御開帳 (Dec)
シリア難民(Oct)
あべのハルカス(Sept)
健康食品 (Aug)
ウィーンの音楽会 (June)
今年の臨書 -黄庭堅- (May)
ホエイプロテイン (Apr)
肥満 南米で思ったこと
(Mar)
2014年回顧 (Jan)

2014年 独り言

2013年 独り言

2012年 独り言
2
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2007年 独り言


御開帳
 一ヶ月ほど前、伊賀上野での仕事を終えてサイクリングで伊賀市島ヶ原を走ったとき、観菩提寺正月堂の前のポスターで11月初めにご本尊の十一面観音の御開帳があることを知った。なんと三十三年に一度の御開帳とのこと。私は秘仏の御開帳を今まで見たことがない。これはお参りしなくちゃ。国の重要文化財らしいからきっと立派な仏様だろう。
 十一面観音といえば、奈良聖林寺や近江渡岸寺の十一面観音(国宝)を拝観したし、昔、井上靖の「星と祭」を読んで北琵琶湖の十一面観音をいくつか拝観したことがある。その中でも特に石道寺の十一面観音が気に入って何度も訪れた。いずれも美しいお顔の引き込まれるようでいつまでも眺めていたい仏様だった。
 島ヶ原の観菩提寺正月堂は小さなお寺であるが、重文の楼門、本堂はいつもは訪れる人も少ないひっそりとした美しい佇まいの寺である。ここでは旧正月に修正会という行事が行われる。これは東大寺二月堂で行われる修二会に似た行事のようで修二会に先立って行われる。この寺は修二会の行事を始めた東大寺の実忠和尚が創立したと伝えられており、創建当時は東大寺との関連がうかがえるが、現在は真言宗となっていて東大寺と直接の関係はなさそうである。
 さて、十一月初旬の日曜日、家内と連れだって拝観に訪れた。日曜日なので大混雑なのではと心配したのだが、それほどのことはない。ツアーバスが一台来ている程度で、行列も10分とかからずに本堂に入って行ける。
 小さな本堂の中の真っ黒い仏壇のなかにほの暗い光に十一面観音が浮かび上がっている。身の丈は二メートル近いらしく、今まで見ていた十一面観音とは異なり厳しいお顔をしている。深い精神性を持った男顔だ。唇には朱が残っているが、前に立つとなにか叱られているような気になる。こんな観音様もあるんだ。
 しばらく前にたたずんで、本堂の外に出ると明るい日に照らされた紅葉が眩しかった。 仏像の写真は境内で買い求めたものをコピーしました。実際は薄暗い厨子の中にありますのでもっと幽玄な感じがしました。
  

シリア難民
 最近やや下火になった感もあるが、連日のシリア難民に関するニュースは凄かった。次々とヨーロッパ、特にドイツを目指す人々。数十万人にも及ぶらしい。
 しかし、彼らは私の今までの難民のイメージとはちょっと違うような気がした。アフリカや中東でも国境の難民キャンプで暮らす人々は見るからに貧しく、その日の水、食料に事欠く様子が見て取れる。それに比べると、ヨーロッパを目指す難民はみんなこざっぱりとして貧しい人という感じがしない。これが本当に難民なのかな? 難民というよりはむしろ移民といった方がいいのではないのかな?
 難民と移民の違いは何だろうか。国を離れる理由として、生命の危険があるかどうかということらしい。そこにはその人の貧富は条件に含まれない。そうすると、シリアという地域を出発した人は一律難民とせざるを得ないだろう。
 シリアからヨーロッパは大変遠い。相当な金を持っていないとヨーロッパへは行けない。ヨーロッパを目指す人たちが難民キャンプで暮らす人たちと様子が違うのは当然だ。彼らはシリアにいたときはきっと相当レベルの高い生活をしていた国民だったのだろう。彼らの中には生命の危険というよりはシリアでの生活の将来性に絶望してよりよい生活を求めてヨーロッパへの移住を決心した人たちも多いと思われる。
 ドイツを始めヨーロッパ諸国は数十万人のシリア難民を受け入れることを表明している。しかし、ヨーロッパに定住した難民がそれなりの生活ができるとわかれば、シリアを流出してヨーロッパを目指す人たちはますます増えるのではないだろうか。ヨーロッパも増え続けるシリア難民をいつまでも受け入れることは不可能だ。
 結局、シリアの国情が安定しなければ難民も無くなることはない。シリアの現状を見ると、アサド政府、反政府勢力(一つにまとまっているかどうか?)、さらにイスラム国まで入り乱れてどう決着が付くのか見当もつかない。おまけに海外からロシアはアサド政権、欧米は反政府を応援してますます混乱に輪を掛けている。
 中東全体に拡がる危機的状況はその原因の一つにヨーロッパが中東に対して行ったいい加減な第二次大戦の戦後処理があるにしても、今一番大きな問題はイスラム教の宗派間の争いだろう。だったら、外部勢力はいっさい手を引いてイスラム圏内で解決してもらうより方法は無いのではないか。


