イザベラ・バードの「朝鮮紀行」 (Dec)
朝のルーティーン(Oct)
香港の平均寿命 (Sept)
今年の臨書 虞世南 (August)

国民投票 (July
)
沖縄うるま市の殺人事件 (June)
人工知能 (Apr)

楽水楽山 (Mar)
ピタゴラスの定理 (Feb)
2015年回顧 (Jan)

2015年 独り言

2014年 独り言

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2012年 独り言
2
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イザベラ・バードの「朝鮮紀行」
 最近、上記文庫本を読了した。イザベラ・バードはイギリス人の女性旅行家で、62歳の時(1894年)から数年に掛けて朝鮮各地を旅行した。本書はその旅行記である。1894年といえば、日清戦争勃発の年であり朝鮮半島も李王朝末期の激動の時代であった。

 話は変わるが、小生韓流歴史ドラマが結構好きである。最初に「チャングムの誓い」を見てはまった。それから「ホジュン」(朝鮮の歴史的名医の話:ストーリーは面白いが、鍼や漢方でどんな病気でも治すなど荒唐無稽なことも多い)とか「サンド(商道)」とか。一番新しくは「トンイ」(奴婢の身分から国王の母となった女性の話)で、これはヒロインを演じたハン・ヒョジョが大変可愛かった。その後はもう興味を失ってしまった。
 これらのドラマを見ていて、もちろんストーリーも面白かったのだが、ドラマに出てくる当時の朝鮮の人々の生活や風俗も興味深かった。当然誇張もあり正確に当時の風俗を映しているかどうかは確信は持てないが。
 たとえば、チャングムを見る限り、料理人は全て女性であり、使っている庖丁といったら、庖丁というよりは鉈といった方がいいような代物でこれでは繊細な料理は出来ないだろう。それから、どのドラマでも出てくる町の商店街の情景であるが、賑やかではあるが祭の出店に毛の生えた程度の粗末な建物が並んでいて道路も狭いし、商品も洗練された感じはしない。まあ、高級官僚の屋敷といっても、日本の江戸時代の大名や大商人の屋敷に較べるとちゃちなものである。

 この辺りの事情が「朝鮮紀行」を読んでわかったような気がする。要するに朝鮮全体で金がまわっていないのである。官僚組織は勢力争いに明け暮れて、国土のインフラ構築などは関心のほかであり、また両班(貴族層)による庶民の搾取がひどかった。庶民が少しでも生産力を上げるとその余裕分を取り上げて、両班が抱え込んでしまい死蔵する。これでは庶民の労働意欲が上がるはずもなく、余力があっても税プラス自分の家族が食べるだけしか生産しないし、職人も技術の向上を図ることをしない。そして両班が抱え込んだ財産はほとんど再生産に回ることがない。こうやって、朝鮮の経済は長い間停滞したままであった。
 したがって、バードは、田舎では金銀などの高額貨幣は通用しないので、何十キロもの銅銭を用意し、悪路、ひどい宿泊詩説に苦労しながら地方を旅している。日清戦争直後であり、日本人の進出した所での色々なインフラ整備が進んでいることも記述している。
 ただ彼女は、ロシア領内に移住した朝鮮人が豊かな生活をしていることを例に挙げて、この状態は決して朝鮮人民の能力が劣っているのではなく、統治が悪いためだと結論している。
 日清戦争の結果、日本の影響力が朝鮮に及んでいることを、彼女は概ねよい結果をもたらしていると評価している。

 さて、当時から比べると現在の韓国の状態は素晴らしい発展を遂げていて、適切な統治下にあって国民が高い能力を発揮した結果であると云えよう。しかし、昨今の政治の混乱は何だろう。政策論争なしで、権力闘争に明け暮れた李朝当時そのままではないか。この難しい東アジアの地政学的環境の中でどのように国家を導いて行くのか、お隣のことながら一寸心配である。

