、六十過ぎの女将が出てきた。尋ねてみるとOKだ。一泊二食付き、税サービス料込みで六千五百円。ありがたや。

 一番風呂に飛び込んで、すっかり寛ぎ自転車の荷物を整理していると、七十歳位か、宿の亭主が出てきて、話をする。自転車でツーリングをしていると話すと大変感心してくれた。そして、いいものを見せてやると、裏手の物置のような車庫の案内する。

 行ってみて驚いた。広い車庫には、一台の乗用車(これは大したことない国産)と並んで、黒塗りのぴかぴかに磨かれたハーレーダビッドソンが二台デーンと鎮座している。一台はトライクというのか三輪車である。小型自動車ぐらいの大きさはある。「コ、コレ排気量は何cc?」「1,500位」「因みに幾らぐらいするんですか?」「5,600万位かな。別なところにもう一台持っている。」ウワー、ハーレーダビッドソンを三台も持ってるんだ。

 若い頃凝ったジェットスキーで腰を痛めて、今は時々2,3時間、運転して近くを廻るだけとのこと。

 若い頃はとび職として、全国の工事現場を渡り歩いていたらしい。きっと、良い給料を取って、ジェットスキーやオートバイで遊び回っていたのだろう。しかし、今のオートバイは新しいから、きっと女将さんに買ってもらったのだろう。あまり繁盛しているホテルには見えないのに、たいしたもんだ。

 「女房は車に乗ると云ったら、買い物か用事があるときだけで、ドライブを楽しむことを知らんからつまらん」とおっしゃる。女将さんはホテルを一人で切り盛りして、コマネズミのように働いている。

 夕食の時、女将さんに「あんなにすごいオートバイを買ってあげてえらいですねー」というと、女将さん、ポッと顔を赤らめて嬉しそうに「おとうちゃんは若いとき苦労したから」と言う。そうかなー? おとうちゃんは遊び人で人生気楽に渡ってきたように見えるけどなー。

 しかし、女将さんはおとうちゃんにつくすことに無上の喜びを感じているのだろうなー。また、おとうちゃんは典型的な「髪結いの亭主」ではないか。うらやましい。うちの女房殿に女将さんの爪の垢を煎じて飲んで頂きたいぐらいのものだ。

 女将さんが作ってくれたアケビの皮のキノコ詰めはほろほろと苦味が何とも言えず酒の肴にもってこいだった。