·         はじめに

 小生も若いときは山へ行っても、朝早くから暗くなるまで歩いて、やたらと距離や高度を稼いで満足していたが、年を取ってくるとそういう無理が利かなくってきた。もう少しゆとりのある山歩きがしたくなってきた。そこで、山歩きプラス1を心がけるようにしている。プラス1は、写真も俳句もスケッチもやってみたが、どうもピッタリこないというか、要するに下手なのである。スケッチなど座り込んでやり出すと、画がいているうちにドンドン時間がたってしまって、「こんなことやってると日が暮れる」である。そこで前々からやっていた渓流釣りの延長で食い物を集めることにした。すなわち、春の山菜、夏の渓流魚、秋のキノコである。始めて間がないのと、自己流で図鑑と首っ引きなので、あまりレパートリーは多くないし、失敗もある。お笑いの種までに。

我が山岳食 −究極の軽量簡便化に向けて−

 山菜の話ではないのですが、山の食事の話なので。

 若いときから非力であった小生は山での食事は豪華であることは諦めて、出来るだけ軽くすることに務めてきた。しかし小生が山を始めた50年前には今のような乾燥食品は少なかった。アルファ米はあるにはあったが、これは人間の食うものではないと思うほど不味かった。当時、インスタントラーメンが人気となり色々な品種が出ていていたので、二泊三日ラーメンだけ持って山に入ったことがあったが、さすがに音を上げた。当時のラーメンは毎食食えるほど旨くはなかったし、それにかさばる。

 ペミカンというものをご存じか? 昔の山の雑誌にはよく作り方が出ていた。もともとはインディアンの行動食であったらしいが、結構日持ちがして旨いので小生もよく作って持っていった。挽肉と細かく刻んだ野菜(にんじん、ジャガイモ、椎茸、ピーマン、ニンニクなど)を強めの塩・胡椒をしてタップリのラードかバターで炒める。そして容器に入れてフリーザーで凍らせるだけの簡単なものである。山ではこれをスープの具にしてもよし、カレーの具にしてもよし、パンにはさんで食べてもいいという万能の具材である。水分はなくなっていないので軽量化になっているかどうかは疑問だがコンパクトにはなっているし、ゴミが出ない。カロリータップリである。書いているうちにまた作って持って行きたくなった。

 さて、現在はどうしているかというと、有難いことにフリーズドライの技術の発達で乾燥食品が旨くなった。今のアルファ米は家庭用の非常食としても使えるぐらいに美味しい。 まず、夕飯に二食分1パックのアルファ米をお湯で戻し、半分ちょっとを乾燥のカレーやどんぶり、あるいはふりかけで食う。勿論スープ、味噌汁も乾燥食品である。昨年、イワタニのミルサーを買った。これで、ビーフジャーキーや鰹節などを碾いてふりかけを作るとなかなか面白い。お茶もこれで碾いて持って行くと滓がでなくて簡便だ。

 朝は残りのご飯で雑炊を作る。具は「ラーメンの具(乾燥食品)」とか、乾燥野菜、ミルサーで作った粉末などをタップリ入れ、「ちょっと雑炊」とか味噌汁のもと、スープのもとで味付けする。この味付けの工夫がなかなか楽しみである。

 問題は昼食である。単独行で頑張って歩いているとあまり空腹にならないので時々昼食を摂るのを忘れるほどである。夏、綺麗な水場があるコースの時は必ずソーメンを作る。これには宮城県の白石温麺(ウーメン)が短くてパックしやすい。それに旨いので大変気に入っている。大塚のソイジョイもいいが、これを何日も食べ続けるとどうも小生のお腹は消化不良を起す。まあ、あとは色々な味がついたアルファ米をテルモスに入れたお湯で作る。これで大体5,6日は大丈夫。

 この程度の山行では栄養のバランスなどは気にしない。とにかくカロリーさえ充分に取ればいい。気になるときはこれに総合ビタミン剤でも飲もう。

 さて、アルコールはどうする。これも悩み多きテーマだ。これはなかなか重量を減らすことが難しい。以前は時々研究室にある試薬エタノール(純度99.9%)というのを持っていった。勿論メタノールは全く含まれていない。これを雪渓の水で割るといかにも旨そうに思えるが、実はとても不味い。アルコール臭がきつくて飲めたものではない。昔飲んでいた安物のウイスキーにも劣る味だ。これを美味しく飲む方法はジュースなどで割って飲む。特に山小屋で缶ビールを買ってこれにアルコールを入れて、度数50%ぐらいのビールを作る。これはなかなかいけるし、手軽に酔える。しかし現在、単独行の場合、下界では毎日飲んでいるのだから山の上で飲むこともあるまいと一切アルコールは持参しないようにしている。

 これが現在の小生の山での食糧事情であり、これ以上は軽くしようがないという気がする。

 

ヤマブドウ

 もう五十年以上山歩きをしているが、ヤマブドウの実がなっているのを見たのはたったの2回である。秋、紅葉したブドウに似た葉はよく見かけるが実はついていない。それに時々見かける似たものでノブドウというものがある。この実は鮮やかな青色であるが、ちょっと毒々しい色で食用には出来ない。
 最初にヤマブドウの稔っているのを見たのは新潟県の海山山塊である。深秋、岩だらけの山道を登っているとき、ふと路傍を見るとブドウの房がいくつもぶら下がっている。アッ、ヤマブドウだ。つまんで口に入れるととても甘くて美味しい味だ。灌木の中に手を伸ばして幾房か採っていただく。また帰りに少しいただこう。いつか読んだものには、ヤマブドウは酸っぱくてそれ程美味ではないと書いてあったが、これは市販のブドウにひけを取らないほど美味しかった。まあ、ヤマブドウにはバリエーションがあって、地域によって味に差があるのかも知れない。ヤマブドウを栽培して商品化しているのもあるようだから。或いはひょっとしてここで登山客が食べたブドウの種から育った実生のブドウの可能性も否定出来ないと思ったが、これに似た品種のブドウは店で見かけないので、あり得ないか。

       


 二度目は那須山系の山道だ。これは房状ではなく、ポツポツとなっていて粒の大きさも前のものより大分小さい。四つ、五つ採るのが精一杯。しかしこれも十分甘くて美味しかった。ヤマブドウに似たものにエビヅルというのがあるらしいから、これだったかも知れない。

