ワクチン後遺症その後
七月の3回目コロナワクチン接種副反応に端を発する頸椎神経根症による右上腕痛はなかなか収まらず長々と尾を引いた。それでこの夏は何をする元気もなく、外出もせず家の中でブラブラしていた。
肩の痛みも一時はもう収まらないのではと考え、神経ブロックや外科的処置も考えたが、いろいろ調べてみると放置していても数ヶ月で治癒することが多いらしい。それでせめて十月までは辛抱して様子を見ることにした。そうすると、2ヶ月過ぎると少しづつ痛みが和らぎ、十月にはもうすっかり元に戻った。昔、経験した五十肩と同じ程度のものだったんだ。
その間、世間とは没交渉となり、日常話をするのは妻だけ。これでは惚けてしまうと危機感を抱く。夏を過ぎた頃、町内の老人会に参加することにした。老人会には種々の趣味の会がある。その中で囲碁と詩吟の会に参加することにした。囲碁はここ二十年ほどはやっていなかったが、以前は結構夢中になって中級クラス程度にはなっていた。参加してみると定石などはほとんど忘れているが、結構打てる感じで楽しめそうである。詩吟に関しては全く素人。漢詩を作るのとは全く別の芸能だ。特殊な癖のある歌謡という感じで、これはついて行けるかどうか自信がない。しかし、ここで他人との交流を繋げてゆくつもりだ。
ホームページの方もこの夏不定期更新にすると宣言したが、途端に緊張が解けてしまって、更新をズルズルと先延ばしにしてきた。書くことがないわけではないのだが、怠け癖が付いてしまった。
そのうち、友人たちから健康状態を心配するメールが入り出した。これはヤバい! HPを見てくれている方たちからはもう死んだと思われているかも。
もう何年も前になるが、フロリダで一人暮らしをしていた知人がいた。彼は毎日のようにブログを書いていて、それを読むのを楽しみにしていたのだが、ある日突然途切れてしまった。その前に会った時、持病に発作性頻拍があるといっていたので、急死した可能性が高いと想像している。その当時から彼自身やご家族とも連絡の取りようがなかったので、想像の域を出ないのではあるが。
一方的に発信している情報は突然途絶えると発信元が死んだと思われる可能性がある。小生ももう棺桶に半分足を突っ込んでいる状態なのだが、既に死んでしまったと思われるのも本意ではないので、また頑張ってホームページを書き続けよう。
コロナワクチン(副反応にやられた)
先日、3度目のコロナワクチンを接種した。前回、二度の接種は昨年夏だったので、一年以上間隔が空いている。昨年二度の接種では何の副反応も無かったのであるが、流行も収まってきたしもういいかと、三度目の接種案内が来てけれどもほうっておいた。
そのうち、オミクロン株が流行して日本全国がやばい状態になってきた。しかし、この節大勢の人が集まる会合も無くなり、隠居しているため人混みの中に混じることも無く、出かけるといったら単独の登山とか、自転車旅行ぐらいだった。まあ万一感染しても重症化するような気もしなかったので、三回目接種は無視していた。ちょっと気になったのは、今年2月に生まれた三番目の孫のことだ。彼女に我々から感染させるとまずいな。それと国内旅行で宿泊したり、海外旅行に出かけるのに接種証明や陰性証明が要求されることがあるらしい。そんなこんなで、三度目のワクチン接種を受けることにした。もう、ほかの同年配の人たちは四度目の接種を受けている時期である。
心やすい比較的空いている診療所を予約する。ワクチンは三度目もファイザー製である。注射は全く痛くはなく、腫れなどもなかった。
翌日、目が覚めると全身倦怠感、四肢関節痛がある。副反応にやられた。数日経つと徐々に症状は軽快してきたが、右の肩甲骨の裏の痛みがひどくなってきた。家に残っていた消炎鎮痛剤、セレコックスを服用して様子を見たがあまりよくならない。10日ほど様子を見たが、軽快する様子がないのでかかり付けの整形外科を受診した。症状を訴えると、頸椎の神経根症の疑いということでX線を撮る。私は肩甲骨辺りの筋肉に異常があると考えていたが、X線写真を見せてもらうと、頸椎上部の椎間板が大分狭くなっている。
