年末所感 (Dec)
原子力発電の終焉 (Nov)
小児甲状腺癌 (Sept)
鮎喰い (Aug)
歴史ドラマ「ローマ」 (July)
プリウス (May)
心臓の不安(Apr)

アルジェリアのテロに思う(Feb)

2012年回顧
 (Jan

 

2012年 独り言
2
011年 独り言

2010年 独り言

2009年 独り言

2008年 独り言

2007年 独り言


年末所感
 この一年、日本の国内外の情勢が随分きな臭くなってきている。

 第一に尖閣諸島問題だ。このところの中国側の防衛識別圏設定や艦艇による活発な領海侵犯の活動は、明らかに先に日本が行った尖閣諸島の国有化に対するリアクションであろう。領土問題のような当事国がセンシティブになっている事柄では一方がアクションを起こせば必ず他方からのリアクションがある。遡れば日本の国有化処置も中国の南沙諸島囲い込みのような厚かましいというか、鉄面皮というか、貪欲な拡張主義に対するリアクションだろう。このようにリアクションがさらにリアクションを生み、だんだんエスカレートしてゆく。
 日本はここは元々日本固有の領土だから領土問題は存在しないという立場を取っているが、中国が自国領だと主張する以上、客観的に見て領土問題は存在しないとはいえないのだろうな。昔読んだ「水滸後伝」(明代に書かれた小説)に梁山泊の残党(宋の遺臣)と日本の関白(豊臣秀吉がモデル?)との間で釣魚島を取り合いする話が出てくる。これが現在の釣魚島(尖閣諸島)と同じなのかどうか知らないが、少なくともその当時の中国人にはそんな名前の島が存在しているという程度の領土意識はあったのだろう。
 心強いことにアメリカが日本の応援をしてくれているが、それとても軍事戦略上、尖閣諸島が日本側にある方が良いからであって、別に日本側に正当性があることを認めている訳ではないだろう。
 領土問題が話し合いで解決するとは思われない。といって、こんな小さな島の問題で戦争になることもないのだろうが、双方の軍隊が敵意を持って接している状態では偶発的な軍事衝突ぐらいは起こるかもしれない。
 そう考えてくると、中国には悪いが早く習政権が内紛でガタガタになって、尖閣諸島のことなどには関わる暇がない状態になったらと願いたくなる。

 第二は秘密保護法成立。これは我々庶民には何が何だかよく判らないうちに成立してしまった感がある。
 この法律がないと困る理由として挙げられていたのは、外国から重大な秘密の情報を教えてもらえないというのがあった。それ以外に何があったのかな? これは理屈としては判るが、何となくピンとこない。じゃあ、今までどんな秘密を教えてもらえなくて困ったことがあったのか、具体例の一つでも教えてもらいたい。
 アメリカでは、CIAの職員が秘密情報を持ち出して亡命する事件があった。このとき、一番心配されたのは海外でスパイ活動ををしている人員が危険にさらされるということだった。日本にも海外で捕まるとやばいような情報活動をやってる人がいるの? 
 今回、我々にこの法律がよく理解出来ないのは、具体的にどんなものが秘密になるのかさっぱり判らないことによる。だから、役人が自分に都合の悪いものを隠してしまうための法律だろうなどと勘ぐられるのだ。

 昨今の日本の状態は、昔、通ってきた軍国主義への第一歩ではないかという不安感がぬぐえない。70歳となった私自身にはもう関係のない将来の話と言ってしまえばそれまでだが、可愛い孫たちには明るく平和な社会で生きていってもらいたいと願うばかりである。
 別に、日本が世界の強国になる必要はない。ユーラシア大陸の東の片隅で、平和で心豊かな小国として存在出来ればよいのではないか。

