まず、アタチュルク(ケマル・パシャ)のことから書こう。

16世紀、隆盛を誇ったオスマントルコも20世紀までに次々とその版図を狭められていた。そして最後に第一次世界大戦ではドイツ側に付いて敗戦し、帝国は滅亡する。そして現在のトルコの領土も分割統治の危機に迫られる。このとき、独立闘争を指導したのがアタチュルクである。トルコ共和国初代大統領となったアタチュルクは政教分離政策を強力に推し進めた。本来イスラム教はその教義の中に政治が含まれているが、彼はトルコ近代化のためには政治からイスラムの影響を排除することが必要と考え、過激なほどに政教分離を推進した。

トルコ国民にとってアタチュルクは英雄であり、その影響力は現在でも絶大である。トルコでもイスラム原理主義の影響が強いが、その流れに対抗しているのがトルコ国民の中に生きるアタチュルクの思想である。

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時、トルコ航空エアバスA320にてイスタンブールに向かう。今回のツアー一行は添乗員T嬢とツアー客10名である。機内は満席。

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深夜の便であるから、窓からは何も見えない。ただ、天の川、さそり座輝いているのみである。テレビ画面の飛行軌跡で中国、アラル海、カスピ海からトルコ上空に入ったのを確認する。

イスタンブール着。空港内にあまり民族色は見られない。                                

8時、イズミールに向かう。飛行機はマルマラ海を南下し、陸地を横切り、エーゲ海に入りイズミール空港に着陸する。約1時間の飛行である。

空港でガイドのシナン氏と対面する。30代半ばの眉の濃い好青年である。東部黒海沿岸出身で、アンカラ大学の観光学部を卒業して、日本にも2年ほど住んでいたことがあるとのことであり、流暢な日本語を話す。

バスで空港からイズミール市を迂回して海岸を100kmほど北上して、ベルガマを目指す。イズミール郊外には新しい高層住宅と古い粗末な住宅が混じりあっている。古いのはほとんどが「ゲシゴンド?(夜のうちに建てられた)」といわれる不法建築らしい。窓外に見る建物、人々にもあまり民族色らしいものは見られない。ヨーロッパと変わらない。ターバン、トルコ帽といったものは、アタチュルクが禁止したこともあってあまり着用されないらしい。女性も老人を除いて自由な服装が多い。

エーゲ海が青い。桃、ブドウの果樹園がひろがる。それ以外の木はほとんどオリーブと松である。路傍には赤いヒナゲシ、黄色の菜の花(マスタードかカラシナ?)など色とりどりの草花が咲いて目を楽しませてくれる。

ガソリンスタンドでトイレ休憩。ガソリンの値段を見て驚いた。1リットル300円近い。それでもこの広大な国では車は必需品か、交通量は少なくない。食料品の値段は安いが、消費税は18%で生活は苦しいとはシナン氏の弁。

2時間ほどでベルガマに到着。まず、小高い丘の上にあるアスクレピオン遺跡に向かう。ギリシャ神話の医神、アスクレピオスの名を冠したこの場所はギリシャ・ローマ時代のメディカルセンターである。参道を進むと図書館、劇場があり、地下道を通って治療棟へと続く。瞑想と暗示を中心とした治療だったらしい。見上げるとアクロポリスの建つ小山が眺められる。

昼食後、アクロポリスへと、バスは小山の山腹を登ってゆく。まず、ゼウスの祭壇跡へ。ここには素晴らしいレリーフで飾られた祭壇があったが、ドイツの発掘隊が持ち去った。7年前ベルリンベルガモン博物館で見たのが感慨深く思い出される。続いて、大劇場に出る。座席の斜度は大変急で眼下にベルガマの市街、アスクレピオンが見渡せる。目を閉じて、昔ここに響き渡った喝采を想像する。日差しは強いが五月の風が快い。神殿の土台を形成するアーチを通り抜けると、青空に純白の大理石の列柱が並ぶトラヤヌス神殿に出る。赤いヒナゲシ、白い柱、青空の対比が息を呑むほど美しい。

もとの道をイズミールへ引き返し、港のシーフードレストランで夕食。黒鯛の焼いたのがメインディッシュ。味はまあまあ。エジプトもそうであったが、イスラム圏は酒が高い。ビール小瓶、グラスワインが1,000円程もする。

港に面したホテルに入る。さすがに疲れた。

 

 

 

 機上から見るエーゲ海

 路傍の花 ヒナゲシとカラシナ?