首を牽引してもらうと、スッと痛みが消える。これで納得。結局、元々椎間板が老年性変化で狭くなっているところに、ワクチン接種の副反応で椎間孔辺りに炎症が起こり神経が圧迫されているのだろうということになった。
消炎鎮痛剤が効果があまりないので短期間ステロイドを服用することにする。これはさすがに効果抜群で痛みがすっかり消えたのだが、中止すると元の木阿弥である。ステロイドを長期間服用するのは怖いので、当分は消炎鎮痛剤を服用しながらのひにち薬で様子を見るしかないのだろう。
それとこの節の暑さや天候不順で運動不足のせいもあり、外をちょっと歩くと歩行がしっかりしなくて、フラフラする。ひょっとすると腰椎辺りにも異常が出ているのかもしれない。
もうアウトドアの活動はお終いになるのかと、戦々恐々としている現在だ。
それともう四度目の接種を受ける気はしない。
牛頭天王
7月の京都は祇園祭で賑わう。ご存じのように祇園祭は京都八坂神社の祭礼だ。なぜ祇園というかというと、八坂神社でお祀りしていた神、牛頭天王(ごずてんのう)がお釈迦様が説法していた祇園精舎の守護神であったと考えられているかららしい。牛頭天王は牛の頭を持った巨大な荒ぶる神様だが、仏教の守護神といわれながら仏教の経典の中には出てこないし、道教その他の宗教の神でもない出自不明の神らしい。それが何故か平安時代に京都で祀られた。それがいつの間にか疫病と関係ある神様になった。関係あるというのは牛頭天王が疫病をもたらすのでお祀りして静まってもらうのか、あるいは疫病から民衆を守る神で、守ってくれるようにお祈りするのかどちらかわからないからだ。あるいは判っているのかな? 赤痢、コレラなどの疫病が流行るのは夏が主であるから夏に盛大な祭をするのだろう。
さて、都で牛頭天王が持てはやされたので、全国どこでも疫病を恐れていたから牛頭天王を祀る神社が各地に造られた。それまでも、どんな村でも必ず社を造って神様をお祀りしていたはずだが、それはどんな神様だったのだろうか? その土地に鎮まっておられる名も判らぬ神を鎮守様として祀っていたのではなかろうか。その神様もその土地を守ってくれていたのだが、疫病に関しては牛頭天王の方がはるかに強力だと感じたのではなかろうか。
牛頭天王が旅をしていて飢えで苦しんだ時、巨旦将来という金持ちの家を訪ねたが冷淡に追い払われ、その兄である貧しい蘇民将来に歓待された。その結果、巨旦将来の一族は絶滅され、蘇民将来の子孫は栄えた。今でも土地によっては家の表に「蘇民将来子孫也」と書いたお札を貼っているのを見かけるが、牛頭天王信仰の残っている土地なのだろう。また、夏越の祓で茅の輪くぐりする時に「蘇民将来、蘇民将来」と呪文を唱えるのもその名残だ。
しかし現在、牛頭天王は忘れ去られてしまっている。それは明治になって神道が国家の管理となった時、牛頭天王のような得体の知れない神は認められなかったからである。それで神仏習合説によって、牛頭天王は日本神話の須佐之男命に置き換えられてしまった。どちらも荒ぶる神という点で似ているからだろう。
旅をしていると、須佐之男(素戔嗚)神社とか、八坂神社をよく見かける。みんな牛頭天王を祀っていた社の名残だ。ついでにいうならば、牛頭天王には八人の王子がいた。八王子とか王子というのは大体、牛頭天王信仰に関係した名称である。
脚力の衰え
一、二年前より脚力の衰えが顕著になってきた。まず、歩行のスピードが遅くなってきた。これは一、二年というより、もっと前から気づいていた。街を歩いている時、本人は結構急いで歩いているつもりだが、若い人にどんどん追い越される。女性でも追い越され、頑張ってもなかなか追いつけない。それとよくつまずく。足が上がっていないのだ。幸い、まだ転倒するところまではいっていないのだが、そろそろ町中でも杖がほしいと思うことがある。一番怖いのは階段の下り。ここでつまずけば、ただではすまない。手すりがあるところではできるだけ手すりを持って下る。
