玉子への思い
戦後の窮乏期に成長時代を過ごした私にとって玉子はちょっとしたご馳走だった。牛肉や鯛などの高級魚のように望んでも口に入らないと云うほどのことはないが、さりとて毎日食べさせてもらえるようなものでもなかった。当時、玉子の十個も籾殻を敷いた菓子箱に入れれば、立派な贈答の品になった時代である。そう簡単に食べられるものでもなかった。
開業医の妻として忙しく働いていた母は子供たちの朝ごはんの面倒などはあまり見てくれず、男3人兄弟(妹はまだ小さかった)に玉子一個を出してくれた。それをどんぶり鉢一杯の熱ご飯で玉子かけにする。三人で正確に三等分して食べる。あとは味噌汁と漬け物ぐらいだったか。これで十分満足して学校へ出かけていった。それと、たまにすき焼きをした翌日の弁当のおかずには残り汁で煮た玉子を一個入れてくれた。もちろん肉などは切れ端も入っていないが、これがたまらなく旨かった。
そんな私であるから、玉子は今でもご馳走としての意識がある。玉子一個あれば、それでおかず一品と数えて不満はない。玉子サンドや玉子の入ったサラダが大好きだし、ラーメンでも煮卵の半切れでも入っていると得をした気分になれる。
さて、玉子は栄養的にも大変優れた食品だ。タンパク質という言葉は玉子の白身(蛋白)が語源である。しかもそのタンパクのアミノ酸組成はヒトのタンパクのものとよく似ているので、腸でアミノ酸に分解されて吸収されると無駄なくヒトのタンパクに再構成される。
黄身にはコレステロールが高容量含まれている。これも成長期の人体には必須の栄養素だ。
ところが、成人病が問題となってくると、コレステロールを高容量含んでいる玉子が憎まれ出した。成長が止まるとコレステロールはそれほど必要ではなくなり、動脈硬化の原因となると考えられたからだ。
以前、魁猿がすき焼きの宴会で二つ目の生卵を割って食べ出したところ、隣に座っていた成人病研究の大先生に「玉子は二つ以上は喰うな!」と怒鳴られたそうだ。私も人間ドックなどで、「イカなどコレステロールの高い食品は控えましょうね」とか、「玉子は一日一個までにしておきましょうね」とか、真面目くさって云っていたものだ。
ところが近年風向きが変わってきた。食べ物中のコレステロールは血中コレステロールの増減にはあまり関係がないようだということになってきた。つまり、玉子の3個や4個食べようと高コレステロール血症を悪化させる恐れは低いということだ。毎日、5個以上食べ続けるとさすがにヤバイかも知れないが、朝、フライドエッグをダブルで食べるとか、すき焼きで生卵を3個食べるとかぐらいは安心していいと云うことになった。
医学の今日の常識は明日はどうなっているか判らないというのはそんなに珍しいことではない。私も高コレステロール血症であるが、安心して好物の玉子が食べられる。
資本主義の終焉
最近、「資本主義の終焉と歴史の危機」水野和夫著 集英社新書を読んだ。2014発行だからだいぶ遅まきながらではある。新書であるから簡単な著述であるが経済音痴の小生にとっては大変難解で、半分くらいしか判らない。しかし以前から疑問に思っていたことがわかった気がする。
資本主義は投資した資本が利潤を生まなければならないんだ。そのためにはもうけを生む場所が必要なんだ。言い換えれば搾取する相手がいる。ところが、そういう相手がだんだん無くなってきた。今や発展が期待出来るところはアフリカ大陸ぐらいだ。その結果、資本の投資先が無くなってきたし、利潤も少なくなってきた。そうして我々の預金にも利子がほとんど付かなくなった。
以前から思っていたことだが、経済って何で右肩上がりでなくっちゃならないのか? 江戸時代なんか大して経済発展があったわけではないのに庶民は結構幸せに暮らしていたと思う。そうか、江戸時代は本当の意味の資本主義ではなかったんだ。誰も金を預けて利子を得たりはしてなかった。高利貸しは別として。
昔、マルクスは資本主義は必然的に崩壊して、共産主義に移行すると予言したと理解している。いま、その資本主義が崩壊しつつある時代にさしかかっているのだろうか。しかし、共産主義が成功しなかったことも明らかで、マルクスの予言も半分しか当たらなかったことになる。
資本主義の次には何がやって来るのだろうか。世界戦争が起こって、全部ぶっ壊されてまた資本主義のやり直しなんてのはイヤだな。
北朝鮮問題
北朝鮮についてはもはや語り尽くされたようで、今更付け加えるのも聊か気が引けるが、今の政府や一部の報道は危機感をあおり立て過ぎているのではないだろうか。
