11/2(月)

 710 空港へ。

 900発のStuttgart行き、Fokker 50プロペラ機に乗り込む。雲海の上を西に飛ぶ。スイスの山並みが雪をかぶって美しい。眼下には山の上の牧場がポッカリと雲の上に出ている。

 1040 Stuttgart着。会社から迎えのベンツでBiberach(ビベラッハ)に向かう。空港を出るとすぐにアウトバーンである。車はアウトバーンに入るや、すぐに時速190キロで走る。前の車との車間距離はあまり取っていないので怖い。助手席に座っていると、足は知らず知らずにブレーキを踏む格好になっている。Ulm辺りまでは快晴で、色づいた木々が日に映えて美しい。こんな天気はこの季節珍しいようだ。一時間ほどでBiberachに到着する。研究所で今回の訪問のお世話をしていただくDr.Daemgenと秘書のFrau Pohlの出迎えを受ける。早速、明日よりのスケジュールの打ち合わせをする。

 今日の午後はフリーにしてもらい、研究所の門前にある会社のゲストハウスに旅装を解く。ゲストハウスは二階建てのこぢんまりとした建物で、客室は数室しかない。部屋はシングルルームだが、ゆったりとしていて落ち着ける広さである。ただ、シャワーのみでバスがないが、あまり風呂好きではない小生にはたいして苦にはならない。

 買い物に町へ出る。川沿いの道をブラブラ歩いて、15分ほどで町の中心部に出る。Biberachはドナウ川の支流、Riss川のほとりにあり、正式にはBiberach an der Rissという。帝国都市の一つとして絹織物で栄えた歴史を持っているとのことであるが、現在は人口23万で、我が社ともう一つ機械工業の会社が大きな企業らしい。中心部は古い町並みを保存しており、教会の前のマルクト広場周辺の家々、旧市庁舎などが古い町の面影を残している。町に接する丘の上には城壁も残っている。ちょっとした日用品、果物などを買って帰る。

 

  

          Biberachの中心、マルクト広場                                Alte Rathaus (旧町役場)                        旧市街入口の門

 

  

               町を流れるRiss川                           城壁と物見の塔                   城壁から見たBiberachの旧市街

 

 夕方、Dr.Daemgenとシュヴァーベン料理の店で食事。BiberachStuttgartを州都とするバーデン・ヴュルテンベルク州の一部、シュヴァーベン地方にあり、ドイツの中でもど田舎中のど田舎と目される地方である。料理は、挽肉を詰めたワンタン風コンソメスープ、肉料理(下にザウワークラウトを敷いて、その上にタマネギ、香料を載せて焼いたステーキ)、付け合わせに手製ヌードル(スペッツェリ)がたくさん、その上に肉汁をたっぷりかけて食べる。旨いには旨いが、塩がきつい。パンにはラード(香料で味付けしているが)を塗って食べる。これを土地の赤ワインで流し込む。腹が一杯になったが、是非にと勧められたリンゴのフライとアイスクリームのデザートを白のデザートワインと一緒に無理に詰め込む。

 シュヴァーベン地方の食事は塩辛い、脂っこい、ビールがぶ飲みといった風で、高血圧、脳卒中が多いそうである。気をつけなくては。

 

11/3(火)

 ゲストハウスの一階広間で朝食。ここは夕食は出来ないが、平日の朝食は食べられる。夫婦の管理人がいて、奥さんが朝食の用意をする。ほとんどがパン、チーズ、ハムなど冷たいもので、手をかけた暖かいものといえば紅茶とゆで卵だけである。これはこの後、どこのホテルでも似たようなものだった。朝、野菜などは全く出ない。管理人はどちらも英語はほとんど出来ず、会話は身振り手振りをまじえてやる。会社はドイツ系であるが共通語は英語なので社内では何とかなるのであるが。

 900 会社に顔を出す。秘書のFrau Pohlがこれからのスケジュールをキッチリ作ってくれている。スケジュールに従って動き出す。

 昼食は会社のキャフェテリアで。

 300 本日の仕事は終了。ゲストハウスに帰り洗濯。地下室に洗濯機がある。

 水のせいか、腹の調子が悪い。そういえば会社で出してくれる紅茶は、水道水で涌かした湯で作るのだが、見ると沈殿物がモロモロと析出している。どうも、ミネラルをいっぱい含んだ硬水らしい。これからは少なくとも自室内ではミネラルウォーターを使おう。