朝のルーティーン
 昨年秋に腰を痛めて寝込んでいる時、整形外科医の弟に「痛くても頑張って筋トレしろ」とアドバイスを受けた。これは理にかなっていると実行することにした。さて何をするか。ネットでいろいろ検索して、一番簡単なのはステップマシーンで足踏みをやることだろうと結論、ナイスデイというステッパーを購入した。これは50cm四方の小さなもので使わない時には部屋の隅に置いておける。
 さて、朝6時半から8時の間で60分間、テレビを見ながらこれを踏む。この時間帯にはNHKの衛星テレビ(103) では短い紀行番組やネイチャーもの、朝ドラなど結構楽しい番組がそろっているので退屈することはない。それに101の海外ニュースも面白い。
 ナイスデイには東海道五十三次の地図がおまけに付いている。10分で一つマルが潰してゆけるようになっている。東海道を約500kmとして、60分で5km歩くとして、大体100日ちょっとで踏破出来る。一月に江戸を出発して七月末に京都に着いた。現在は帰りの途中で桑名と宮宿の間の船旅の最中だ。年末には江戸に帰りたい。来年は中山道の地図を手製で作ろうかな。
 あと、簡単にストレッチをやって、シャワーを浴びると楽しい朝食だ。これも半年ほど前からはまっているものがある。シリアル(ナッツとドライフルーツの入ったミューズリー)40g、ザバスアクアホエイプロテイン(グレープフルーツ味)2匙(20g)をミルク250ccに混ぜて食べる。これが美味しい。毎日食べても全然飽きない。カロリーは約400カロリー。材料費はシリアルが50円、ザハスが150円、ミルクが50円で合計250円位だろう。それにしても牛乳は安いな。1Lで200円位だから、ペットボトルのお茶より安いなんて、牛さんが可哀想だな。
 先日、下北半島をサイクリングしたが、山道が楽に登れるような気がした。少し脚力が付いてきたのかな。

香港の平均寿命

 厚労省の発表によると日本の平均寿命は2015年で、男性80.79歳、女性87.05歳だそうだ。2014年の男性80.50歳、女性86.83歳から更に伸びて過去最高とのこと。一年間で男性で0.29歳、女性で0.22歳伸びたというのだから、考えてみるとこれも凄いことのように見える。
 私も特に長生きしたいとも思わないが、せめて平均寿命の80歳ぐらいまでは生きたいと思っている。しかし、私が80歳になった頃は平均寿命はきっと82歳ぐらいにはなっていそうである。
 以前、日本の女性の平均寿命は世界一だったが、2015年の世界主要50ヶ国の結果では、男性は香港の81.24歳、アイスランドとスイスの81.0歳に次いで4番目。女性は香港の87.32歳に次ぐ2番目の長寿だそうだ。どうして、香港が男女とも世界一なんだ。日本、アイスランド、スイスなどに比べて生活環境がそれほど優れているとも思えないのに。
 昔、平均寿命が短かったことや、現在でも発展途上国で平均寿命の短いのは新生児、乳幼児の死亡率が高いことが大きく影響しているだろう。しかし、現在の先進国ではこれは極小になっており、ほとんど平均寿命の長短の比較には影響しないだろう。
 死亡原因、疾病状態、医療環境、経済状態、食事など細かい解析をすれば何か面白い結果が分かるかも知れないが、今のところは何が(あるいは何をしないことが)長寿をもたらしているのか不明だろう。
 食料などは、海産物は自前で調達出来るだろうが、その他はほとんど中国本土からの輸入(移入?)だろう。日本では中国産というと警戒されるか、拒否されるものであろうが、香港の状態から見ると、ちょっとぐらいの汚染はそれほど神経質にならなくても健康にほとんど影響ないのかも。