先日、北朝鮮のミサイルが日本列島の上空を通り過ぎた時、どこかの電車が運行を中止したが、これなども全く意味のない過剰な反応じゃないのかな。誰かが危機感を煽るために、電鉄会社に強制的にやらせたような気もする。朝日新聞の川柳投稿に「電車より原発でしょう止めるのは」というのがあったが、全くその通り。
日本独自で北朝鮮の核・ミサイルに対処するすべは限られているので、安倍首相は一生懸命トランプ大統領の背中を押して「やれ、やれ」とけしかけている。 何とか瀬戸際状態を維持して国民の危機感を煽り、その間に憲法改正や、軍備増強を成し遂げたいのではないか。
しかし、冷静に考えてみると、北朝鮮が核・ミサイルを保持したとして、それを自らが初めに使用する事態があるだろうか。北朝鮮が最初に戦端を開けば、米韓(日?)の反撃は必至である。そうすれば通常の軍備では確実に劣る北朝鮮軍はひとたまりもなく壊滅状態となり、金正恩の命はない。金正恩だってそんなことは百も承知だろう。核・ミサイルはやはり抜くに抜けない伝家の宝刀であり、威嚇にしか使えない。
金正恩を自暴自棄に追い込まないように対処している韓国の方が、やたらと危機感を煽って右往左往している日本より冷静なのではないだろうか。要は北朝鮮からの脅迫には応じず、経済的にじわじわと締め付けて、核・ミサイルを保持してもいいことは何もないと覚らせることが大事なのではないだろうか。
ただ、朝鮮半島情勢や、覇権主義を露わにしてきた中国、必ずしも友好的とは言い切れないロシアに囲まれている地勢的な状況下で、日本の安全保障をどう確保するか。戦争放棄などと暢気なことは言っておられないし、適切な軍備と集団安全保障体制の構築はやむを得ないのでしょうな。
再び、人工知能(AI)
以前にもAIの進歩が著しいことを書きましたが、もう少し素人考えを書きましょう。
まず、AIは人知を凌駕するか? これは疑いなく人間を越えるでしょう。過去に於いて、天才といえばアインシュタイン、ピカソ、モーツアルトなどが頭に浮かびますが、彼らの業績をAIが越えられるか? それは人間の脳が新しいことを考え出す時に、脳の中に何もないゼロからアイデアを生み出すのかに懸かっていると思います。私はそうではなく、今までの知識の蓄積の中から新しいアイデアを生み出すのだと思います。天才の脳は他人が思いも寄らないような知識のコンビネーションでもって新しい概念を生み出したのでしょう。もしそうであるならば、AIは膨大な知識の蓄積とそれのあらゆるコンビネーションを試みる時間とスピードを持っているので、人知を越えることは可能でしょう。現時点ではAIも人間の指令でテーマを与えられて解析しているのでしょうが、将来は自主的に活動出来るようになるでしょうから、その時は人間を越えるのでしょうね。
それともう一つ。AI、ロボットの進歩によって、人間がやっている仕事が取って代わられることが心配されている。何かヒトでないとやれない仕事があるだろうか。まあ、子供を産むとか、若干のことは残るだろうが、いや待てよ、それだって細胞工学でヒトが関与せずに子供は作れるようになるか。
仕事を機械に取られてしまっては、困るだろうか。共産主義の理想は「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」だって、昔習ったよね。仕事を全部AIがやってくれたら、必要に応じて受け取るだけでいいのでは?
要は、AIによる人間の労働の剥奪ではなく、軽減化と受け止めて、その利益を特定の人間が独占するのではなく、万人が享受出来るようなシステムを作ることが大事なのではないだろうか。たとえば週に2、3日出勤して給料は今までと変わらないとか。
中国の聞きなし
先日、漢詩の輪講で陸游の「雨中出遊夜帰」(雨の中を散歩に出かけて夜に帰った)という五言律詩を読んだ。その中の対句に「難従子規請、寧遺竹鶏憂」(子規の請には従い難く、竹鶏の憂いは遺(わす)れ寧(やす)し)というのがあった。ホトトギスの要請、コジュケイの憂いというのがさっぱりわからない。
そこで、講師の先生の示唆があった。これは鳥の声の聞きなしを言っているのだと。
そうか、ホトトギスを「不如帰」と書くのは中国語の聞きなしに由来しているのだ。中国(少なくとも宋の時代)では、ホトトギスの鳴き声は「不如帰去(ブールーグイチィ)」と聞かれていたようだ。日本では、「テッペンカケタカ」「トッキョキョカキョク」だ。なんか似ているね。じゃあ、コジュケイは? これは「泥滑滑(現代中国語ではニーファファだが、宋代にはニークックッと読んだかもしれない)」らしい。コジュケイはもともと中国の鳥で、大正時代に猟鳥として移植されたのだが、日本ではその鳴き声は「チョットコイ」と聞かれたようだ。これも似ている。
