11/9(月)

 昨夜は、長時間の運転と、事故を起しかかったショックでよく寝られなかった。

 今日は、一日まじめに仕事。

 夕食は二人のDr.に連れられて、町中の中華料理店へ。Biberachに中華料理店は2軒あるが、日本料理店はまだないとのことである。一人のDr.は日本に興味を持っており、日本茶が大好きとのことである。Biberachを去るときには、持参の日本茶ティーバックを残してゆこう。

 彼が通っている日本語教室の教科書を見せてくれる。群馬大学医学部教授(当時)の書いた「ビベラッハ滞在記」である。昔、我が社はドイツの研究所に日本人医学研究者を留学生(Postdoctorial fellow)として受け入れていた。何人かの薬理学者が留学していたことは知っていたが、白倉教授のことは初耳である。早速、借りて帰って読む。白倉教授は1965-67年に滞在されていたとのことで、ツェッペリン伯爵との出会いなど興味深い話が多い。

 

11/10(火)

 630 起床。シャワーを浴びる。そろそろ風呂が恋しくなってきた。

 700 朝食。パン、紅茶、ジュース(グレープフルーツ、オレンジ)、ミルク、ハム、チーズ、ゆで卵、ヨーグルトなど、毎日同じメニューだが、量はたっぷりある。野菜がないのが寂しい。どうもこちらの人間は、食い物は人生の大事ではないと思っているようで、毎日同じものを食べていても平気らしい。夕食を付き合っていても、ゲルマン系の人間は舌がもう一つ鋭くない感じがする。

 900 Prof..Eとミーティング。研究所内にProfessorが数人いるが、こちらのProfessorshipは職業というよりはDoctorの一つ上の称号のようである。ドイツ人は肩書きに結構ナーバスで、称号を二つ持っていると名刺にDr. Dr. 某とか、Prof. Dr. 某などと書いている。もっともこれは企業に勤める研究者だからなのかもしれない。

 同僚とキャフェテリアにて昼食。大きなシュニッツェル(ポーク)にパスタの付け合わせ、スープ、サラダを取る。ドイツ人は伝統的に昼食がディナーであるから、暖かいものをたっぷりと食べる。これだけ取っても会社の補助があるため、日本円で300円位と大変安い。若い人たちのほとんどの家庭は共稼ぎであるが、朝晩が冷たい食事で昼に外で主食を取ってくれるならば、主婦は大変楽だろう。もっとも一時代前までは、多くの従業員は昼には家に帰って食事を摂っていたらしいが。

 夕方、同僚達とまたまたイタリアンレストランのサンタルチアへ。残念ながら、ムール貝は出てしまったとのこと。サーモンを食べる。食事と会話を楽しむ。

 

11/11(水)

 昼休みに町へ買い物に出る。この週末にミュンヘンの稲垣君(大学勤務時代の同僚)を訪問するためのお土産である。最近、出産されたとのことなので子供服にする。田舎町のこととて大したものは見あたらなかったが。ついでに家内から頼まれていたコロン水を買う。安いので、会社の女の子の分も。

 今日はSt. Martinの日とかでマルクト広場にはいっぱいの露天が出ている。あいにくの風雨で冷え冷えとしているが、近在の人々でごった返している。衣類、日用品の行商が多い。この冬の準備の買い物だろう。

 秘書のFrau Pohlにバッタリと出会い、車に乗せて貰って帰る。彼女の話では、カソリック系の人たちは11月1日に墓参りする習慣があるらしい。先日、町を散歩しているとき、墓地に迷い込んだときどの墓もきれいに飾られていたのが目についたが、そのためだったのかと思い当たる。因みにマルクト広場に面した教会はプロテスタント、カソリック共同で使用しているとのことである。

 夕食は同僚に連れられて、郊外の村、Ringschnaitにあるシュベーベン料理の店へ。St. Martinの日で混み合っている。エスカルゴ、ラムを食べる。旨いが、相変わらす、塩辛い。

 

Biberach市内の墓地

 

11/12(木)

 朝、例の如く散歩。丘に登ってみる。晴れ間から日光が林の木の間隠れに射してくる。ここ数日ですっかり寒くなった。先日来の風雨で木の葉もすっかり落ち、急速に冬に向かっているのが感じられる。

 午後、会社附属のテクニシャン(実験技術員)養成の学校を見学する。ドイツのテクニシャンには国家試験・資格制度があり、高校卒業後3年間のコースであるとのこと。従って、日本で云えば、看護師、理学療法士などと同程度の資格であろうか。この学校を出ても、必ずしも我が社に入る義務はなく、どこへでも就職できるとのこと。これもマイスターの伝統の一つであろうか。