 

 アスクレピオン:参道

 アスクレピオン:図書館と音楽堂

 アスクレピオン:治療棟

 

 

 アクロポリスの丘

 アクロポリス:大劇場

 アクロポリス:トラヤヌス神殿

 

 

 シーフードレストランの陳列


5/17
早朝の散歩。イズミールはトルコ第三の都市である。港湾と工業で栄えているらしい。波止場には独立の時ここを占領していたギリシャ軍を激戦の末撃退した記念碑が建っている。港の通りに一列に並ぶビルは実に薄い壁で互いに支え合って建っている。シナン氏の話では、トルコは活断層の上にある国で最近では1999年に死者2万人近い地震が起きていて、近い将来必ず又大地震が起きるとのこと。ちょっと心配である。

 

 

 港の戦勝記念碑

 ビルの間の工事:支えを入れている

今日はエフェソス観光である。ローマ時代、エーゲ海沿岸に栄えた主要都市の一つで当時人口20万人を数えたと云われ、クレオパトラも訪れたらしい。

イズミールから一時間ほどでセルチュクの町に入り、郊外の遺跡に向かう。昨日のベルガマは静かな場所であったが、ここは観光客が多い。トルコの修学旅行か、遠足の生徒たちも一杯である。今日も暑い。強い日差しがシャツを突き抜けて肌を刺す。上の町から下る通り(当時のこの町の銀座通りか)は砂塵が揚がるほどの人通りだ。この遺跡は人々の生活の跡でありそれはそれでとても興味深いが、エジプトのルクソールのような壮大さはない。ここの図書館跡(アレクサンドリアのものに次ぐといわれた)、大劇場はそれでもこの町の繁栄を偲ばせるものがある。

セルチュクの町に帰り、昼食後、博物館を見学。

一路、パムッカレに向かう。道路の南側には雪をかぶった山々が連なる。あの辺りへ行くとレバノン杉が見られるそうだ。

今日のホテルはパムッカレ石灰棚近くの温泉リゾートホテル。早速、露天風呂(プール)で一泳ぎする。噴泉塔から湯が吹き出ている。

 セルチュクの町のコウノトリ

 エフェソスの大通り

 公衆便所:用を足しながら雑談したのかな?

 図書館跡

 大劇場

パムッカレ: リゾートホテルの露天風呂


5/18
朝一番に石灰棚見学に向かう。バスは丘を登ってゆく。ヒエラポリスの遺跡が見えてくる。ここはベルガモンの支配下にあった大都市だったらしいが、エフェソスに比べるとだいぶ荒廃がひどい、というよりも整備が進んでいないと云うべきか。しかし、それだけにゆっくりと散策すると風情があるような気がする。しかし、今回は遺跡の中に足を踏み入れる時間はない。駐車場から石灰棚に直行する。途中、丘の上の方に劇場跡が見える。

白い石灰華の段々畑。予想に反してほとんどの棚に水がない。温泉が流れているのは一分の棚だけである。雑草が生えている棚もある。どうも一時温泉が枯渇したらしい。以前は、水着で露天風呂のように入ることが出来たらしいが、現在では足湯がせいぜい。石灰棚の規模、景色は中国の黄竜にはるかに劣る。ヒエラポリスの中の林に温泉プールがあり、大勢が泳いでいる。透明な湯が豊かに流れている。ここは楽しそう。

9
30 コンヤに向かう。四、五百キロはある長時間ドライブである。道路は概して良好であり、国の政策としては主要道路は片側二車線にする予定とのことである。日本の約2倍の国土(耕作可能面積はもっと大きいだろう)に7300万の人口という余裕のある国土である。都市近辺以外はただ同然の地価だろう。従ってスピードも一般国道でも時速100km位で走っている。アッ、観光バスがスピード違反で捕まっている。

