みみっちいニュース(12月)

人口爆発 (11月)

日本国の借金 (10月)

セガンティーニ   −アルプスの画家− (9月)

孤軍奮闘 (8月)

道に迷う (7月)

書道発表会:二年目 (6月)

カトマンズの町にて(5月)

未曾有の大災害(4月)

サプリメント (3月)

消炎酵素剤 (2月)

2010年回顧(1月)

 

2010年 独り言

2009年 独り言

2008年 独り言

2007年    独り言

 

みみっちいニュース

「北海道出張の市議3人、出発空港でいきなり飲酒」、ネットの読売新聞ニュース記事である。

 先日、九州のどこかの市会議員が北海道へ研修旅行に行く途中の飛行機で昼食時にビールを飲んだとのこと。しかしこれって、そんなに非難されるべきことなの? いくら公務の出張中といっても、昼飯のとき喉が渇いたらビールの一本ぐらい飲ませたれや。実際の公務が始まるのは数時間後のことで、それまでには醒めてしまうだろう。公務の旅行とはいえ、旅に出れば多少の開放感はある。ビール代は公費かって? そんな細かいことは言わない。「議員さんご苦労さん」でいい話でしょう。

 誰かのたれ込みだろうが、こんなことに目くじらを立てるのは口やかましいご婦人か、酒の一滴も飲めない堅物だろう。しかしそれを記事にする大新聞もどうかしている。書かねばならないもっと大事なことがいっぱいあるでしょうに。

 

「宮中晩餐会での欠席や携帯電話をかけたかどうか」についても、多少の礼儀を欠いたという点があったとしても、まあ、どうでもいい話としか思えない。年に一、二回は国賓の来日があると思うが、宮中晩餐会が全て今回のように話題にはならないし、不作法な出席者もいたと思うが多分ニュースにはならなかったのだろう。

 

 こういう問題は、記者としても何にも考えず気楽にかける記事なのだろう。そんなものよりも、TPPのように国を二分して大議論になろうとしている事件に対して、新聞は単に中立の立場を取るだけでなく積極的に意見を提出して、民意をリードするような気概を示して欲しいものである。

 

人口爆発

 1031日、世界人口が70億を超えた計算になるらしい。1960年頃には30億といわれていたから、50年で倍増したことになる。この調子で増えてゆくと今世紀末には100億を突破する。まさに人口爆発である。近年はアジア、アフリカの人口増加が著しい。

 海のイワシとか、陸上のアリのような小さな動物ならいざ知らず、人間のような巨大な動物がこの数地球上にのさばっているのはさすがに増えすぎだろう。現在の人類が地球環境に負荷をかけすぎているのは明らかだ。環境汚染、温暖化、エネルギー問題などみんな人口増加のなせる業だ。これからはきっと食料が問題となってくる。

 どうしてこんなに増えてきたのだろう? 生態系ピラミッドの最上位にいる人類に天敵はいない。いや、過去においては、人類に病気をもたらす病原細菌が天敵としての役割を果たしていたのだろう。戦前の日本家庭ではよく乳幼児が肺炎、ジフテリア、赤痢などの伝染病で死んでいた。法定伝染病などというのはその時代の名残だ。ところが現代では乳幼児の死亡は激減してきた。これには抗生物質の開発、栄養や生活環境の改善、衛生思想の普及などがあいまって影響しているのだろう。先進国ではもう何十年も前から乳幼児死亡が減少すると共に出生率も低下してバランスを取っているが、開発途上国はまだ、死亡率は低下したが出生率は以前のままという状態が続いているのだろう。そう考えると、今世紀末頃までには人口増加も頭打ちになるのだろうが、それにしても地球上に人類がのさばりすぎている。

 日本の人口にしても、1億2千万人は多すぎる。食糧の自給や環境問題を考えると、5〜7千万人が適当なところではないだろうか。そこまで減少して人口が安定するまでの過程では、色々苦しい問題があるのだろうが。日本の世界的地位の低下などというのは問題にすることはないだろう。要は日本人の生活の豊かさというものの秤を物質的なものから精神的なものへと変換してゆけばいいのだから。老子は小国寡民を理想郷とした。他国と争うこともなく、また他国を羨むこともなく、ノンビリと自分の生活を楽しむのが最上なのだが。

 

日本国の借金

 日本の国家としての借金(ほとんどは国債だと思うが)が900兆円に迫る勢いだそうだ。赤ん坊まで入れて国民一人当りにすると800万円以上だ。所帯あたりにすると2000万円位になるのかな?

