1122(日)

 8:00 会社差し回しのタクシーにてフランクフルト空港へ。由良君も同乗して見送ってくれる。日曜日の朝なので、わずか30分で到着。

 10:00出発。DC10である。8時間でJFK空港へ到着。現地時間でちょうど12:00である。途中、窓の外は地球全体が雲に覆われているのではと思われる程であった。

 こちらの天候は小雨、意外と暖かい。まだ秋の気配が残っている。迎えの車はリンカーンである。ニューヨークから北上、I-84を東へちょっとコネッティカット州へ入ったところにある町、Dunberryのモーテル、Ethan Allen Innが滞在場所である。

 2:30着。小雨ながら、晩秋のNew Englandの美しい景色のなかのドライブは、すっかり昔を思い出させてくれた。ここから、隣町Ridgefieldにあるアメリカ本社までは23マイルとのこと。

 外を少し歩いてみるが、道に歩道もなく、すぐ傍を車が猛スピードで走るため、危険を感じる。車を持たない人間にとっては非常に不便な町である。

 研究所薬理学部長Dr.Letts(以下Gordon)から、電話で夕食の招待。このホテルに同宿のフランス、パスツール研究所のVargaftig教授と研究所のドクター2人でFairfieldのレストランへ向う。料理は生ガキ、Monkfish(鮟鱇の一種)。会話は免疫学の細かい実験の話となったため、ほとんどついて行けなかった。時差のため猛烈に眠くなり、あくびを押さえるのに必死であった。

 

11/23(月)

 7:30  Vargaftig教授と一緒に朝食。

 8:00 Gordonのピックアップで会社へ。明日から車を用意してくれるとのことである。Ridgfieldの町外れ、静かな林の中に広大な敷地をもって、アメリカ本社はある。ゲートを通り、数百メートル行ってやっと事務棟が見えてくる。研究所は又数百メートルは離れている。研究所は現在拡張工事中であるが、次から次へと継ぎ足しているので所内は迷路のようである。会社の門のちょうど向かいにユニオン・カーバイトという看板があったので、聞いてみるとやはりインドで毒ガス発生事故をおこして数千人が死亡した悲劇の張本人の会社の本社だった。

 昼休みに大学時代の同僚でカルフォルニアに留学中の谷浦夫妻、Yale大学留学時の知り合いで現在、デトロイトにいる山崎さん、まだニューヘブンで生活している岡田美代さんに電話する。皆さんお元気の様子である。

 滞在中のモーテルはEthan Allenという家具会社が経営しており、隣に大きな家具展示場がある。研究所から帰って、展示場を覗いてみる。広大である。聞いてみると、日本にも神戸ボートピアをはじめ数カ所に店があるとのことで、ここが本社のようだ。値段が安くて見栄えのするものが多い。

 一人で夕食。12年ぶりにClam Chowderを食べる。ほかにツナステーキを取るが、量が多くて苦しいぐらいであった。

 

1124(火)

 毎朝3時頃日が覚める。時差が縮まってこない。昨日の日記をつけるのがこの時間の仕事となる。

 朝、Gordonのピックアップで、会社へ。まず事務棟へ行き、レンタカーを貰う。ちょっと大きなシボレーである。

 午前中は生化学部のDrK.に会う。彼は以前私が留学していたProfBitenskyの研究室でボスドク(PostdoctoralFcllow)をしていたとのことである。

 早めに今日の予定が終了したので夕方のGordonとの夕食まで、レンタカーでMacy'sの入っているショッピングモールへ行ってみる。ホテルから見える距離なのに間に高速道路があるためにたどり着くのが大変。 Dunberryはたいして大きな町ともおもえないのに、100店以上入っていそうな巨大なショッピングモールである。駐車場も広大で迷いそう。Thanksgivingのセール中で混雑している。地図と写真集を買う。帰りにまたまた迷い、ホテルへ帰り着くのに1時間以上かかり、Gordon夫妻を待たせてしまう。

 町中のイタリアンレストランでディナー。Appetizerのイカとムール貝が美味。Main dishもシーフードをとり、カリフォルニアの白ワインを楽しむ。

 奥さんのBarbaraは元英語教師。二人ともシドニー育ちで、英国、カナダ、米国と転々としてきたとのこと。道理でGordonにはひどいオーストラリア訛りがあるわけだ。子供は2185才の三人、上の娘は現在オーストラリアで乗馬の教師をしているらしい。Gordonは釣などアウトドアの趣味を持っているようだが、Barbamはいいホテルでゆっくりする方がいいと言う。なんとなく我が家の事情と似ている。その他、文学の話などを楽しむ。