 この写真では見当たらないが、ここに確かにあった


 昔、どこだったかの山小屋でヤマブドウで作った葡萄酒を飲ませて貰ったことがあった。ブドウ類から作るのは発酵させたワインは勿論、焼酎に漬け込む果実酒でも法令違反らしいから、あれは密造酒ということになる。



コシアブラ

 コシアブラが天ぷらにするとタラの芽より旨いというのは以前からよく聞いて、一度食べたいと思っていたのだが、図鑑をみても木の新芽などはどれも同じように見えるし、特にコシアブラの新芽はウルシの新芽と似ているので区別に自信がなかった。ウルシの新芽などを食べるときっと口の中が腫れ上がる。

 今年(2008)の春、山仲間のK氏に連れられて山菜採りハイキングに出かけたことはウルイの項ですでに書いた。このとき初めてコシアブラを教えられ少し採集して天ぷらにして食べたのだが、なにせ一人一つずつしか当たらなかったので旨いと感じるまでも行かなかった。ただウルシと木の違い、新芽の違いがはっきり分ったので見分けの自信がついた。この時、直径5センチほどのコシアブラの木が高さ1メートルほどの所でノコギリで切り倒されているのを見、ひどいことをするものだと憤慨した。コシアブラの木は非常にしなやかなので高いところの芽でも木を曲げて採集できるのに。

 六月初旬、東北の真昼山地を縦走したとき、高下岳頂上で地元の女性ハイカー二人と出会いコーヒーをご馳走になりながら話をした。この時、登る途中で採ったというコシアブラを見せてもらった。隣近所にお裾分けできるぐらいのレジ袋一杯のコシアブラの芽だ。無造作に一つかみ取り出してくれるという。「あの、天ぷらの容易はしてないのですが。」「おひたしでも、汁の実でも美味しいよ」「じゃあ、インスタントスープに入れよう」「そうそう」、ということで、有難く頂戴した。

 それから、尾根を下っていると結構コシアブラの木が目につく (写真)。なんだ、沢山あるじゃないか。宝の山を知らずに歩いていたようなものだと、自分でも少々採集した。

 和賀川でキャンプをして、早速スープに放り込んで食べてみる。思わずビックリマナコになる。旨い!! 今まで食べたことのない独特のクセのある味である。今全部食べるのはもったいない。明朝の雑炊に入れてみよう。

 小生の山の朝飯は夕飯の時作ったアルファ米を半分残しておいて、「ちょっと雑炊」とかその他スープの素に「ラーメンの具」を入れて雑炊にするのが定番となっている。昨夜のコシアブラを雑炊に放り込んでみる。今までの雑炊とひと味もふた味も違う。うーん、クセになりそう。

 今まで、山で山菜を見かけても持って帰って食べることはあっても、山の食事に使ったことはあまりなかった。今回でも途中でウルイやフキは沢山見かけた。これからは積極的に利用しよう。

 夏油温泉の宿でも山菜の天ぷらが出、その中にもコシアブラが入っていた。目をつむってしみじみ味わいながらいただく。

 

おおばぎぼうし(うるい)

 コバイケイソウをギボウシと間違えて食べた話は以前に書いた。それ以来気をつけていて、ギボウシの紫色の綺麗な花の群落などを見かけて、もうバイケイソウと間違うことはなくなったが、どうやって食べたらよいのか分らず山菜として利用することはなかった。 以前、大雪山系トムラウシから天人峡に下る途中の湿原で見かけたオオバギボウシの花の大群落(写真)には圧倒されて、是が山菜だということはすっかり忘れていた。尤も、こんなに大きくなったものは食べないということを今回初めて知ったのではあるが。

 この春、山形県米沢出身の山の仲間・K氏が山菜採りに連れて行ってやるというので、これは山菜を覚える絶好の機会だと喜んでついていった。なにせ東北は山菜王国である。彼は山菜・キノコの知識が豊富であることは疑いなし。場所は兵庫県北部の渓谷である。渓流沿いの道をしばらく辿ると滝がかかっている。K氏がその横の斜面を指さす。そこには鮮やかな若緑色の20センチほどに伸びた芽がぎっしりと生えている。よく見るとオオバギボウシの新芽(写真)である。これぐらいが食べ頃だという。ああ、そうか、新芽を食べるのか! ナイフで適当に間引かせてもらう。切り口はネットリとしたぬめりがある。 尾根に出て、天ぷらと酢味噌和えにして食べる。あっさりとしてなかなか上品な味である。

 K氏が銀座の料亭に行ったとき、突き出しに大変美味しい野菜の煮浸しが出てきた。女将にこれはウルイでしょうと云うと、よく分ったとびっくりして、作り方を教えてくれたそうだ。それは、シジミ、アサリなど貝の煮汁でウルイを煮、酒、薄口醤油で味を調えるとのこと。小生は早速持ち帰ったウルイをシジミを使って、試してみた。家内に試食をさせると、思わず絶句。料亭の味だと云った。これは来年も取りに行かねば。

 このときは、他にコシアブラ、ウワバミソウ、コゴミ、シオデ、ニリンソウ、アサツキその他いろいろ採れたのだが、それらについては自分一人で採れるようになってから、ここに書こう。 

つい先日の新聞に、うるいと間違えてコバイケイソウを天ぷらにして食べ、入院した記事が出ていた。アハハ、小生と同じ事をやっている人がいる(こばいけいそうの項参照)。


桑の実

 「あかとんぼ」の歌に「山の畑で桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか」という歌詞があるが、都会で育った人たちにはあまり実感はないだろうが、私には子供時代の甘酸っぱい思い出がすぐに浮かび出てくる文句である。

 四国山中で育った私は、養蚕をやっていた祖母にくっついて桑畑に行くのが好きだった。桑の実を食べるのである。全ての桑の木が実をつけるのではなく所々に実をつけた木がある。そこで濃い紫が真っ黒に見える実を採って口に含むとほんのりとした甘みが感じられる。戦後の田舎では甘い食品があまりなかったので、初夏の桑の実、秋のアケビは貴重な子供の食べ物だった。

 小学校への通学路のはずれ、国鉄の線路脇に桑の大木があった。学校からの帰り、よくその木によじ登ってたわわに実った実を腹一杯食べた。顔やシャツが紫色に染まり、母親に叱られたのも今は懐かしい思い出である。

 英語ではmulberryという。木自身もsycamineという単語もあるが、mulberryとかmulberry treeというらしい。ということは、英語圏では桑はベリー類の一つとして認識され普通に食べられていたのであろう。また、漢字には桑の実を意味する椹(葚)という字がある。要するに、東洋、西洋共に桑の実は食品として認識されていたのであろう。

