旅への思い(12月)

潔白(11月)

キャッシュレス(10月)

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく(8月)

書道発表会 (7月)

ヒラメトキシン (6月)

狂犬病 (5月)

アンドレ・マルロー「王道」 (4月)

老人の運転は何歳まで? (3月)

奥出雲にて −佐藤忠吉翁−(2月)

書道3年目(1月)

2009年 独り言

2008年 独り言

2007年          独り言

 

旅への思い

 今年はよく遊んだ。特に海外旅行は、2月のカンボジア、9月のアメリカ東海岸、10月の中国と三度も出かけた。こんな事は最初で最後だろう。なにか早くやっておかないともう出来なくなるのではないかという焦りに似たものがあったこともたしかである。昨年眼の怪我をして以来、充分に体力を維持するだけのトレーニングが出来なくなっていることが遠因となっている。

 そのかわり、山は北アルプス栂海新道縦走、サイクリングは九州縦断とそれぞれ一回ずつだった。

 私はアウトドアスポーツが好きだ。スポーツといっても何かを競争するというのは苦手だし、より速くとか、より難度の高いものを求めるのも好きではない。従ってスポーツ観戦にもあまり興味はない。

 では、なぜアウトドアが好きなのだろう? 登山。といっても、私にとっては山歩きと云った方がピッタリである。これも、当世風に車を麓まで乗り付けて頂上まで往復するというのはあまり好きでない。やはり山脈の縦走であり、単独峰でも反対側へ下りたい。そのためには長い林道歩きを余儀なくされることが多いが、全然苦にはならない。一人でトコトコと炎天下の林道を歩くのも考えようによってはまた楽しいものである。

 サイクリング。これも、最近はやりのように、ロードバイクでビュンビュン飛ばすのは怖い。クロスバイクの後に荷台を付けて、キャンプ用具を積み、車の通行の少ない山中を何日も掛けてノンビリ走るのが最高である。行く先々の土地の人との会話を楽しみ、夜は人気のない場所にテントを張り、途中のスーパーで買った弁当をつつき、チビチビやりながら星の移るのを眺める。一人旅の醍醐味である。

 ここ数年ご無沙汰しているが、カヤック。これも激流下りではなく、静かに流れる熊野川や四万十川のような大河をゆっくり下り、川原でキャンプをする。川エビや雑魚でも捕れれば最高。

 こんな私の好きなものをひっくくってみれば、それは「旅」ということになるのだろうか。それも、昔風の旅である。体が不自由になったら、紀行文を読んだり、地図を眺めながら頭の中で旅を続けよう。

 

潔白

 小沢一郎が検察が不起訴としたときにたしか「潔白が証明された」と言ったように思う。しかし、それは潔白ではないだろう。潔白とは真っ白という意味だ。彼の場合は検察が有罪の判決を勝ち取るには証拠が充分でないと判断しただけで、我々庶民の感覚では黒に近い灰色という感じだ。検察審査会が起訴相当との結論を下したのは当然だろう。

 そもそも、部下が三人も犯行を認めて起訴されたなら、本人はたとえ潔白でもそれは「不徳の致すところ」と責任をとるのが一般社会の常識だろう。企業だって部下が3人も業務上の問題で有罪となれば上司の首は確実に飛ぶだろうし、まして公務員だったならばその官庁のトップでも監督不行届と言うことで、その地位は危ない。政治家はきっと更迭を要求するだろう。それを政治家自身の問題ならば頬被りをするのはないだろう。

 私は政治家は有能なのが第一で、今の風潮のように政治家として清廉潔白が絶対の条件とは思わない。しかし、ことここに至っては潔く身を処するのが第一だ。小沢一郎の場合は見苦しい悪あがきだ。小沢を有能な政治家として、世間では期待する声があるようだが私は買わない。彼にどのようなビジョンがあるのだろう。親分だった田中角栄とは器量に於て雲泥の差があるように思う。

 しかし、彼はリタイアしたら何をするのだろうな? 若いときから政治一筋の人生だったろうから、政治から離れると何をしてよいのか分らないのかもしてない。その辺りも今の地位に恋々としている理由なのかな。 

 

キャッシュレス

 今回のアメリカ旅行では、これ以上の円高にはならないだろうと少々気張った額のドルを現金で持っていった。勿論クレジットカードもAMEX, VISA, Master Cardと三種類持っていたのだが。

