四国・吉野川カヤック下降


 HM氏は自然と戯れるのが大好きな少年の心を今も持ち続けていて、小生が今の会社に入社してすぐに遊び仲間となった。今まで、大峰、大台などの沢歩き、四万十川、石見地方などのサイクリングと楽しい遊びをともにしてきた。今回、吉野川をカヤックで下ろうと持ち掛けると、川遊びを最も好むMさんのことであるから、目を輝かせての二つ返事であった。
 乗る舟は、二十年前アメリカで購入して以来、ほとんど屋根裏という可哀相な愛艇、ドイツ、クレッパー社のフォールディングカヤック、エリウスIIである。この折り畳み式のカヤックはフォールディングカヤックのロールスロイスといわれているそうであるが、ほかのカヤックには乗ったことがなく、ましてや本物のロールスロイスなど見たこともない小生にはどれほどのものかまったく分からない。いままで、この舟では年に一、二回、ダムや湖など流れのない処でパチャパチャと遊ぶ程度であったが、勇を振るって初めて川下りに挑戦する気になった。なにせ初めてであるから沈するかもしれない。そこで、Mさんなら河童の生まれ替わりであるから、沈を共にしても安心と考えたのであった。
 四国三郎・吉野川は高知県に源を発し、徳島県を中央構造線沿いに東西に横断する四国一の大河である。途中、四国山地を貫いて、大歩危・小歩危のV字渓谷を作る。ここは日本有数の激流で、カヌーイストにとって憧れの地であるが、勿論、初心者に手の出るところではなく、フォールディングカヤックなどはたちまち木っ端微塵となる。そこで、流れの穏やかな阿波池田から下流を下ることにした。
 池田は小生の生まれ故郷で、町から4キロ程離れた集落に父母は今も健在である。大正生まれの父は糞真面目の頑張り屋で、いまだに我が家に来ると、56歳の小生をつかまえて「××(小生の名前)、勉強しとるか?」である。子供たちはクスクス笑うし、小生の父親としての面目を損なうことはなはだしい。そんな調子であるから、ノコノコと実家に顔を出して、川遊びに帰ったなどと言おうものなら、大目玉は必至である。というわけで、少々気が引けるが実家はパス。町のスーパーで食料を調達して、早々に河原へ向い、舟を組み立てる。
 19991031日午後2時。Mさんは前部、小生は後部座席へ乗り込んで、いよいよ出発である。先週の雨にもかかわらず、晩秋のためか水量は少ない感じである。数百メートルも行くと、前方に瀬音。河原に上がって、偵察する。初めて瀬を下る我々にとっては、白波が立っていて結構迫力がある。おまけに、流れの先が岩壁に当たっていて、左へ急カーブしている。真ん中には岩が顔を出している。チキンコース(臆病コース)をとって、岸沿いに船を流すか、あるいは正面から挑戦するかちょっと迷う。しかし、最初からチキンになっては、ずっとチキンのままになりそうな気がする。ここは度胸を決めよう。ライフジャケットを付けているので、最悪でも沈するだけで、命に拘わるわけではない。
 「Mさん、行くよ」。彼も緊張している。流れよりも速く舟を進めないと、コントロール出来ない。「漕いで、漕いで」。最初の落ち込みで舟がグッと沈むと、次の白波を頭からザブッと被る。「漕いで、漕いで」。森さんは漕ぐ。小生は左へパドルを入れて、抵抗をかける。左カーブ。上手い! 途端に、舳先が中央の岩に当たる。後尾が流され、舟が横向きとなる。流れを船腹にうけ、傾く。「アッ、アー」。最悪!
 普通のカヌーであればここで沈である。が、なんと我が愛艇は安定性抜群である。平然としている。後ろ向きになって、静かなところまで流される。「ヤレヤレ」と思わず笑い。恰好は悪かったが、一応達成感。とにかく最初の試練は突破した。この後、いくつかの瀬を越えるが、底を擦るのが心配なだけで、最初ほどのスリルはない。
 行く手に、岩が見えてきたと思うと、静かな淵に入る。両岸は岸壁となり、中央にも大きな奇岩が屹立している。水は透き通るとまではいかないが、深緑でいかにも深そうである。カヤックは美濃田の淵を静かに、ゆっくりと進んで行く。
 4時、舟を加茂の広い河原に着ける。ここは母方の里で、幼い時何度か来た覚えがある。当時は、渡しがあったのだが。Mさん、早速投網を取り出しトライするも、子供の時ジンゾクと呼んだハゼ科の5センチほどの小魚2匹のみ。せっかくの獲物に敬意を表して、焼酎の肴とする。Mさんの投網、この大河には少し小さすぎるようである。
 夜中、豪雨。