 

1125(水)

 730朝食。8:00 カンパニーカーのピックアップでBrewster駅へ。今日からTanksgivingの休暇である。正確には明日からだが、Gordonは子供を連れて今日の昼からBostonへ出かけるとのことで、会社へ行っても仕方がない。Gordonが面倒見られないから、ニューヨークへ遊びに行ってこいとホテルの手配をしてくれた。

 雨ではないが、うっとうしい空模様である。20分ほどで駅へ到着する。7ドル、1時間半ほどでGrand Central(ニューヨーク中央駅)へ到着する。12年ぶりのニューヨークである。Thanksgivingの客で混雑、ここまで来ると日本人も多く見掛ける。5番街を歩きながらホテルへと向う。途中、日本書店でGordonへプレゼントのため、「日本人とユダヤ人」の英訳ペーパーバックを買う。ホテルはCentral Park南通りに画したHelmsley Park Lane Hotelである。部屋は34階。残念ながら公園側ではなく設備もたいしたことはないが、眺めはさすがNew Yorkの真ん中という感じである。一泊160ドルらしいが、Dunberryのホテルもそのままにしてきているので二重に泊っていることになるが、誰が払うことになるのか? GordonDunberryのホテルを1日だけチェックアウトしようかと相談すると、そんな面倒臭いことはやめておけと言われた。ちょっと、貧乏性すぎたか。

                セントラルパーク

 Gordonに薦められたミュージカルのチケットをBell Captainに依頼すると、一番難しいことを頼んで来ますねと、大袈裟に肩をすくめた。ここで手に入れようとすると、プレミアがついて倍以上の値段だとのこと。「それより、一人なら直接チケット売り場へ行けばきっとキャンセルがありますよ」というので、そちらをトライすることにする。

 街に出て、スチューベングラスで小さなビーバーの置物、Tifanyで娘のネックレスとトランプ、Royal CopenhagenGeorge Jensenのブローチとタイピンを買う。Hunting Worldを覗くも何も買わず。本物の竹製のフライロッドが185ドルと信じられないほど安かったが、持って帰るのがうっとうしくて諦める。街頭で会社の女の子用にTシャツを大量に買う。トランクに入るか心配。3時ごろ、劇場前のチケット売り場へ行くと、60ドルで手に入った。これは前売りよりも5ドル安い。どうもこの時間はディスカウントになるらしい。ホテルまでブラブラ帰る。

 700 ホテルを出る。街は賑やかである。Martin Beck劇場は8時開演である。前の方のなかなかいい席である。演題は「Guys and Dol1s」、今までで最高に成功したミュージカルの再演ということで、ほぼ満員である。劇場も有名な割りには古臭くて意外に小さいが、それが今日の演題と良くマッチしている。ストーリーは単純でよく解るが、ジョークが解らないのが残念である。周りがドッと笑うのに、キョトンとしているのはバツが悪い。コメディタッチの話で、主演の女性歌手がとても好演、初めてのミュージカル観劇だったが、とても楽しめた。本場のミュージカルはテレビで見る日本のミュージカルに比べるとダンスの迫力が違う。場面の転換が印象的だった。それと踊り子役の女性達の脚線美にもウットリ。11時にバネて、ホテルまで歩いて帰る。

 

1126(木)

 今日はMacy'sのパレードの日である。小雨の中をBroadwayへと歩く。9時前、雨の中であるが、道の両側は既にギッシリの人の波。ようやく間に割り込んでパレードを待つ。

 やがて、テレビ漫画の主人公、スヌーピー、バニー、スパイダーマンなどの巨大なバルーンが現れる。いっせいに歓声が上がる。間に全国から出場のブラスバンドが行進する。雨なのでもう一つきらびやかさに欠ける。ただ大きいだけのバルーンに子供と一緒に歓声を上げてはしゃぐアメリカ人の無邪気さ、単純さには唯々感心するばかりである。テレビか何かの有名人らしいのが通るとまた大歓声である。10時ごろサンタクロースの行進でパレードが終了する。一つのデパートの主催の行事がこれはど全国的に有名になっていることも珍しい現象なのであろうか。

 

 セントラルパークをブラブラしながら、メトロポリタン美術館へ行くが、残念ながら閉館。近代美術館でマチスの特別展をやっているとのことだが、これも閉館だろうと諦める。街を歩くが、大きい店、レストランはみんな閉まっている。歩道には男人たちが時計、一見エルメス風のスカーフの露店を出していたり、インディアンのセーター売り、インチキトランプ博打が並んでいる。けっこう人だかりがしていて商売になっているようだ。

