高槻歴史散歩 2021.02

 先日、新聞で大阪府高槻市にある山城を発掘中で、色々な遺物が出てきたとの記事を見た。芥川山城といって三好長慶がここを拠点として京、大坂を治めていたらしい。三好長慶といえば織田信長に先立って、最初の天下人(幕府の上に立って、京大阪を治めた)になったといわれる。もとは管領細川氏の家臣であったが、下克上でのし上がったようである。生まれは阿波三好郡らしく、小生の出身地でもあり、芥川山城跡を見たいと思った。
 地図を見ると、この近くには継体天皇陵、今城塚古墳がありこれを併せるとちょっとしたハイキングとなる。家内も付いてくるというので久しぶりに二人で出かけることにする。

 朝10時頃、阪急富田駅を出発する。まずは継体天皇陵に向かう。北西に道を取り、藍野大学の前を通り旧西国街道に出る。これを少し西に行くと継体天皇陵だ。西国街道と云っても何の趣もない。あれ、少し行き過ぎたみたい。坂を下ると安威川だ。もう茨木市だ。少しバックして北への小径を入ると、太田神社に出た。御陵の隣だが入って行く道はない。神社もなかなか神さびていて静かだ。まあ、お参りしていこう。

   
 西国街道 太田神社へ参道の梅 
   
太田神社鳥居  太田神社社殿 

 少しバックして、住宅地の中の道を歩くと御陵の堀端に出た。壕沿いに少し辿ると正面に出る。案内板を看ると、ここは学術的には「太田茶臼山古墳」と呼ばれ、現在では継体天皇陵ではないだろうとされているらしい。理由は継体天皇の没年が6世紀中頃なのに、この古墳は明らかに5世紀のものだとのこと。継体天皇がこの辺りに葬られたとの伝承から、昔、陵墓を比定するときこの辺で一番立派なこの古墳を天皇陵にしたのだろう。一旦決定されたものを変更する訳にも行かず、現在もここに宮内庁の駐在所がある。しかし、天皇陵とされても不思議はない立派なものだ。誰が葬られているのだろう。

   

 次に現在、継体天皇陵だろうと考えられている今城塚古墳に向かう。土室町(はむろ)という町を通る。この北にはにをを製作していた工場跡があるのでこんな名前が付いたのだろうが、今日は寄ってみる時間がない。次に氷室町を通って1キロ程歩くと今城塚古墳だ。これも大きいが、全体に公園化されていて、今更宮内庁もここを御陵に認定出来ないだろうな。二重の堀に囲まれており、周りに円筒埴輪が並べられていたようだ。北側の二重の堀の間に大きな祭壇があり、ずらりと埴輪が並べられて現在は複製品が置かれているが当時の見事な状態が想像される。
 題26代継体天皇は越前にいた応神天皇5代の子孫で、25代武烈天皇が跡継ぎを残さなかったので、迎えられて皇位についたとされ、本当に天皇の血筋なのかどうか昔から論争が多い。

   
外堀   
   
 円筒埴輪と内堀 内堀 
   
古墳の頂部  内堀 
   
祭壇の埴輪 1  祭壇の埴輪 2 
   
祭壇の埴輪 3   祭壇の埴輪 4

 附属の資料館を覗いてみる。なかなか見事に作られていて、勉強になる。大王の鎧の見事なこと。当時、本当にこれほど見事だったのかな?

   
   
   
鎧の複製   埋葬の模型

  昼食後、最後の目的地、芥川山城に向かって、芥川の土手を上流へと歩く。川の淵には鴨が遊んでいる。カワセミも小枝に羽を休めて、川面を窺っている。最近は川が綺麗になったのか、都市の小川でもカワセミをよく見かけるようになった。
 芥川といえば、伊勢物語「芥川」の哀しい物語を思い出すが、これはもっと下流の方なのかな。

   
 名神高速を越える  鴨
   
 鴨の群れ カワセミ 
   
 山が近づく  

 前方に山城のある小山が見えてきた。地図には三好山(180m)とある。150m程の上りだ。頂上は平になっていて山城の様子が窺える。集落の中の道を登って行くと、やがて山道となる。地図を見るとこの道は芥川山城の東の峠を越えて原集落へと繋がっている。峠から西へ城跡への小道を辿る。しばらく行くと南から小道が上がってきている。これが昔の正面道だったらしい。

   
三好山  峠への道 
   
古い石垣  山城への道 

 頂上だ。南側の三島平野の展望は素晴らしい。大阪市街も一望だ。ということは下からもこの城の偉容が眺められたことだろう。山頂に三好長慶と松永久秀を祀る社がある。すぐ下にはシートで覆われた部分があるが、ここが発掘調査の現場だろう。山頂の広場に西側は切り立った崖で下には芥川が流れている。芥川は三好山の南で屈曲して摂津峡と呼ばれる渓谷を形成して山城の南、西、北を取り囲んで流れている。天然の壕だ。小さいながら難攻不落の要害だったろう。

   
   大阪市街展望
   
社  三島平野と発掘現場 
   
山頂の広場  西側の崖 

 峠まで引き返し、北の方原に向かって下る。原は芥川が狭隘な摂津峡に堰き止められて出来た谷底平野で山奥とは思えない広々とした田畑が広がっている。周辺の山沿いには大きな家々が並び、豊かな農村の景観が広がっている。集落の中の道をブラブラと歩いて中程のバス停で今回のハイキングはお終い。芥川山城の発掘したものが市内で展示されているらしいがもう時間がない。本日の歩行距離は15kmぐらいだったか。足弱の家内を連れてはこれがせいぜい。

   
芥川まで下る  鱒釣り場
   
広い原盆地   原集落
   
梅の花