 五月はじめ、伊賀でいつものように仕事が終わって郊外をサイクリングしていると堤防の近くに桑の大木が数本立っているのを見つけた。今は養蚕をする人もなくなって、うち捨てられたまま、自然に育って大木になったのだろう。もちろん大木といっても桑のことであるから精々4、5メートルの高さであるが、それがたわわに実をつけている。まだ、薄ピンク色で食べられる状態ではないが、2,3週間後にはちょうど食べ頃だろう。その頃にやって来て、採集して桑の実酒を造ろうと思った。

 六月になって、思い出した。「しまった。もう遅いかもしれない。」あわてて、自転車にタッパーウェアを積んで出かける。もう、手の届く下の方は半分は落ちてしまっているが、まだ何とかなる。手を紫色に染めながら箱に採集する。一本目は手の届く限りは取り尽くした。次の2,3本は全然実を着けていない。裏に回るともう一本ぎっしりと実をつけている。食べてみるとこちらの方が酸味が強くて旨い。

箱がずっしりと重くなるほど採った。帰って量って見るとちょうど1kgあった。早速、焼酎に漬け込んだ。飲み頃までは数ヶ月待たねばならない。まだ桑の実酒は飲んだことがないので、楽しみにして待とう。

その年の秋深くなって、初めて飲んでみた。色は深い紫色。少し酸味が足りないが、昔飲んだ赤玉ポートワインを思い出す味でまあ飲める。

 

     附:トルコの桑の実

 20085月、トルコを旅行したことは本ホームページにも紀行文を載せている。

 パムッカレの石灰棚に向かう途中の公園に数人群がって何か木の実を採って食べている。ガイドに聞くと桑の実を食べているのだという。「よし、帰りに寄って食べてみよう。」ところがバスの出発時間が迫っており、別のコースで帰ったため残念ながらこの時は桑の実を食べ損ねた。

 カッパドキアではユルギップという町で泊まったのであるが、夕方街を散歩していてナッツ類を打っている店を覗いてみるといろんな木の実の中に桑の実の乾燥したのを売っていた。黒っぽいのと白いのと二種類ある。早速買って食べてみると確かに桑の実のほのかに甘い味がする。しかし日本の桑の実だと甘く熟すると柔らかくなって乾燥させるのは難しそうであるが、トルコではどうやるのかな?

 イスタンブールでついに謎が解けた。朝、公園を散歩していると三人の若い男が何かやっている。一人が高さ数メートルの木に登りユサユサと揺すっており、他の二人が木の下で大きな布を拡げてなにやら落ちてくる物を受けている(写真)。「アッ、桑の実だ。」とピンと来た。傍らの桑の木を見るといっぱい大きい実をつけている(写真)。しかし、全然赤くなっていなく薄緑色だ。日本の感覚から云えば全然熟していない。触ってみると堅い。これはまだ食べられないんじゃないかな? 試しに口に入れてみると十分に甘い。なるほどこの堅さで甘いのならドライフルーツにし易いと納得した。黒く熟した桑を見ることは出来なかった。

 

清水
 まずは「渇き」の話から。大学二年の夏、渓流釣りのクラブ合宿が終わり、少し遊び足りないので一人で三陸海岸を小本から宮古まで歩いた。それでもまだ物足りないので朝日岳に登ることにした。どこで山の地図を手に入れたのか、どうやって行ったのかすっかり忘れてしまっているが、とにかく「左沢(あてらざわ)」という変な名前の国鉄の終点に辿りついた。ここからバスに乗って、どこで降りたのやら、夕暮れになっていた。とぼとぼと歩いていると、営林署の車に拾われ一宿一飯のお世話になった。山で採れたものだと出されたどんぶり一杯のキクラゲの煮しめの旨かったことがいまだに忘れられぬ。
 翌朝、また登山口まで車で送ってくれた。本当に親切な小父さんだった。まあ、小生も山に登り始めたばかりで、小父さんにはたより無げに見えたのかも知れぬ。さて、登山道は白滝登山口から谷川沿いに付いている。非力な小生は重いのがいやなのでポリタンに水を汲むのは出来るだけ先にしようと考えた。しばらく歩いているうちに、ふと気づくと谷は涸れてしまっていて水が流れていない。「シマッタ」、しかし水を汲みに戻るのも億劫だ。何とかなるだろうと登り続ける。
 鳥原山。水が無い。小朝日岳の登り。だんだんのどが渇いてくる。ピークから眺めるとはるか彼方、大朝日の雪渓が見える。例の銀玉水の水場だ。あそこまで行かないと水は無い。小朝日の下りはせっかく稼いだ高度がもったいないと思うほど下る。コルのあたりで、道の真ん中に水溜りがある。虫が湧いている。「飲もか、やめとこか。」としばらく水溜りを眺めながら考える。これに口をつけるのはさすがに惨めな気がする。
 折からの霧雨で笹の葉に付いた水滴を舐め舐めようやくのことで銀玉水に辿り着いた。アルミの食器に三杯、腹がダブダブになるほど飲んだ。もう水なしで歩くのはこりごりだ。

夏の暑い日、山を歩いていて、清水に出会うのは嬉しいものだ。しかし、雪渓は生で飲むと冷たくて気持ちは良いが、あまり旨いとは感じられない。谷川の水は見た目はきれいでも上流で鹿やサルが大小便をしているかもしれないと思うと、もう一つ気持ちよく飲めない。特に北海道ではエキノコッカスの感染が怖いとおどかされている。まあ、三尺流れればもとの水というからあまり気にすることは無いのだろうが。
 やはり一番おいしく、衛生的にも安心できるのは湧き水である。地下を通って岩の間から滾々と湧いているのに出くわすと、どうしても荷物を降ろして一休憩して、口に含んでゆっくりと味わう。昼時なら、ここで必ず冷やしソーメンを作る。会津駒ケ岳から尾瀬への縦走の途中、湧き水で作った冷やしソーメンは旨かった。
 大台ケ原の大杉谷を下っていたとき、巨大な花崗岩の岩壁を上のほうからポタポタと滴っている清水を10分も岩に口をつけて飲んだのを思い出す。旨かった。
 秋田の森吉山から東へ縦走していたとき、割沢森の辺りだったか大きなブナの木の根本から滾々と清水が湧き出していた。まるで、ブナの木のタンクから漏れ出しているように。勿論、十分に醍醐の水を味わったのであった。こういうのに出くわすと本当に山の恵みを感じる。同じように木の根本から湧き出している清水には広島の三段峡にもあった。しかし、二度目に行ったときには見つけることが出来なかったので、これは雨の後の一時的なものだったのかも。