今年の臨書 虞世南
 一年間、黄庭堅の臨書をやってきたが、先生からもう十分に書けてきてあまり直すこともなくなったとの評を頂いたのでそろそろ黄庭堅は卒業して、違うものを臨書することにした。
 私が書道を始めたのは、そもそも芸術的な書を書こうとしたわけではなく、単に字が上手に書けるようにという単純な目的であった。それで今までに習った書を振り返ってみると、最初の鄭道昭を除くとあとはみんな行書、草書であった。本格的な楷書を習っていない。筆を使って日常で何かを書くとしたら楷書がほとんどであろう。そうだ、今度は楷書にしよう。
 楷書の書風を完成したのは初唐の三大家といわれる。欧陽詢・虞世南・褚遂良の三人である。いずれも唐の太宗に仕えた高官であるが、当時官僚として書が必須の素養として尊ばれたので、そういう意味でも彼らは特別に尊敬を受けていたらしい。皇帝の太宗自身も大変書を愛しており、その書も大変優れている。また、王羲之の書を愛して死んだ時に所蔵の原本を全て墓に入れたため、現在王羲之の書の原本は現存していないと言われる。
 さて、三人のうち誰にしようか。三人の書を見比べてみても似たようにしか感じられなくてどれが書きたいのかよく判らない。その上どれも残っている書は石碑からの拓本であり、欠けている部分も多く臨書に苦労しそうである。まあ適当に虞世南の「孔子廟堂碑」に決め、先生にお願いした。
 書き始めてみると、行書や草書とはだいぶ勝手が違う。行草では線の勢い、流れの美しさに重点が置かれていたが、楷書ではやはり形が大事なような気がする。まだ、理解出来ていないためであろうが、積み木を組み立てているようでいささか退屈である。まあ、これを乗り越えるとおもしろさも判ってくるのだろうが。少なくとも年内一杯は頑張ってみよう。
 

国民投票
 この6月の最大のニュースといったらやはりイギリスのEU離脱を問う国民投票だったでしょうか。国会議員の暗殺事件、予想外の離脱派勝利、離脱派のキャンペーンに嘘があったとか、そして土壇場での離脱派リーダーの次期首相立候補辞退と話題に事欠きませんでしたね。
 しかし考えてみると、投票率51%と49%で離脱派が勝ったと云って、それで国がひっくり返るような政策決定がよく出来るなとビックリしますね。普通に考えると51%と49%はほぼ同等でしょう。49%の残留支持派の不満はどう解消するのでしょうかね。 以前、スコットランド独立でもスコットランドで国民投票が行われましたが、この時は辛うじて独立が否決されましたがこれも薄氷を踏むような結果でした。
 イギリス人はギャンブルが好きなんですかね。
 日本でも国民投票の制度がありますが、これは憲法改正に限っています。それも国会で三分の二以上の賛成で発議され、その後国民投票にかけられます。
 イギリスでもそうすればよかったのではないでしょうか。まず、国会で徹底的に議論され、国会の場でまず議決される。それから、国会では「離脱派が勝ちました」或いは「残留派が勝ちました」がその結果に対して国民の賛否を問いますというかたちで国民投票にすれば投票結果が僅差であっても、キャンペーンに嘘が入るなどと云うこともなく国民は納得するのではないでしょうか。
 どんな政策決定でも一利一害はあります。国民個人はどうしても自己の利益から判断して、冷静なバランスを取った判断は難しいでしょう。そのために大多数の国では間接民主制をとって政治の専門家に政策決定をゆだねているのです。
 しかし、今の世界各国では貧富の対立、老人と若年者の対立など難しい問題が山積していますよね。その中でいかにバランスを取って国民の公平感を満たしてゆくのか、政治家に頑張ってもらいたいものですね。