 ちょっと恐ろしい金額であるが、政治家はこれを将来どうしようと考えているのかな?この大災害のあとでは、復興費用などがかさむのはやむを得ないので、これから10年ぐらいは国債の発行が増えるのも仕方ないと考えるが、その後どうやって借金を減らしてゆくつもりなのかな?

 我々が家庭レベルで考えると、収入を増やして、生活を切り詰めて返済金額を増やさざるを得ないとしか考えつかない。これは国のレベルにすると税金を増やして、国家予算を切り詰めて、国債発行を減らして行き、ついにはゼロに持って行くと言うことになる。

 国民は税金を増やされ苦しいことになるが、これを先延ばしにするということは現在の我々が楽をするツケを子孫に回すということだろう。我が家の借金は絶対に孫たちに負わせたくはない。

 政治家の多くは増税に消極的である。国民の不満をつのらせる政策は取りたくないのだろう。しかし一国の将来を考えるとき国民に辛い選択を取らせることも政治家の使命だ。 増税せずに積極的な経済政策で景気を上昇させれば、その方が借金減少にはずっと効果があるという意見がある。そうかも知れないが、戦後国債が発行されてからこのかた幾たびか景気が好調な時もあったが発行残高が減少したことがあっただろうか。そんなときには必ず増えた税収をもっと国民が豊かになる方向に使われたのではないだろうか? 要するに政治家は国民が痛みを感じる政策をとりたくはないのだ。

 ちょっと飛躍するが、政治家が官僚を支配するべきだと意見がある。しかし、政治家がそれほど有能だろうか? 今の国会にはそんな有能な人物はいないような気がする。政治家であれ、官僚であれ、日本の将来を見通して政策を立案できる人物がいれば、その人に日本の将来を託したいのだが。

 

セガンティーニ   −アルプスの画家−

 先日、琵琶湖畔の食堂で昼飯を食べながら、テレビニュースを見ていると、佐川美術館で「セガンティーニ展」をやっていると言っていた。あと数日で終わるようだ。ちっとも知らなかった。早速見に行かなければ。

 と言うわけで、早速家内を連れて見に出かけ、ついでに、その夜は比良山荘に一泊して、鮎を食べることにする。

 

 セガンティーニを知ったのはいつのことだろう? もう何十年も前の、多分NHKの美術番組ではなかったろうか。登山家だったか、山好きの評論家だったかがセガンティーニの絵を紹介していたのを見て、心惹かれた。

 それ以来、実物を見たのは大原美術館の素晴らしい一点「アルプスの真昼」と、ウィーン・ベルベデーレ美術館の不思議な絵「悪しき母たち」ぐらいである。上野の国立西洋美術館にも何点かあるらしいが、記憶にない。このウィーンを訪れた旅では、スイス・サンモリッツのセガンティーニ美術館へも行ったのだが、季節は11月の端境期とあってサンモリッツのほとんどの施設は閉鎖されていた。ミラノの本屋で画集を探したが、満足するようなものは見つけることが出来なかった。そんなわけで、セガンティーニは私にとって幻の画家であった。今回の展覧会は日本では33年ぶりのセガンティーニ展とのことで、これを逃すともう私は日本で見ることは出来ないだろう。

 

 セガンティーニは1858年、北イタリアに生まれたが、早くに母に死に別れ、父に見捨てられて悲惨な少年時代を送る。20歳ぐらいから画才を認められ、次第に画家としての地位を築いてゆく。その後、スイス、エンガディンに移り住みアルプスの山々とそこに住む人々の生活を点描に似た分割技法という技法によって画いた。その後、宗教的な象徴主義の絵を描くようになり、その最後の傑作「生、自然、死」の三部作を画いた直後、41歳で急死する。彼の絵は生前から高く評価されていたが、フランス画壇からは隔絶していたためか、一部の愛好家を除いては次第に忘れ去られ、今では余り注目を受けなくなっている。

 

 琵琶湖畔の佐川美術館は広大な敷地に広い池をめぐらせ、その中に建てられた斬新な建物である。常設展示としては平山郁夫、佐藤忠良、楽吉左右衛門の作品を展示しているが、小生は正直言ってそれほど好きな作者ではない。

