文楽に嵌まった
2017年の「草原の独り言」にもかいたが、今回はその続き。
大阪に住んでいながら、文楽にはとんと縁が無かった。というより演劇にあまり関心が無かったのだ。最初に文楽を見たのは、大学に入った年だから、昭和37年だ。大阪に来たのだから、一度は見なくちゃと出かけた。当時のことはほとんど覚えていないのだが、吃の又平が手水鉢に絵を描くシーンがあったから、演題は「傾城反魂香」だったのだろう。他愛も無い話だと思ったが、人形の動きに引き込まれたのを覚えている。しかし、それっきりだった。
三浦しをんの「仏果を得ず」で再び、文楽に興味を持ったことは前回書いた。
2014年春に、人間国宝・竹本住太夫の引退公演があることを新聞で知り、これを見ようと考えた。実は文楽の太夫なんて全く知らなかったのだが。ネットで調べると簡単にチケットは買えることが判ったが、住太夫が出演する午後の公演は満席だ。それでやむなく午前の部を観た。「菅原伝授手習鑑」だったが、話の筋は歌舞伎と同じだが、人形が演じるのも面白い。
以来、数回観賞しているうちに、えらそうなことを言うようだが、どうも太夫の語りがもう一つのように感じられるようになってきた。上手な太夫もいるが層が薄い。それで昔の名人上手の公演を観てみたくなった。現在、太夫には人間国宝はいない。残念ながら住太夫は聞き損ねた。存命者では豊竹嶋太夫がいるが、引退しているようだ。
現在、DVDを5、6枚買って、昔の公演を鑑賞中である。そこで見つけたのが、竹本越路太夫だ。勿論、住太夫も上手いと思うが、ちょっと声が悪くて聞き取りにくい。越路太夫は口跡が良くて聞き取りやすく、端正な語り口だと思う。津太夫、源太夫、嶋太夫なども聴いたが、やっぱり越路太夫だな。あと、豊竹山城少掾という超大物がいるがこれはまだ聴いていない。
ここ30年ぐらいの文楽を観ていると、人形方は吉田蓑助、先代吉田玉男、先代桐竹勘十郎などがずっと主役級を勤めているようだ。特に蓑助は若いときから女使いの名手として活躍している。今は勘十郎が女使いの中心であるが、まだ蓑助のしっとりとした風情は出せていないようだ。勘十郎の女性はスッキリとした花の風情があり、まさに時分の花というところであろうか。
まだ、三味線の上手下手については判らない。
これから、文楽観賞という老後の楽しみを自分の中で大事に育てて行きたいと思っている。
丹波篠山味まつり
毎年十月中旬の週末に丹波の篠山で「味まつり」という催しが行われる。名物のクロマメ枝豆、丹波栗、松茸などが商店街の店先に並べられる。
何時の頃からか(多分20年ほど前)から、私もサイクリングを兼ねて出かけることにしている。大阪豊中市の我が家からは片道約60キロぐらいであるが、途中能猪名川源流の山を越えてゆかねばならないので、なかなかきつい。早朝、家を出て猪名川を遡る。源流の西峠を越えると篠山市に入るがここ後川(しつかわ)はまだ武庫川支流の羽束川の流域だ。ここからもう一つ山越え(城東トンネル)すると、篠山市街のある篠山盆地に入る。 今年、後期高齢者となったが、行けるかな? 意外と調子よく、10時には篠山市街に入った。行きつけの店で黒豆の枝豆(2束)、丹波栗、正月用の黒豆と栗の瓶詰めを買う。今年は酷暑と台風の影響か、黒豆も栗も出来がよくない様子だ。今までは鯖の棒寿司を別の店で買っていたのだが、今年は人気が出たのか何処の店にも置いている。そうなると買う気がなくなる。これで買い物は終わったので露店を覗いて廻る。そう言えば人気の篠山牛の丸焼きは何処でやってるのかな。見つけることは出来なかった。名物の寿司屋に入る。 さて、帰りは市街からまっすぐ南下して、県道49号線に入り、美濃坂峠を上る。ここはサイクリストのヒルクライムの練習場として知られている急坂だ。毎年、これを上ると今年も上れた、まだサイクリングが出来ると得心する。今回はどうかな? ヨタヨタしながら何とか上れた。若者からは「歩いて押した方が速いよ」とからかわれそうだが。登り切ると標高500mの母子永沢寺だ。いつも寺の前の母子茶の店を覗く。ここで松茸が並べてあるとなぜか安心する。母子の山も今年は豊作らしい。だが手を出すのはその横にあるなめ茸の方だ。これは安くて旨い。
後は三田に向かって大下りだ。快調に飛ばして帰路につく。途中、池田市の福助堂に寄って名物の大福を買えば、今年の買い物サイクリングは無事終了だ。
