1992年3月、長年勤務した大学を辞職し、兵庫県にある製薬会社に研究所の研究職として入社した。会社はドイツを本拠とする製薬メーカーの日本法人であるが、規模としては世界的に見て中堅企業というところであろうか。
 その年の秋、世界に分散している研究所を訪問して、視察、交流せよとの出張命令によって、オーストリア、ドイツ、アメリカを約一ヶ月の日程で廻ってきた。
 これは、その時の仕事の話は抜きにしての見聞記である。

10/29
(木)
 早朝5:30、ルフトハンザ機にてフランクフルト着。まだ外は暗く、エアポート内もひっそりとしている。ウィーンへの便は3時間後である。今日のウィーン研究所でのミーティングの予習をする。
 835 エアバスにてウィーンへ出発。ジャンボ機の後では小さく感じられる。この日、フランクフルトは小雨、日本の11月下旬のような感じで風も強い。飛行中、一部雲が切れて下界が望める。一面の丘陵地帯は畑で掩われ、所々に森があり、また町が点在している。日本に比して食糧の自給率が高いのは当然という気がする。
 一時間少々の飛行でウィーンに到着する。空港はヨーロッパのハブ空港であるフランクフルトに比べると閑散としている。入国、税関はノーチェックである。会社差し回しのタクシーにてRamada Hotelへ。部屋は小さいながら感じのいいホテルである。

 一日、研究所にて所内の見学と研究者から研究内容の説明を受ける。

 研究内容の理解と、時差のせいですっかり疲れる。夕食の誘いも断って、ホテルへ帰る。ホテルの前のNordsee(北海)をいう海鮮料理のチェーンレストランでパエリアとビールで簡単な夕食を取って、早々に寝る。

10/30
(金)
 8:30 近くのシェーンブルン宮殿まで散歩する。門を入って、中の広いことにビックリ。庭園の林を辿って、丘の上のマリア・テレジアの記念碑まで登る。素晴らしい見晴らし、黄色の宮殿、森の紅葉も見事である。日本人の新婚さんもチラホラ見える。会社からのピックアップの時間が迫っているのでいそいでホテルに戻る。

 

午前中、研究者達とディスカッション。

 11時頃になると、テクニシャンはみな帰ってしまって、研究所内は空っぽになる。週に2.5日の休日という感じである。聞くとどの部門も人手不足で困っているということである。
 昼食は副所長のDr.Adolfと日本から長期出張中の杉山君とイタリアレストランへ。ラザーニアを食べる。なかなかの味である。
 食後、杉山君の案内で市内へ出る。何はともあれ、家内から依頼されている買い物を片付けないとゆっくり出来ない。まずはホテル・ザッハー。小さいが瀟洒で格式が高そうな感じ。中の菓子売り場でザッハートルテを買う。値段よりも日本への送料が高いので少し躊躇するがやむを得ない。2個買って発送させが、送料は2個分かかる。後で聞いたところ、家内は当時通っていた某ホテルの菓子作り教室へ1個持参して、シェフや仲間とたっぷりクリームをかけて食べたそうである。美味しさに感激したとのことであるから、苦労は報われたか。
 次の注文はヘレンデの磁器。陶磁器やガラス食器が美しく飾られたロープマイヤーという店を覗く。ヘレンデがいっぱい並んでいる。カカオカップとデザート皿を1個ずつ買う。日本よりは大分安いようである。
 次いで、アルビンデンクなる店を覗いて、マイセンの磁器を探すも希望のものはなし。
 地図の店を見つけて、この週末歩く予定のウィーンの森の地形図を買う。地形図はスイスのものには大分劣る出来である。
 夕方、Dr.Adolf、杉山君とウィーンの南、バーデン近くのGumpoldskirchenまでドライブする。ウィーンの森山裾の町で、1500年代の家々が立ち並び、石畳の路が美しい。路の凹みを綺麗な水が流れている。古い教会、ホイリゲ(居酒屋)が並んでおり、中から民謡、アコーディオン、楽しそうな談笑が聞こえてくる。そのうちの一軒、Alte Reichhausに入る。ここもやはり1500年代に造られた家で、もともとはワイン作りの工場であったそうだ。倉庫のような建物である。シュトルム(嵐?)という発酵途中のワインとジュースの中間のような甘ったるい飲み物からスタート。ちょっと見にはアップルサイダーのようであるが、結構悪酔いしそうである。メインはアヒルのグリルしたもので一人前半羽とボリュームたっぷり、その他、チーズの盛り合わせ、野菜の煮物(赤キャベツ、レンズ豆、ザウアークラウトなど)、パンととても食べきれなかったが、とにかく旨かった。三人前で日本円に換算して10,000円ちょっとだとのこと。
 すっかり満腹して、帰りの車の中ではついウトウトしてしまった。