清水好きが昂じて、時々日本名水百選の水を汲みに行く。とはいえ、それほどマニアでもないので、飯を炊くのにまでは使わないが、夏に冷蔵庫で冷やしているとやはり旨いと感じる。それとお茶。これも旨いと思う。あまり、舌が肥えているわけではないので、気のせいかも知れぬが。大阪近辺にはあまりいい清水が無いので、大峰のゴロゴロ水、滋賀泉神社、若狭瓜破水などへペットボトル30本ほど持って出かけるが、交通費を考えると買ったほうが安いのではあるが。それにしても、昨今の水汲み場の混みようはすごい。数百リットル汲んでいる人はざらである。伊勢の恵利原の湧水で大阪からトラックに大きなタンクを積んでポンプで汲んでいる人を見かけた。毎月汲みに来て隣近所に分けているとのこと。

 

 

川エビ(手長エビ)
 山で動物性蛋白を手に入れることは至難の業である。山中にいるもので我々が普通口にする動物性蛋白は哺乳類、鳥類であるが、山中でこれを捕まえるには弓矢・鉄砲が必要である。そんなものを持って登山するくらいなら、牛肉でも買って行くほうがよっぽど楽である。爬虫類、昆虫類も動物性蛋白には違いなく、こちらは捕獲するのが少しは楽だろうが、あまり手を出す気がしない。思い返してみても、この辺りのものはあまり食った記憶がない。スッポン、カエル(中華料理の天麩羅で鶏かと思って食べていたが、カエルの大腿部と気が付いた。同席のドイツ人に教えると「知っていたら食べなかったのに」といわれた。)、イモリ(檜枝岐の宿屋で出た天麩羅を家内と二人でおそるおそる食べた。うまいとは感じなかった)、あと蜂の子ぐらいか。
 そこへゆくと、川はいい。山中でも谷川では釣り竿一本あればイワナ・ヤマメその他の雑魚が釣れる。秋田の沢で、滝から転落して骨折するまでは沢歩きが好きで必ず竿を持って入渓していたが、せいぜい晩飯のおかずに数尾釣るぐらいで、魚籠から溢れるような大漁も、尺を越える大物も釣ったことはなく、イワナ、ヤマメではあまり話題を持ち合わせていない。
 数年前、同僚と四万十川を江川崎から中村まで二泊三日かけてカヤックで下った。この時、河原で同宿した福島県のカヤッカーに川エビの捕り方を教えて貰った。夜中に懐中電灯と川エビ捕り用の網(直径10センチぐらい)をもって、水際で流れの中に目を凝らす。そうすると、懐中電灯の光を反射して目が光る。数ミリから1センチの間隔を持った一対のかなり強い光であるからすぐに判別できるようになる。そこに網をかぶせるのである。網を近づけるとエビも異常を察知して逃げようとするから、逃げる方向を予想して網をかけるのに少々こつがいるが、なに大したことはない。一時間ほどで20尾程捕れた。大きいので5センチ程度である。翌朝のみそ汁の具にした。旨かった。帰りに江川崎の雑貨屋で川エビ網を買って帰った。
 何年か後、熊野川を下った。瀞八丁から新宮までである。四万十川にいる川エビが熊野川にいないはずはないと、網を持参しての川下りである。はたして、沢山いた。しかも大きい。10センチ近いものもいる。四万十川では川エビ漁がおこなわれ大量に捕獲されていて大きいのが少ないが、ここでは専門漁師による川エビ漁はあまり行われていないようである。
 翌年、再び熊野川を下った。この時はもう少し上流の熊野川筏下りの終点から奥瀞を通って新宮まで下ったのだが、奥瀞の早瀬で岩に激突しフレームを何本か折った。この早瀬が要注意であることは知っていたので、その前で上陸して偵察する予定であった。ところが、もっと先にあるものと思っていたのに突然出現したのであっというまもなく一番危険なコースに突入したのだ。瀞峡の船着き場でカヤックを分解して、そこで売っていた鮎の塩焼きの串にする竹材を貰って副木にしてガムテープで補修する。これが木製のフレームの有難いところである。アルミのフレームではこうはいかない。この応急処理であと二日、新宮まで下ることが出来た。
 さて、余談が長くなったが、この時も勿論川エビが捕れた。今回は油持参で唐揚げにした。キャンプで食うものとしては絶品であった。
 


アカモノ、クロマメ、シラタマ
 アカモノの実: もう25 ,6年前にもなろうか、夏休みに仲間4人と浅草岳に登った。「嫌味な親爺」で書いた山から下りて、まだ少し物足りなかったのでこちらに廻ったのであった。国鉄只見線田子倉駅で降りて、只見沢を少し入った山道の脇でテントを張った。この駅は、当時たしか急行が停まったのであるが、国道沿いの駅の周りには家が一軒も無く何で急行が停まるのか有ら判らないさびれたところだった。
 テントの傍を通りかかった山菜取りのオバチャン達に収穫を見せてもらうと、シオデがたくさん入っていた。かねてから大変旨い山菜であると聞いていたので、どういうところで採れるのか尋ねると、「これよ」と傍らの蔓草の先を数本ポキポキと折ってくれた。ゆがいて、マヨネーズで食ったがその旨かったこと。野生のアスパラガスと云われるだけのことは確かにあった。しかしあれ以来、お目にかかっていない。関西でも採れるのかな?
 さて翌日、空荷で浅草岳に登った。快晴で大変暑い日だった。山頂の雪渓で作ったかき氷は未だに忘れられぬ醍醐味だった。
 このままピストンでは物足りないので、鬼が面山から六十里越えに廻ることにした。この尾根道では、日にジリジリと照りつけられてカラカラに乾いた。歩きながら気が付くと、道端の高さ2 ,30センチの小潅木に一杯赤い小さな実が生っている。木はどうもツツジの類のようだ。口に入れてみると、ほのかに甘い。「オッ、なかなか旨いやんか。」 パクパクと頬張る。カラカラの土地になっているせいか、あまり水気はないので喉の渇きを癒すというほどではない。そのうち、「果実酒にしたら旨いんとちゃうやろか?」ということで、ポリタンにみんなで集めて、小生が持ち帰り焼酎に漬けることにする。山を下りるまでに、1リットルほど採った。この時点では、勿論名前は知らない。
 家に帰ってポリタンを開けて見ると、密閉してかなり気温が高かったせいかムッと醗酵臭がした。図鑑で調べると、アカモノというものらしい。その図鑑には食べられるとも毒とも書いていなかったが、早速焼酎に漬けた。
 半年ほど経って、みんなに100cc程ずつ分けたが、最初の醗酵臭が残っていて、誰も美味いとは云わなかった。後年、ドイツへ出張するようになって好んで飲む果物から造るシュナップス(キルシュワッサーとかウィリアムスビルネなどの蒸留酒)の中に、名前は忘れたがたしかアンズから造る臭いのきつい酒がある。それとちょっと似ているような気がした。アカモノの酒は、倉庫に放り込んだままになっているからまだ残っているはずである。20年物の古酒だから、コクが出ているかもしれない。
 アカモノには、それから何度もお目にかかっているが、その度喜んでパクパクやっている。しかし、どこでもカンカン照りの大変暑いところである。