原子力発電の終焉
 小泉元首相が原子力発電を終わりにして、代替エネルギーの開発推進するようにとの提言をしている。これだけの大事故を起こして未だに解決への道筋さえ見えない状態では、もっともな提言と思える。また、全国の原発には核廃棄物が山積みとなっており、これも最終的にどうするのか結論が出ていないようである。これこそ国の安全保障上の大問題ではないのだろうか。原発にミサイルを撃ち込まれたり、テロ攻撃を受けたりするとたちまち第2、第3の福島事故が起きて収拾がつかない状態となる。軍事力増強よりはこちらの整備の方が先に解決すべき問題だと思える。
 先日のニュースで菅元首相が原子力ムラの存在について言及していた。これは年間数兆円の予算を握る政財学界を通じた強大な利益集団らしいが、誰がリーダーシップをとっているということがはっきりしないまさにムラ構造の集団のようだ。果たしてそんなものが存在するのだろうか? 仮にも元総理大臣が言うのだから、本当に存在するのだろう。
 当然、現政権や自民党の中枢部はその中にどっぷりと含まれていようから、利権を失うような小泉元首相の提言に同意しようはずはないし、原発廃止の方向に対してはあらゆる手段を講じて抵抗するに違いない。
 しかし、現実問題として長いスパンで見るならば原子力発電は終焉に向かっているのではないだろうか。現在停止中の原発の再稼働は過渡期の措置としてやむを得まい。しかしいずれは使用期限が切れ廃炉となるときが来る。それまでに原発の新設が出来るだろうか? 国民感情としては、これを許さないのではないか。
 ドイツは既に原子力発電の廃止に向かっての道のりを辿っているが、そのドイツにしても核廃棄物の最終処分をどうするかが決定されていないようである。日本のような地震多発国で千年単位で核廃棄物を安全に保存出来るような場所があろう筈もない。
 まあ、ここ百年ぐらいの間に国民が安心してこれなら安全といえるような方策が出されない限り、原子力発電はお終いになるのではないだろうか。

小児甲状腺癌
 福島原発は未だに汚染水漏れ事故があり、終息するまでに果てしない時間が掛かりそうであるが、先月福島県で小児甲状腺癌が増えていることを示唆する調査報告があった。
 それによると、福島県の18歳未満の36万人に対して行った検査(そのうち何名が検査を終了したのかちょっと不明)で18名が癌と判定され、疑いのあるとされたのは25名に及んだ。
 これは今までの常識から考えるとビックリするほど高い発現率のように思える。今まで云われていた小児癌全体(10歳以下)の発症率は10万人あたり10~15人であり、その中で一番多いのは急性白血病(4~5/10万人)で、甲状腺癌は順位としては非常に低いものとされていて、通常100万人あたり1人か2人程度と言われているようだ。
 勿論、今回の調査はスクリーニングであってほとんどの癌は無症状の小さなものだろうから、症状が現れてから診断された発症率とは異なるかもしれない。しかし、癌が自然治癒することはほとんどなく、いずれは発症することを考えると今回の調査は発症率の先取りをしているといえよう。
 チェルノブイリの原発事故でも小児の甲状腺癌の発症率が増加しているが、事故から4年後に急激に発症率が増加した。今回の調査では事故後2年時の調査での発現率であり、原発事故の影響とは考えにくいとの意見が調査関係者から出されているが、現在の高精度の超音波装置でチェルノブイリ事故当時に検査をしていたら、2年後でも癌発現率の急激な増加が観測されていたのではなかろうか。
 いずれにしろ、今後の推移を心配しながら見守ってゆきたい。また、調査を東京を含む関東一円に広げる必要があるのではなかろうか。それと今まであまり真剣に考えずに、何となく福島の事故はチェルノブイリに比べると問題にならないくらい小さいものだと思っていたが、ひょっとするとずっと大きかったのかも。なんと言っても、小沢一郎が東京から逃げ出したらしいからね。
 こんなことがあると、放射能汚染に関する政府発表も眉に唾して聞かねばならない。本当のことを発表すると首都圏が大混乱になったかもしれないから、押さえ込んだ可能性もある。

