54年前(1966)の大山−蒜山縦走と下帝釈峡の記録 
(2020.07)

当時、22歳であった小生は大学の講義をサボって、一人でこの山行を行った。この時の山行記録と若干の写真が残っていたので紹介する。
 現在、大山山頂(弥山)から先、剣が峰、天狗が峰から三鈷峰への一周は通行止めとなり、また槍尾根を鳥越峠へ下るのも当然通ることは出来ないが、当時は危険で通行注意とはされていたが禁止とはなっていなかった。さらに鏡ヶ成から上蒜山までの尾根には当時の地形図には破線路があったが、現在は消えていて廃道となっているようである。記録を見ても積雪期の縦走記録があるのみである。

6/03(金)10:51京都発下関行きの夜行列車に乗車。かなりの登山姿の乗客を見かけた。まわりに坐ったのは二人の子どもを連れた若い夫婦である。山陰の実家に帰省するようだ。子どもが泣いてうるさく、不潔なことを平気でするのが見ていられない(何をやっていたのかな?)。また、夫がまわりの若い女性をちらちら見ると云って、妻が焼き餅を焼いているのが可笑しかった。
食料:¥520 、固形燃料:¥100、牛乳:\20、切符:\1,070

6/04(土)米子7:30着。 鳥取でカニ弁当を買うが旨くなかった。大山寺 8:30着。前夜から降り出した雨はまだ止みそうもなく、かなり強く降っている。バスからの景色は老年期の山地のなだらかなうねりが美しいが、惜しいことに大山はガスにつつまれて時々山腹の一部が覗かれるだけだった。
 9:20 出発。11:30 山頂着。元谷、北壁が奇怪な山容を見せている。山頂にはコンクリート製の立派な小屋。明日が山開きだそうである。先客のラジオで、天候が快方に向かうと云っているので、外に出てみると雲が切れて弓ヶ浜や山陰海岸がすっきりと見える。大山寺は眼下だ。

 12:15出発。12:50頃、天狗が峰(剣が峰?)。途中の道は北壁と南壁に挟まれた痩せ尾根で金玉が縮まるような恐い思いをした。また、ガスで展望がきかなくなった。槍尾根は初めは大したことはなかったが、下るにつれてガレていて滑りやすく恐い。
     
鳥越峠の少し前より灌木帯に入り、路は狭くなり露でズボンはベトベト。2:10鳥越峠。烏ヶ仙までの路は悪く苦労する。山頂3:20。山は怪異な感じにそそり立ち、まわりには岩が塔のように取り囲んで素晴らしい眺めだ。4:30 鏡ヶ成到着。所持金と相談してビバークに決定。キャンプ場にはただ一人だけだ。
 
カニ弁当:¥150、バス:\110、うどん:\80、バッジ:\130(古い帽子にこの時買ったバッジが残っていた)

6/05(日)五時起床。散歩。7、8人のパーティが大山へ向かう。今日は快晴のようで羨ましい。昨夜は暖かく熟睡出来た。
 7:45出発。擬宝珠山まで30分。
  
 大ナメラ(1164)まではササ道で歩きにくく、暑さで大変。しかし、大ナメラを過ぎると皆ヶ仙、アゼチ、蛇ヶ乢(おろがたわ) への下り口(969)までは比較的簡単だが、展望はよくなく面白くない。p969から見た展望は雄大で蛇ヶ乢、上蒜山が素晴らしい。
 
 20分程で蛇ヶ乢に下る。湿原にはツツジが咲き美しい。11:30上蒜山へ登り始める。 県境に沿っての550mの直登だ。道は踏み跡程度で、林と笹で風が通らず暑くて苦しい。途中で座り込んで昼食とする。1:15ようやく頂上に辿り着く。ふらふらだ。ここは大した展望はない。
 さて、もう蒜山を縦走する元気はなく、ここから下山することにする。八合目付近、槍が峰から最後の展望を楽しむ。今回の縦走で最高の展望だがよく知られた場所だからここで書く必要はないだろう。

 2:30登山口まで下る。ブラブラと東に塩釜まで歩き、旧陸軍演習場だった蒜山原の光景を楽しむ。
 バスで中国勝山にで、列車で新見駅。駅の待合室で一泊する。4、5歳の女の子を連れた労務者風の男性と同宿となる。焼酎を飲みながら話をする。奥さんに逃げられたらしい。子どもが一緒では仕事にならないので、この近くにあるらしい奥さんの出里を探して子どもを預ける算段らしい。上手く見つかればいいが。ギリギリの感じがして見ているのが辛い感じだ。ベンチにごろ寝の様子なので、ツエルトを引っ被るようにと貸してあげる。
コーラ:\40、バス:\230、列車:¥220、親子丼:\110、缶詰:¥80

6/6(月)オッサンと別れて帝釈峡へ向かう。東城駅から油木行きのバスで曲淵下車。まず鬼釜を見ようとしたが、道が崩れていて到達不能。導水橋、弘法洞を仰ぎながら帝釈川を進み、小さな鍾乳洞、天川洞に着く。入り口は狭く這いながらもぐり込む。懐中電灯の灯が弱く薄暗い中を進む。200m程入ったところで水に潜らないと上流に行けそうにないのでここまで。灯を消して暫く砂の上に寝転ぶ。真の闇で水の音が聞こえるのみだ。
 外に出て、再び上流へと進む。霧降滝は見事。眼鏡洞は判らずに見落とす。太郎岩は高く表面は滑らかで素晴らしい。帝釈川ダム直下ではダムと岩に囲まれた底で今にも崩れ落ちてきそうで恐かった。(この辺り、写真が残っていないのであまり記憶にありません) ダムから紅葉橋まで歩き、荷物を置いて雌橋、断魚渓から雄橋まで急ぐ。ほとんど駆け足だ。この辺りはその後二度ほど来ている。帰りは雌橋から舟に乗る。今でもあるのかな?紅葉橋でバスを待ちながら、売店の親父に色々話を聞く。火野葦平の母の里がこの近くなのでよく来たとのこと。「花と龍」のマンさんのことかしら?
 下帝釈峡も当時の山のガイドブックに出ていたが、今では歩く人も少ないのではないだろうか。