 本日で、Biberachでの仕事の予定をほぼ終了した。

 夕方、生化学部長Dr. Mayer 及び部下の研究員とディナー。町中のEberbacher Hof というこの町では最高級のレストランである。昨日のSt. Martin day にはグースが付きものと云うことで、オイスターとグースを取る。これは、先日のムール貝に次いで美味しかった。会話を楽しむ。

 

11/13(金)

 朝749 Biberach 発、Ulm 乗り換えで、935ミュンヘン着。中央駅から地図を頼りに中心街をブラブラしながら、マイセン磁器の専門店を目指す。旧市街には高層ビルはほとんどなく、古い町並みを残そうと努力しているが、やはり繊細の被害が大きかったのか、ウィーンに比べると中途半端である。家内に頼まれていた柿右衛門写しの梅の花のデザインは大きな花瓶しかなく、東洋風の鳥のデザインのデミタスカップとケーキ皿を買う。

 昼頃、稲垣君のアパートを訪ねる。One bed roomだが、新しい建物で内部はきれいである。近くの中華料理屋でヤキソバを食べる。日本と変わらない味である。

 彼の留学先であるMax Plank Institute へ向かう。昼頃から降り出した大粒のボタン雪で街路はたちまち真っ白となる。ここ数日は冬の始まりを感じさせる気候である。ミュンヘンのMax Plank Institute は生化学と神経精神学の二つの部門からなっている。中は普通の分子生物学の研究室で世界中大した差はない。彼の研究室のボスはあいにく不在であったが、小さな fellows room には5人の研究者がひしめきあっている。他の部門に属する日本人2人と挨拶。

 花を買って、奥さんの入院先へ向かう。開業医が寄り合って作った小さな病院で、レジデントがいるとのこと。Oktober Fest の会場のすぐ隣である。奥さんは帝王切開の痕がまだ痛むとのことだが、日本にいたときのままで極めて明るく元気である。赤ちゃんも順調に育っていて、黒い髪の赤ちゃんというのでたいへん珍しがられているらしい。病院の食事が不味いと、旦那にマクドのハンバーガーを買ってくるように頼んでいる。

 夕食は日本料理店「庄屋」へ。居酒屋風で、刺身も結構いける。7時頃には日本人客で賑わっていたのが、9時頃帰ろうとする頃にはほとんどドイツ人客に変わっていた。帰りには雪は止んでいたが相当に寒い。日本の真冬である。

 アパートに帰り、ビールを飲みながら雑談する。

 

11/14(土)

 稲垣君が用意してくれた朝食は、ご飯、味噌汁、目玉焼き、キュウリ、みりん干しと純日本風。

 今日は珍しく快晴である。昨日の雪で町は真っ白。車でまず昨夜「庄屋」で買った太巻き寿司を病院に届けてから、リンダーホフ城に向かう。1時間ほどの南へ向かってのドライブである。ドイツアルプスに近づくと、山々は昨日の雪で真っ白、道路にも雪が残っている。

 リンダーホフ城は雪にすっぽりと包まれていた。意外に小さい。ルードビッヒ王のおもちゃの城といった感じである。中は金ピカで日本人の趣味にはちょっと合わない。外の庭園は全て雪囲いがしてあり、彫刻類は何も見えず、ワグナーの洞窟も雪の中で行くすべもない。全くのシーズンオフである。しかし、周囲の山々は白く耀き見事である。

 近くの Oberammergau の村へ行く。この辺りには修道院が多く、この村も巡礼の村で家々の外壁にはフレスコ画が描かれている。岩山のピークには例の大きな十字架が立っている。

 昼食はチェーン店のWienerwaldであるが、ここのソーセージは旨かった。クリスマス用品専門の店があり、テーブルクロスなどを土産に買う。

 3時頃、ミュンヘンに帰り、稲垣君と別れる。

 Mariene Platz の辺りをブラブラしながら中央駅へ。ホームの売店でシシカバブでビールを飲みながら列車を待つ。IC(急行)でUlmへ。Biberach には8時頃到着。

 

         雪のリンダーホフ城周辺                                                        リンダーホフ城

 

 

                           リンダーホフ城の庭園                                                    Oberammergau の村

 

 

         教会の塔より見た市役所                                                       塔からの眺め

 

11/15(日)

 Biberachでの滞在は17日までの予定であるが、Dr. Daemgenはもうすることがないのであとは適当に遊べという。それで今日明日とFreiburgへ行くことにする。