沖縄うるま市の殺人事件

 また、沖縄で米軍関係者による殺人事件が起きた。若い女性が暴行されて殺されるという痛ましい事件だ。当然、例によって米軍基地の存在が諸悪の根源的な議論がわき起こっている。まあ、たしかに米軍基地がなかったら多分起こっていなかった事件であろう。
 しかし、事情が判ってくるにつれて少し考えが違ってきた。
 犯人(容疑者?)は元海兵隊員だったらしいが、現在は軍属として米軍基地で働いているようだ。そして基地外のうるま市に日本人の妻と子供と暮らしているとのこと。ということは現在は日本人コミュニティの中で生活している外国人ということで、勤務地がたまたま米軍基地だったともいえる。今の日本には家族を持って日本人社会の中で生活している外国人なんて全国に一杯いる。ときどきそういう外国人による殺人を含めた犯罪もそれほど珍しくない程度に報道されている。しかしそれで外国人排斥の声が挙がることはない。
 今までの米軍軍人による婦女暴行事件は基地内での抑鬱した環境が原因で起こったものと考えたいたが、今回の事件はどう考えたらいいのだろう。基地関係者だとか、外国人だとかいうのとは別で、むしろ個人としての人格に起因すると考えるのが妥当な感じがする。
 昔から兵隊の性欲の処理は指揮者にとって頭の痛い問題だった。ヨーロッパや中国の町は城壁都市で会ったから、征服されると住民は略奪と強姦される運命にあったし、慰安婦も当然軍隊に付いて行軍していった。軍隊という大多数が男性でそれが一カ所に閉じ込められた状態になっているのでは、当然性的フラストレーションが高まっている。以前、橋下徹が沖縄で米軍軍人による性犯罪を減らすために風俗を活用するように提言してバッシングを受けたが、これは本音を生で出しすぎたのであって、軍隊のような組織には何らかのガス抜き装置が必要な気がする。
 最後に、被害に遭われた女性はまことに悲惨でありお悔やみの言葉もないが、古来女性や小児のような弱者が夜間人目のない場所で単独で行動するのがリスクの高いことであるというのも世界中で共通した認識であろう。 

人工知能 

 最近、AIという言葉をよく聞くが、Artificial Intelligence(人工知能)のことらしい。  この春、囲碁好きにとってはショッキングな事件が起こった。私は囲碁が好きだと云っても、せいぜいアマチュア中級クラスの技量であり、プロ棋士の技倆と来たら想像もつかない遙か彼方のものだと思っていた。そのプロ棋士が人工知能に完敗したのである。
 サイコロとかカードのような偶然性を伴わないゲームとしては、オセロ、チェス、将棋などが有るが、中でも囲碁は最高レベルの知能、経験、直感が要求されるゲームであろう。普通、プロ棋士になるには小学生ぐらいからトレーニングを受けていないと一流にはなれないと云われている。
 なにせ19x19の碁盤の目に石を置いてゆく過程の場合の数はコンピューターで計算するには大きすぎていかにコンピューターの進歩が早くても当分はプロ棋士には勝てないだろうと考えられていた。ところがコンピューターの演算方式(といっていいのかな?)革新的な概念が開発されたらしい。ディープ・ラーニングといってヒトの脳の作用に類似した機能をコンピューターに付与したようだ。
 グーグルは数億ドルをかけて囲碁ゲームのソフトを開発した。コンピューターに今までの膨大な数の棋譜を記憶させ、更にコンピューター内部で無限回に近い戦いをさせて研鑽を積ませ最強の囲碁ゲームソフトAlphaGoを作り、韓国のプロ棋士、イ・セドル九段(井山棋聖の話ではおそらく史上最強の棋士)との五番勝負を行った。その結果、三番目まではAlphaGoの完勝だった。それも今までの常識にはないような手が連発したらしい。四番目で辛うじてイ九段が一矢を報いたが、最後も完敗だった。
 素人の私の印象では、どうもAlphaGoはミスを犯すにしても人知を越えたレベルの棋力を持ったようだ。グーグルがたかがゲームのソフト開発に大金をかけたのは、これが人工知能の一つの画期的な到達点と見なしたからだろう。
 さて、気になるのはこの後どこまで人工知能は進化し続けるのだろうか。ヒトの知能に人工知能が到達できないようなものがあるのだろうか? 無いような気がしてきた。
 芸術や科学に要求される創造力がヒトの知能で最後まで残る分野だろう。過去に天才と呼ばれる人たちが創造力を発揮して芸術・科学の飛躍的な進歩をもたらした。しかし、これとても彼らの脳がゼロから生み出したものではない。先人達の業績の上に成り立っているものだろう。そうであるならば、人工知能に出来ないはずはない。
 過去の人類の獲得した知識の全てのデータベース化(これはもう出来かかっているのだろう)、ディープ・ラーニングを進化させた自己学習能力、自発的意思(これは何だろう?)、こんなものが完成したらもう超人類だ。SFの世界では、人類が人工知能に支配されるというのは珍しくもないテーマだが、案外そんな悪夢の世界がすぐそこまで来ているのかも知れない。