 夜、Mr.Schierock(テクニシャン(技術員)の親玉らしい)の案内で、夜のBiberachを少し歩いてから、イタリアレストランへ。腹具合の悪いことを断って、前菜とパスタのみとする。昨日といい、今夜といい、少々塩分がきつい料理である。ビール、赤、白ワイン、グラッパ(イタリアの葡萄から作る焼酎)と飲む。

 

11/4(水)

 午前中、仕事。

 昼休みに、ゲストハウスの自転車を借りて町に出る。さすがドイツ人用だけに短足の小生ではサドルをいっぱいに下げても足が届きかねる。子供用自転車が欲しいところである。ブレーキが前輪にしか付いていない。変な自転車だと思いながら走っていると、ペダルが逆回りしなくて、逆に回そうとすると後輪にブレーキがかかる。ナルホド、そういう仕掛けになっているのか。この辺りのgeography map(日本の国土地理院の地図に相当するもの)、絵はがき、ジョギングシューズなどを買う。

 夕方、研究員のDr.Guthと夕食。どうもドクター達が持ち回りで接待してくれているようだ。最初の夜と同じレストランである。ビールとシュニッツェルを取る。これはウィーンで食べたものよりはずっと美味だった。

 その後、コンサートに行く。バロック専門のアンサンブルで、チェンバロなどを使用する。あまり面白くなかった。

 

11/5(木)

 一日、仕事。

 Dr. van Meelと夕食。少し郊外のイタリアレストランへ行く。建物はあまり綺麗ではない。サーモンの前菜、ムール貝のスチーム、パイナップルのデザートに白ワイン。量もたっぷりだが味の方も今までのうちで最高だった。特にムール貝、こんな山の中で、旨いムール貝が食べられるとは。(翌年、行ったときはもう潰れてなかった)

 酒が入ると口が軽くなるのは、洋の東西を問わず同じで、やはり酒の肴は上司の悪口。

 

11/6(金)

 出勤前、散歩する。会社はRiss川のほとりの平地にあるが、ゲストハウスから数百メートル歩くと河岸段丘に行き当たる。ここを登ると上の丘陵地帯に出る。畑、牧場、林が混在している。黄葉が美しく、寒気が頬に心地よい。林の中にはヒラタケと思われるキノコがたくさん出ている。

 Dr.Daemgenの好意で、会社の車が借りられるように手配されており、週末はドライブに行くようにとのお勧めである。まあ、持て余されたのだろうが、こちらも週末をどう過ごそうか思案していたところだったので、渡りに舟である。コースまで推薦してくれた。

 100 出発。右側運転は10年ぶりなので、思い出すまで少し怖い思いをする。こちらのドライバーは速い。田舎道でも100キロは出している。

 南下してリヒテンシュタインに向かう。途中、ボーデン湖を見るつもりだったが道を間違えた。この時期のBiberach辺りは雲が多くて、いい天気の日は少ないようだが、南下するにつれて空が晴れてくる。

 またまた、道を間違えた。オーストリアに入りインスブルックに向かうアウトバーンを走っている。この辺りは山が高くなり、アルプスに来たという感じがする。アウトバーンを降りて、さんざんウロウロしてやっとリヒテンシュタインのVaduzに到着する。もう、5時前である。予定では2時間ほどで筈だったのだが。しかし、僅か数時間でドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタインと通ったのはさすがヨーロッパだと感心する。Vaduzの町は土産物屋ばかりで、あまり見るところはない。崖の上には大公の居城が美しく聳えている。

 案内所でB&B(朝食付き民宿)を紹介してもらう。夕食も同じ経営のレストランで取る。

 

11/7(土)