 セガンティーニは若いときの絵も上手いが、これはミレーに似た絵であり、特筆するほどではない。しかし、分割技法で画かれたアルプスの光景、動物たち、人々の営みの絵は素晴らしい。大原美術館所蔵の絵の姉妹作も出品されている。澄んだ色合い、動物の毛や樹木の木目などが浮き上がるようである。これぞセガンティーニである。ボーとなって、出てきた。

 次は是非サンモリッツの美術館に行こう。

 

孤軍奮闘

 大震災以来、菅直人首相の退陣を迫る論調がマスコミ全体を覆っていて、これに対する反論を提起するのを躊躇する状態である。しかし、総理大臣が昨今のようにころころ変わっていてよいものだろうか。

 まあ、前の鳩山首相はひどかった。国民の内閣に対する不信感を一挙に沸騰させた。辞めたあとにまで、政治を引っかき回している。

 しかし、管首相はそれほどひどい総理大臣だろうか。こんなに周囲から足を引っ張られながら、頑張っている首相は三木武夫首相以来ではないかな? 与党の民主党がガタガタであり、参議院が自民党優勢というねじれ国会の中で政局運営をやらなければならないのでは、誰がやってもこんなものではないのではないだろうか。

 今回の大惨事で露呈した政治、行政の拙さを全て管首相のせいにするのは可哀想だ。これはむしろ長年にわたって蓄積してきた政治・行政の硬直化が露呈したということだろう。これほどの国難に際しても挙国一致の体制の取れない政党政治、政治・行政の欠点をあげつらい揶揄的に批判するだけで、建設的な意見を出さないマスコミに国民の一人としてイライラさせられる。

 行政が何らかの施策をとれば、だいたいはそれに対して賛成と反対の立場があるが、マスコミは反対の立場の意見を書立てれば国民に迎合できると勘違いしているのではないか。首相が何かをやったり、言ったりすると必ず批判があるが、それはやらなかったり、言わなかったりしたときの非難に比べるとずっと小さなものだろう。

 そんなことを思うと、私自身は管首相に退陣を求めるのではなく頑張って職責を果たして貰いたい。管首相、ガンバレ。

 彼にしても、この人なら後を任せてもよいと考えるような人材が現れたなら、こんなしんどい仕事は喜んで任せるだろう。みんな交替しろと叫んでいるが、誰がなれという意見はない。こんな程度の低い政治家しかいない状態にしたのは、日本という国の民度の低さであり、その意味では我々の責任に帰するのかも知れない。

 小沢一郎はお断りだよ。

 

道に迷う

 先日、ヒマラヤで道に迷い13日間だったか行方不明になっていた女性の記事を読んだ。高山で13日間ろくな食料、装備もなく生き延びたことには感嘆するが、そもそも何でそんなところで道に迷ったのかが理解できない。

 何でもホテルを出て、一時間ぐらい歩いたところにある湖まで散歩に出かけて迷ったと言うことだが、通ってきた道を覚えていなかったのかな? 小生は行ったことがない場所だから確実なことは言えないが、まわりの景色を楽しみながら歩いているならば、地図を持たずに半日ぐらい彷徨っていても、およそどちらの方向から来たかぐらいは覚えているだろうから、迷わず帰れる自信はある。もっとも砂漠の真ん中から出発したのなら話は別だが。そんな場所なら地図は役に立たないだろうから、小生でもGPSを持たずには外に出ないが。

 それで、思い出した経験がある。何年か前の5月だったか、家内を連れて鈴鹿へ花を見に行った。イワカガミの群生、シャクナゲの咲いた渓谷などを楽しんだあと、ヤマシャクヤクを見落としたので探しに行こうと言うと、家内は疲れたのでここで待っているという。そこは、少し登山道から離れた浅い涸れ谷の中である。

 では、ここから動かないようにと念を押して、独りで涸れ谷を下り、小尾根を登り返してヤマシャクを探しに出かけた。なかなか花が見つからず半時間ほど経ったとき、携帯が鳴りだした。家内からでちょっとパニクった声で早く帰って来てと言う。急いでもとの場所に戻ってみるといない。