鮎喰い

 鮎が大好きだ。もちろん食べるのがである。だいたい淡水魚は海の魚に比べると旨くない。ただし鮎だけは別だ。それとウナギか。イワナ、ヤマメなどのマス科の魚はありがたがるほどのものではない。
 まあ、鮎のような味の魚は他にはない。身が旨いのはもちろんだが、はらわたのほろ苦さがまたたまらない。それと骨が柔らかいのでよく焼いたのを頭からパリパリと食べるのが快感である。もちろん天然鮎だよ。
 鮎が好きな人は多いようで、一年に100尾は食べないと満足できないと誰かが言っていたが羨ましい。小生はせいぜい20尾かな。
 子供の頃、四国吉野川上流の村で育ったので、夏場のご馳走は鮎だった。村に漁師がいた記憶はないが、中学生ぐらいの男子はたいがい夏休みには一日中川に浸って鮎捕りをやっていた。箱メガネで覗きながら、竹竿の先に付けた大きな針でしゃくって引っかけるのである。いい小遣い稼ぎになっていたようである。
 父が開業医であった小生は、とてもそんなことはやらせてもらえなかったが、捕った鮎を売りに来ていた少年がいて、持ってきたときは必ず買っていたようである。それと患者さんからの付け届けがあった。一度、大きさ5センチぐらいの小鮎をバケツに一杯もらったことがあった。大歩危小歩危に鮎戸の瀬という急流があり、初夏に遡上してきた小鮎がそこを上りかねて手前の淵に群がっているのを網で掬うのだそうだ。このときは焼いたり天ぷらにしたりして半分ぐらいは片付けたが、残りはおいしい卵を産んでもらいましょうとニワトリの餌にした。今思えば佃煮にでもすれば保存がきいたのに。
 当時の我々の感じでは、鮎は大きいものが珍重されていたように思う。清流だった吉野川には岩苔が豊富に付いていたのか、鮎が大きく育った。上流の大歩危辺りでは一尺ほどにもなりサバ鮎とよばれたようである。私の村でも百匁(375g)ぐらいの鮎はよく捕れていた。そういった鮎はよく太って肩が盛り上がっており、焼くと脂が滴ってきた。肩の辺りは肉半分脂半分でギトギトしていたが、これが成長期の子供にとってはたまらなく旨かった。本などで鮎はあっさりした魚だと書かれているのが全く理解できなかった。今では養殖ものでないかぎりそんな鮎にはお目にかかれない。自分で鮎釣りができない悲しさである。それはそれとして、古稀を迎えた小生にも、関西の料亭で出される15センチぐらいまでのすらりとした鮎の塩焼きの滋味が好ましいと思えるようになってきた。
 一昨年、サイクリングで郡上八幡を訪れ長良川の鮎を食べたとき、昔ほどではないが大きな鮎の塩焼きが出た。亭主の話ではこの辺りでは大きな鮎が珍重されているような口ぶりだった。やっぱりこれはこれで脂がのって旨い。結局、どんな鮎でも、鮎は旨いのだ。