 今回の旅は二十年ぶりのアメリカであったが、前回より益々クレジットカードの利用が進んで本当にカードレス時代に入っているなと実感した。以前はスーパーマーケットなどでは現金のみの所も多かったが、今はほとんどカードで事たる。カードが使えなかったのは田舎の小さな商店での買い物だけであった。それとホテルの枕銭は現金だ。

 逆にカードがないと困るのは、レンタカーの借出し、ホテルの予約・チェックインなどである。これらは幾ら現金で払うといっても、保証としてカードの提示が求められる。車やホテルに何らかの損害があって、客から金が取れないような状況ではカードに請求が付くのだろう。ホテルのチェックアウトのとき現金で支払おうとすると、既にカードにチャージしたといわれたこともしばしばで、大金を持って行ったのは全く無駄だった。

 今回の旅で一番少額のカード使用はニューハンプシャー・ポーツマスでの路上駐車であった。車脇の駐車料支払機にカード差し込み口があって、ここにカードを入れ駐車時間一時間のボタンを押すと75セントがカードにチャージされた。

 確かにカードで全ての用が足りるというのは便利で、おつりの小銭でポケットがジャラジャラすることはない。

 カードがここまで普及したのは便利なことも理由だろうが、偽札の横行も無視できないのだろう。以前から大体普通に使われる紙幣は20ドル札までであり、店で50ドル紙幣など出すと店員は上司を呼んで受け取る許可を得ていた。今回目に付いたのは100ドル、50ドル紙幣になにやら黒い小さなペンのようなものでサッと線を引いて確かめている。どうやら偽札チェックが出来るようだ。

 我が家では前々からAMEXを愛用していたのだが、近頃使いにくくなってきたと感じる。一つは取り扱う店が減っていること、もう一つはちょっとした額の買い物ではカードの使用がAMEXの方から拒否される。もっと上級のカードを持てばいいのだろうが、それほどカード使用が多くない我が家では面倒だ。

 しかし、こういう時代になるとホームレスや債務があってカードが持てない人にとっては不便な時代となって来たのだろう。貧富の落差の大きさが目立つアメリカである。日本がそんな状況に陥らないことを願おう

 

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく

 最近、自転車小説に凝っている。

 セカンドウィンド IIIIII、サクリファイス、エデン、ヒルクライマーなどなかなか面白い。自転車競技(競輪でなくロードレース)はチームプレーの駆け引きが重要で奥が深い競技のようだ。

 その関連でランス・アームスロロングの「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」(講談社文庫)を読んだ。この本は彼の半生を記した自伝である。感激した。この年になると本を読んで感激することなどほとんどないのであるが、この本だけは別だった。

 ランスといえば、ツール・ド・フランスにおいて七連覇を達成した自転車レースの王者で、母国アメリカではマイケル・ジョーダン、タイガー・ウッズ(今はどうでしょうか?)クラスのスーパースターである。もともと自転車競技はヨーロッパのスポーツでアメリカではあまり注目されるスポーツではなかったのであるが、ランスがツール・ド・フランスで優勝するとたちまちアメリカでも大人気となった。

 本の原題は「It's Not About the Bike」(これは自転車についての本ではない)というのだが、その通りこれは彼の歩んできた苦難の人生についての本だ。日本題のマイヨ・ジョーヌとはツール・ド・フランス(20日以上かけて、フランス全土を廻って行うレース)でその時点での第一位の選手が着ける黄色のシャツである。

 ランスは20歳台の初め、ロードレースで頭角を現し始めたとき、睾丸のガンにかかる。診断が付いたときはもうガンは肺・脳に転移しており絶望的な状態だった。彼は愛する母の支えと自身の不屈の精神で病気に立ち向かい、脳手術、過酷な抗ガン剤治療に堪え、遂に完治に到る。治療後のやせ衰えた体を回復させツール・ド・フランス七連覇を達成するのである。まさに超人的な快挙である。

 また、彼は若いときの自己中心的な性格を、自転車競技や闘病生活を通じて立派な人格へと変化させてゆく。こんな劇的で、素晴らしい人生があろうか。医学に携わる者として、ガンが精神力で治るとは思わないが、彼は不屈の精神力でガンに打ち勝ったかのようにさえ見える。