 動かないように行ったのに動いている。大声で呼んでみると遙か谷の下の方から返事がった。涸れ谷が本流に合流した地点に座り込んでいた。聞いてみると、少し不安になって小生の行った方へと動き出したらしい。小生は小尾根を登り返したのだったが、それを知る由もない家内は涸れ谷を下り続けたらしい。小生の声が聞こえなかったら、本流を渡ってもっと先へ行くつもりだったと言う。「あんた、どっちから歩いてきたの」と尋ねると、辺りを見回して判らないという。ヤレヤレ。前から方向音痴だとは思っていたがこれほどとは。「この山は嫌い。もう二度と来たくない」と子供のようなことを言う。

 以前、「話を聞かない男、地図が読めない女」という本があったが、これは本当だな。小生も道を尋ねるのは恥だと感じる人間だった。もっとも、歳をとってからは気軽に道を尋ねるようになってきたが。

 よく、山中で迷ったなら、その場から動かずに救助を待てと言われる。しかしこれも状況によっては最善とは言えない。例えば谷の底などにいると、救助隊もそんな場所は探し尽くせない。動ける体力があるうちに、少しでも目に立つ尾根筋に這い上がるほうが救助される可能性が高いように思われるが。

 

書道発表会:二年目

 昨年、書道教室の発表会に出品したことは既に書いた。我ながら拙いものだと嫌気がさす程のものだった。今年もその時期がやってきて、出品せざるを得ないのだが、どんなものを出そうかと悩んでいる。

 普段の教室では先人の名筆を臨書しているのだが、これは楽しい。今は昨年に引き続いて、懐素の「草書千字文」、孫過庭の「書譜」、それと今年から新たに隷書の「礼器碑」を習っている。臨書をやっていると、どうしてもまず字の形を真似しようとする。勿論それも大事であるが、それ以上に筆の勢い、線の美しさといったものが大事であると、先生から指摘されるのであるが、これがなかなか理解できない。特に「礼器碑」などは古い石碑の拓本を臨書するのであるから、筆の勢いなんて言っても、干物から新鮮な魚を想像するようなものである。

 さて発表会に出品するとなると、臨書をそのまま出すのは気が引ける。臨書を出品してもよいのだが、臨書はあくまで自分の書を確立する為の練習のステップである。

 まず何を書くかが悩ましい。一つは自作の漢詩を書くと決めた。これは昨年と同じであり、詩は違うが基本的には手漉書箋に小筆で行草書で書く。今私が習っている書は草書であるが、完全に草書で書いてしまうと多分ほとんどの見てくれる人は読めない。行書なら読んでくれる。それで草書混じりの行書が限界である。

 二つめは、現代詩文に挑戦する。私の好きな前登志夫の短歌を書こう。彼の歌の荒々しさは、従来の仮名では似合わない(勿論、私には仮名は書けない)ので、竹筆か山馬筆でザックリと書くのがよいだろう。

 三番目は習い始めた隷書で何か書こう。今習っているのは「礼器碑」だが、「開通褒斜道刻石」の素朴な書風に惹かれているので、これを真似してみよう。

 画仙紙(70140cm)一杯に大きい字を書くのも迫力があるが、これには字の形以外に墨の色、濃さ、滲みと云った絵画的要素も考えなければならず、絵心のない私には難しい。

 単に臨書であれば、墨汁を使って書いていても許されたが、出品作となれば墨を摺らねばならないし、作品にあわせて筆を選んだり、紙をえらんだり、あと作品の裏打ち、額や表装と手間や金がかかるのが、なかなか大変である。

 さて、どんな作品が出来ることやら。

 

カトマンズの町にて

 この三月、二度目のネパール訪問をした。ヒマラヤの自然は素晴らしいが、首都カトマンズの有様はこれまたひどいものだ。まず、空港。特に国内線は時刻表は有って無いが如しで、何時飛ぶものやら天候次第である。行き先の地方空港には悪天候で誘導できるような機器はない。カトマンズ空港でも怪しいものである。

 空港の外に出ると、ひどい交通渋滞である。排気ガスで息苦しくなりそうだ。道行く人々もマスクをしている人が多い。道路や交通標識などのインフラが整備されないままに、車社会に突入したのだ。当然信号の数は少ない。交差点では自動車、バイクが縦横にスキを見つけては突っ込んでくる。その中を歩行者がまた度胸満点に横断する。まあ、メチャクチャだ。我々、外国人は車の運転どころか、歩くのも怖い。この前来たとき、ネパール人のガイドが言っていたが、一応車を運転するには免許が必要だが、賄賂を出して簡単に免許が取得できるとのこと。