あべのハルカス
 昨年、あべのハルカスがオープンしたことは聞いていたが、まったく関心はなかった。
 今年になって、仕事場である伊賀市へバスで通うようになってこのビルの近くを通るようになった。日本一高いビルだそうだが何とも殺風景な建物であることか。色もくすんだ色だし、すっきりと均整が取れた形とも言いがたい。大阪を代表するモニュメントとしての風格が感じられない。
 一度、家内とここの美術館で開かれていた「川喜田半泥子展」を見に来て、有名ならしいフレンチレストランで飯を喰った。半泥子はよかったが、レストランはもう一つだった。展望台には登らなかった。
 夏休みに孫が泊まりがけで遊びに来て、どこかへ連れて行けとせがむ。もうお盆なのでどこへ行くのも交通渋滞で大変だぞ。あれこれ悩んでいると、小学5年になる孫がi-phoneをチョコチョコ調べてあべのハルカスへ行ってみたいという。爺もこれは持っているが、電話として使うだけで、ラインも使うことができない。ましてネットに接続などしたこともない。この辺はもう孫について行けない。
 さて、あべのハルカスならお安いご用だと一安心。家内と3人で天王寺に向かう。ハルカスに入って、高さ280mの展望台に上る。幸いそれほど混んでいない。
 展望台からの眺めに驚いた。大阪って大都会なんだと感激する。真下の天王寺動物園や市立美術館、茶臼山の緑が鮮やかである。四天王寺もよく見える。通天閣はどこだ。ビルの間にえらく低く見える。やっぱりハルカスは高いのだと納得する。まっすぐ北へ上る谷町筋。大阪城がなかなか見つからない。上町筋を辿ってこの辺の筈だと目をこらすとようやく見えてきた。一度見つけるとあとはもうはっきりと同定できる。胸部レントゲン写真を見せられて何処に異常があるかと聞かれても全然解らないのに、ここと指摘されるとはっきり見えてくるのと同じだ。
 梅田方面に目をやる。ビルが林立しているので場所は解るが、どれがどのビルやら。どれも四角で没個性的だ。これがニューヨークならエンパイアステートビルやらクライスラービルなど一目でわかるビルがあるのだが。ようやく丸ビルを見つける。
 天王寺界隈は学校が多いな。運動場が10個以上見える。家内は自分の出身校がどれかと探してやっと見つける。魁猿の高校もこの辺だぞ。どれか解らん。
 南側の直下に大きな墓地がある。そういえば昔は阿倍野辺りは墓場だったと聞いたことがある。ちょっと向こうは長居の運動公園らしい。
 案内図を見ると遙か北東には京都タワーがしるしてあるが、今日は霞の中。今度は正月の澄み切った空気の時上ってみよう。
 そんなこんなで、1時間以上景色を楽しんだ。東京のスカイツリーはもっと豪快だろうな。今度東京へ行ったときは必ず上ってみよう。そういえば東京タワーへも上ったことがなかった。
 下へ下りて、昼食に天ぷら定食を食べてグルメの孫は大変満足だったようだ。