(何年か前の味まつりの様子)
後期高齢者になって
この七月で満75歳となった。いわゆる後期高齢者である。そう言われてみると、この数年の体力、気力の衰えは著しい。体力もそうだが、特に新しいことに適応しようとする気力が全くなくなってきた。スマホも買ったが、電話以外にはほとんど使っていない。電車の中で若い人はスマホにのめり込んでいるが何をしているのかな? 登山でもGPSは専用機を使っていた。最近知ったのだが近ごろはスマホのGPS機能のほうが優れているらしい。これは頑張って勉強しなくては。
後期高齢者になればいろいろ社会制度の適用も違ってくる。実はあまり勉強していなくて、何がどう変化するのかよく判らなかった。まず来たのが、健康保険である。今まで国民健康保険に加入していたのが、これからは後期高齢者医療保険が適用されるようになる。これも何処がどう違うのかよく判らないが、どうせ取られる金に大した違いは無いのだろう。
次に運転免許である。丁度、今年が免許更新の時期だった。まず、認知機能検査である。物覚えが大分悪くなってきているので、何を試験されるのか不安で嫌な気分だった。スライドでいろんな品物を見せられて、後で思い出して書かされるのだが、幾つかどうしても思い出せない。これは認知症と診断されないまでも、認知機能が落ちていると宣告されると覚悟したが、まあ一応正常範囲だった。次に高齢者講習を受けた。ここでも動的視力の衰えを思い知らされた。まあ、無事に免許の更新が出来たが、年寄りは運転するなといった雰囲気がありありと感じられた。
一ヶ月後、一時停止違反をやった。こんな見通しのよいところで一時停止の標識なんか付けるなよといった場所である。勿論減速して確認して通ったのだが、きっちり停車していなかったようだ。ところが後からまた認知テストを受けよとの通知が来た。まいった。高齢者は違反のたびに認知テストを受けなければならないようだ。前のテストから3ヶ月ほどで同じ問題だから、さすがにまだ内容は覚えている。ほぼ満点だ。
交通違反で一番可能性の高いのが一時停止違反だ。なにか車載カメラか何かで注意喚起してくれるものが無いか探すと、なんとスマホの無料アプリにあった。これからはこれを利用しよう。
今のところ、あと1回、78歳で免許更新して、81歳で免許を放棄するつもりである。妻にもそれから後は買い物には車を使えないと告げてある。その頃には多分テントを持った登山やサイクリングは出来ないようになった終期高齢者になっているだろうから、頑張って今のうちに遊ばなくては。
AIがマネージする投資信託
リタイアして収入がほぼ年金のみとなり、少しは利殖もしなければと投資信託なども微々たるものではあるがやっている。今まであまり儲かっていたとは云えないが、二年前だったか、証券会社の営業マンに勧められて、AI関連企業の株式に投資するファンドを買った。ところがこれが大当たりでみるみるうちに値上がりして、1年も経たないうちに1.5倍になった。こんなに値上がりしたのは初めてだ。ところが順調にはいかないもので、その後頭うちとなってしまった。
営業マンはもう売って、次の商品に乗り換えろと勧める。今度の商品はAIでも投資先がAI関連ではなく、投資のマネージメントをAIに任せるもので、人間はマネージメントに関与しないらしいもので、最近めざましい成績を上げているらしい。
ここからは営業マンの受け売りだが、通常の投資信託は100銘柄ぐらいの株式を組み込むらしいが、AIは500銘柄ぐらいを組み込むとのこと。専門家が見ても、どうしてこの銘柄を組み込むのか判らないような品目もあるらしい。このあたり、AIが囲碁で最初にプロを破ったときの差し手がプロ棋士にも理解出来なかったというのと似ているような。それから、企業の業績などは普通は決算報告などから評価するのだろうが、AIは衛星写真を利用して、即事に評価するらしい。例えば駐車場の車の出入りをチェックして、マーケットの繁盛ぶりをチェックしたり、石油タンクの影を衛星写真から読み取りタンク内の石油量を知り、業界の動向を推定したりするとのこと。
まあ、この辺り話半分に聞いておけばよいのかも知れないが、面白そうだ。それでAI企業の投資のファンドを売り払って、こちらに乗り換えた。ギャンブルみたいなものだが、スッカラカンになったとしても、致命的なほどの投資ではない。