 町中の道路は一応舗装されているのだが、相当に傷んできている。しかし、道路の補修工事をやっている様子はない。大通りに架線がある。以前はトロリーバスが運行されていたが、今は停電が日常的になって廃止になったらしい。ホテルでもしょっちゅう停電する。そのたびに自家発電を動かしているようだ。

 ネパールには鉄道がないので、移動手段は自動車か、飛行機だ。あとは歩くだけ。おまけにヒマラヤの麓という山国だ。交通の近代化には大変な苦労がいる。

 市内を流れる川がまたものすごい。河原はゴミの山だ。ゴミの中を水が流れている。日本人ガイドのKさん曰く、「初めて来た30年ぐらい前は清流だった。」

 この国も大都市への人口集中がひどいようだ。こんなひどい町でも若者のあこがれの的だろう。しかし、これでは発展途上国というより退化途上国といった方がいいのでは?

 4年前だったか、王制が廃止になって民主制になったが、政党が入り乱れて組閣も出来ない状態らしい。「政治の貧困」という言葉がピッタリの国だ。

 こういう国の状態を見ていると、一時的にでも軍事力で独裁制を敷いて、国の意思統一を図るのも一策かという気がする。しかし、この国には国軍の他、地方にマオ派などの軍事力をもった勢力がいて軍事的にも一本化出来ないみたいだ。王制が廃止になった原因は国王が強圧的な政治を行おうとしたことだったと記憶しているが、あるいはその国王も当時の国の状態に危機感を持って、独裁制を敷こうとしたのかも知れない。

 帰国途中空港へ向かうバスの中から、通学途中の多くの男女生徒を見た。きちんとした制服で、みんな賢そうだ。この子たちが成長するまで、この国の状態はよくならないのかも。

 

未曾有の大災害

 私の人生のうちに日本の歴史始まって以来というような大災害を目の当たりにしようとは思っても見なかった。

 地震発生直後のネットのニュースの津波警報で高さ10m以上と報じられたとき想像もつかず「間違いかな?」と思った。しかし、次から次へと入ってくる悲惨な報道の映像には息を呑んで見守るしかなかった。初めの頃の報道で見た、空から写した名取町の農地を渦巻いて侵蝕する海水のまるで巨大な魔物の舌のような動き。また時間が経つにつれて入ってきた避難した人たちが高台から撮ったデジカメの動画は、高い堤防を乗り越えて押し寄せる波が家々を飲み尽くしてゆく様を如実に写し出していた。この巨大な波から逃れられた人はまさに幸運としか言いようがないのではないか。私が現場にいたらとても逃れられたとは思えない。

 もう何十年も昔、三陸海岸を歩いたとき感嘆しながら見上げた田老町の高さ10mの防潮堤。あれも今回の津波の前には無力だったようだ。

 それにしても、不安とイライラ感をつのらせるのは福島原発の事故である。マグニチュード9.0は想定外だったとしても、いくつもの原子炉が次から次へと似たような原因の故障を起してゆくのに、どうして早めの対応が取れないのか。東京電力、原子力安全保安院の対処に不信感をつのらせるのは私だけではないだろう。菅首相が東電で「撤退などあり得ない」と言ったというが、福島原電をそのまま放棄する気配でもあったのだろうか。現場の作業員は大変な危険の中での仕事を強いることになるが、なんとしてもチェルノブイリのような事態に陥ることは避けていただきたい。いずれにせよこの文章がアップされる頃には決着はついているのだろうが。

 事態が落ち着いた後にこの事故の原因と対応の検証が行われようが、その時には事故が不可避であり、対処が最善であったことが証明されることを願いたい。そこに何らかのネグレクトや人災の要素があったことが判れば、それは原子力発電の死を意味する。

 今日、3月16日現在、死者行方不明者の数は一万を超えている。これもこの文がアップされる頃には何万人になっているのだろうか。亡くなった方々に対して私は敢えて「ご冥福を祈る」とは云うまい。冥福などというものを私は信じない。人間は死ねば一切無となるのみである。ただ、亡くなった方々がこの惨禍がなければ享受されたであろう人生の営みが失われたことを悼むのみである。またどこかの知事がいったような天罰をこの方々が受けるいわれがないことも勿論である。

 

