新型コロナ 3 (Feb)
2020年回顧 (Jan)


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新型コロナ 3  
 
昨年の二月、三月とコロナについて書いた。その時はこんなに蔓延してパンデミックなどと大騒動になるとは思っていなかった。  世界では感染者一億人、死者300万人といわれており、大変な状況である。現在ワクチンがお投与がおこなわれ始めているが、これで流行が収まるとしても、早くともまだ一二年先のことだろう。  日本でもヒステリックに騒がれているが、もう少し冷静になってもいいのではないだろうか。
 感染者の数は日本でのPCR検査の数が少ないので世界との比較は難しいが、死者で比較すると、世界では人口十万人あたり40人弱の死亡。日本では発生から今までを一年とみると死者5000人強らしいから、人口十万人あたり多く見積もっても年間5人ぐらいだろうか。人口10万の都市で年間の死者は年間1400人として、コロナで5人死んだとしても統計学的には誤差の内だ。交通事故のように働き盛りの人が死亡すると社会的損失は大きいが、年間の死亡総数もコロナによる死者も大体高齢者だろうから、社会的損失は大したことはない。
 そう言い切ってしまうと、個人的レベルでのまだまだ生きられた人が思いがけず亡くなったことによる悲しみや残念な思いを無視したことになるが、それはどんな原因で死んでも同じこと。特にコロナだけが特別でもなかろう。小生のように喜寿を過ぎたものにとってはもう生きていても大した社会的貢献も出来ず、万一コロナに罹って死んだとしてもたいして残念と思は思わない。
 ワクチン接種の順番にしても、医療従事者優先は当然としても高齢者を優先する必要はないと思う。むしろ動き回ってコロナを媒介している若者を先に免疫を付けさせる方が効率的では。

   現在、医療崩壊、ワクチン接種の計画、社会経済への対策など問題が山積みだが、それを統括的に対処する人材が不足しているのではないだろうか。  明治時代、日清戦争からの帰還兵の検疫業務を計画指揮して中国から日本への流行病の侵入を防止し、さらに台湾を植民地化したときは民政を司り台湾住民の衛生状態の改善に大きな成果を挙げ、また関東大震災の復興を担って絶大な貢献をした後藤新平のような人材が出てこないのかな。河野太郎氏が頑張ってくれればよいが。

2020年回顧
 2020年は新型コロナ流行の年として後世に記憶されるのでしょうが、まあひどかったですね。これほど世界中の人たちの生活に影響を与えるとは予想もしていませんでした。 12月末の世界の感染者は約8千万人、死者は2百万人に近づいています。今年もまだまだ流行は収まらない様子ですから感染者は軽く一億人を越え、死者も3百万ぐらいにはなるのでしょう。日本でも感染者は二十万人超、死者約三千人ですがこれもまだまだ増えてゆくのでしょうね。
 自然の方も酷暑、水害がひどかったですね。これも年々ひどくなっているような気がします。

 さて、私個人のことですが、誕生日で77歳となりました。体力は徐々に衰えていますが、大した病気もせず無事に一年を過ごすことが出来ました。ただ痛恨事としては、春に魁猿が逝ってしまったことです。ただ一人の心を許す友であったのですが。

 昨年のアウトドア活動ですが、海外旅行は当然のことながらキャンセルとなりました。
 このところ山の上り下りがきつくなったので、横に歩こうと長距離歩行を試みました。最初は豊中市の自宅から山陰線の亀岡まで40km、次いで山陰線の園部まで50km、その次は丹波篠山まで60km。どうもそれ程楽しくはないとここでストップしています。歩行速度が遅いので、これ以上になると途中で野宿をしないといけない。
 日帰りのハイキングはいちいちは挙げないが、記憶に残ったものは淀川の河津桜、能勢のエドヒガンザクラ見物、能登猿山のユキワリソウ見物などがあった。
 一泊以上の山行では岐阜県の籾糠山、秋田駒ヶ岳、大山-船上山縦走、熊野古道小辺路を歩いた。小辺路では久しぶりにテントを担いだ。
 サイクリングは車に自転車を積んで、播磨地方佐用町-龍野一周と扇ヶ山一周、夏の輪行、山形新庄-鳴子温泉-栗駒山-岩手山山麓から二戸まで4泊で走った。青森まで走る予定であったが、40℃という気温で熱中症になりかかってダウンした。
 コロナ流行下であったが、まあよく行ったと云えようか。単独行なので感染は全く気にしなかった。

 書道は現在、孫過庭の「書譜」を臨書している。一年たったがまだ充分ではないのでもう少し続けようと思っている。
 漢詩は益々作れなくなって、ホームページに載せる拙い詩を月に一首作るのがやっとである。2015年から阪大文学部の聴講生として中国文学の講義を受けていたが、今年度はコロナのせいだでオンライン授業となった。これにはついて行けないので、入学料を払っただけで全く受講しなかった。前期、後期とも授業料を払わなかったのできっともう除籍されていることだろう。2019年に魁猿の死期が近いというので合作の詩集を作ったのが小生の最後の華であろうか。これはまだ少々残部がありますので、メールして頂くと進呈いたします。