消炎鎮痛剤
山歩きをしていて、だんだん体に調子の悪いところが出てきた。まず最初に膝が痛くなった。これはグルコサミンの服用と膝テーピングで何とか乗り越えた。長期間の山行では膝関節内へのヒアルロン酸注射もやった。効いているのかどうかは不明だ。かかり付けの整形外科医はステロイドの関節内注射を勧めたがこれは確かに効くだろうが後が恐そうなのでまだやっていない。次に足首。これもサポーターとテーピングで何とかなっている。 最後に数年前にやった軽い椎間板ヘルニア。軽いとはいえ、数ヶ月はとても山へ行く状態ではなかった。サポーターも着けたし、いろんな鎮痛剤も試した。その結果、私的には非ステロイド消炎鎮痛剤(NSAID)が最もよく効いた。但しステロイドは試していないが。
さてここで消炎鎮痛剤の歴史を振り返ってみよう。古くはギリシャ時代から柳の樹皮を煎じたものが使われた。日本でも平安時代から楊枝(柳の枝)が鎮痛効果があることが知られ、熊野に楊枝薬師堂(頭痛山平癒寺)があるのは有名である。
その成分の研究からアセチルサリチル酸が合成され、1899年、ドイツのバイエル社からアスピリンの名で発売され、世界中に広まり、いまだにアスピリン、バッファリンなどは鎮痛薬としてよく使われている。その後、いろんなNSAIDsが作られ今に至っているが、日本で我々がよく知っているのはロキソニン、ボルタレンだろう。
ではNSAIDsがどうして効果があるかを簡単に説明しよう。それは炎症を起こすとその部位でプロスタグランディンという物質が合成され、これが発熱、腫れや痛みをもたらすのだ。NSAIDsはこのプロスタグランディンを合成する酵素(シクロオキシゲナーゼ:COX)を抑制して、プロスタグランディンが合成されるのを抑える。ところがCOXには炎症を起こすとその部位に出てくるCOX-2以外に、COX-1といって体の全ての細胞が持っている酵素が存在していて生理機能に重要な役割を果たしている。特に胃では粘膜を保護する作用を担っている。だからNSAIDsを飲むとCOX-1も抑えられて胃に障害が起きるのだ。
当然、COXに2種類有ることが判ってから、COX-2だけを抑える薬剤の開発が進んだ。その結果、出てきたのがセレコックス(セレコキシブ)だ。これはまだ薬局で買えないので、医師に処方してもらわねばならないが、私的には現時点では絶対これだ。胃の副作用がないため(少ない?)、用量を増やせて効果が強い。
山で歩き出す前や、寝る前に服用すると痛みが少ない気がする。効いていると信じて使っている。
但し、連用すると副作用がないとは言い切れない。最初に開発されたCOX-2選択薬は臨床試験の最終段階で心事故が多いことが判って開発が中止された。まあ、当時はリュウマチの痛みを対象として大用量の連用をやったのかも知れないが。とにかく私はせいぜい数日間の服用に留めている。
パエリア
久しぶりにパエリアを作った。この前作ったのは何時だったか。多分十年ぐらい前だったろう。子供が家に居た頃はよく作ったが、家内と二人きりになるとつくる機会も減ってしまった。家で客があったり、友人とキャンプをしたりする時だけになってしまった。
パエリアをつくるのに家内は手を出さない。私の専権事項だ。
平成五年、東北に冷害が起こった。日本全国民が食べる米が足らない。それで政府はタイ国にお願いし、タイ米を緊急輸入して各家庭に配給した。我が家にもなにがしかのタイ米が配られた。
家内にどうするのか尋ねると、使い道がないから棄てるしかないと言う。「ちょっと待て。タイ国民の好意で送られた物を棄てるとは何事か。では、私が何とかしよう。
長粒種のインディカを美味しく食べるのには、パエリアかリゾットだろう。よし、パエリアを作ろう。 まず、直径30cm程のパエリア鍋を手に入れた。幸い、我が家にはこの鍋がゆったりと入るガスオーブンがある。レシピをいろいろ調べて試しに作ってみると、これが大好評。すっかり私の得意料理になった。
コツと言っても、大したことはない。男の料理だから材料はケチらない。パエリアはサフラン命だから上等のものをたっぷりと。0.5gぐらい使う。魚介類は冷凍物などは使わない。炒めタマネギも必須だが、これは作るのが面倒なので市販のパックを使う。白ワインもタップリ。米は洗わずにそのまま入れる。初めはタイ米で作ったが、あとはコシヒカリを使っている。気になる人は無洗米を使えばいいだろう。タイ米よりはコシヒカリの方が旨い気がする。