先日、一人で日帰りハイキングに行ってきた。標高千メートル弱の山で、道がはっきりしていないところもあるが、気軽に登れるコースだ。ガイドマップのコースタイムは6時間だ。ところがこれに8時間近くかかった。山仲間の記録では4時間で歩いている。小生も若い時はそれぐらいで歩けただろうと思う程度のコースだ。もうこれでは若い仲間と一緒には歩けないな。
自転車の方も、以前はキャンプ道具を積んでのツーリングでも、普通一日100km以上は走っていた。ところが去年の春の四国サイクリングぐらいから一日100km走るのが難しくなってきた。昨年秋の九州サイクリングでは一日60kmがやっとだった。坂の上りも上れなくなった。前に上りが見えてくると、元気がなくなり、早々と押し歩きをするようになった。今年4月の宮崎サイクリングでも、たかが800mほどのそれほど急坂でもない上りをダラダラと押し歩きを続け、60km程走って、3時過ぎにはもう走るのがいやになり早々にテントを張ってのんびりしてしまった。ハンモックを吊って、マッタリと過ごした午後の一時の快かったこと。もうこういう走り方をすべき歳なんだ。
しかし、日頃のトレーニングを怠ると筋力の低下はどんどん進行するぞ。現在、朝1時間半ほどテレビを見ながらステップマシンに乗っているのだが、毎日続けるのが苦痛になってきている。おのれに鞭打って頑張らなくては。それと現在中断しているCompexで筋肉電気刺激トレーニングを再開しなくては。
日本で一番忙しい神様 祓戸大神(はらえどのおおかみ)
先日、サイクリングの途中で佐久奈度神社(滋賀県大津市大石)に立ち寄った。ここは祓戸大神(はらえどのおおかみ)四柱(瀬織津比売、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売)を祀るちょっと珍しい神社だ。これらの神が摂社として脇に小さく祀られるのは普通に見られると思うが、ここでは主祭神として正殿に祀られている。説明板によると、天智天皇の時にここに鎮座し(大津京が出来たときかな?)、その後、大七瀬の祓所の一つとして、天皇が息を吹きかけた人形(ひとがた)を勅使がここでお祓いをし、川瀬に流すことで穢れを祓ったとのことだ。なるほどここは宇治川の上流でなかなか激しい流れに面した場所だ。
神主が祭祀を行うとき、先ず祓詞をとなえて祓戸大神を呼び出し、祭祀の場所、参列する人々の罪、穢れを清める。御幣という半紙を切って挟んだ棒を左右に三度サッサと振るやつである。神道においては神事を行う場所が清浄であることが必須条件なのだ。いわば主役の神様が出場する前にその辺りを掃除する役目の神たちなのだ。まああまり偉い神様という感じはしないが、いないと神事が絶対に成り立たない。だから一番出場回数が多く、忙しい神様というわけだ。
なぜ四柱もの神が必要なのだ? それは大祓詞(おおはらえのことば)に説明されている。神主から祓戸大神に託された禍事、罪、穢れを処理するのはなかなか手間がかかる。
まず、激しい川の流れに鎮座する瀬織津比売(せおりつひめ)が罪、穢れを受け取る。そしてそれを大海原まで運ぶ。(ここの宇治川の急流も瀬織津比売が鎮座するのにぴったりだ)
そうすれば、荒潮の渦の中に鎮座する速開都比売(はやあきつひめ)が禍事、罪、穢れを飲み込んでしまう。
つぎに飲み込まれた禍事、罪、穢れは気吹戸主(いぶきどぬし)という神が根の国、底の国へと吹き飛ばす。
根の国、底の国には速佐須良比売(はやさすらいひめ)という神がいて、それを受け取り、持ちさすらってなくしてしまう。
最後のところ、「持ちさすらいてうしないてむ」となっていて、キッパリと消し去ってしまうのではなくて、どこへやったか判らなくなるというのが、ちょっと可笑しいではないか。しかし、とにかく禍事、罪、穢れを祓うのはなかなか大変なようであるから、皆さん身の清浄を保って祓戸大神にあまり面倒をかけないようにしましょう。
ロシアのウクライナ侵攻