健康食品
伊賀まで来て仕事をしていると、仕事が早く終わっても梅雨時自転車で走ることも出来ない。そこでホテルへ帰ってテレビを見るぐらいしかすることもない。午後のテレビで私が見ようかと思うものはせいぜいサスペンスの再放送ぐらいしかない。
 ベッドに横になって、「相棒」などを見ていると、驚かされるのは健康食品の凄まじいまでのコマーシャルである。私の見るようなものは多分主婦は見ないだろうから、対象はどうしても老人ということになる。近頃の老人層は結構健康に関心を持っていて、経済的にも余裕のある人が多いらしいから、この辺りを引きつけると結構金になるということだろう。
 まず、青汁。いくつかのブランドを見ると、どれにも必ず大麦若葉が入っているから、まあ大部分はこれなのだろう。そのほかにはアシタバ、ケール、ゴーヤ、茶葉などの成分が入っているようだが、あまり成分比は示されていないようだ。しかし、私も最近十分な野菜を摂っているかといわれると少々心許ないので、ちょっと飲んでみようかと思わせるような魅力的なコマーシャルである。
 そのほか、スッポン、シジミ、ロイヤルゼリーなど、昔はマムシもあったが、いかにも精の付きそうな代物。植物ではウコン、黒酢、ブルーベリーなどどれもうさんくさそうなものばかりだ。あまり飲む気にはならない。
 プラセンタ、なんだこれは、動物の胎盤から取ったものだろうが、気持ち悪い。
 ・・・酵素。訳のわからないものの極致だな、これは。こんなものが効果があるわけがないことは確信を持っていえる。
 まあ、どれも少なくとも害はなさそうだ。金を持っている年寄りどもはせいぜいはき出したらよいだろう。かく言う私もグルコサミンを毎日せっせと飲んでいるので偉そうなことはいえないのだが。

ウィーンの音楽会
 
五月中旬、ウィーンへ行くツアーに参加した。「春のウィーン音楽紀行」といって、佐渡裕指揮、辻井伸行ピアノ演奏で行うトーンキュンストラー管弦楽団の演奏会を聞きに行くのが目的のツアーだ。
 何でわざわざウィーンまで行って日本人の演奏を聴かなあかんのや。家内曰く「日本におってもなかなか聞かれへんのよ」。
 日程を見ると、オプションでドナウ・バッハウ渓谷クルーズというのが入っている。これはちょっと行ってみたいし、自由行動でウィーンの森も半日ほどは散歩できそうだ。ということで俄然行く気になった。それに、小生は一月に一ヶ月パタゴニアをさんざん遊んできたので、女房殿に対して少々申し訳ないという気もあり、ここは荷物持ちで付いて行こう。
 バッハウ渓谷とウィーンの森については別に紀行文を書くとして、ここではクラッシック音楽など馬の耳に念仏である素人のコンサート見聞記を少し書こう。
 このツアーの参加者はさすがにみんな音楽オタクのようで廻りで話していることが専門的だ。ツアコンまで合唱団に所属して歌っているとのことで、全くの場違いは小生だけのようだ。まあ、そうはいっても小生だって解らないながらも耳に快い音楽を聴くのは嫌いではない。現に運転しているときは大体NHK-FMを聞いている。
 さて、演奏会場はウィーン楽友協会大ホールである。いつも年末にはウィーンフィルがワルツの演奏をやっている所だ。小生は今まで大阪のフェスティバルホールとかザ・シンフォニーホールぐらいしか入ったことがないが、このホールのまあきらびやかで見事なこと。木造のため音の響きが素晴らしいらしいが、これは小生には解らぬ。
 開演が近づくと会場はほぼ満員になる。我々以外にも日本からのツアー客がだいぶ入っている。佐渡氏は秋からこのシンフォニーの音楽監督に就任するようだから、いつもこれぐらい日本からの客が入ると楽団はほくほくだろうな。
 やがて佐渡氏が登場する。身長もあり指揮台に立つと立派な押し出しだ。最初の曲はドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」だ。なんか、聞いたことのあるメロディーだ。佐渡氏は全身を使っての派手な指揮振りである。
 次は今回のメインの曲、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番である。佐渡氏が辻井伸行氏の肩を抱きかかえるようにして現れる。佐渡氏は辻井氏を大変かわいがっている様子が見て取れる。
 音楽自体は最初のクラリネットの独奏が大変印象的であったが、後は素人の私にはよく判らない。ただピアノ協奏曲にしてはピアノの音がオーケストラの音にのみ込まれてしまっているように思ったが、これは曲自体がそういう風に作られているのかも。大拍手で曲が終わった後、アンコールとして辻井さんが短いピアノ曲を弾いた。ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」のさわりらしい。澄んだピアノの音色が会場によく響いて、何か私でも胸に迫って涙がにじむ思いをした。横ではかみさんが涙をボロボロ流している。見渡すと我々だけではなくあちらこちらで涙を流している聴衆がいる。うーん、よく判らんがなんでで泣けるのやろか? 大したもんだ。
 インターミッションでかみさんと一緒にシャンパンを傾ける。なかなかおしゃれだな。 最後はベートーベンの交響曲だったが、特に印象はない。ただ快く聞いていただけである。
 何年ぶりかの音楽会だったが、快い一夜だった。