ここまで書いて、取りあえず義援金を振り込んで、3月17日からネパールトレッキングツアーに出発した。この非常時に物見遊山とは不謹慎であるが、既に旅行代金は払っているから致し方ない。と言いながら十分楽しんできたのであるが。山中トレッキングの間は全く情報がなく、カトマンズまで出てきた26日になってようやくテレビでNHKのニュースを見ることが出来たのだが、死者行方不明者の大幅な増加と原発事故の行方の不明瞭さに驚いた。 

  

 放射線被曝の危険を冒して、現場で対処されている作業員の方々には全く頭が下がる。しかし、部外者である我々はこれ以上放射線汚染が拡大しないように、藁にもすがる思いで祈るしかないのである。

 

サプリメント

 近年、テレビを見ていて驚かされるのは、サプリメントの広告の多さである。これと化粧品の広告を併せると全体の50%を越えているのではないかな? これは小金を持っている年寄りや女性から金を巻き上げようとする企業の策戦のようだ。しかし老人の健康志向もすごいものではないか。

 しかし、その内容を見てみるとほとんどは普通の食事をしていると必要ない物のように思われるし、ガンの予防になるなどといっているものは全部ウソと思った方がいいだろう。ビタミン剤など飲むよりは、野菜をたっぷり摂るほうが美味しいし、DHAEPAなども魚を食べる方が安上がりで旨い。以前、大滝秀治が「黒酢」のコマーシャルで中国人は日本人の何倍も酢を摂っていますと言っていた。だから何だ。中国人が日本人より健康だというのか。さすがにマズイと気がついたのか、最近は無くなったが。

 それと、よく聞くのは「国から認可を受けた健康食品」といううたい文句だが、医療用医薬品ならいざ知らず、こんなものは国が認可したと言っても効能があることを保証したわけではない。せいぜい、毒にはならないだろうと云った程度のものであろう。それも、100%安全というわけではない。なにせ異物を口に入れるわけであるから、アレルギー反応を起す可能性はある。普通の食品(ソバ、卵など)でもアレルギーで食べられない人がいるのだから。

 とはいえ、かく言う小生もサプリメントを摂っている。登山好きの私は何時の頃からか膝の痛みに悩まされるようになってきた。登りはまだよいのだが、下りになると体重と荷物の負荷がもろに膝にかかってきて痛みがひどい。ある時山仲間が、サプリメントが効果があったというので、小生も試してみようと思った。藁にもすがる気分である。何がよいか? 軟骨成分のサプリメントとしては、グルコサミン、ヒアルロン酸、コンドロイチンなどがあるが、経口で摂って効く可能性があるのは低分子(分子量数百)のグルコサミンだけだろう。あとのものは巨大分子で消化管から吸収されるとは考えられない。

 というわけでグルコサミンを飲み始めた。数ヶ月経った頃のことである。近くのポンポン山へハイキングに出かけたとき、坂が軽々と走って下れるではないか。こんな事はここ何十年か経験したことはない。グルコサミンが効いたと直感した。友人の整形外科医に話すと、医者のくせにそんなもの飲むなとおっしゃる。効果があるとは証明されていないだろうが、効果がないと証明されているわけでもないだろう。とにかく私的には効果があったのだ。以来、あんな感激的なことはもうなく、重い荷物を担いでの下りは相変わらず膝にこたえるが、飲むのを止めるともっとひどいことになるかも知れぬと飲み続けている。

 大半のサプリメントのリピーターも効果は半信半疑だが、飲むのを止めるとひどいことになりそうで飲み続けているのだろう。

 

消炎酵素剤

 最近、ニュースで消炎酵素剤の一つであるダーゼンが臨床試験で無効であるとの結果が出たと出ていた。この薬は1968年に発売されたから40年以上も使われていたことになる。 小生が学生の時はまだ発売直前であったが、当時の内科の教授が講義で云った言葉が今も記憶に残っている。「常識で考えると効くはずがないのだが、実際には効いているから不思議だ。」その教授は当時申請に使われた臨床試験の結果を知っていたのだろう。当時どのような試験が行われたかは知らないが、現在のような厳密な二重盲検試験が行われたとは考えられないから、作為的とは云わないまでも何らかのバイアス(効果があるという結果が出ることへの願望)が臨床試験の結果を左右する可能性があったかもしれない。