ゴールデンウィークに魁猿ともう一人の友人とキャンプしてパエリアを作った。少し焦がしたが、充分に旨かった。
今年の臨書-隷書
昨年習っていた楷書、虞世南の「孔子廟堂碑」は大分マルの数も増えてきたし、そろそろ厭きてきたので、次は隷書にしようと先生にお願いした。最初に送られてきた手本は「礼器碑」であった。実は現在の先生に指導をお願いする前、独学で「曹全碑」(隷書のうちでもっとも華麗な書体)を100字ほど臨書したことがあった。そのことを先生に告げると、「礼器碑」も「曹全碑」もたいした違いはないので、別なものにしましょうと、送られてきた手本が敦煌から出土した漢代の木簡に書かれた隷書である。これらの書は当時の無名の書記たちが、気楽に書いた書であり、書体や筆法がそれぞれ異なっている。しかし、どれも自由奔放に書かれていて面白く、アルカイックな味がある。
最初に送られてきた手本を見て、細く鋭い雄勁な筆跡に心惹かれ、早く臨書したいと思った。これを書くのは一番硬い筆がいいな。幸い山馬筆を一本持っている。山馬は東南アジアかインド辺りの野生の鹿の毛で現在は輸入出来ないらしい。当然高価だ。私の持っているのは比較的安く手に入れたので、本物かどうかは分からない。バサバサとして荒々しい剛毛の筆だ。
ウン、気持ちよく筆が走って、我ながら満足出来る書きぶりだった。
添削では、「素晴らしいです」との講評が付いていた。こんなに褒められたのは、もう5年以上習っているが初めてじゃないかな。まあ、これは私ではなく筆が誉められたのかも。
次に送られてきた手本は木簡の書き手が変わって、柔らかい筆でどっぷり墨を含ませて書いたまったりとした字だ。難しそう。
中国武侠ドラマ「琅琊榜」
久しぶりに長編ドラマにはまった。「琅琊榜(ろうやぼう)」という中国武侠ドラマである。45分x54回という長編であるが、痛快なシーンが続き息をつかせる間もない。
「琅琊榜」は時代が魏晋南北朝時代に設定され、場所は梁の国とされる架空のドラマであり、いわゆる武侠ドラマのジャンルに入る物語である。このジャンルのものを見るのは映画の「グリーンディスティニー」とか「ラバーズ(十面埋伏)」以来である。
ストーリーは裏切りにあって一族を全滅させられた若者が江湖(任侠集団)の首領として生き延び、十年後梁都に現れ、知謀の限りを尽くして復讐するという物語である。主人公はかつては武勇優れた青年であったが、今は多病の弱々しい身であるが諸葛孔明のような知謀を持っている。その彼が皇帝や皇子を手玉にとり、敵を会話で追い詰めてゆく場面は従来の活劇とは異なり、知的興味をそそられる痛快さである。もちろんそういうストーリーなので、伏線が縦横に張られていてぼんやりとは見ておられない。
中国でも大人気だったらしい。しかし、武侠ものというのはちょっとついて行けないような荒唐無稽なことも多い。たとえばチャンバラは空中を飛びまわる実際ではあり得ないアクションであるし、四面から飛び来る矢も簡単に払いのける。まあ、これは日本のチャンバラだってそれほどリアルではないので辛抱しよう。もう一つウソだろうと思うのは、主人公が戦で火に焼かれ、雪で凍らされ、虫に食われて生き延びるのだが、その時知人に見分けもつかぬ人相になる。普通そんなときは二目と見られぬ人相になると思うがそれでは話にならないので、すごいイケメン(胡歌という男優)に生まれ変わる。
まあ、面白かった。続編が中国では完結したらしいので、近々日本でも見られるであろう。楽しみである。
もう一つ、中国のドラマで面白かったのは「大秦帝国 縦横 ~強国への道~」であるが、これは比較的史実に忠実な歴史ドラマで戦国時代の合従連衡の権謀術数を尽くす物語であった。これは100%史実ではないだろうが、歴史の勉強になった。
破局噴火
昨年の暮れの伊方原発運転差し止め訴訟の判決にはちょっと笑った。私自身は原則的に原発は徐々に消滅させるのがよいと思っているが、その理由は核燃料廃棄物の処分が出来ないことだ。日本列島には何万年にもわたって安全に廃棄物を保管出来る所なんてない。