そういうことで、陸游の詩は「ホトトギスが「帰ったほうがいいよ」と勧めてくれているがそれには従えないし、コジュケイは「泥で滑るよ」と心配してくれているがこれも無視しよう」といった意味なのであろう。陸游にしては珍しくユーモアに富んだ詩である。
さて、日本語にはオノマトペ(擬音語、擬態語)が多いことが知られているが、鳥の聞きなしもその一つだろう。この理由として、日本人は虫の音、鳥の声など自然の音を言語脳で聴くのに対して、西洋人は音楽脳で聴くからだといわれている。それで日本人はそういった音を言語化して聞くことが得意なのだろう。しかし中国語にも聞きなしがあったとは知らなかった。ネットで調べてみると、西洋でも例はあるようで、イギリスではコウライウグイスの鳴き声を「Who
are you?」、アメリカではWood Pewee(モリタイランチョウ)の声を「Now you see, now you did it, you
did it」と聴くそうである。
日本ほどポピュラーではないようであるが、外国でも聞きなしがないということもないらしい。
海棠
海棠は中国原産のバラ科の樹木で美しい花を咲かせる。日本の庭園にも植えられているのでときどき見かける。日本では桜が終わる頃、濃いピンクの花が満開になる。
中国では古来より、牡丹と双璧と見なされ非常に愛された花である。唐の玄宗が、ある朝楊貴妃を召し出したところ、酔いの醒めやらぬ姿で侍女に助けられて現れた。玄宗は笑いながら「海棠の睡り足らない風情だ」と云ったことから、海棠には美女の睡りのイメージが付いている。中国でも、特に蜀(四川省)の名花と謳われている。
現在、私は母校文学部で聴講生(正確には科目等履修生)として、蘇軾の詩の講読に参加している。蘇軾は蜀の出身であり、海棠の花をこよなく愛したようでその詩にはしばしば海棠が詠われる。
そこで私もこの春は海棠の花をじっくりと鑑賞してみたいと、国内でどこか海棠の花が名所のところがないかと検索すると、岡山県矢掛町の吉祥寺がヒットした。ここでは毎年「海棠まつり」が開かれているようだ。今年は4月9日に開かれるらしいが、例年よりだいぶ寒く桜の開花も遅れたので、ちょうど一週間後に見に出かけた。
矢掛は旧山陽道の宿場町として栄えた所であるが、町の中心部から北へ山道を20分程走る。離合困難な狭い道を対向車のないことを祈りながら走ると羽無という集落に着く。ここに吉祥寺はあった。祭が過ぎたあとのためかひっそりとしている。
境内に入ると本堂の前に一本の海棠があり、ちょうど満開であった。桜に比べると色の濃いピンクである。桜のような大木を予想していたのだが、意外と小さい。説明板を読むと以前は樹齢300年ほどの木があったのだが台風で倒れて、今のは二代目らしい。それでも推定樹齢120年とある。その樹齢の桜なら相当な大木になっているのに、海棠はずいぶん細い。成長が遅いのかしら。
しかし、写真のように見事な花盛りですっかり堪能した。
あとで調べてみると、なんと大阪府下にも海棠の古木があった。河内の弘川寺である。ここは西行法師終焉の地で桜の名所だとばかり思っていたが、樹齢350年で日本で一番古い海棠があるとのこと。遅まきながら、あわてて出かけていったが四月下旬のこととて花は残っていたがみすぼらしいものであった。なるほど吉祥寺の海棠よりも太いがそれでもこれで350年?という程度のものだ。それに樹勢がだいぶ衰えている。住職の話では周りの木を切ったのでだいぶ回復してきたとのこと。
来年は花の盛りに来よう。それと、いつか四川省へ行って海棠の大木の花盛りを花見したいものだ。
森友学園
私は大阪府豊中市に住んでいる。今まで近畿圏から出ると豊中市などというのはほとんど知られていなくて、場所を説明するには大阪空港の辺りだと言うのが一番だった。それが最近名前だけはとみに有名になり、先日九州をサイクリングした時でも宿帳に住所を記入すると興味深げにしげしげと顔を見られる始末だ。
森友学園などというものもこの問題が起こるまでは、おそらくほとんどの豊中市民は知らなかったはずだ。私も小学校予定地はどこなのかなと地図とグーグルマップで調べてやっと判ったが私にとってはほとんど縁の無い地域だった。
さて、森友学園問題が日本国中を騒がせているが、私には何が大問題なのかよく理解出来ない。政治家の誰かが私腹を肥やしたわけでもなさそうだし、籠池夫妻という黒ネズミがチョロチョロして、どうもオッチョコチョイらしい首相夫人が引っかかっただけのような気がする。ロッキード事件などに比べると取るに足らない小さい事件だ。たかがピーナッツ一粒ほどの金額、それも首相夫人の方が出したかどうかという話だ。