畑の周りにはポプラ、白樺の高木が多く、気持ちの良さそうな木陰を作っている。平原に入り、鉄道と並行して走るが、列車はめったに通らない。塩湖に沿って走る。苦い海というらしい。湖岸の白い結晶を掘っている。

道が峠にかかり急に美しい湖に出る。エギルディル湖だ。湖畔で昼食。対岸はるかに雪を頂いた美しい山が見える。この辺りは有名なリゾート地のようだ。

 

 ヒエラポリス

 石灰棚

 石灰棚

 

 ヒエラポリスの中の温泉プール

 エギルディル湖

 

峠を下るとさらに平原を走る。ベイシェヒル湖とその向うの雪山。コンヤに近づくと松の植林地でピクニックの家族連れを多く見かける。今日は日曜日だ。やがてコンヤの町にはいる。

コンヤは11-13世紀セルジュク時代の首都であり、旋回舞踏で有名なメブラーナ派の総本山があることで有名な町である。バスから眺める町並みは美しい。人々の服装もイスラム的で何か落ち着いた感じがする。

この日のうちに神学校の彫刻博物館とメブラーナ博物館を見学する。特別な感想はなし。

町外れのホテルの前は大きなショッピングモール。食後、スパーマーケットを見学する。品物は豊富であり、確かに野菜などの食品は安い。

 

 コンヤの人々

 スーパーマーケットにて


5/19
今日はトルコ国内のシルクロードに沿ってカッパドキアに向かう長時間のドライブである。コンヤの町を出ると平原の中を走る。地平線に蜃気楼が浮かぶ。道路は耕作地と荒れ地の中を走っている。水は地下水をくみ上げてスプリンクラーで散布している。荒れ地部分は耕作しても農産物が剰るだけだから作らないとのこと。ポピーの紅や、紫、黄、白の花が咲き乱れている。今は小麦の種まき時期なのか耕作地に緑は少ない。空き地にテントの群れがある。耕作に雇われているジプシーとのこと。

途中の村々にはどこでも喫茶店があり、男どもが集まっている。こういう場所は女性は入れないらしい。来年から公衆の場所は全面的に禁煙となるとのこと。違反者は5000円ほど罰金を取られるらしい。喫茶店に男が集まって煙草なしで居れるかなとシナン氏は首をかしげている。

アーズカラハン隊商宿。昔、シルクロードに沿って約一日行程40kmごとに隊商宿が設けられていた。盗賊を禦ぐためになかなか厳重な作りになっている。今日はアタチュルク記念日(青年とスポーツの日)だ。門前で式典が開かれている。華やかな民族衣装の子供たちが集まっている。門を入ると中庭の周りに冬の部屋、夏の部屋、ラクダの泊まり場があるがラクダの部屋が一番立派だ。

カイマクル地下都市。地下8階まで掘られているらしいが、何とも狭い。大部分は腰をかがめて進まねばならない。常時住んでいたのではなくて、外敵が攻めてきたときの避難場所らしく、普段は倉庫に使われていたようだ。

ウチサヒールの岩峰を見てユルギップの町へ入る。今日と明日の宿は町の丘にある10室ほどの小さな洞窟ホテルだ。部屋は当然窓は少なく薄暗いが、広くよく乾燥していて快適である。ジャグジーバスまでついている。家族経営であるが、廃墟をホテルにしての開業はなかなか大変だったらしい。屋上から町が見渡せる。周りの岩山は穴だらけであり、以前は住宅であったらしいが、今はほとんどが廃墟となっている。

 

 

 ジプシーのテント

 喫茶店のテラス

 隊商宿の前で

 

 

 祝日の記念式典

 隊商宿:ラクダの宿泊所

 

 

 

 売店:目玉のお守り

 地下都市

 ウチサヒール



 ウチサヒール

 洞窟ホテルの部屋

 ユルギップの母子

 

 

 ホテル屋上から見たユルギップ旧市街

 