 800 Bigerachを出発して、Ulmに8時半着。UlmからSchwarzwald(黒い森)を越えてFreiburgへ行くローカル線の列車は1015発である。時間があるので有名な大聖堂を見に行く。日曜日の朝なので、町はひっそりとしている。大聖堂の一部が工事中で足場が組まれている。中へ入ってみる。柱や椅子の小さな木彫りの像が微笑ましい。教会はどこでも立派であるが、ここはとりわけ壮大である。バイオリンとオルガンの伴奏で若い女性が賛美歌を歌っている。透き通るという表現がピッタリのきれいなソプラノである。しばらくの間聞き惚れる。

 Freiburgまではドナウ源流に沿って、4時間の単線、各駅停車の旅である。この辺りまで来ると如何にドナウと雖も小さな流れである。窓からの眺めは田舎の牧歌的な風景である。ドナウ源流の町、Donaueschingenを離れると、列車はSchwarzwaldの中に入って行き、もみの森の中を登ってゆく。黒い森の名の通り、確かに山は黒々としている。

 山の中、Neustadtで乗り換えとなる。ここは避暑地として有名な場所であるが、今は雪である。山を下るにつれて雨となる。

 2時過ぎ、Freiburg着。駅から雨の中を歩く。旧市街に入ると、石畳が雨に濡れて美しい。日曜日で店はほとんど閉まっているが、人々は雨の中傘もささずにウィンドーショッピングを楽しんでいる。教会広場に面したOberkirch Hotelに宿をとる。朝食付きで85DMとまあまあの値段である。夕食は隣のレストランでスパゲッティのみ。今日は昼食を摂る時間もなかった。一人ではいいレストランに入る気になれない。


  

                   Schwarzwaldの駅                     Freiburgのシュバーベン門                ホテルの窓から見た教会の塔

11/16(月)

 ホテルの部屋は狭かったが静かで、窓から教会の塔が見え感じがよかった。今日も天気はあまり良くないが、少なくとも雨は免れそうである。

 町の裏山にあたるSchlossberg(城山?)に登ってみる。ほんの一部に昔のものらしい石垣が残っているが、城を思わせるものは何もない。しかし、ここからの市街の眺めは最高である。この町の印象として残るのは、石畳の通りとここからの眺めであろう。Freiburg大学のメインキャンパスと医学部の辺りを散歩する。メインキャンパスは旧市街の中にあって、建物も昔ながらのものである。一方、医学部は町外れにあり広いキャンパスに建物が散らばっている。

 教会広場の市でSchwarzwaldの木製のクッキーの型を買う。果物売り場で柿を売っているのを見て驚く。札に「Kaki」と書いてあるのを見ると、日本由来であることがわかる。イタリアかスペイン辺りから来ているのだろうか?  昼はここの屋台でソーセージを食べる。旨い!!!

  

             Schlossbergからの眺め                                    Schlossbergからの眺め                         旧市街の通り

 

 町をブラブラして、2時頃の列車で帰ることにする。駅で行き先を告げると、最短のコースと連絡列車をすぐにコンピューターからプリントアウトしてくれる。カールスルーエ、シュテュットガルト、ウルム経由だ。駅員にBiberachと云うと、an der Rissかと聞かれてので、どうももう一つBiberachがあるらしい。

 Ulm駅で夕食。近頃、日本でも見かけるが、いくつかの店がカウンターに料理を陳列してあり、それを買って中央のテーブルで食べる。日曜でも開いていて一人で食事をするのにはうってつけの場所である。

 いよいよ明日がBiberach最後の日である。ゲストハウスで家に送る物の荷造りをする。

 

11/17(火)

 午前、最後の仕事。

 アメリカの研究所から電話が入っていて、ちょうど訪問する時期がThanksgivingにあたっているとのことである。これは迂闊だった。しかしそれなら、あらかじめこちらの予定を連絡したとき知らせてくれれば、予定が変更できたのに。

 午後は世話になったドクター達にお礼とお別れの挨拶に廻る。あいにくDr. Daemgenは出張中で、秘書のFrau Pohlによろしくと伝えて貰う。

 部屋の片付け、荷物の整理、残り物で夕食。

11/18(水)

 10:24 Biberach発、Ulm経由でマインツに14:16着。鉄道はUlmからStuttgartの間でドナウ川流域からライン川支流のネッカー川流域へと、Schwarzwaldに連なるシュバーベンアルプスを越える。列車は急坂をスピードを落して登ってゆく。吹雪で周囲は真っ白である。峠を越えると列車は快走する。ミュンヘンやシュトゥットガルトのような大都市の駅はいわゆるターミナルになっていて、列車は町に突っ込むように駅に入って行き、出て行くときは逆向きに走り出す。ハイデルベルグ辺りでネッカー川はライン本流と合流する。車窓から見えるライン川は満々と水を湛えて流れている。