クロマメの実: 北アルプスの谷沿いの道で初めて見つけた時、一目でこれはブルーベリーの親戚だと分かった。口に入れてみると、はたしてブルーベリーの味である。大きさは今時果物屋で売っているものよりずっと小さいが、味はずっと濃厚な気がする。北アルプス辺りで気をつけて歩いていると、結構頻繁に見つける。しかし、クロマメとはなんとなく無粋な名前のような気がしませんか。アカモノのように大群生しているのはあまり見かけたことがないので、果実酒には出来ていない。
 スコットランドを旅行した時、ピットロッホリーという町で一泊した。夏目漱石も滞在したことがある有名な避暑地である。妻と二人での旅だったので、あまり山を歩くといった自由は利かなかった。初めの計画通り、独りだったら絶対にイギリス最高峰のベン・ネビスに登っていたのだが。ここで地図を見ると、町のすぐ近くに標高700メートルぐらいのベン・イ・ブラッキーという山があった。これなら、文字通り朝飯前に登れる。
 朝、4時ごろ起き出して、車で麓まで走って、これまた頂上を目指して走るように登った。頂上付近は一木もない禿山で、ヒース(スコットランドではヘザーと云うらしい)の花盛りで、全山ピンクに蔽われている。遠くから見るとなんとなく灰色がかって見えてあまり鮮やかではないのだが、中に立つと綺麗なピンクである。頂上は遮るもののない素晴らしい景観である。スコットランド特有のなだらかな丘陵がどこまでも連なっている。足元を見ると、クロマメの実がいっぱいに成っている。日本で見るのより大分背が低い潅木である。早速手当たり次第に摘んで、朝食のデザートに持って帰る。
 B&Bの女将さんに、「ほら、ブルーベリーだ」と見せると、スコットランドではブライベリーと呼ぶのだと教えてくれた。

シラタマの実: 僅かに黄色を帯びた柔らかな白色をしている。小さいながらいかにもふっくらした感じの実である。美味しそう。一つ摘んで口に入れる。強烈な薬臭さである。メンソレタームそっくりの臭いで、あの膏薬を口に入れたかと思う。図鑑によっては食べられると書いていて、慣れると病みつきになると書いていたが、小生は2,3粒以上口に入れようとは思わない。焼酎に漬けると、いかにも薬用酒のような感じがしそうであるが、さて何に効くのかな?
 「サルナシ」のところでも書いたが、晩秋の北海道、樽前山の苔の洞門を過ぎて登りにかかる辺りで一面シラタマの実が群生しているのに出会った。もっと美味しい実だったら良いのに。ヒョッとすると、ヒグマは好物かもしれない。急いで通り過ぎた。

 その他、山ではコケモモ、ガンコウラン、いろんな種類のイチゴにはよくお目にかかる。白山山系の大日岳山腹の伐採後で一面のキイチゴに出会い、コッヘルに一杯採って昼飯代わりにして腹を下したことや、どこだったかの山小屋で出してもらったガンコウランの果実酒の美味かったことを思い出す。
 そうそう、山の木の実にも有毒のものが知られている。ドクウツギ、ミヤマシキミ、ヒョウタンボクがかなり強烈な毒を持っているらしい。時々新聞で中毒の記事が出ている。ヒョウタンボクなど実物を見るとみずみずしくていかにも食べて頂戴といった風情である。鳥は平気で食べるのだろうから、種に毒があるのかな?

 

 

ツキヨタケ
 秋、図鑑を持って近郊の山を歩くと、食べられるキノコが結構見つかる。本当に危険なキノコは10種類も無く、これさえ押さえておけば、あとは中毒したとしても下痢程度でたいしたことはない。近くの裏山でもヌメリイグチ、カバイロツルタケ、ハタケシメジなどのおいしいキノコが取れる。一度など、ホンシメジを見つけたこともある。
 これは、今の会社に入社してすぐの頃、キノコの方も初心者の頃の話である。小生の発案で、ある秋の週末、会社の同僚4名と大峰山池郷川を遡行した。美味しそうなキノコが見つかれば採ろうと、キノコ図鑑をリュックに忍ばせたのは勿論である。
 池郷川は関西有数の美しい渓谷であるが、下流はこれまた関西随一の険しい谷として知られている。そこで今回は、下流はスキップして、林道を辿り、いきなり上流へ入った。上流の流れは穏やかで、花崗岩の岩盤の上を清流が滑るように流れる、いわゆる滑(なめ)が続く気持ちのいい谷である。谷で一泊、源流までつめて、石楠花が茂る尾根を、鹿の美しい鳴き声を聞きながら登って行くとポッカリと縦走路へ出る。ここは、奈良朝の昔より、大峰修行の山伏達が駆け抜けた奥駆け道である。西行法師も新参の修行者として重い荷物を背負わされ、先達の山伏にののしられながら、涙ながらに歩いた道である。
 奥駆道をしばらく行くと、巨岩が割れてできた窪地で苔むした倒木に椎茸に似たキノコがびっしりと付いているのを見つけた。その場で同定は出来ないけれども、いかにも美味そうなキノコなので、とりあえず採集し、山小屋に着いてゆっくり調べようということになった。其の日の泊りの深仙宿避難小屋に着いて、図鑑と比べると、どうも平茸かツキヨタケのどちらかということになった。一方は食用、一方は毒である。ところが、小屋の前にもキノコがビッシリ生えた木があり、これは明らかにツキヨタケであり、採集してきたものとは少し異なっていた。それで、多分平茸だろうということになった。汁にでも入れてみようかということになった時、Mさん、さすが自然児としての独特の嗅覚を働かせたのか、里へ降りて訊ねてからにしようと主張した。小生も100%確信があるわけでもないので、不承不承ながらその夜はキノコなしの夕食となった。
 その深夜トイレに起き出て、ふと枕元を見ると、なんと、キノコを入れたポリ袋が煌々と光を放っているではないか。アッ、ツキヨタケ。すぐに皆の枕を蹴飛ばして起こす。袋を開いてみるとキノコの襞が、妖しくも神秘的な蛍光を放ち、我々は、しばらくの間魅せられたようにその光を眺めていたのであった。
 翌朝、なんとなくしらけた雰囲気の中で、ツキヨタケの毒は死ぬほどのものではなく、激しい嘔吐、下痢を起こすだけだと、図鑑の説明を引用したが、しらけはますます深まるばかりであった。
 ついでに、ツキヨタケのことを説明しておく。日本でのキノコ中毒のほとんどがこのキノコによるものである。倒木や枯れ木に見るからに美味しそうな椎茸に似た色、形で群生しているが、椎茸とは違って、茎が非常に短く、茎を割ってみると基始部が黒い。暗いところで襞が蛍光を発すれば確実である。
 さて、この事件のせいかどうか、I君は二度と一緒に山へは行ってくれなくなった。
 数年後、山の古友達と加賀の白山に登山したとき、なんとI君にバッタリでくわした。彼は、会社の若いお嬢さん達をエスコートしていて、実に楽しそうであった。