 800 朝食。コンチネンタルスタイルでパンと紅茶のみである。これなら早出した方がよかった。

 ヨーロッパへ来て初めての抜けるような快晴である。大公の城を見ようと坂道を登っていったが、残念ながら非公開である。

 さらに、Vaduzの背後の山の高みへと登ってゆく。Triesenbergの村からの見晴らしは素晴らしい。遙か彼方の平原にはライン川が白く耀き、その向うにアルプスの山並みが連なっている。トンネルを抜けてVaduzと反対側の谷に出る。Steg村である。ここに車を置いて、山歩きの準備をする。軽装であるが、登山靴、小リュックなどは日本から持参してきた。

 トンネルの上の尾根に出る。尾根に出たところで北へ行こうか、南へ縦走しようか迷うが、南の方が景色がよさそうである。あまりに空気が澄んでいて、山が近くに見えるので距離感が狂う。すぐそこに見えるピークでも意外に時間がかかる。

 小さなピークに到達。やっと二人が入れる可愛い小屋がある。中はきれいに掃除してある。傍らには十字架が建ってあり、幟がはためいている。日本だったら、山の祠と行った感じであろうか。この辺りで230センチの積雪であるが、結構湿っぽい雪だ。さらに彼方の高いピーク(Schafboden)には巨大な十字架が望める。こちらでは山頂に十字架を立てる習慣があるようだ。

 1時頃、標高1900mを超えたKulmiというピークに到着。ここから先は、冬山の装備が必要だ。斜面を下り中腹の林道へ出て、駐車した場所までバックする。今日の小ハイキングでは、たった一人だけハイカーと出会った、静かで気持ちのいい山歩きだった。

 

  

       リヒテンシュタイン大公の城                           Triesebergの村                             尾根にある山小屋

 

 

           尾根からの眺め(ライン川)                                      Schafboden方面の山々

 

 

         縦走の終点、Kulmi                               林道を引き返す   

 

 ここからサンモリッツへ向かう。途中、Churまではアウトバーンを走る。150キロと思い切って飛ばしているが、それでもどんどん追い抜かれる。Churからは片側一車線の山道となる。村の中ではやっと車が一台通れるような狭さの所もある。こちらはどんなに頑張っても80キロがせいぜいだが、100キロぐらいのスピードでどんどん後から迫ってくる。気がつくと後には金魚のフンのように10台以上の車が連なっている。さすがにこの山道では追い越せない。適当なところでやり過ごす。こちらは道を知らないせいもあるが、先の見えないカーブではどうしてもブレーキを踏む。しかし彼らはブレーキランプがつかないまま、カーブに突っ込んでゆく。

 サンモリッツの近くの峠(標高2200mぐらい)では、冬近しという感じで、うっすらと雪をかぶり、草木一本もない荒涼たる風景である。写真で見たヒマラヤのようだ。

 

サンモリッツ近くの峠

 

 5時、サンモリッツ到着。今はオフシーズンということで、大きなホテルは全て閉められており、人影もまばらである。もう一二ヶ月もすれば、スキーシーズンなのだが。やっとの事でオープンしているホテルを見つける。こんな事なら、途中の村で、賑やかそうな小さな宿屋が数軒あったのに。

 

11/8(日)

 700 朝食。昼の分までたっぷり食べる。サンモリッツのほとんどの施設はこの時期閉鎖されている。セガンティーニ美術館も見たかったのだが、当然閉まっていた。

 ガソリンを入れたいのだが、セルフのスタンドしか見あたらない。入ってみると、やはり英語の操作説明はない(今なら、大体の見当はつくが、当時は日本にセルフのスタンドなんかなかった)。20フラン入れてあれこれ適当にやってみるがガソリンは出てこず、お金も返ってこないままガチャンと切れてしまった。もう一度トライする勇気もなく、心細いまま出発する。アー、やっと有人のスタンドがあった。ヤレヤレ。この20フランは後日、日本から手紙を書いて返してもらった。

 川沿いにイタリアへと下ってゆく。途中の村の佇まいが何とも言えず良い。不揃いの天然のスレートを無造作に置いた屋根と石の壁の民家。道路も村の中では石畳となる。

 やがて、コモ湖に出る。濃霧である。西岸をしばらく走るが、何も見えない。

 ベルニナ山(4055m)の南麓を東へと走る。日当たりの良い山の岩だらけの斜面に石垣を積んで、そこに石ころだらけの僅かな土を溜めて、やっと畑にしている。何代にもわたる農家の苦労がしのばれる風景である。