世界終末時計は2020年以来、終末まで100秒とのこと。しかし現時点では大分終末に近づいて10秒ぐらいになっているのではないかな。
2月、ロシアは突然ウクライナに侵攻した。以前からウクライナの東部ではキナ臭い状況だったようだが、今回はウクライナ全土を占領しようとしている。ウクライナがロシアに何らかの脅威を与えているとは考えられないのにである。ロシアとウクライナの軍事力には大きな差があり、普通に考えれば西側からの軍事介入がなければ遠からずウクライナ全土が占領されるであろう。現時点での停戦条件はウクライナの中立化(NATOに加盟しない)、非武装化、東部2州の独立などであるらしい。しかしこれはウクライナにとってのめる条件ではないだろう。ウクライナの国家としての主権を奪われることだから。ロシアの狙いはウクライナに傀儡政権を作り、実質支配下に置くことだろう。此に成功すれば次にバルト3国が危ない。
プーチンの望みは過去のソビエト連邦再建なのか? 現在のロシアは軍事力では米中と並ぶ3大強国だが、経済力はほぼ韓国と同程度だ。
西側諸国はプーチンの野望を許すことは出来ないが、ウクライナに軍事介入する気はないようだ。それは危険すぎる。せいぜいが武器提供までのようだ。しかし、その代わり強力な経済的締め上げを実行している。このまま続けば、遅かれ早かれロシアは経済的に破滅するのだろう。
さて、この結末はどうなるのだろう? 進退窮まったプーチンがおとなしく西側諸国に屈服するだろうか。なにせロシアには強力な核兵器がある。必ずこれを持ち出して西側諸国を脅しにかかるだろう。例えば、ドイツに1、2発核ミサイルを落とせば、EUは蜂の巣をつついた状態になろうが、一致団結してロシアと核戦争をやるだろうか。
第三次世界大戦にならないようにするには、どこかで落とし所を見つけなければならないが、プーチンを排除できない限り、とりあえずはウクライナに泣いてもらわなければならないだろう。しかし、長い目で見ればロシアの没落は避けられない。なにしろ世界のほとんどの国を敵に回したのだから。
とにかく、一庶民としては絶対に核戦争だけは避けてほしいと思いながら、ハラハラして事態の推移を見守っている。
振り返ってみると、プーチンが絶対的に悪いにしても、ウクライナも対応を誤ったのではと思う。ウクライナ国民がロシアを嫌うのは今までの歴史的経緯からよく理解できる。しかし、国家の指導部がポピュリズムに陥ってはダメだろう。ロシアの凶暴な意図を察知して、国民をなだめ慎重な対応を取るべきだったのでは。韓国の大統領候補、李在明が言った。「6カ月の初心者政治家が大統領になり、NATO加入を公言してロシアを刺激して結局衝突した」。李在明にしては珍しくまともな意見だったのでは? まあ、大統領個人の資質と言うよりは政府全体の能力不足というべきか。
孫誕生
私事で恐縮ですが、つい先日、三番目の孫が誕生しました。一番上が19歳、二番目が17歳なので、もう孫は二人だけと思っていましたので、ちょっと嬉しい出来事でした。小生ももうすぐ八十になるかという歳ですので、次はひ孫かと思っていたのですが、これはいつになることか。
2020年の春、東京で会社勤めをしていた末娘がフィアンセを連れて我が家に現れた。四十を越えて、そういう話を聞いたことがなかったので生涯独身で行くのかなと思っていたのだが、やれやれめでたいことだとほっとした。相手の男性も娘と似合いで人が好さそうだ。コロナ流行下ということで結婚式も挙げずに一緒に生活を始めた。それから一年経って妊娠の知らせ。高齢出産と云うことで心配したが、順調に経過して予定日の2週間ほど前に無事女の子を出産した。2,700g。本当は予定日の数日後、2月2日に生まれると誕生日が2022.02.02となるのでいいかなと計画出産の予定であったが、そうは問屋は下ろしてくれなかった。当今のコロナ事情のため、旦那も出産立ち会いのみでその後入院中は面会出来なかった。娘の話では無痛分娩のため、本当にコロッと生まれてきて、何の苦痛もなかったとのこと。その調子ならもう一人産んでくれてもいいのにな。