 「常識的には効くはずがない」というのは、消炎酵素は蛋白質であり口から飲むとほぼ完全に消化管で分解されるし、またタンパク質のような巨大分子は消化管から吸収されることもない。万一、吸収されて血中にはいると、これは蛋白分解酵素の一種であるから血中にあるタンパク質を分解して大変なことになる。血中では不活性で炎症部位に来て初めて活性化されて炎症に関わる蛋白を分解するというのだろうが、話が大変遠い。まあ普通に考えるとあり得ないと思われる。この手の薬は欧米では承認されていない。

 では、何故40年もの間漫然と使用され続けてきたのだろう。その原因としては以下のことが考えられる。慢性気管支炎の痰の切れを指標とした今回の臨床試験で、ダーゼンを投与された患者も、プラセボ(偽薬)を投与された患者も60%以上の効果があったという結果が出ている。つまり、臨床医から見るとダーゼンを処方した患者の3人に2人は効いたということになる。現場の臨床医がプラセボと効果を比較することなどはないから、ダーゼンは効果のある薬だと考えるのは当然である。

 この製薬企業は40年間、効かない薬を売り続けて数千億円という売り上げを挙げたことになる。しかし、古くから使われている薬を洗い直すと怪しげなものはいっぱいあるだろう。漢方薬なども全ての効能を否定するわけではないが、多くのものは怪しげなものだと考えるのは、西洋医学にかぶれた小生だからだろうか。

 最後に、「常識的には効くはずがない」というのは勿論「絶対に効かない」ことを意味しない。今日の常識は明日は常識ではないかもしれない。しかし、40年間売り続けた企業はそれが効果があることを示す新しい常識を提示すべきであった。

 

2010年回顧

 現在、67歳。数え年ならば69歳となった。

 老人の一年はまことに淡淡と流れるように過ぎてゆく。若いときは生活にメリハリがあり、また色々なことに対して感動するから想い出が多い。周囲に対して興味を持ち、物事に感動することが若さを保つ秘訣だろうが、歳をとると諸事面倒になりなかなか難しいことだ。

 昨年は海外旅行を3回やった。こんな事は生涯初めてのことだ。2月にカンボジア、9月にアメリカ東海岸、そして10月に中国。老境になると出来るだけ宿題は速く片付けておきたいという焦りのようなものがさせたのだろう。

 国内旅行は、夏に孫たちを連れて四国の故郷・徳島県三好市(小生)と牟岐町(家内)へ墓参に行った。これは孫たちに一度は父祖の地を見せておきたかったからだ。さて、記憶に残してくれただろうか? 途上で一泊した淡路・沼島の宿は覚えてくれているだろう。何しろハモ料理と海水浴は大変喜んでいたから。

 それと、秋の島根・岡山旅行。これは昔留学していたときの同窓会みたいなものだ。石見銀山・松江では小泉八雲の曾孫の講演・奥出雲の佐藤忠吉翁との交流、たたら製鉄の遺跡・備前では閑谷学校・藤原啓記念館・長船日本刀製作所といつもの私の旅とは異なり、知識をいっぱい詰め込んだずいぶん知的な旅行となった。

 山は一泊以上のものは、浅草・守門岳、北アルプス栂海新道、四国剣山系三嶺、同じく矢筈山・烏帽子山の4回と寂しいものだった。年々体力の衰えを感じつつの登山であった。

 自転車は九州縦断(下関−佐多岬)のみであった。昨年秋の眼の怪我があとを曳いて、ゴールデンウィークまで逼塞していたためだ。

 しかし、振り返ってみるとまあまあ遊んでいる方かな。

 作詩(漢詩)は30首足らず。これも目標は毎週一首であるので、半分しかできなかったことになる。日々の生活に感興が呼び起こされることが少なくなったこの頃では詩の題材が無くて苦労している。

 書道は孫過庭の書譜と懐素の千字文の臨書。どちらも先生に厳しい批判を受けながらボチボチとやっているが、なにせ月に3日しか練習しないのではあまり上達しないのも無理はないか。

 囲碁は昨年一局も打たなかった。知的ゲームとしての囲碁は大好きなのだが、勝ち負けが伴うのが苦になる。

 最後に仕事のこと。以前からの週2日(半日ずつ)の仕事に加えて、秋から以前務めていた伊賀上野へまた行っている。月に3日だけであるが。春になればまた早朝サイクリングが出来るだろうと楽しみにしている。ただ、古い知識だけでは勤まらず、現代の水準について行こうとすると相当に勉強が必要なので年寄りには苦痛である。