 ホテル近くのレストランで不味いターキーのディナーを食べる。

 4時、カンパニーカーがホテルまで迎えに来る。5時半ごろ、Dunberry帰着。

 

11/27(金)

 今日は、昨日と打って変わって快晴である。早朝、50分程のドライブでNcw Havenへ。Yale大学のFootballスタジアムの前を通って市内へ入る。懐かしい。Temple Medical Centerという新しいビルが出来ているのにビックリする。早速、Prospect St.へ向う。我々が住んでいたアパート、周りの建物も昔のままである。街の中心部、Greenのたたずまいも変わりはない。Church Av.で朝食。

 昨日、電話で約束した時間ちょうど、800に岡田美代さんのアパートを訪れる。部屋のドアを開けて出てきた岡田さんの昔のままの姿に驚く。年令を聞くと89才とのことである。話のしっかりしていること、我が家でのパーティーのことまで憶えておられるのには又々ビックリ。部屋の様子も昔訪れたときのままである。

 岡田さんは戦前から米国に在住されており、戦時中から戦後にかけてYale大学で日本語を教え、また図書館の司書として務められたそうである。退職後もYale大学の日本人留学生の世話をされ、多くの日本人に慕われておられた。

 二人でドライブに出かける。まずYale大学の生協で土産のTシャツを買って、昔、岡田さんと家族で行ったLichfieldへと、美しいNewEndandの田舎を走る。岡田さんにとっても久しぶりのドライブのようだ。Lichfieldは小さな町だが、美しい並木道に沿って、きれいに刈り込んだ芝生の前庭を広く取った家並みは、白いペンキの板壁と黒く縁取りされた窓のNewEnglandの古いスタイルで揃えている。町の中央にある木造の小さい教会もこの町にぴったりと合っている。次いで、会社の辺り、Ridgeheldの町を案内する。この辺りは岡田さんも初めてとのことで、大きな樹木に囲まれた瀟洒な住宅群の中を走りながら「この辺りはNew Yorkのお金持ちが住んでいるので有名な所よ」と興味深そうであった。
 
            エール大学                          New Haven中心にある広場、二つの教会が並んでいる

    
       岡田美代さん                     Lichifieldの教会

 Merrit Park Wayを通って、New Havenの隣町Hamdenに帰り着く。昔、毎週末出かけたHamden Mallへ立ち寄るが店は大分変わっているようで、Natural Foodsの店も、JC Pennyも消えてしまっている。懐かしいStopShopでアップルサイダーを買う。

 Sleeping Giant州立公園の麓をドライブしてから、日本食の“Hama”というレストランへ。寿司と刺し身で夕食。なかなか美味しい。近年はNew Havenにも日本食レストランが数軒あるとのことである。

 7時頃、岡田さんと別れる。岡田さんも近年はYale大学留学生との付き合いがあまりないようで、淋しい生活をされている様子である。今回の訪問、ドライブを大変悦んで頂いた。

 

1128(土)

 本日も天候良好。I84を東へ向う。ハドソン河の辺りは霧が深い。12年前の深夜、ワシントンからの帰り、ペンシルバニア方面から濃霧の中この道をハドソン河に向って下ったときのことを思い出す。あの時は、わずか10米か20米しか視界のない中をソロソロ下って行くが、傍らを車が猛スピードで追い抜いていくので、追突されないかとヒヤヒヤであった。

 ペンシルバニアへと上って行き、Port JarvisからDelaware Water Gapへ向う。Delaware河周辺は、銃を持ったハンターが一杯ウロウロしている。犬に車を引かせて、犬ぞりの訓練をしている。Delaware Water Gapは川が山脈を分断している地形がよく観察できるが、スケールは我が故郷、吉野川が四国山地を横断しているところの方がずっと雄大である。I80I380I84と辿って再びNewYotk州へ帰る。MiddletownI84をおりて、LivertyからClaryvilleへ。ここからCatskillの山中に入る。この辺りは、新緑か、黄葉の季節にもう一度訪れたいところである。清流に沿っての山道をドライブする。車はほとんど見えない。
 
              Delaware water gap                                    Cat's Killの渓流

 やがて両側を崖に挟まれた峠に出る。濃緑の水を湛えた小さな池。「アレッ、ここはたしか前に来たことがある」。地図を調べてみると、やはりHunter山の麓である。12年前の早春、一人でCatskillの最高峰、雪のHunter山をハイキングしたとき、ここに下ってきたのだ。すっかり葉を落とした広葉樹林の中の散策は日本のクヌギ林を歩いているのではと錯覚するほどであった。あれはちょうどThree Mile原発の事故があった日で、車のラジオが“Three MileThree Mile”とさかんに連呼していたが、アメリカに来て間もない私には何のことかさっぱり判らなかった。