歴史ドラマ「ローマ」
 ネットの動画配信サイトで「ローマ」という歴史ドラマを見た。イギリスのBBCとアメリカのテレビ会社の共同制作で、8年の歳月と大金を費やして作ったそうだ。英米では2005年から放映され、日本でも2010年に放映されたようだが、全く知らなかった。
 大変面白かった。私は高校時代に世界史を選択しなかったので、ギリシャ・ローマの歴史には全く疎い。後年、「世界の歴史」などの全集も読んだのだが、まるっきり頭に入ってこなかった。それがドラマで見るとスッと覚えられる。まあ、かなり潤色もされているのだろうが、それはたいした問題ではない。
 「ローマ」は第一集はシーザーが主人公でガリア地方で勝利を収めてから、暗殺されるまで、第二集は第一集では少年であったシーザーの後継者・オクタヴィアヌス(アウグストス)が主人公となり宿敵のアントニウスを滅ぼすまでのお話である。
 シーザー、ポンペイウス、キケロ、アントニウス、ブルータス、アウグストスなどばらばらで覚えていた名前がそれぞれ関係を持って頭に入った。美術の時間にデッサンさせられた石膏の頭の人物・アグリッパはアウグストスの片腕だった将軍なんだ。
 このドラマは日本ではR15に指定されたそうだが、よく公共放送のBBCが作ったなとびっくりするほどセックスシーンが多い。それもヘア、オチンチン丸出しの全裸でだ。しかし、日本のドラマのように淫靡な感じがなく、カラッとして明朗である。シーザーの姪が元シーザーの恋人であるブルータスの母(敵対する関係)にペニスの大きい黒人奴隷を贈り物にするシーンがあるが、ペニスをリボンを付けて飾っているのには笑ってしまう。クレオパトラも当然出場するが何かヤンキーの女の子といった描かれ方をしているが、それはそれで納得してしまう。
 ローマ貴族の権謀術作を尽くした抗争も面白いが、その裏の女性たちの確執、抗争もここまでやるかと思うほど凄まじい。まあこれは真実かどうかわからないが。
 それとこのドラマには一、二集を通じて二人の男、舞台回しの役割の庶民(軍人から一般市民になる)が出てきて、ローマの市民階級の生活を見せてくれる。キリスト教以前の信仰や迷信、死と隣り合わせの殺伐とした生活、その中での家族や男女の愛憎などが描かれ実によくできたストーリーに感心する。
久しぶりに面白いドラマを見た。

プリウス
 昨年8月、11年乗ったスバル・レガシーからトヨタのプリウスに買い換えた。レガシーに不満があったわけではない。ほとんど故障知らずで実によく走ってくれたし、まだ何年かは快調に走りそうだった。
 この車を買ったのはそれ以前の乗っていたワゴン車が1500ccエンジンで加速性能が実に悪く、ランプウェイから高速道路に乗り入れるのにも不安があるほどだった。それで今度はエンジンの大きいのをと考えたのが第一の動機であった。それと、当時60歳前でまだまだ山に登りたい頃だったので、林道などの悪路で威力を四駆は魅力だった。レガシーの中でランカスターというのはタイヤが太くクリアランスが大きいので、石で底を打つことも少ないだろう。ということでランカスターというのを買った。2500cc四気筒と3000cc六気筒があったが2500ccで十分だろうと、2500ccにした。 
 以来、林道、雪道でも快調に走ってくれた。高速道路でも実に気持ちよく走る。名阪国道の天理の上り坂もグイグイ登って行く。
 ところが、11年経ってこちらが70歳近くなってくると少し荷が重くなってきた。スピードが出過ぎるのである。高速道路でボーッと走っていて、気がつくと140キロぐらいにスピードが上がっている。元来スピードを出すのが嫌いではないので、2、3年に一度ぐらいはスピード違反をやっていた。そんなわけで免許証がゴールドになったことは一度もない。
 昨年2月、立て続けに2回スピード違反でつかまった。これはまずい。一年以内にもう一度つかまると、免許停止になる。すぐにレーダーも設置したが、どうもあと一回でアウトというのは気が休まらない。警察もレガシーを目の敵にしているのではないかなどとあらぬ疑いまで湧いてくる。
 以前よりプリウスの評判やハイブリッドカーというメカニズムが気にいって、次の車はこれと決めていた。レガシーの車検が済んでまだ半年しか経っていないがもう待てないと注文して、8月の納車となった。
 プリウスに乗りだして、まず感じたことはこの車ではスピードは出せないということだ。馬力がないということではない。エンジンは1800ccだがバッテリー出力を加えると2300cc相当となる。パワーモードにして運転すると加速性能も十分高い。ただ、パネルにある燃費のインディケーターが気になるのである。アクセルを踏み込むととたんに燃費が悪くなる。ガソリン消費量の少ない走り方は? いろいろ工夫をして、燃費向上に挑戦しようという気にさせられる。
 今は、高速道路でも追い越し車線などには出ず、100キロ以下の定常走行でアクセルもできるだけそっと踏む。これでスピード違反を起こす確率もグッと減る。少しずつ燃費もよくなり、今は25km/lぐらいになった。
 車種によって、運転態度がこんなにも変わるのかと少々驚いているこの頃である。