 マインツ駅にはドイツ本社駐在の由良君が迎えに来てくれていた。タクシーでホテルへ。ホテルはマインツ郊外で本社のある村との中間の農地の中にある。Hotel Kurmainzは後宮リゾートホテルのようで、白い瀟洒な建物である。ロビーにゴルバチョフ大統領の写真が飾ってあるのを見ると、彼はここに泊ったことがあるようだ。

 部屋はゆったりとしていて、大きなダブルベッドルームだ。久しぶりのバスにゆったりと浸る。

 由良君の案内でマインツ市内にある只一軒の日本レストラン「kappa」へ。奥さんが日本人とのことであるが、料理は日本料理やら中華料理やらよく解らない。

11/19(木)

 一日、本社の研究所を案内される。研究機能がBiberachのほうへ集中されつつあるため、こちらは少し寂しい感じがする。

 午後、夕食までの間、ホテルに帰って休憩を取る。リゾートホテルだけあって、小さいながら室内プール、スチームバス、サウナなどが付いている。サウナに入っていると、178歳ぐらいの美少女がこれまたハンサムな少年と一緒に入ってきた。目の前の棚に横になると纏っていたタオルをハラリとひろげる。薄暗いけれども目の前である。ドイツのサウナは混浴なんだ、ドイツ人は裸が平気なんだと納得する。

 夕食は部長のProf. Jenneweinの案内で、車で20分ほど走ったWiesbaden市内の最高級ホテルHassauer Hof内にあるレストランOrangerieでとる。野生のキジ料理である。この時期はジビエ料理が人気である。ワインを注いでくれるウェイトレスのしぐさが可愛い。十分に満腹する。

 WiesbadenFrankfurtを含むヘッセン州の州都であり、町の中央に70℃の湯が湧く温泉町でもある。ロシア革命の頃はロシアからの亡命貴族がたむろしていたらしい。カジノがあり全てが大変expensiveな所であるが、街は非常に美しい。

11/20(金)

 午前、午後とも各研究者と面談する。

 昼はドクター達と会社のキャフェテリアへ。ここもBiberachと同様に立派な食堂で、食べ物もたっぷりある。

 夕方は由良君の案内でライン河畔のリューデスハイムへ。彼の行きつけの居酒屋へはいる。ここで初めてアイスバインにありつける。いまはシーズンオフでこの店も前の通りもひっそりとしているが、夏にはぎっしりの人混みとなるらしい。この店もなかなか雰囲気のいい店である。亭主がオルガンを弾いて、民族衣装の女将さんがサービスをしてくれる。

 

リューデスハイム:居酒屋の前で                                              女将と大将

 

 由良君は昨年からドイツ駐在だが、最初の2ヶ月はゲーテ協会でドイツ語の研修を受けたとのことである。まじめな好感の持てる青年である。ヨットが趣味でオリンピック強化選手になったこともあるとのこと。

 

11/21(土)

 今日は由良君一家とピクニックである。奥さん、あやちゃん(5、6歳)とけいくん(3、4歳)。可愛くて元気な子供達である。「我が子もこれぐらいの時があったなー」と感慨しきりである。

 ライン川左岸を下流へ。シェーンブルグ城、カッツ城を眺めて、フェリーで対岸に渡りローレライの上へ。眺めは素晴らしい。タウナス丘陵にあるリゾートホテルの前に車を停めて、一家とハイキング。Pony Hofにて、子供達はポニーに乗る。大喜びの子供達、小父ちゃんは馬の口を取ってやる。

 数キロぐらいは歩いた。途中リューデスハイムの上にある普仏戦争勝利記念碑から見たラインの眺めも印象に残る。

  

            シェーンブルグ城からの眺め                                ローレライからの眺め                        ローレライの上で

 

 5時、ホテルに帰る。由良君に一昨日のサウナでの経験を話すと、「そうなんです、だから家内は絶対にサウナへは行きません。今日は週末ですからきっと一杯いますよ。」「オオ、そうか」と早速サウナへ入るが、残念ながら誰もいなかった。

 ホテルのレストランで料理のオーダーをしていると、日本の同僚、梅本さんがドイツ人と現れ、一緒に食事を取る。

 明日はアメリカへ出発である。