今年の臨書 -黄庭堅-
 昨年秋から蘇軾の「黄州寒食詩巻」を臨書し、それを終えると「前赤壁賦」に進む予定だった。初めは書きやすそうだと感じた「黄州寒食詩巻」だが、なにかとても難しく感じ始めた。それと自分にぴったりとこないというか、あまり元気に書く気がしなくなった。
 それよりも「黄州寒食詩巻」の直後にある黄庭堅の跋の方に心惹かれた。それで、先生にお願いして、黄庭堅に乗り換えることにした。
 黄庭堅は蘇軾とほぼ同時代の人で、若くして進士に及第し新進官僚としての道を踏み出す。30歳過ぎの時、蘇軾に詩を献じて弟子としての礼をとったが、蘇軾は彼の才能を評価して友人として遇したようである。
 しかし、政治的には旧法党に属したため地方に左遷されることが多く、不遇の生涯であったが、彼の芸術的才能の昇華には幸いだったのかもしれない。
 黄庭堅(黄山谷)は北宋四大書家の一人として米芾、蘇軾、蔡襄と並び称され、また北宋四大詩人の一人として詩人としても優れていた。
 あるとき蘇軾が彼の書を「木の枝からぶら下がった蛇のようだ」とからかったら、すぐに先生の書は「石に押しつぶされた蝦蟇のようだ」と返した逸話がのこっている。二人の間の親しさがよく表れている。
 彼の書を見ると、確かにひょろひょろと長い横線や縦線が目立つ。これをどう引いて行き、字全体のバランスをとるのかが課題だろうか。
 書き始めたのは「松風閣詩巻」であるが、第一回の添削で先生からこの書は私に合っているようでよく書けているとの評を頂いた。ちょっと元気が出てきた。これからしばらくは楽しめそうだ。


ホエイプロテイン

 前回、書いたようにアルゼンチンで筋肉質で太めの人が活動的なのを見て、カロリー制限で体重を落とすことを目指すのではなく、しっかりと筋肉を付けるように試みてみよう。 そうすると食事は高タンパク食ということになる。たしかに彼の国では肉をバリバリと食べていた。しかし日本の肉は多かれ少なかれ霜降りになっているから、あんなことすると高タンパクの前に高脂肪食になる恐れがある。卵も良質のタンパク質だが、黄身には多量のコレステロールが含まれている。と言って白身だけ食べるという訳にもいかない。タンパク(蛋白)はもともと卵の白身という意味だ。
 ネットで調べてみると、ボディビルダーなんかは筋トレの前後にホエイプロテインなるものを摂取しているらしい。これがあの筋骨隆々とした体を作るのにいいらしい。
 ホエイプロテインとは、乳清タンパク質といってチーズを製造するときに残った上澄みに含まれるタンパク質だ。牛乳にはカゼイン(80%)とホエイプロテイン(20%)の二つのタンパク質が含まれているが、カゼインは全てチーズの方へ行ってしまう。ホエイプロテインは残りかすみたいなもので、乳製品の会社にしてみれば廃物利用だろう。
 ホエイプロテインは吸収が速く、急速に体内で利用されるようだ。従って強い運動で傷害された筋肉の回復にはもってこいらしい。
 ドラッグストアを覗いてみると、缶や大きな袋入りでいろんな風味付けをしたホエイプロテインがいっぱい並んでいる。私が知らなかっただけで世の中では結構流行しているものらしい。値段は廃物にしては結構高価だ。
 これから半年ほど実験的に、サイクリング、登山、スポーツジムでのトレーニング中に服用してみよう。私の場合は筋骨隆々とした体を目指すと云うよりは、足に筋肉を太くして、登山やサイクリングで坂道を楽々と登れるようになるのを夢見てだが。
 さて、半年後にどのような報告が出来ますでしょうか。

肥満 南米で思ったこと
 現在、世界では肥満の程度を計るのにBMI (Body Mass Index:BMI=体重(kg)/身長(m)の2乗)という指標が用いられる。日本ではこの値が18.5から25の間が普通体重、18.5以下が痩せ、25以上30未満がが肥満1度、30以上35未満が肥満2度、35以上40未満が肥満3度という風に定義されている。因みに、身長170cmの人で表を作ってみると以下のようになる。

 
身長170cm  BMI   体重
痩せ  18.5未満   53.5kg未満
標準体重   18.5以上25未満   53.5kg~72.3kg 
肥満1度    25以上30未満  72.3kg~86.7kg 
肥満2度   30以上35未満  86.7kg~101.2kg 
肥満3度    35以上40未満  101.2kg~112.7kg