 

 

霧のコモ湖                                        ベルニナ山麓のブドウ畑

 

 山の中腹のずいぶん高いところに村(Bgulio in Monte?)が見える。何かゆかしいものが感じられ、登ってみることにする。九十九折りの道を上ってゆく。辺りはブドウ畑である。途中、何十年も使い古したような小さなオート三輪が野菜をいっぱいに積んでノロノロ走っているのを追い越す。やがて道は村へは行って行き止まりとなる。今日は日曜日なので正装した人々、楽隊が教会に集まっている。何百年も続いているであろう光景にしばらく見とれる。南に目をやると、コモ湖に流れ込むアッダ川に沿った小さな平野の向う側に雪を頂いたオロビエアルプス山群が眺められる。

 

 

活躍中の古いオート三輪                            教会に集まる人々

 

 

オロビエアルプスを眺める                                村の風景

 

 SondorioTiranoとアッダ川を遡り、Bormioに到る。ここからスイス・エンガディン渓谷へ峠越えをしようと上ってゆくと、通行止めである。峠は標高2700m以上あり、もう雪なのだろう。これでは、サンモリッツへの峠越えも不通だろう。手持ちの地図には他の道は載っていない。さて困った。同じ道を引き返すのも気が進まない。Bormioへ引き返し、道を尋ねるも全く英語が通じない。警察でも駄目(アパートの一室がオフィスだった)。近くのレストランへ行けといわれる。ここでやっと話が通じる。Livignoという村からスイスへ抜けられるらしい。ほっとすると急に空腹を感じ、パスタだけを注文する。なにせ今日中にBiberachに帰らなければならないのに、もう午後になっている。ゆっくり食事などしている暇はない。Pizzocheriという蕎麦粉のパスタに溶かしたチーズがたっぷりかかったのが出てきた。珍しいものではあるが、日本風の蕎麦に慣れたものには歯にネチャネチャして決して美味なものではなかった。

 Livgnoへの標高2300mの峠を越える。雪の中の峠は壮観である。Livignoは小さな村であるが、牧草地に数百台の車が止まり、たくさんのテントに人がたむろしている。何かの祭りかなと思うが、立ち寄ってみる暇はない(ドイツに帰って話題にすると、フリーマーケットではないかとのこと)。Livignoはもうエンガディン渓谷を形成するイン川の流域でイタリア最奥の村である。その下流に新しいダムが出来ており、そこからトンネルでスイスへ抜けられる。

 

  

Bormio辺りの眺め                            Livignoへ越える峠                                   Livignoの景色

 

 スイスエンガディン渓谷、午後3時。

 上流へ行くとサンモリッツへ戻るが、下流へと向かう。ZemezSuschScuolなどの町を経由する。所々に美しい城が見える。渓谷も清流で綺麗である。まるで安野光雅の絵本の中を走っているような気分である。山道であるが、交通はほとんどなく、ぶっ飛ばす。カーブを曲がると、突然、国境。危うく検問所に突っ込むところだった。警備員に怪しまれて、トランクまで開けさせられる。

 エンガディン渓谷をさらに下り、インスブルック方面から西に向かう国道に入る。峠を長いトンネルで越えると、再びスイス。ドイツへ向かうアウトバーンに入る。6時頃、ドイツへ入る。3時間でイタリア、スイス、オーストリア、ドイツと通ったことになる。これで各国通貨が異なるから旅行者は面倒である(当時、ユーロはまだなかった)。

 真っ暗になって帰路を急いでいるとき、危うく交通事故を起しかけた。片側2車線のアウトバーンが終わり、片側一車線の国道に下りた直後、前の車を追い越した。当然、左側から追い越す。日本人であるから左側走行に慣れているのと、直前まで走っていたアウトバーンの追い越し車線を走っている気分で、そのまま左車線(対向車線)を走り続けた。安心した状態で走り続けていると、突然前方でパッシングライトの点滅。アッと気がつき、急ハンドルを切る。間一髪だった。背筋が寒くなる。

 その後も道に迷いながら、Biberachに帰着する。今日の一日は長かった。

 今回は、全部で1000キロほどのドライブだった。