                  Hunters moutain

 23号線でCatskillからHudson川へと下る。薄暮の中の広大な景色。大きすぎてカメラには収められない。Hudson川を越えて、そのままマサチューセッツ州に入り、南下してDunberryに帰る。6:30

 今日のドライブは300マイルほどであった。

 

1129(日)

 今日はThanksgivingの最後の日である。朝食後、Ridgefieldの町をゆっくりとドライブする。一昨日訪れたLichfieldほどではないが、ここもなかなか美しい町である。隣はすぐにNew York州のWestchester郡で、ここも金持ちが多いので有名な所らしい。

 近くのPutnum Memorial Parkを散歩する。ここは独立戦争当時、Putnum将軍が冬営した場所とのこと。落ち葉を踏む感触と頬にあたる寒気が快い。


 Ridgefieldの町中にあるAldrich Contemporary Museumを訪ねる。塑像が主で、中でもHuntの周囲を取り去って流水だけを固体化したブロンズが面白かった。

 

1130(月)

 久しぶりの出社。GordonNewYorkで買った「ユダヤ人と日本人」を渡すと、少し色をなした様子で「私をユダヤ人だと思ったのか」と言う。いやいや、単に日本と西洋の比較文化論として優れた本だと説明すると悦んで受け取ってくれた。

 一日、仕事である。

 午後、Yale大学の教授のセミナーを聞く。ここでは毎日のようにセミナーが開かれている。その意味では、我が社の中ではもっともアカデミックな雰囲気を持った研究所と云える。もっとも、今日の話の内容はあまり面白くなかったが。

 早めに仕事が終わり、ShoppingMal1をブラブラする。ここにはMacySJCPenJlySearsGFoxともう一つの5つのデパートと100近い店が入っているこの州きっての大きいMallとのことである。しかし、たいして高級なものはない様子。

 RayJeffMeret3人の研究員と夕食にMall近くのChuckssteakHouseへゆく。Steamed Clamappetizerにして、Rib Steakを注文する。両方とも大変美味しかったが、ステーキは大きすぎて半分しか食べられなかった。

 Ray3人子供がいるが、離婚しているとのことである。週末は大体、子供と会うらしい。

 

121(火)

 一日仕事。他は特記事項なし。

 夜は、数人の研究者とEast Redding駅前のイタリアレストランへ。味はたいしたことなかった。

 

122(水)

 今日も、一日仕事。DrKishimotoと研究の話をする。彼は二世で、お父さんはカルフォルニア大学San Diego校の神経化学の教授らしいが、日本語はまったく喋れない。彼のグループはICAMの研究をやっていて、グループヘッドはICAMの発見者だとのこと。

 夜は、研究員のCraigBrookfieldのイタリアレストランへ。Appetizerはムール貝だが、砂が多くてBiberachはどの感激はなかった。次にとった、Lobster入りの素麺のように細いヌードルは旨かった。

 

123(木)

 今日はいよいよ、最後の日である。8時から、仕事。9時から、ユトレヒト大学のNajcamp教授のセミナー。

 午後も、いろんな部局を訪問する。

 薬理学部員一同、その他世話になった人達にGoodbyeをいって、レンタカーを返す。Gordonの車で、またChuck's Steak Houseへ。Najcamp教授,DrW.も同席する。今日はRam Chop。やわらかくて臭みもなく、美味しい。DrW.は最近、2才の子供を病気で失ったとのことで、元気がなく沈鬱な表情である。

 ホテルでパッキングをする。

 

12/4(金)

 730 リンカーン・マーキュリーでピックアップ。JFK空港へ。来たときと違う道を走っているなと思っていると、Hudson河を渡ってNew Jersey州へ入る。運転手がNew York市内が混雑しているといっていたので、Hudson河対岸を回り道するのかと思っていたら、New Walk空港へ着いてしまった。秘書が渡したメモにNorth West便のつもりで書かれたNW.をNew Walkと勘違いしたとのこと。 慌てて、JFK空港までぶっ飛ばす。“OhStupid Girl”とか、”OhShit”,“OhMy God”などとつぶやきながら、スピードを上げる。こちらは遅れたなら遅れたで、もう一泊New Yorkに泊ればいいさと気楽に構える。それでも出発40分前には到着した。

 お陰で土産を買う間もなく、飛行機へ。