5/20 

 早朝、一行のうち希望者は熱気球に乗りに出かけた。空からカッパドキアを眺めるのは素晴らしいらしい。我々はホテルの屋上から気球の上がってくるのを眺める。

 今日は一日カッパドキアの観光である。まずはギョレメ野外博物館。ギョレメの村はずれの小さな渓谷にある洞窟のキリスト教会群である。カッパドキアの地形はエルジェス山(3916m)の火山灰が堆積したもので柔らかい層と堅い層が混じったために出来たもので、洞窟なども簡単に掘れる。それぞれの教会は小さな洞窟であるが、中に素晴らしいフレスコ画が描かれている。現在トルコ国民の99%はイスラム教徒であるらしいが、この辺りにはまだキリスト教徒が残っているのだろうか。

観光用の気球

ギョレメ野外博物館

洞窟の教会群

教会の中の壁画

教会の中の壁画

ギョレメの谷

 

 絨毯工房。トルコ絨毯というとヘレケの絹の絨毯が有名らしいが、ここカッパドキアの工房もなかなかよい絨毯を作っているらしい。工房を見学してからお定まりのお買い物。妻も見惚れてついつい高い買い物をしてしまった。

 デヴレント。キノコ状の岩が林立する。てっぺんに石が載っているのが多いから、堅い岩の層のヒビから雨が入り浸食されて出来たものだろう。日本にもちゃちなものだが徳島に土柱がある。

キノコ岩(1)

キノコ岩(2)

キノコ岩(3)

 

 帰りにワインショップに寄る。カッパドキアのワインを試飲するがこれは飲めたものではなかった。こんなまずいワインを飲まされたのでは買う気を失うではないか。

 ホテルに帰り、妻は一行と陶器工房に出かけるが、これはパスしてホテルの正面にそびえる岩山に出かける。ホテルから見える裏側に数多くの洞窟が掘られているのがバスからちらりと見えた。岩山は町から高さ100m程であろうか、長さは1キロほどの岩壁状である。裏側へ廻る道で10歳ぐらいの男の子が二人、煙草を吸いながら出てきて「マネー、マネー」と手を出す。これがあと五歳も上ならちょっと怖いが、これぐらいなら平気で「ノー」と言える。裏側の岩壁はぎっしりと洞窟が掘られているが、すべて無人の廃墟である。多分危険性から行政が強制的に閉鎖したのだろう。崩れた小径を辿りながら歩いていると、やはり少々気味が悪い。尾根に上がる道を見つけ上がると、ユルギップの町の眺めが素晴らしい。辿ってきた岩壁の側は新市街、反対側はホテルのある旧市街である。旧市街側へ下る道を見つけるのに苦労する。

 

5/21

 朝ユルギップを出発して70km程東に走り、カイセリの町へ着く。ここでイズミールから長距離運転してくれた運転手ともお別れだ。我々は空路イスタンブールに向かう。

 イスタンブール市内に入り、まず道の狭いのにびっくり。日本人なら普通車でも躊躇するような狭い道を観光バスが手品のようにするりと通り抜ける。地下宮殿をを見学する。宮殿とは入っても、これは要するにイスタンブールのための地下の巨大な貯水池である。6世紀に作られたものらしいが、よく残っていたものだと感心する。

 続いてアヤソフィア。これも6世紀、ビザンチン時代にキリスト教の教会として完成したが、オスマントルコになってイスラム教の寺院に改装されたものである。壮大さときらびやかさに息を呑むが、我々日本人のわびだとかさびだとかいった感性にはちょっと馴染まない。

 ホテルの部屋からはちょっと離れてはいるがボスポラス海峡が眺められ、海峡に架かる橋の車の流れの夜景が美しい。

 豪華な夕食。嬉しいことにワインが飲み放題だ。

アヤソフィア:黄金の壁画

市街風景

ボスポラス海峡夜景

 

5/22

 今日の見学はまずブルーモスク。アヤソフィアより少し小さいが、建物の外観はとても美しい。内部のタイルのモザイク、ステンドグラスに見惚れる。

 トプカプ宮殿。この広大な博物館を1時間半で見よというのは無理な話だが、団体旅行では仕方がない。まず、厨房に飾られた陶磁器。ゆっくり見る暇はないが、大きいばかりで品質は台北の故宮博物院のものに比ぶべくもない。ほとんどは中国磁器だが、日本の伊万里の大皿も美しいものが飾られていた。次いで宝石・装飾品の部屋。女性たちは巨大なエメラルドが嵌め込まれた短刀に見とれる。巨大なダイアモンドといってもカット方法が古いためか輝きが少なく男どもの目にとってはガラスと同じである。