今回の広島高裁の差し止め判決の理由は阿蘇山の噴火の可能性である。過去最大の噴火(9万年前)で火砕流がここまで来た可能性が否定出来ないらしい。しかし9万年前ですよ。そろそろ次の噴火が起こるかも、といってもそんなもの誤差10%とするとこれから9000年ぐらいの間に起きるかどうかというオーダーの話だ。原発なんて出来て数十年しか経っていないし、百年後には消えているかも知れない。ちょっと比較する時間軸が異なっていると思う。
以前にも書いたがまさに杞憂である。正確に云うと杞憂とは起こりえないことを心配するのではなく、起こるかも知れないが起きたところで対処のしようがないので心配しても無駄だということだと列子先生は云っている。
それにもし近い将来、阿蘇山のカルデラ噴火(破局噴火:日本全滅のリスクがある噴火)が起きるとまず九州で一千万人近い国民が火砕流に巻き込まれて瞬時に死亡する。その後降灰や気候変動などで日本全体は不毛の土地と化す恐れがある。そんなときに原発の一つや二つがどうなろうと誰も気にしないのではなかろうか。
それともう少し楽観的に考えると、あと百年も経つとカルデラ噴火自体を抑えることは無理にしても、すくなくとも数ヶ月ぐらいの余裕をもって噴火の予知が出来るようになっているのではないかな。有史以来、人類はカルデラ噴火を経験していない。従って噴火の予徴がどんなものかも想像がつかないが、噴火の相当以前から地殻変動や地震が頻繁に起こるのではないだろうか。そうすれば原発の処理ぐらい出来る余裕はあるだろう。しかしそれで九州の国民を全部避難させられるかな? 何処へ? 政府もどうしようもないから、「国民の皆さん覚悟して下さい」とアナウンスするのがせいぜいかも。
カルデラ噴火のリスクのある火山は世界にいくつかあるようだ。代表的なものにアメリカのイエローストーンがある。ここでカルデラ噴火が起こると火山灰が世界中に降り、氷河期になるだろう。
日本でも阿蘇山以上にリスクの高いのが鹿児島南方に海中にある鬼界カルデラだ。これは7300年前に爆発し、九州の縄文人を全滅させたと云われている。これが噴火すると、日本中の沿岸に大津波が襲うからこれも破局的災害をもたらすであろう。
いずれにしても杞憂、杞憂。いつかは人類が滅びるような大災害が必ず起きるのであろう。
2017年回顧
極東、中東の不安定な情勢は今年も続くのだろうが、これは私が心配してもどうにもならない。ミサイルが飛び交うようなことにならねばよいのだが。
さて、私個人のことだが、仕事はボチボチと続けている。小遣い稼ぎの隠居仕事程度のことである。これも今年3月には終了の予定であるが。
本題の趣味の方であるが、腰の痛みや体力の衰えをだましだまし何とか昨年も続けることが出来た。
海外旅行は6月に北イタリアへのツアーに参加した。家内の意見に従って、ついていったようなものであるが大したことはなかった。ボローニアにしてもトリノにしても都市は似たようなもので、教会や宮殿巡りはもう飽き飽きした。期待のアルプスはゴンドラで霧の中へ上がっただけ。それに食い物が不味かった。イタリアで不味いはずがないが、要はツアーがけち臭かったと云うことだ。今年は家内をほったらかしにして一人でどこか自然の中を歩いてきたいと考えている。最後のチャンスかも知れない。
アウトドアでは、1泊以上の山旅は春に仲間と行った新潟の角田山、ここのユキワリソウなどのスプリング・エフェメラルは素晴らしかった。5月と11月の高島トレイル。これも新緑と名残の紅葉が素敵だった。残念ながら初冬の雨で一日分残した。今年の春にでも片付けよう。7月の岩手山-八幡平縦走。予定では岩手山から秋田駒へつもりだったが、悪天候のため予定変更。しかし十分満足出来る山旅だった。
サイクリングは3月の大分・宮崎サイクリング。これには体力の衰えを嫌と云うほど思い知らされた。9月のウナギ道(出雲街道)を辿るサイクリング。これはまあまあ面白かった。振り返ってみると秋の天候不順で一回分ぐらい損をした感じである。
あとは春、魁猿といった南紀湯治の旅、瀬戸内矢掛の海棠と鞆の浦、能登和倉温泉ドライブ、日帰りだったが鞍馬山と貴船川床などが心に残る旅であったか。
書道は相変わらず虞世南の楷書を臨書している。だいぶ先生から頂く花丸も多くなってきたのでそろそろ卒業させて貰い次のテーマに移ってもよいのかなと思っている。
大学の聴講生は相変わらず続けている。現在は元明代の俗文学の講義、陸游・蘇軾の詩の輪読をやっている。さて来学期は何を聴こうかな。
漢詩の作詩は益々減ってきている。