先日、健康診断で175cm、162kgでBMI 53という人がいたが、これだと肥満7度ということになる。あんこ型の相撲取りクラスの体型だ。
 ということで、日本ではBMI 25以上の人には、食事制限と運動を勧めて体重を標準体重の範囲内に持ってくるようにと指導する。この標準体重の範囲内にあれば、最も病気にかかりにくく、健康で長生きできるとされているからである。
 ところが欧米では少し基準が異なっていて、BMI 25~30を過体重(overweight)と呼び、BMI 30以上を肥満(obesity)と定義している。私は欧米でBMI 25以上を肥満と定義するとほとんどの人が肥満の範疇に入ってしまうため、間に緩衝地帯を設けているのかなと思っていた。しかし、今度アルゼンチンを歩いていて、ちょっと違うような気がしてきた。
 南米の山を歩いていると、BMI 30前後の人が20~30kg位の荷物を担いでどんどん歩いている。私などは軽く追い越されてしまう。あっ、この人たちは体の筋肉量が全然我々より多い。体がガッシリしている。砲丸投げや重量挙げの選手みたいな体型だ。日本人で普通BMI 30というと、体はプヨプヨとほとんど脂肪から出来ていて、運動など大嫌いという人間だ。こちらの人間は脂肪の少ない肉を500g以上平気で平らげている。肉食がこういう体を作るのだろうな。
 肥満体の日本人に対して、肉を食べるのを減らして(和牛はどうしても霜降りになっているので)、野菜や魚中心の食事にして体重を減らしなさいと指導する。これはいわば人生を細く長く生きてゆくための方策ではないだろうか。一方、肉(低脂肪の)をたっぷり食べて、しっかり運動しながら、筋肉質の太めの体型を維持してゆくのも活動的な人生を送る一つの生き方ではないだろうかという気がしてきた。寿命の方は保証しないが。


2014年回顧

 この正月で数え年73歳 (満71歳)となった。
 昨年は相変わらず伊賀上野で週3日は働いており、車で名阪国道経由で週に一度往復していた。ところが段々片眼での運転が疲れを感じるようになり、昨年一杯で退職するように申し出でた。後任も見つかりすっかり安心して新春から海外を少し放浪しようとチケットも買い込んだところで、後任予定者にドタキャンされた。それでしばらくは仕事を継続しなければならなくなったが、時間はかかるがバスか電車で通う予定である。
 7月にサイクリング途中で胸部苦悶感を感じ、国立循環器病センターで負荷心筋シンチをやったが結局心筋虚血の所見は見られないとのことで一安心。結局単に坂道で息が上がってしまったということだった。
 
遊びの記録
 海外旅行:3月、ベトナムツアー 印象深かったのは中部ベトナム、フエ・ホイアン・ミーソン遺跡など。
 国内ツアー:10月、甑島ツアー 国内のツアーに参加するのは初めてだったが離島に行くのにはなかなか便利だと感じた。個人旅行だと時間と金が倍はかかりそう。
 一泊以上の登山は、冬の台高山脈、飛騨位山、5月の奥秩父縦走、それと家内同行の北アルプス白馬大池、風吹大池だけだった。
 今年のアウトドア活動はメインがサイクリングだった。3月:四国横断(R439とR197)
、5月:四国吉野川源流と四国カルスト、7月:紀伊半島横断、11月:紀伊半島縦断(R371)、12月(遠州灘と駿河湾の海岸サイクリング)
 昨年から、母校の文学部聴講生になって中国文学の講義を聴いている。若い学生と一緒に勉強するのはこちらも若々しい気分になってくる。
 他の趣味としては、漢詩作詩は段々詩想が衰えてきてこれと云った詩は出来なかった。なまじ蘇軾の詩の輪講などに参加しているので、かえって自分の未熟さを実感するようになったか。
 書道の臨書の方は、秋に米芾から蘇軾に乗り換えた。米芾を卒業したとはとても云えないし、むしろもてあまして諦めたといった方がいいだろう。米芾は難しかった。書道の師匠に「今、蘇軾の詩を勉強している」と伝えたところ、蘇軾の「黄州寒食詩巻」を薦められた。ちょうど、東京国立博物館でこれが展示されていたので、早速見に行って大変感動した。そういうことで今は蘇軾の臨書をしている。「黄州寒食詩巻」を終えたら、黄庭堅を臨書したいと思っている。
 歳と共に読書量が少なくなっているのが気になる。今年は頑張って質のよい読書に心がけたいと思っている。