10/31
(土)
 今日から、この出張で楽しみにしていたウィーンでの週末である。杉山君が案内を申し出てくれたのだが、気楽に歩き回りたいのでお断りした。
 8:30 朝食後、しっかり歩くつもりなので、用意してきた登山靴を履いてホテルを出発する。外はこの時期のウィーンに典型的な曇り空に霧雨で、気温は6Swedenplatzまで地下鉄。旧市街をブラブラしながらSt.Stephansdomに向かう。ヨーロッパの偉大なる田舎町といわれるのがなるほどと思われる。華やかであるが何か活気がない感じである。
 途中、釣具屋を見かけたので入ってみる。鱒用のルアーを数個買う。主人が、日本人と見て話しかけてくる。日本独特の鮎釣りについて聞いたことがあるらしく質問してくる。そこで友釣りについて講釈を垂れる。
 St.Stephansdomでは当然塔の上まで狭い螺旋階段を登ってみる。結構息が切れる。上から見ると、この教会の屋根の模様が美しい。
 家内から頼まれた買い物が終了していないのが気になり、どうしても陶磁器の店に目が行く。アルビンデンク、アウガルテン、ローゼンタールなどの店を覗きながら、ガイドブックに出ているマリア・テレジアの棺が安置されたカプツィーナ教会に来る。入口は小さく、ドアは閉められていてちょっと見には教会とは思われない。狭い廊下を地下へと入って行くとムッとするほどかび臭い。薄暗い中に、マリア・テレジアの巨大な金属製の棺桶がデンと鎮座している。周りに数十個の柩が並んでいるのは、日本人にとっては異様な世界へ入り込んだ気がする。
 Hofburgでは、まず今夜のコンサート会場であるFestsaalの場所を確認してから、美術史博物館へ。真っ先に最上階のブリューゲル。実物の農民のダンスや結婚式の絵にすっかり感激する。別室のレンブラントの自画像やフェルメールも良かった。これだけ見れば十分と、後は駆け抜けるように通り過ぎる。
 次はタクシーでBelvedere宮殿に向かう。外装工事中で建物は見栄えがしない。庭園もシェーンブルンを見た後ではどこに出もあるようなものとしか思えない。中には入るとさすがにクリムトの華麗さに引きつけられる。日本人のクリムト好きは彼の絵の金彩を使った装飾画的部分にあるのだろうが、それだけが彼の絵の本質かどうか。残念ながら「接吻」は展示されていなかった。しかし、少女の横顔の絵が美しかった。その他、シーレ、ムンク、セガンティーニなどの絵を鑑賞する。



 電車で街の中心に帰り、Stadtparkを散歩して、着替えにホテルに帰る。
 630 ホテルを出て、夕食。名前に惹かれてWienerwaldというチェーンレストランに入る。一人だとどうしてもお手軽な店に入るようになる。ウィンナーシュニツェルを注文する。なんだこれは! 単なるカツレツではないか。ハムのような薄切りの豚肉のカツが皿一杯の大きさで出てくる。全然旨くない。
 800 HofburgFestsaalへ。コンサートの切符はDr.Aが買っていてくれていた。会場は演奏会専用といった感じではなく、大きなダンスホールのようである。天井、壁の装飾はハプスブルグ宮廷の栄華を忍ばせるに十分な豪華さである。「ワルツ、オペレッタの夕べ」ということで軽いものばかりだが、ユーモア溢れる演奏ですっかり楽しんだ。ソプラノ歌手は日本人が登場、なかなか上手なようで盛んな拍手を浴びていた。時差のため、途中から目を開けていられなくなり、半分はウトウトしながら聞いていた。