心臓の不安
 このところ、不整脈が頻発していて少々気持ちが悪い。期外収縮の散発のようだから命に別状はないだろうと高をくくっていたが、そのうちホルター心電図でもとってもらおうとは思っていた。
ところが先日、スポーツジムで自転車踏みをやっていて、負荷をちょっと上げて脈拍数が160を越えた辺りで心臓の辺りに軽い痛みが走った。「アッ、ヤバッ。」 運動を止めるとすぐに痛みは治まったが、いよいよ狭心症かと不安になる。持病に高脂血症と糖尿病があり、亡父は85歳の時腹部大動脈瘤の手術したので、動脈硬化が進行している可能性は高い。人間ドックの眼底所見でも軽い動脈硬化がある。
 翌朝一番に、同級生の循環器専門医が近くで開業しているので診てもらいに行った。心電図では異常はないが、聴診で軽い大動脈の逆流があるようだとのこと。大動脈弁の硬化である。さすが専門医だ。小生などはとてもこんな音は聞き取れない。
 精密検査のため、すぐに国立循環器病センターの知り合いのドクターにアポイントメントを取ってもらい、その足で国循へ向かう。さすがに筋を通すと話が早い。幸い翌日、空きがあるので取り敢えずトレッドミル負荷心電図をとり、その結果により冠動脈CTに進みましょうということになる。
 トレッドミルとかエルゴメーターによる負荷心電図は階段の上り下りによるものに比べて格段に負荷がきつく狭心症発作を起こすリスクがあるので通常は医師の監視の下で行われる。まず、同意書にサインをして試験に臨む。さすがに大病院である。研修医らしい若い医師が3人も周りに付いてくれる。トレッドミルはいつも行っているジムのマシーンに比べてベルトの長さが短く、油断するとすぐに後ろに落ちてしまいそうだ。
 胸に電極を着けマシーンにのって、いよいよ試験の開始である。緊張しているのか最初の血圧が150近くある。普段は120程度なのに。だんだんスピードが上がってゆき、ランニングの状態となる。傾斜を一杯に上げられ、全力疾走だ。心拍数が160、血圧は190まで上がる。もうこれが限度、息が上がり腰がふらついてきて、ベルトから落ちそう。ということで、ここで終了となる。汗ビッショリである。こんなに長く全力疾走したのは走るのが嫌いな小生にとって100m走をやった高校以来ではないだろうか。医師たちはもう少し心拍数を上げたかったようであるが、もう無理。自転車踏みならもうちょっと頑張れたかもしれないが。今日は、心拍数が160になっても胸痛はなかった。しかし、激しい運動をやっているときに、こんなに血圧が高くなっているとは知らなかった。
 翌週、結果説明。負荷心電図において心筋虚血の所見は全く見られないとのことで、これ以上の検査は必要なしとなった。不整脈も見られたが、心室性期外収縮で特に問題となることはないでしょうということで、結局何もしないでよいということだった。
 まあ、小生がやっている程度の登山やサイクリングでは心拍数が瞬間的に160ぐらいになることはあっても、持続的に150を越えることはないだろうから、当分安心して今の程度の運動は続けられる。
 以上のような結末で、一安心となったのだが、一方ちょっと残念な気持ちもしている。というのは、このところ山でもサイクリングでも急な坂を登るのがだんだん苦しくなってきているので、冠動脈をステントで押し拡げるとぐんぐん楽に登れるようになるのではないかと夢見ていたのであるが、これは夢想に過ぎなかった。呼吸機能や筋力の衰えはまた別の問題だ。