 さらに数年後。ついに、ツキヨタケ中毒を経験した。前年の秋大峰奥駆けの途中、ブナの立ち枯れの大木にびっしりと着いたナメコを見つけ、きのこ汁に舌鼓を打った。これは市販のナメコとはまったく違って本当に旨かった。それで今年もと車で大峰、持経の宿へ入り、キノコ狩りをやることとなった。相棒は例の山仲間Oである。ところが、勇んで出かけたもののキノコがあまり生えていない。一見食べられそうなものはみなツキヨタケである。倒木に小さなキノコがびっしり着いているのを見つけ、多分ナメコだろうといつもの楽観癖で採集した。周りはツキヨタケだらけで少し気持ち悪かったが。その夜の汁にパラパラとそのキノコを入れ、食べたがどうも旨くない。「これは、ナメコと違うで」ということになった。深夜のことである。なんとなく胸苦しく目が覚めると、胃の当たりがむかついて気分が悪い。相棒はと見ると、これも何度となくトイレに駆け込んでいる様子である。「しもた。ツキヨやった」 どうも、ツキヨタケの幼菌だった様である。慌てて喉に指を突っ込むが、もともと嘔吐反射が弱いせいか、何も出ない。「まあ、この程度の症状なら大したことはないか」と高をくくったが、さすがに気分が悪くてそれからは寝られなかった。
 翌朝、朝食を作る元気も無く二人でショボンとしていると、二十過ぎであろうか、女性の単独行者が小屋に立ち寄った。聞くと吉野から4、5日かけてここまで縦走し、これから玉置山に向うとのこと。なんと我々もやったことのない大峰完全奥駆である。大して頑丈そうでも無く、むしろ華奢な部類に入る体で、結構な荷物を担いでいる。なんと、女人禁制の山上ヶ岳を押し通って来たとのこと。我々がキノコ中毒でちょっと元気が無いことを説明すると、「アラ、私もゆうべキノコに当たった」という。テントサイトの近くに椎茸のような美味しそうなキノコがあったので、スパゲッティに入れて食べ、一晩ゲーゲーやったとのこと。これもツキヨタケ中毒である。残りの食料を提供すると嬉しそうに受け取り、けろっとして出発していった。呆気にとられた我々は「歳とったなー、ワシラも」とスゴスゴと下山したのであった。


サルナシ
 キーウィフルーツの原産地がニュージーランドではなく中国であること、そして、それと近い野生種が日本に自生していることをご存知か? サルナシである。コクワとも言う。朝のテレビドラマ「ひらり」の主題歌で、ドリカムが歌った「山へ行こう、次の日曜。……コクワの実、また採ってね。……」と言うのがあったが、あれである。
 小生の家の近く、明治の森国定公園・箕面のハイキングコースの案内板には、この辺りにサルナシがあると書いてあるが、ついぞ見かけたことがない。そんな訳で、長い間、図鑑や山菜の本で見るだけの幻の果物だった。
 初めてお目にかかったのは北海道である。5年ほど前の10月下旬か11月上旬であった。札幌出張の機会があり、当然の事ながら仕事を金曜日に済ませるようにいろいろ画策して、その週末を以前から一度行きたいと思っていた樽前山登山に当てることに成功した。
 さて土曜日朝一番に札幌を出発、千歳空港のトイレで登山姿に化けた。もっとも登山靴を持っていくのは大変なので、スーツ姿にキャラバンシューズの恰好で来ていた。まさに平清盛ではないが、衣の下から鎧がチラリという姿である。余計な荷物(本当は大事なもの)はロッカーに放り込んで、バスで支笏湖温泉に向う。着いてみると、湖畔はナナカマドが真っ赤に色づいてすっかり晩秋の景色である。昨夜の激しい風雨も止んで、すっかり快晴だ。湖を前に左に樽前、右に恵庭と素晴らしい景色である。山へ行きたい一心は、不信心の小生にも神仏の恵みをもたらしてくれるわいと我田引水(アレッ、このことわざの引用は適切なのかな?)。
 だが、あいにくと樽前山(苔の洞門)方面のバスは2,3時間後まで無い。仕方がないので、モラップ山が湖に落ち込む崖に付けられた遊歩道をモラップまで歩き、そこ でバスを待つことにする。秋の景色を楽しみながら遊歩道の中間辺りまで来たとき、道に落ちている大小さまざまな緑色の木の実に気が付いた。昨夜の風で落ちたらし い。見上げると高木に捲きついた蔓にその実がいっぱい成っている。「ひょっとして、サルナシかな?」 長さ3,4センチのその辺りに落ちているうちで一番大きな実 を拾ってしげしげと見ると、小さいながらキーウィフルーツの形をしている。「シメシメ、サルナシだ。」 皮をむいて口に含んでみる。強い甘みと少しの酸っぱさ、 ジューッとサイダーのような炭酸味、熟れきったキーウィフルーツの味だ。そこいら中の実を拾っては口に入れる。小さいのは皮を剥くのが面倒だ。指で挟んでプチッと 潰して中身を吸い取る。旨い。しかし残念ながら、樹上の実は高すぎてどうしようもない。
 その日は、モラップからも元気ついでに苔の洞門まで歩き(途中でバスに追い越されたが)、洞門を通って樽前山を目指した。苔の洞門はちょっと珍しいが、取りたて て言うほどのものでもない。それよりもこの辺りはヒグマの出没地と聞いていたので、晩秋の一人旅はちょっと恐かったが、「多分、大丈夫だろう」といつもの楽観 的、希望的予測で通した。まあ、大抵のときはこの予測でうまく行く。
 洞門を抜けると、一面のシラタマの実がなった斜面の登りとなる。シラタマの実については別に書こう。斜面を登りきると、日本に二つとない変わった山容の樽前山頂 が姿を見せる。スパッと頂上を切り取られたような平原上に饅頭を乗せたような小山が煙を吐いている。近づいてみると意外に大きな小山だ。登ることも不可能ではなさ そうだが、亜硫酸ガスにでも巻かれるとヤバイ。山頂平原を一周する。夕暮れ近くなってきたので風不死岳は諦めて、下山する。幸いしたの駐車場にいた車に便乗して 支笏湖温泉に帰る。ヒッチハイク出来ないと夜中になるところだった。
 翌日曜日は恵庭岳往復を欲張って、最終便で大坂に帰った。