 宮殿内のレストランで昼食。金角湾からの風が爽やかである。

 ガラタ橋近くのエジプシャンバザールを歩く。ここはグランドバザールが土産物中心の市場であるのとは違い食料品中心で現地人も買い物する場所である。香辛料の店で緑、赤、黒の胡椒、クローブを買う。又色鮮やかで美味しそうなトルコの菓子を買う。

ブルーモスクのタイル

ブルーモスク

トプカピ宮殿見学の子供たち

トプカピ宮殿にて

エジプシャンバザール:香料店

エジプシャンバザール:菓子店

 

 イスタンブール市街で見かける若い人たちの服装はだいたいカジュアルな西洋式でヨーロッパの都市の下町と変わらない感じであるが、中高年の女性はスカーフと手首、足首まで掩った服装の人たちも多く見かける。時に若い女性でもそういった服装の人たちがいる。シナン氏はトルコでもイスラム原理主義的風潮が強くなってきていると心配していて、今の政府がそれを助長していると憤慨していた。因みにシナン氏自身は敬虔なイスラム教徒ではあるが、一日五回の礼拝は行わないとのこと。信仰は心の問題で、見かけではないというのが彼の主張だ。初めに書いたように、今も強くアタチュルクの思想がトルコ人の間に生きていて、宗教が政治に関与することをトルコ人は許さないだろう。

 ガラタ橋から市電とケーブルカーで新市街のタクシム広場に出る。ここから自由行動。我々は家内の希望でタクシーでチュランパレスホテルに向かう。小泉首相が泊まったこのホテルのボスポラス海峡に面したテラスでコーヒーを飲んでちょっとセレブの気分に浸ろうというのである。さすが超一流のホテルだけあって従業員の応対は洗練されている。薄汚い我々にも丁寧な応対をしてくれる。テラスに座ってトルココーヒーを飲む。コーヒーの味には値段ほどの感激はなかったが。

 夜はベリーダンスのショーを見に出かける。去年、エジプト、アスワンのクルーズ船上で見たのに感激して、本場ではどんなに素晴らしいだろうかと期待していたのだが。確かに出てきたダンサーはみんな若くて、美人で、体の線などはアスワンの田舎芸人など較べるべくもないのだが、なんか元気な女の子の体操を見ている感じでエジプトで見たしっとりとした情感はなかった。

5/23

 いよいよトルコ最後の日である。

 ドルマバフチェ宮殿。19世紀に出来た西洋式の王宮である。豪華なことは確かであるが、何もトルコで見なくてもといった程度のものである。小中学生の見学と一緒になる。トルコの子供たちは明るい。どこでも喜んで写真のモデルになってくれる。

 ガラタ塔に登る。金角湾の向うに旧市街が一望でき、素晴らしい景色である。

 ガラタ橋の下にあるシーフードレストランで昼食。橋の上には釣り人がずらりと並んでいる。小さいアジがよく釣れている。

 ボスポラス海峡クルーズ。デッキでくつろいでイスタンブール最後の日を楽しむ。今回の旅は天候に恵まれた。雨や寒い日は一日もなかった。

 グランドバザール。シナン氏からくれぐれも迷わないようにと丁寧な指示が出るが、確かに迷路の中に入ったようである。大半が観光客相手の品物を売っているようであるが、それにしても似たようなものを売ってよくこれだけの店が商売できるものと感心する。我々日本人は値引き交渉が下手であるから、高価なものには手が出せない。

ガラタ塔から眺める金角湾とトプカピ宮殿

旧市街

ガラタ橋の下を泳ぐイルカ

ボスポラス海峡クルーズ

グランドバザール入口

グランドバザールの店

 

 これで、トルコ観光の全スケジュール終了である。食事に少々不満が残ったが、概して楽しい旅であった。食事の不満とは、昼夜の食事にメリハリが欲しかったのと、もっと羊肉を食べたかったが、今回は僅か一回ぐらいしか出てこなかった。これはまあ団体で行くのでみんなが食べられるものが主眼となるため、珍しいもの好きは辛抱すべきか。