忖度という難しい言葉が出てきた。結局、ガチャガチャやってもとの振り出しに戻り、結局籠池氏が大損をしたという決着になるのだろうが、何か一国民としてはしらけちゃってしまう。
さて、そんなことより気になるのは南北朝鮮の政治問題とか、テロ等準備罪などという怪しげな法案がどさくさ紛れに成立したりしないかが心配だ。
文楽
このところ、文楽を面白いと思うようになっている。以下の話は先月と少し重複するがご容赦を。
最初のきっかけは、三浦しをんの小説「仏果を得ず」である。これは若い浄瑠璃の太夫が苦しみながら上達してゆく物語である。これが面白かった。これまでも、文楽や人形浄瑠璃を見たことがないわけではないが、それほど興味は無かった。子供の頃、田舎の旦那で遊芸好きだった母方の祖父が浄瑠璃を首を振り振り唸っていたのが可笑しくてゲラゲラ笑ったのを思い出す。
それが、この小説で文楽という芸能に人を打ち込ませる程の奥深いものがあるらしいと判ってきた。それで家内を誘って、早速、国立文楽劇場で上演されていた「生写朝顔日記」を見に行った。入る時、まず入場料が歌舞伎などに比べて安いのと、さすが浪華の芸能だけあって普段着で気取らなく入れるのがいい。
歌舞伎も同じだが、話の筋は荒唐無稽というか、ちょっとついて行けないのだが、「笑い薬の段」などは滑稽で大笑いできた。人形の所作を見ていると、人形遣いの存在を忘れさせられ、人が演じている以上の情感を感じる。
これはなかなかいいと、次の公演も見に行った。「花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」という、田宮坊太郎の仇討ち物語の一節である、「志度寺の段」では敵役である武士の迫力が見せ場であった。2回目ともなると、浄瑠璃の語りや三味線にも興味が引かれるようになり、もちろん上手下手は判らないまでも、好き嫌いは感じるようになった。こうやって贔屓が出来るのだな。
この正月に3度目の文楽を見に行った。今回は「染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)」でお染め久松の物語である。これは私の知っていた「野崎村」の話がある「新版歌祭文」とは違うバージョンの物語であるが、これも面白かった。これにも「油店の段」という滑稽な場面があり、大いに笑わせてくれた。話の筋立てもなかなか凝っていて楽しかった。
次は4月だ。
2016年回顧
3月でようやく勤めを退くことが出来、隠居生活に入った。仕事を辞めるとやりたいことが一杯あったのだが、生活にメリハリがなくなり一日が何となく流れるように過ぎて行く。これが老人の生活かと実感するが、もうちょっと活動的にならねばと思う。
2015年晩秋、大杉谷でおこした椎間板ヘルニアで3月まで逼塞状態であった。一時手術も考えたが、徐々に快方に向かった。4月に自転車に乗ってみたが、腰の痛みもなく走れたので一安心して、ようやくアウトドア活動を再開した。
そんなことで活動は例年の比べて比較的少なかった。
一泊以上の山行
6月:鈴鹿山系 雨乞岳-イブネ-銚子ヶ口登山
10月:那須岳縦走
11月:夜叉が池ハイキング(これは日帰り登山級だが魁猿と登山口にテントを張った)
一泊以上のサイクリング
5月:能登半島一周サイクリング
9月:下北半島一周サイクリング
11月:三州街道・天竜川林道サイクリング
海外旅行はスイスでサンモリッツ・ツェルマット・シャモニーと家内、娘と一緒に回りました。やはり一番印象に残ったのはマッターホルンの雄姿だったでしょうか。
書道は現在、虞世南の楷書を習っている。きっちりとした字も書けないといけないと思って始めたが、ちょっと退屈なうえに難しくて今のところ添削は先生の朱書きで一杯になって戻ってきている状態だ。
大学の聴講生として三年目を過ごしている。今年は漢文読解力を高める演習として、四庫全書簡明目録を読んでいるのと、以前からの蘇軾の詩集を読み進んでいる。
今年になってはまったものに文楽鑑賞がある。三浦しをんの「仏果をえず」という小説を読んで、文楽を見たくなった。子供の時、祖父がうなっている浄瑠璃を聞いておかしくてケラケラ笑った記憶があるが、今回鑑賞して大変面白いと思った。浄瑠璃、三味線、人形の三つのコンビネーションが素晴らしかった。特に太夫の浄瑠璃が素晴らしいと思えたのは私が年を取ったせいなのかな? 歌舞伎に比べて料金の安いのも嬉しい。今年もせっせと見に行こう。
作詩の方はめっきり意欲がなくなった。月1回のHPに挙げる詩を作るのが精一杯である。やはり年と共に周囲の事柄に対して心を動かし、感動することが少なくなった感じである。これが年を取るということかと実感している。
せめて八十歳までは頑張らなければ。