 それ以来、サルナシにはご無沙汰していたが、昨年秋(2000)越前大野の朝市で出ているのを見つけて買って帰った。北海道で見つけたものよりずっと小さい実でまだ 熟れきってはいなかったが、たしかにキーウィの味がした。

 2017年9月、島根県安来から岡山市まで「ウナギ道を往く」と題してサイクリングを行ったが、途中出雲街道新庄宿の道の駅でサルナシを売っていた。どうも近くで栽培しているようで、500gぐらいで数百円と安いし、実も大きい。早速買って食べると懐かしくもあり美味だった。食べきれないので自転車の後ろに積んで走ったのだが、途中で落としてしまった。

 ネマガリタケ

 春の山菜シーズンの劈頭が蕗の薹ならば、掉尾を飾るのはネマガリタケである。山菜うどんなどを注文すると、なかにワラビなどに混じって、薄く輪切りにした直径1−2cmのタケノコが入っている。あれである。
 時は5月最後の週末、場所は氷ノ山。毎年の恒例行事となってしまったので、こう決めている。服装は、長袖長ズボン、それもできるだけ汚いやつ、捨てる直前のものなどが最適。防護メガネも便利なものである。
 中国道を山崎で降り、29号線を北上、鳥取県境手前の戸倉から林道に入る。この時期、林道沿いはタニウツギの花が最盛期で、ピンクの花を見るとタケノコも盛りだなとわくわくする。15年ほど前、小さな苗を一本引いてきて我が家に植えたのが元気に育ち、少し早い時期に花をつける。この林道は、以前は行き止まりだったのだが、自然保護団体の反対運動を押し切って、ブナ林を突き切って関宮とつないでしまった悪名高い林道である。しかし、タケノコ採りには大変便利になったので複雑な心境である。二、三十分も走ると、登山口だ。多い時は、数十台の車が止まっており、地元、県外からのタケノコ採りの人たちで賑わっている。だが、焦ることはない。なにせ、タケノコは無尽蔵なのだから。しかも、いくら採ってもタダ。十数年前、一度入山料を取られた年があったが、どうも違法だったのか、次の年からまたタダになった。
 登山道を二、三十分登ると、道の両側は2、3mもあるネマガリタケがぎっしりと繁り、中でタケノコ採りがガサゴソと音を立てている。しかし、急ぐことはない。ここから数キロ、氷ノ山頂上までは見渡す限りの笹原なのだから。
 適当なところで、薮に突っ込む。立っては歩けないので、四つん這いになって進む。竹はヤニというか、ススというか、表面に黒いものをつけているので、衣服はすぐに汚れる。おまけに泥もつく。さらに、結構暑い。奇麗にできる仕事ではない。
 タケノコはすぐに見つかる。地上、20cm前後出ているのを根元で折り取る。地下の部分は筋が多くて食べにくいので、掘り下げない。長くなっているのでも、穂先を折ればいい。30分も入っていると、手元の袋は一杯になる。這い出して、リュックに詰め直し、また突撃する。10kg程も採れば、今年はもうおしまい。地元の人は、大きなドンゴロスの袋に一杯、何十kgと担ぎ出すが、後の処理が結構大変なので適当にする。
 さて、今日の収穫に満足して降りてくると、現地でタケノコを味わう。まず、焼きタケノコ。皮つきのまま焼き、味噌をつけて食べる。それから、タケノコとワカメの味噌汁(若竹汁)。これらの料理は採ってすぐであるから、あく抜きは必要なし。食べ終わると、夜なべ仕事が待っているので、早々に帰宅する。
 後の処理は、本質的には孟宗竹と同じ。皮付きのまま、糠を入れて茹でる方が後で皮をむき易いので楽であるが、何しろ嵩張る。先に皮をむいてから茹でるのは、手間がかかる。どちらでもお好みの方を。処理を終えると、アレッと思うほど、少なくなる。保存法には頭を悩ます。土地の人は塩漬けを薦めるが、去年は失敗した。あとはビン詰め。一番簡単なのはそのままフリーザーへ。取り出した時少々筋っぽいが。ここまでやると、たいてい深夜になる。アア、シンド。
 なに、どうやって食べるかって? 小生は煮物か汁しか知らない。そうそう、六月になってもタケノコは採れるが、虫入りが多くなる。(1999.05

 

コバイケイソウ(毒)
 越後駒ケ岳から中の岳へ縦走して十字峡へと下る途中、日向山辺りの湿原にコバイケイソウがたくさん生えていた。「これ、ギボシやで。食べられると山菜図鑑に出ていた。」とうろ覚えの間違った知識。相棒、「オオ、そうか。昼のインスタント味噌汁の具にしよう。」と、こちらは全くの無知。一本折りとる。
 グラッと煮立った味噌汁に、パラパラと千切った葉を入れる。いいいろどりだ。食器に注ぎ分けて、口に入れてみる。なんだ、これは。口が曲がるほど苦い。ペッ、
ペッ。「これは食べられへんで」。 慌ててつまみ出す。残りの汁は飲んでしまったが、幸い何ともなかった。
 これもうろ覚えであるが、今西錦司のエッセイにあった話。彼が学生時代、たしか九州の山へ行った時、山で採ってきた山菜を宿にしていた農家で雑炊に入れるように頼んだ。主人は首をかしげて、これは土地では毒だと食べないと言う。大丈夫と請け合うと、主人も「京大の学生さんの言うことだから」と、雑炊にしてくれた。食べた一同、縁側から庭へ全部嘔吐してしまった。その時庭にいたニワトリがそれを食べて、キリキリ舞して死んでしまったそうだ。一同、コソコソと退散したと書いてあったと思う。これもバイケイソウか何かではなかったかな?