 

書道発表会

 数年前から、書道を習っていることは既に書いた。

  現在は一つは通信教育で、懐素の「草書千字文」。これは原文と先生が書いて送ってくれる手本を見ながら、一月に半紙五枚(一枚4文字)を書く。といっても、一枚の手本をまあ20枚ぐらいは書かないと、まあ見られるかという程度にならない。横に大きなゴミ袋を置いての練習である。原文は小さな字なのだが、手本は半紙に4文字と大きな字である。小文字と大文字を同じ書き方で良いのかという疑問は残っているのだが。

 この通信教育は良い先生なのだが、どうも手紙のやりとりだけでは隔靴掻痒で、先生の意図がよく飲み込めないところが出てくる。そこで昨年から近くの文化会館の書道教室に通い出した。こちらの先生は希望のものを教えてくれるというので、孫過庭の「書譜」の臨書をお願いした。これも草書の手習いによく用いられるものである。

 お二人の先生の書風は大分違うようなのだが、そんなことは初心者の私にはあまり関係ない。どちらも大変教え上手で習っていて楽しい。

 さて、昔の名品といわれる書を臨書することはどういう意味があるのだろう。理想とする目標は、いろんな書を習って最終的には自分独自の書風を確立することだろうが、六十の手習いではそんなおおそれたことは考えていない。一つは昔の掛け軸などの書を読めるようになることである。草書の文字は、楷書、行書とは全く形が異なるものが多く、この字はこう書くと覚えてしまわなければならない。もう一つの目的は、自分の書いた詩や文章を色紙などに書いて、人に差し上げても恥ずかしくない程度になることである。このためには草書で書くと多分読めないと思うので、行書が良いのだが、基本的な筆遣いは共通なので草書を習っている。とにかく、書というのは書かれてある内容が相手に理解されなければ意味がないと思っている。

 書道教室では年に一回、展示場を借りて発表会を開催する。昨年は習い始めということで、出品することを断ったのであるが、今年はそうも行かず出さざるを得なくなった。出品用の作品は、単に先人の書をそっくり真似るのでは面白味がない。やはり自分の個性を出すことが必要となる。それと、書の絵画的要素を考慮しなければならない。絵画としての書という考え方は今まで私の中には全くなかった考えなので、絵心のない私はどういう作品を作るか四苦八苦した。出来上がったものは、面白味のない作品となったが、これが現在の私の実力であろう。

 

ヒラメトキシン

先月のある朝、家内が元気なく、昨夜から胃が痛く下痢をしたという。胃腸の丈夫な家内にとってはめったにないことである。「昨夜、食べたものが悪かったのかしら? あなた、大丈夫?」と聞く。あはは、小生は何ともない。ところが、昼過ぎからシクシクと胃が痛んできた。胃の中にテニスボールを何個か詰め込まれたようである。下痢は大したことがなかったが、軟便である。普段から「食欲がなくなるときは死ぬときだ」といっていた私もさすがに夕食を食べる気にならず早々に寝込んだ。翌日には、二人とも快方に向かったが、まだ腸内にガスが溜って、おならが頻繁に出ていた。

結局、これはなんだたんだ? 胃腸風邪か何かかな? と、首をかしげていたが、その日の夜、原因が分った。

その夜、友人と一杯飲んだ。友人(魁猿)は公衆衛生のエキスパートである。この事件を話すと、「お前、夕食に生魚食わなかったか?」「うん、刺身を食べた」「ヒラメを食っただろう」 図星である。前日の夕食には家内が気張って、市内では最高級とされている魚屋でマグロ、鯛、ヒラメの刺身を一人前ずつ買って、分けて食べたのだ。

近年、ヒラメを主として、養殖の白身魚を食べると原因不明の食中毒にかかるらしい。仮にヒラメトキシンと名付けられているそうだが、細菌性なのか、魚自身が作る毒素なのか、あるいはフグ毒のように藻類が作るものなのか、まだ特定されていないとのことである。魁猿の話では、大体が高級魚なので中毒を起した後で調べようにも、全部食べられていて検体がないらしい。