アルジェリアのテロに思う

 アルジェリアでプラント建設に従事していた日本人がテロの犠牲となった。それも他の欧米人の巻き添えになったというより、はっきりと日本人がテロのターゲットとなっていたようだ。元来、イスラム教徒の西洋諸国に対する反感はイスラエル建国に由来するものと理解している。それ故、イスラム原理主義者(?)によるテロに対して、イスラエル建国と何の関係もない我々日本人は対岸の火事のように見てきていた。しかし、これからはイスラム圏への観光旅行もリスクは大きいと考えられるし、日本国内に於いてもテロ攻撃が起こりうることも考えておかねばならない。
 アルカイダの首領、オサマビンラディンが殺されて、これでアルカイダによるテロ活動は収まるのかと思われたが、なかなかそうではないようだ。頭を失った組織は分派化して独自に活動し始めているようで、攻撃対象にしても見境がなくなってきているというか、却って対処が難しくなっているのではないだろうか。まるでモグラ叩きのような状態だ。
 アメリカは9.11の報復としてアフガニスタンを攻撃し、ついにビンラディンを殺した。ここまではアメリカ国民の心情を思いやれば、まあ理解できるしやむを得ないことだったのだろう。しかしこれで終わりではなかったことも今回の事件で明白となったし、ますます厄介なことになってきたと思われる。攻撃と報復の連鎖が果てしなく続く恐れがある。 テロ組織を撲滅するといった戦術的対応ではなく、イスラム教徒が暴力的行動に走る原因を分析しそれを抑制する戦略的対応を取ることが求められている時ではなかろうか。

 話は変わるが、アメリカの軍事スリラー作家、トム・クランシーの作品にジャック・ライアンを主人公とするシリーズがある。「レッド・オクトーバーを追え」「パトリオット・ゲーム」などいくつも映画化されているのでご存じの方も多いだろう。ストーリーはだいたい正義の国、アメリカに対していろいろな攻撃がかけられるのを上手に撃退するというものだ。悪者はソビエト、IRA、南米麻薬組織、中国などである。日本もあった。JALの機長がジャンボで突っ込み、大統領を殺してしまうという話があった。近年の悪者はもっぱらイスラム過激派のようだ。
 シリーズの中で、CIA職員だったジャック・ライアンはだんだん位が上がってとうとう大統領にまでなってしまった。感じでは硬派の共和党大統領といったところであろうか。ストーリーは面白いので私もずっと読んでいたのだが、主人公が大統領になってからはちょっとついて行けなくなった。正義感はたっぷりあるが一直線過ぎて、とても一国を預かる器とは考えられず読んでいてしらけてしまうのだ。それでこのシリーズとはお別れした。 最近気が変わって、近作「デッド・オア・アライブ」を読んでみた。ジャック・ライアンはもう前大統領で、悪者は相変わらずイスラム過激派だ。長くて退屈なストーリーだった。
 読みながら考えた。一般のアメリカ国民がこれほど善玉、悪玉を割り切った話を喜ぶようではまだまだモグラ叩きが続くのだろうな。