ギョウジャニンニク
 ギョウジャニンニクという山菜をご存知だろうか? 近頃、アイヌネギと称して、八百屋などでも売られているやつである。アイヌネギ料理店というのも見かける。山中修行の行者が食べるということでついた名前だろう。山中、少し湿地めいた場所を歩いていて、これを踏んづけるとプーンとニンニクの臭いが広がるのですぐに解ると、ものの本には書いてある。
 私が、最初にこれを見つけたのは、大峰山中の沢である。五月連休の沢は、せせらぎがキラキラと日に輝いて、実に気持ちがいい。のんびりと谷に沿って下っている時、ふと岸辺を見ると、ちょっと見慣れぬ草が一面ビッシリと生えている。何かなと、一つつまんでみると、プーンとニンニクの臭い。アッ、ギョウジャニンニク。たしか、山菜図鑑に出ていた。引き抜いてみると、鱗茎は茶色の網状の組織で覆われている。齧ると、ぴりっと辛い。味噌があったらよかったのに。十数本間引いて、持って帰り、ヌタにして食った。美味かった。
 尾瀬長蔵小屋の平野長英さんだったかのエッセイに、小屋の食事にギョウジャニンニクを出す時は、必ず朝食にするとのこと。夕食に出すと、トイレがすごい臭いになるそうだ。
 最初の時の味が忘れられず、その後、二度ほど同じ沢に入ったがどうしても見つけることが出来なかった。誰かに根こそぎにされたのだろうか。あるいは、私の目を避けてひっそりと生えているのだろうか。当時、この辺りでは鹿が増えて、天然記念物のオオヤマレンゲが絶滅しかかった。多分、ギョウジャニンニクも鹿の餌になってしまったのだろう。
 その後ギョウジャニンニクが生えていそうなところでは、キョロキョロとあたりを見廻しながら歩いている。尾瀬と南アルプス光岳で大群落を見つけたが、国立公園内とあってはさすがに採れない。おそらく、長蔵小屋でも今は客に出すことは出来ないだろう。そんなわけで、以来、ギョウジャニンニクは私にとって幻の味となっている。



蕗の薹
 春、雪解けとともに真っ先に芽を出して我々を楽しませてくれるのは蕗の薹である。もう、そろそろかなと思う季節になると、小生も落ち着かぬ。車を駆って、郊外へと向う。とはいえ、あまり深い山の中へ向う必要はない。雪解けが始まった、あるいはもう少し経った田んぼの畦、野道の脇、小川の縁など、要するに夏に蕗が良く育っている場所で良いのである。大体かたまって生えているので、一度見つけるとごそっと採れる。開ききっているものは、パサパサして不味いので、できるだけ包の開いていないのを選ぶ。
 山菜料理の本など開けば、いろいろな料理が載っているのだろうが、小生は蕗味噌だけ。包を開いて、中の房を指でバラバラに千切って、酒、白味噌、赤味噌、味醂、砂糖を適当(本当に適当:どんな割合でもそれぞれに美味い)に入れて、火にかけて練り上げるだけ。実に簡単、男の料理である。
 これを舐めながらやると、冷やであれ、焼酎であれ、ウイスキーであれ…ビールはちょっと…実によく進む。このほろ苦さが何とも言えぬ。苦みを味にしているのは日本ぐらいかななんて思いながら、ちびりちびりとやる。そういえば、サンマや鮎のわたも苦くて美味いナー。そうそう、サザエのわたはもっと苦いぞ。我が家で、苦みが美味いと感じるのは小生だけで、あとは女房も含めてみんな子供の舌。あいつら、何でビールは美味いと思うんやろ? そういうわけで、蕗味噌も誰にもやらずに一人占めできる。サンマや鮎のわたも、当然、子供の分は回収するイヤしい小生である。
 ある時、会社の同僚Kさんから春の蕗味噌のお返しにか、秋にイナゴの焼いたのだったか、煎ったのだったかを頂いた。このえもいわれぬ、胸が悪くなるような苦みにはさすがの小生も音を上げた。彼の人は、小生の数段上を行く下手物食いであることよ。
 今年の五月、秋田をサイクリングし、乳頭温泉へ向ってヒイヒイと漕ぎ上がっている時、残雪の下から今まで見たこともない大きさの蕗の薹がたくさん顔を出しているのに気が付いた。関西で見かけるものの五倍はありそうである。喜んで、手当たり次第に採って、持ち帰ったが味は関西のものと変わず美味かった。あれはひょっとして、秋田蕗のものかな? いやいや、秋田蕗ならもっと大きいような気がする。
 話は変わるが、小生、体を動かす趣味(但し、運動神経は使わない)は整理をしなければいけない程あるが、体が不自由になった時が心配である。ある時、親友が自家出版であるが歌集を出した。これはショックだった。何であいつに短歌が作れるんや? そこで、小生は俳句を作ることにした。まず俳号を「禿羊」と決めた。特に深い意味はない。単に未年生まれの禿頭というだけである。自己流で何とか句想をひねり出して、五七五に収めようとするが、どうも入りきらぬと、伸ばして短歌にしようかという程度のものであるから、当然門外不出である。ある宴会の席で、酔った勢いというか、血迷ったというか、ついポロッと拙句を披露に及んだ。とたんに、隣から、Y女史の一言。「アラッ、面白い川柳ね」。
 川柳やら何やら知らぬが恥のかきついでに。
    蕗味噌を練りつテントに雨を聞く
    蕗味噌や男二人の茶碗酒
会社の同僚Mさんと四万十川源流にテントを張った時の情景である。


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