症状は大したことはなく、二、三日で治るらしい。我々は薄いヒラメの刺身を二、三切れずつ食べただけなのに、あの症状だから、一人前食べていたら軽いといっても七転八倒していたのではないだろうか。

 

ちょっと、怖い話である。

 

 

狂犬病

 先日、診療所にフィリピンで犬に噛まれた三歳の女の子が来た。お母さんの実家に里帰りしていてそこの飼い犬に噛まれたとのことである。当然、犬には予防注射は打っていない。見ると皮膚にははっきりとした噛み痕はなく、蚊に刺された程度の傷である。暴露後予防(PEP)のワクチン注射をするかどうか、悩ましいところだ。狂犬病は発症すると、ほぼ100%の死亡率であるし、フィリピンは狂犬病のかなり濃厚な汚染地域である。飼い犬だから多分大丈夫だろうが、私としても感染していないと保証するわけにもいかない。一方、狂犬病ワクチンは副作用もきつく、注射部位は腫れたり、発熱することが多いので、小さい子に打ちたくはない。いろいろ説明して、両親の判断で注射を始めた。

 アメリカへ語学留学する女性が、予防注射に来た。その中で狂犬病も希望していた。確かにUSAは狂犬病発生国だが、発生数は年に数人程度だし、それもコウモリ、アライグマなどの野生動物に起因するものである。普通のアメリカ人はそんな予防注射はしていないと説明すると納得した。

 イギリスに駐在する夫婦が、A,B型肝炎、破傷風、狂犬病の予防注射を希望して来院した。イギリスは日本、オーストラリア、北欧などとともに世界で数少ない狂犬病清浄地域であり、狂犬病の予防注射は必要ないと説明したが、他の国へ出張するかも知れないと無理に打っていった。安くはない費用だし、注射のリスクもあるのだが。

 

 世界で最も狂犬病による死者の多いのはインドであり、その数は公表で年間2万人、実数はその数倍はあるだろう。次いで中国、年間3千人程度と報告されているが、これも実数はもっとあるのだろう。この国は近年狂犬病発症者が増えており、政府も神経をとがらせているようだ。時々、地方都市で役所が犬を皆殺しの命令を出したというニュースが流れ、日本の愛犬家は身の毛をよだたせるが、これも身の回りで狂犬病が発生した住民たちからは支持された対策なのだろう。

 そのほか、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマーなども発生数は多い。

 私自身は動物がそれほど好きではないので、外国へ行っても犬、猫に手を出すようなことはしないが、動物好きの人でも日本の感覚で外国で知らない犬猫を可愛がると危ない。万一、狂犬病汚染地域で犬猫に噛まれたり、引っかかれたりしたら、すぐその地の信頼できる医療機関でワクチン、抗血清の注射を始めることが大切だ。暴露後予防は早く始めるほど効果が高いとされている。

 

アンドレ・マルロー「王道」

 カンボジアを旅行していて、アンコール遺跡のバンテアイ・スレイの東洋のモナリザと呼ばれている女神のレリーフを見た。フランスのアンドレ・マルローがまだ二十代の時、このレリーフをフランスへ運びだそうとして捕われた話を聞き、これは彼の小説「王道」のテーマとなっている事件だと気がついた。

 後年、フランスを代表する文化人となるマルローも若いときは冒険家として、東南アジアをさまよったり、中国で革命に参加したりしていた。その時の体験をもとにして書いた「王道」「人間の条件」などの小説によって、彼は若くしてフランス文壇の寵児となり、日本の「世界文学全集」などにも載せられるほどになったのだ。

 かくいう小生も高校時代は、文学に憧れて世界文学全集や、ソビエト革命文学などを読み耽ったものだった。当時の学生の間にはまだ戦前から続く「教養主義」が残っていて、その影響を受けたのだろうが、理解できていたとはとても思えない。

 「王道」「人間の条件」などもその頃に読んだ記憶があるが、内容は全く覚えていなかった。そこで、今回もう一度読み直してみようと、古本屋で注文して手に入れた。

 読み始めて驚いた。退屈である。青年の文学であるためか、時代が違うと云おうか、老境に入った小生には主人公の行動に全く共感できない。当時のヨーロッパ人には、カンボジアの奥地に眠る文化財をヨーロッパへ持ち込んで紹介すること(ついでに金儲け)は、さほど悪いこととは考えられていなかったのだろうが、現代人の常識ではない。また、主人公たちと現地人との間には心を開いた交流がなく、現地人に対する対応が鼻持ちならない。これも、当時のヨーロッパ人の感覚であったのだろう。

 それにしても、マルローはこの小説で何を読者に伝えたいのであろうか。このあたりが、現代のせかせかしたお手軽な文学に慣れ、思索の生活から縁遠くなった現代人の一人である小生にはさっぱり解らなかったのである。

 

老人の運転は何歳まで?