楽水楽山
  論語の中に、知者楽水仁者楽山(知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ)という言葉がある。知者は水の流れの様々な変化を楽しみ、仁者はどっしりとした不動の山の佇まいを楽しむという意味だろう。
 昔、中之島にあった大阪大学医学部図書館に立派な横額があった。吹田に移転した今もきっと掛かっているだろう。
 「勿嘗糟粕(糟粕(そうはく)を嘗(な)むる勿れ)」と書いてある。酒の搾りかすを嘗めるようなこと、すなわち他人の業績の後追いなんかをせずに常に独創的な仕事をやれということだろう。七十余年の我が生涯を振り返ってみるとこの言葉にはまことに胸をつかれる。私の人生など本当に碌々たるものだった。粕汁が大好きなのも影響したかな?
 誰が書いたのかなと落款を見ると「楽水」とある。うーん、これはなかなか度胸のいる号だな。「我は知者なり」と世間に宣言することだもの。凡人にはとても名乗れない。落款印を眺めると「長岡半」と読める。ああ、長岡半太郎の書なんだ。大阪帝国大学初代総長にして第一回文化勲章受章者だ。日本の物理学を切り開いた大学者だ。長岡先生が「楽水」と号しても誰も文句の付けようがない。納得。恐れ入りました。 

 さて、小生は山は大好きだが決して仁者ではない。まさに「逆は真ならず」である。昔、数学で習ったよね。命題「仁者は山を楽しむ」の逆は「山を楽しむのは仁者である」、裏は「仁者でないものは山を楽しまない」でどちらも正しいとは限らない。常に正しいのは対偶「山を楽しまない者は仁者でない」である。あれっ、そうなん? なんか、ちょっと変だよね。そうか、命題の設定が間違っているんだ。命題を「仁者は必ず山を楽しむ」とすれば対偶は正しくなる。
 これをネタに漢詩を作りたくなった。楽山不仁逆非真(山を楽しむも不仁 逆は真に非ず)。残念ながら「仁」では平仄が合わない。「徳」に変えよう。楽山不徳逆非真(山を楽しむも不徳 逆は真に非ず)で平仄はぴったりだ。
 さて、次は対句だ。これには寒山の詩の一節「楽山登万仞,愛水泛千舟」を戴こう。愛水佯愚古有例(水を愛して愚を佯(よそお)う 古に例あり)で下手ながら何とか対ができた。寒山は愚人をよそおった隠者だからこれでいだろう。これを元にして七言律詩を作った。

偶懐
顛狂応笑萍蓬癖  顛狂 応に笑うべし 萍蓬の癖
放埒無依孔孟倫  放埒 依る無し 孔孟の倫
愛水佯愚古有例  水を愛して 愚を佯(よそお)う 古より例あり
楽山不徳逆非真  山を楽しむも 不徳 逆は真に非ず
壑峰只管嶮岨冒  壑峰 只管 嶮岨を冒し
身体尋常傷毀馴  身体 尋常 傷毀に馴る
寧望耄昏長市巷  寧んぞ望まん 耄昏 市巷に長うるを
可也骸骨曝渓瀕  可也 骸骨 渓瀕に曝すとも
(ここまでは、10年ほど前に作った詩の感想です。)