2012年回顧

 2012年は私の60歳台最後の年であった。これから体力は急速に下り坂を転がり落ちるように衰えてゆくであろうからと、アウトドアの活動は心置きなく楽しんだ。生涯の記憶に残る年となるだろう。
 まず第一に3月のアイルランドサイクリング。これはたぶん生涯最初で最後の海外サイクリングとなるであろう。テントを積んでの2週間、約千キロの旅。美しい風景と人々との出会い。楽しくもあり、またうら悲しくもある一人旅であった。中でも心に刻み込まれた風景は西海岸の岸壁に打ち寄せる大西洋の白波であった。
 次いで五月のゴールデンウィークに行った九州大崩山から傾山、祖母山への縦走。満開のアケボノツツジに酔いしれた山旅だった。
 8月には、中国の華厳宗ゆかりの地を巡る参拝団ツアーに参加して、山西省と西安を廻った。特に山西省では雲崗石窟、五台山、平遥古城と三つの世界遺産を訪れた。ただ、行く先々の寺で般若心経を唱えさせられるなど、仏教とはゆかりのない私にとっては少々閉口させられるところも有ったが、なかなか行くのが難しいところなので良い機会であったか。
 8月には魁猿に誘われて、家内も連れて八ヶ岳の本沢温泉へ行った。ここは日本一高いところにある露天風呂とかで、頭上に硫黄岳の岸壁を見上げながらの入浴はなかなか気分良好であった。平日であったので大変静かだった。 
 9月には囲炉裏村の仲間と奥秩父の金峰山に登った。瑞牆山へも登るつもりだったが、すっかりバテてしまい、ギブアップした。金峰山は40年ぶりぐらいであったろうか。富士の眺めが大変よかった。
 10月には北アルプス穂高岳に登った。槍・穂高は老後の楽しみにととっておいたのだが、2年前に槍へ登り目の怪我をしたので今度穂高では命を落とすのではとちょっと怖じ気づいていたのだが、そろそろ登っておかないと本当に登れなくなるのではと思い切って出かけた。上高地から前穂への重太郎新道の登りで音を上げ、来年だったら無理だったかもしれないとさえ思った。しかしやはり北アルプスの岩峰の素晴らしさに感動して、どうしてもっと若い時に来なかったかと少々後悔した。初めは大キレットから槍ヶ岳へと向かうつもりだったが、眼下の涸沢の紅葉があまりに素晴らしかったので予定を変更して涸沢に下った。今年は十年来と言われるぐらいの紅葉だったらしく、まことに結構な思いをした。少し日程が余ったので蝶が岳に登り、徳本峠まで縦走した。これも静かな縦走でした。
 10月にはもう一つ国道418号線をサイクリングした。これは福井県の越前大野から南下して岐阜県に入り、岐阜県を東へ走って長野県の天竜川で終わる道で、日本三大酷道の一つとされサイクリストにとってもなかなか厳しい道であった。
 そのほか、1月に山仲間と一泊で敦賀の岩籠山へ登った。長浜で本鴨肉を買い、テントの中で鴨鍋をやったのだ。
 2月には家内を連れて坂巻温泉で一泊し、上高地をスノーシューでハイキングしたり、氷瀑となった平湯大滝を見た。
 5月には和歌山古座川へカヤック遊びに出かけた。
 この他、囲炉裏村の仲間と日帰りのハイキングは月一回ぐらいの頻度で参加したであろうか。
 現在、伊賀上野まで車で行き、ホテルに二泊して三日働いているのだが、比較的時間にゆとりのある仕事であり、日の長い季節は朝5時位から7時まで、夕方は仕事が終わってから暗くなるまで近郊を自転車で走っている。おかげでこの辺りの道は上野の人より詳しいぐらいである。
 さて、アウトドア以外の趣味であるが、漢詩は詩想が涸れてしまって好い詩が出来ずに四苦八苦の状態である。ホームページに載せる月一の詩にさえ苦労している。
書道のほうであるが、現在は米芾の行書を臨書しているが、相当に手強くなかなか師匠から花丸が頂けない状態だ。少なくともあと一年は頑張らないと。

 こんなようなことで、一年をまあ無事に過ごすことが出来た。こんな年寄りに仕事をくれるところがあるのにも感謝だが、糖尿病に持病を持ち、片眼を半ば失明状態となってここまで遊ばせてもらえるのには、快く送り出してくれる女房殿への感謝を忘れることは出来ない。