 先月、90歳でまだ車を運転している佐藤忠吉翁のことを書いた。この時のドライブで運転していただいたM先生は80歳である。

 国立大学名誉教授のM先生は、現在も学会で活躍されておられるようで、当然頭はしっかりしておられる。裕福な先生は普段はベンツを運転されておられるが、今回の山陰旅行では雪の恐れがあるので、17年もののトヨタの四輪駆動車での出動である。オートマチックはお嫌いで、マニュアル車である。

 先生の運転ぶりはかなりアグレッシブである。高速道路ではシフトを素早く切り替え急加速をしてどんどん追い抜いてゆく。下の道でも、黄色の信号は必ず突っ切る。それも、大きな声で奥様と口論しながらである。かなり、イラチな性格のようである。この運動神経としっかりした判断力ならば、まだまだ運転は大丈夫のようである。

 実はもう一人、80歳の国立大学名誉教授、R先生を存じ上げている。R先生は数年前に胃ガンの手術をされ、以後体調はあまりよろしくはなかったのであるが、現役として仕事をされており、頭脳のほうはしっかりしておられた。ところが、昨年交通事故を起された。一人で運転されているとき、緩やかなカーブで対向車線にはみ出し軽自動車と正面衝突し、ご本人は軽傷だったが相手の車の方が死亡されたそうである。

 実は小生の父も85歳ぐらいまで運転していた。もうこの頃は周りのものは怖がって、母以外は誰も同乗するものはなかったのであるが。運転を止めさせようとしても、本人は自信たっぷりでとても言うことは聞かなかった。それが、ついに事故をおこした。幸い人身事故ではなかったのであるが、駐車場でギアを入れ間違って前進のつもりが、急速にバックして料金精算機に激突、大破させ、えらい大金がかかってしまった。それで無理矢理免許証を取上げてしまったのである。

 人間、何歳になっても自分は大丈夫だと思って運転しているが、このように事故を起して初めて反射神経の衰えを知って運転を止める例が多いのではないだろうか。

 生まれてから成長の過程は誰でも似たような時間経過を辿るが、老化の過程は人それぞれである。身体、頭脳のトレーニングや病気といった環境因子もあるが、それ以上に持って生まれた遺伝という本人の努力ではどうしようもない因子の寄与も大きいと思われる。最近はテロメアが寿命を決めるというのが話題となっているようであるが。

 さて、自分自身について考えると、何歳で運転を止めようか? これはなかなか難しい。事故を起す前にとは思っているのであるが。少なくとも高速道路を逆走するなどと言う恥ずかしいことをする前には。

 

奥出雲にて −佐藤忠吉翁−

 一月になって、今秋に予定しているさるグループの山陰・山陽をめぐる旅行の下見に出かけた。一行は我々夫婦と大先輩にあたるMさんご夫婦の4人である。本来なら、小生が運転して御案内せねばならない立場であるが、なにせ昨秋の眼の怪我以来左眼失明状態でこの頃やっと短距離の運転はやれるようになったが、他人を乗せての長距離運転は自信がない。そこで、お誘いがあったときには辞退したのであったが、Mさんが、「大丈夫、自分が運転するから」と云われるので、ご一緒させて貰った。

 松江で一泊し、翌日奥出雲の雲南市木次にMさんの知人を訪問するというので同行した。知人は木次乳業相談役の佐藤忠吉翁である。Mさんは、深夜ラジオで佐藤翁の対談を聞いて感激し、つてを求めて面会し、たちまち肝胆相照らす仲となったそうである。佐藤翁が創業した木次乳業といえば、小さいながら有機農法に興味を持っている人なら知らぬ人はない有名企業のようである。