ピタゴラスの定理
 ピタゴラスの定理は中学で習ったのだったかな。三平方の定理である。
 先日、ふと思い出した。この定理の証明は簡単だったよな。補助線をチョイチョイと引いて、アレッ、解らん。どうするんやったかな? 七十三になって、大分アホになっとる。
 自慢ではないが、中学時代、数学と理科は得意だった。小学生の時から学校の図書室にあった偉人伝を読みあさっていたのでノーベル賞級の数学者とか科学者にあこがれていた。山間の小さな中学の秀才であった小生は自信満々で県庁所在地にある県下第一の高校に入学した。驚いたことに、ここには数学のできるやつがゴロゴロいて、十番以内に潜り込むのがやっとのことであった。こりゃ、一流の数学者や物理学者を目指すのは無理だわ。即、大学で理学部を目指すのは諦めた。田舎の開業医の親父の希望通り医学部を目指そう。これなら医学研究者を目指してもよし、ダメならツブシがきいて臨床医になれる。まあ、こんないい加減な人生設計だったから、これまで人に自慢できるような人生ではなかった。家族を飢えさせることがなかった程度の生涯ということである。
 さて、ピタゴラスの定理が証明できないというのはショックだ。机に向かい腰を据えて証明に取りかかる。直角三角形の各辺の外に正方形を描く。直角の点から垂直に線を下ろす。それから補助線を二本描く。そうだ、この二つの三角形が合同なんだ。そこで直角条件からこの三角形の面積が正方形の1/2であることが解る。証明できた! まだ、そこまでアホにはなってなかった。 
 俄然、幾何学をやりたくなった。昔の高校程度の初等幾何学は現在の数学から見たら単なるクイズにしか過ぎないが、老人の頭の体操には丁度いいだろう。

2015年回顧
 実は2014年末で現在の仕事を退職し悠々自適の生活に入る予定で送別会までやってもらったのだったが、後任者のドタキャンで仕事を続けざるを得なかった。しかし、もう一月からの南米パタゴニア旅行の手配は済んでいたので、同僚に無理を言ってこの間は休みをもらった。この一ヶ月の一人旅は年来たまりにたまっていたストレスを一挙に吹き飛ばしてくれた。まあ、生涯で最大で最後の爽快な思い出を作ってくれた。
 その後、家内のお供でウイーンへ演奏会を聞きに行ったが、これは家庭サービスの一つみたいなもの。
アウトドアのアクティビティで主なものは、
3月  紀伊半島迷走サイクリング
4月  播州竹呂山-三室山ハイキング(HP不記載)
    沖ノ山林道サイクリング
5月  紀伊大塔山周回サイクリング(パンクで中断:HP不記載)
    牛廻越-引牛越周回サイクリング(HP不記載)
    三重岳-大御影山周回ハイキング(HP不記載)
6月  妙見・蘇武林道-三川林道周回サイクリング(HP不記載)
    東因幡林道サイクリング(土砂崩れで不通)
7月  東因幡林道サイクリング
8月  蒜山サイクリング(HP不記載)
    大杉谷山行
9月  白山縦走
10月 飛騨位山川上岳縦走
11月 大杉谷再訪
その他、日帰り程度のハイキング、サイクリングはチョコチョコ行っているのでまあまあよく行った年だったと言えようか。11月末には、天竜林道辺りを走ろうと思っていたが、椎間板ヘルニアでダメになった。

 漢詩の作詩はすっかり創作意欲が衰えて、月に一作のデューティがようようで、恥ずかしい内容の詩ばかりである。
 大阪大学文学部の聴講生として週一日通っており、蘇軾の詩の輪講などに参加している。蘇軾の詩を深読みしているのが却って自分の詩作を妨げている気がしないでもない。
 あとは書道。現在は黄庭堅の書を臨書しているが、なかなか個性の強い書である。蘇軾に「君の書は枝にぶら下がった蛇みたいだね」とからかわれたそうだが、クネクネとした線が多い。先生からは私に合っているのでは言われているので、もう少し頑張ってみようと思っている。
 3月で今度こそ現在の仕事を辞める予定であるので、もう少し書道にかける時間を増やすとともに、しばらく遠ざかっているヘボ碁を再開しようかと思っている。