 111日午前9時出航。昨夜は6時就寝、夜中に舟を揚げるため起き出したが、今朝7時まで13時間も寝た。
 漕ぎ出して早々、深さ膝下の浅瀬で石に引っかかり危うく沈、辛うじてパドルで支える。底に穴があいて、水が噴き出す。やはり浅瀬では、面倒がらずにこまめに降りて、引っ張ってやらないといけない。河原に揚げて、ガムテープで補修する。舟を乾かしている間、大きな青石の岩盤の上で休憩。カワセミが驚いて飛び立つ。空は曇りだが、雨は大丈夫の様子。国道では、スピーカーが昨夜の雨で上流のダムが放水するので水位の上昇に注意を呼びかけている。こんなに川がゆったりしたのでは心配する気にもならない。むしろ底を擦らなくて好都合である。
 静かな湛水帯をのんびりと漕いで行く。川舟が川底から籠を揚げている。モクズガニを獲っているのか。岸では老人が銀杏を洗っている。所々に網が仕掛けられている。潜水橋をくぐる。洪水になると水面下に沈むので欄干もなく、手軽な作りで田舎の風景に溶け込んでいる。その上を軽トラックが行く。川は人々の生活を映しながら流れて行く。
 貞光で昼食のため町に上がっている間に、河原に揚げていたカヤックが水に浮いている。4,50センチは増水している。
 脇町、穴吹を過ぎると、吉野川も支流の水を集め大河の様相を呈してくる。河原は広く、水はゆったりと流れている。大型の鳥が数多く見られる。石の上で枯れ木のように微動だにしなかった鷺が、やがて羽を広げて音もなくゆっくりと舞い上がる。水面を川鵜が走る。近づく舟に驚いて鴨の群れがバタバタと音を立てて飛び立つ。カイツブリが水と戯れている。河原では十数羽のカラスがカヤックの通り過ぎるのを不機嫌そうに眺めている。吉野川は豊かである。
 北岸の遥か彼方には、讃岐山脈の稜線がなだらかに流れ、南岸は岸に迫って四国山地の果てが落ち来る。中でも高越山(こうつさん)がその秀麗な姿を流れに映す。木々は僅かに色を染め、柿の実が点々と鮮やかに輝き、四国の遅い秋の訪れを告げている。
 湛水帯と湛水帯の間には瀬があり、増水しているので波は大きいが、カヤックは底を擦る心配もなく快適に下る。波は被るけれども、慣れてきた我々は愛艇の安定性に安心して身を委ねる。
 水に濡れて寒くなってきたので、早々とキャンプすることにして、場所を探しながら下る。水面より1メートル程上がった草地にテントを張る。周りはミゾソバの花である。水位は益々上がって、平水より1メートルは高いと思われる。就寝後、時々テントから顔を出して水面を覗く。深夜になってようやく水位の上昇が止まる。安心して就眠。

 112日。目的地、川島までは10キロ足らずである。増水した吉野川は茶色に濁り、堪水帯でも流れは速く、舟は滑るように進む。杜甫「登高」の一句「不尽の長江、滾々として来る」を思い起こす。李白の「朝に白帝を辞す彩雲の間…」や柳宗元の「漁翁夜西巌の傍に宿す…」など習わぬ詩吟を好い気になって唸る。
 左岸は吉野川の巨大な川中島、粟島である。明治までは三千もの人が住んでいたが、洪水時の遊水帯とするため強制退去させられた。今は農地となっている。
 川島の城山が見えてきた。最後の瀬が近づく。増水した水を集めて、白波が高く立っている。「漕いで、漕いで」。舟は波に翻弄されながらも、矢の様に走る。もう不安はなく、爽快さだけである。「ヤッホー」。