 事務所を訪れると、小柄な老人が現れにこやかに迎えてくれた。名刺の肩書きは「百姓」である。翁は90歳ということであるが、顔はツヤツヤとしてシミ一つない。シミが出てくると食べるのを止めるそうだ。そうするとシミが消える。

 小生が大阪大学出身だと知ると、すぐに衛生学の丸山博名誉教授の話が出る。森永ヒ素ミルク事件で活躍された丸山先生とは親しい間柄で、今もご家族とおつきあいされておられるとのことである。

 話をしていると実に頭の回転が速く、記憶には少しの曇りもない。驚くべき老人である。若い頃に中国に5年従軍して伝染病に何度もかかり、九死に一生を得てようやく帰国され、その後も苦労を重ねて現在に至ったそうである。大した学歴はないが知的レベルは非常に高く、Mさん(国立大学名誉教授)との会話は横から伺っていてもまことに楽しい。

 その後、昼食を一緒にという話になり、近くの山の上に経営しているレストランに案内するから、車でついて来るようにとのことである。当然誰かに運転させるのかと思うと、自ら運転してレストランまでの山道を走って行く。

 「食の杜」のレストランでの食事は美味しく、自家製のワイン「小公子」も味わい深かった。80歳のMさんに運転させて、小生がワインを楽しむとはまことに罰当たりだとは感じたが、アルコールに目のない小生のこと、十分に酔っぱらった。

 ここでも、佐藤翁の従業員に対する細やかな心遣い、孫娘のようなウェイトレスの翁に対する敬愛の様子に接し、清々しい気持ちで一杯となった。

 今回の旅では、今まで小生が経験していた交際とは異なったレベルの知的ネットワークみたいなものの一端に触れた思いがした。

 来月はMさんについて書こう。

 

書道3年目(1月)

 私の習字も三年目に入った。一年目は鄭道昭の「鄭羲下碑」、二年目は顔真卿の「祭姪文稿」の臨書を通信教育で受講した。昨年の春からはもう一つ、近くの書道教室にも月に二回通い出して、そこでは孫過庭の草書「書譜」の臨書を習っている。これは通信教育だけでは筆遣いなどを学ぶのにどうも隔靴掻痒の感じがあったからである。

 ただ、お二人の先生の書風には大分違いがあるようで、通信教育の先生は筆を引っ張るようにしてゆったりと書くように指導され、一方、書道講座の先生は筆を押すようにして鋭く書くように指導される。まあどちらにしても、のべつ引っ張るわけでもなく、のべつ押すわけでもないだろうから、程度の問題だろうと思っている。

 さて、「祭姪文稿」を12月で習い終えたのであるが、これは安史の乱で賊に捕らわれ殺された甥を弔う祭文の原稿であって、人に見せるために書かれたものではない。直情径行の顔真卿が激情に駆られて書いたものであり、これを臨書するのは正直言ってちょっと苦しかった。よく指導していただいたと感謝している。

 三年目は何を習おうかと考えたが、もう少し草書を習いたいと考え、懐素の「自叙」をお願いした。これはいわゆる狂草体といわれる書風で、筆が縦横無尽に走って実に痛快である(写真)。しかしこれは文字が連綿と続いているので半紙で習うのには無理があると断られ、同じ著者の「草書千字文」(写真)を推薦された。

 千字文とは梁の時代の周興嗣(470?〜521)が作った四字一句、250句からなる四言古詩である。驚いたことに一字たりと重複しておらず、合計一千の漢字からなっている。したがって、習字の手本としてもよく用いられ、いろんな人がいろいろな書体(隷楷行草)で書いている。

 懐素は唐代中期の人で顔真卿とも交流のあった僧侶である。酒を好み、酔っては手当たり次第に狂草体の書を書いたので狂僧と呼ばれた。彼の千字文をいくつも書いているが、今回臨書するのはそのうちでも最も有名なもので「一字値一金」と称せられ、「千金」とも呼ばれている。

 現在、第一回分として20字の臨書を終えたところであるが、彼自身の狂草体とは異なり、また顔真卿の激しい書風とも違う穏やかな正統派の草書のようである。書の手本であることを意識して書いたのであろう。臨書していても穏やな気持ちで書いて行けるが、ちょっと物足りない気もするのであるが。これは先生からの添削が返ってきたら、思い違いであることを思い知らされるかもしれないが。