退院後、我々夫婦もいそいそと東京へ。早速、ご対面。まあ、赤ん坊の顔も昔に比べるとみんな整った顔つきになっている。このまま美しく育ってくれればいいが。あっ、それよりも元気で賢くか。
結局、東京には5日滞在したが、爺さんは3回も見れば充分。あとはポンペイ展に行ったり、深大寺、井の頭公園辺りをブラブラしたり、コロナのために長いこと会っていなかった妹夫婦とお茶をしたりして過ごして帰阪した。婆さんはさらに5日ほど残って、娘の手助けのおさんどんだ。
今年は残りの人生で最高の年になりそうな予感がする。
目下、一番気に入っている写真だ。まだよくは見えていないはずだが、「もう みんなわかっているのよ」といった顔をしている。。 |
2021年回顧
2021年も終わりましたが、前年に引き続きコロナに明け暮れました。デルタ株という変異株が現れ世界中を席巻しましたが、日本は幸い秋に入って急激に感染者数が減少しました。他国ではワクチンを打っても相変わらず猛威を振るっているのになぜ日本だけが少ないのか誰も分からないようです。また、新しい変異株、オミクロン株が発生し、デルタ株よりはるかに感染力が強く、世界中で急速にデルタ株から置き換わっているようで、日本でも徐々にオミクロン株感染が増えてきているようです。しかし、重症度はデルタ株に比べると軽いといわれていますので、あまり心配するほどのことはないのかもしれません。
それと、異常気象というか高気温が世界中に広がり、干ばつ、豪雨、台風などの被害をもたらしました。そんな中、反対の声もありましたがオリンピックが成功裏に終わりました。私もやらなくてもよいのにと思っていましたが、結果的には良かったのかなと思いました。
ここ数年来の異常気象の原因は大気中の二酸化炭素の上昇にあるという意見にほぼ反論がなくなり、脱炭素社会とかカーボンニュートラルとか、大気の二酸化炭素をこれ以上増やさないための対策が世界中でとられることになりました。果たしてうまくゆくのか、百年後の世界はどうなっているのか、私にはわかりませんが。個人的には、世界人口を半分ぐらいに減らして、個人の生活レベルを大幅に抑制しないと無理のような気がしますが。あるいは核融合による発電が可能になるか。
さて、私個人のことですが、誕生日で78歳となりました。この新年で数え年では80歳です。体力は徐々に衰えていますが、大した病気もせず無事に一年を過ごすことが出来ました。ただ物忘れがひどくなってきています。
アウトドア活動もだんだんレベルがダウンしています。
まず、海外旅行は行けませんでした。今年も多分駄目でしょう。
山歩きも一泊以上は上高地から槍沢沿いに天狗池まで。これに二泊もかかりました。あとは日帰りのハイキングで、印象に残っているのは丹波の向山(ヒカゲツツジは終わっていた)と舞鶴の青葉山(間で車中泊)。大台ケ原のシロヤシオ。高槻の三好長慶の城跡散歩、淀の背割り桜ぐらいだったか。ほとんどは家内を連れての散歩でした。
サイクリングは四国仁淀川流域(3泊4日)、島根半島(3泊4日)、大分、宮崎(3泊4日)を走りましたが、一日100km走るのはむつかしくなってきています。
家内との旅行は、2月に下関の春帆楼のふぐ料理と湯布院の亀の井別荘に泊まるというグルメツアーに参加しました。また、9月には東北をドライブしました。レンタカーで乳頭温泉黒湯、大鰐温泉、不老不死温泉と温泉巡りでした。
書道は昨年は王羲之の書簡の臨書でした。今年は清代の劉墉の行書を習うことになっています。 2008年から渡部大語先生の通信指導を受け始めましたからもう14年になりますか。今年でお終いにしようと思っております。
漢詩の方は月に1、2首作るのがやっと。歳とともに周りのことに感動することがなくなり、それとともに作詞の意欲も減退してきました。
一日が流れるように過ぎてゆきます。後数年は頑張って生きて行きたいと思うこの頃です。