11/01
(日)
 今日は一日Wienerwald(ウィーンの森)ハイキング。この時期には珍しく快晴である。たとえ雨でも歩き通す覚悟であったが、やはり晴れは嬉しい。
 755 ウィーン西駅から列車に乗って真西に向かい、Purkersdorf-Gablitzで下車。ここから北、さらに東へとウィーン市街を取り巻くWienerwaldを縦走してドナウ河畔に出る予定である。駅前はほんとに田舎の村といった感じである。すぐに登りにかかる。黄葉の中の山道を登ること40分ほどでBuchberg山頂に着く。山といってもなだらかな丘陵で、人影もなく全く静かなところである。全山黄葉のなかのブラブラ歩き。寒気が頬に心地よい。
 一山越えたHohewand辺りからハイキング客が多くなる。あまり高低のない楽なコースである。途中のホイリゲで昼食。フランクフルトソーセージでStrumを一杯やる。この辺り下生えがなく、どこでも自由に歩ける。ブナの大木(途中でハイカーの老人に何という木か尋ね、Bucheとノートに書いてもらった)が続く森の中、老夫婦が手を組んで散歩しているのをよく見かける。散歩とはいえみんなお洒落をしている。また、犬を連れたハイカーが多いのにも驚く。そういえば市内の地下鉄でも大きな犬を連れて乗り込んでくる。よく訓練されていて、温和しいのに感心するが。

  

  

 東へと縦走してきて、Leopldsbergで山脈は尽きる。もう眼下にはドナウの大河が流れている。流れを見下ろしながらKahlenbergerdorfへと下る。ここでドナウ河畔に立つ。さすがに大河である。これほど大量の水がこんなに速く流れているのを見るのは初めてである。明治の初め、お傭い外国人の治水技術者が日本の川を見て、「これは川ではなくて、滝だ」といったそうだが、日本人と川というものの概念が違うということが理解できる。一時間ほどブラブラしながら河畔の風景を楽しむ。釣り人がいるのでしばらく眺めるが、一向に釣れない。これは日本でも同じ、見ているときに釣れたためしがない。

  


 4時頃、山脈の麓の丘を越えて、西へ逆戻りしてGrinzingへと向かう。葡萄畑の中の道である。すっかり暗くなって到着する。Grinzingはホイリゲで有名なウィーン郊外の街で、夕食はここでと決めていたのだが、一人で知らない町のレストラン、しかも狭い入口の木のドアは締め切ってあるのはなかなか入り難い。しばらくウロウロして、窓から家族が食事をしているのが見えた小さなホイリゲに入る。キャフェテリア形式に料理が並べてあり、肉のロースト、野菜のオーブン焼き、サラダを選び、ワインをグラスで二杯飲む。
 食事が終わる頃、隣の席から誘いの声がかかる。オーストリア人の夫とイギリス人の妻のカップルとウィン大学生のカップルである。この二つのカップルもここで初めて遇ったみたいだ。一緒になって閉店まで飲む。オーストリア人の人懐っこさはかねてから聞いてはいたが実際に経験しようとは。一人ぼっちの私を気にしてか、女好きの男はウェイトレスの女の子を膝に乗せろと云う。しかし、オーストリア人でない私はそこまでくだけられない。

テキスト ボックス: Grinzing入口のキリスト像                              ホイリゲでの歓談   


 閉店後、ウェイトレス(ウィーン大学生アルバイト)も誘って、市内のバーへと繰り出す。今度は私が白ワインのガロン瓶を買う。バーにいた男性(元F3レーサー、国内で7回優勝したとのこと)も加わり、会話が盛り上がる。解散後、例の夫婦にアパートへ来るようにしつこく誘われるが、明朝が早いので断って帰る。帰りの電車は、ウェイトレスと同じだったが、酔っぱらっていた私は何をしゃべったことやら。